1-3 漂流者
超大型人類文明存続艦『ノア』内部、中層第三居住ブロック。
船体側面に設置された『アストレア』用ハッチへ滑り込むと重厚な隔壁がゆっくり閉鎖され、外界と遮断された。
直後、微細な霧が吹きつけられ、海水が洗い落とされる。その後に風によって水滴が吹き飛ばされる。何度やってもこれには慣れない。まるで自分が食器になってしまったように感じる。
ハッチ内部は広い搬入口になっていた。
天井には整備用アーム。床には搬送用レール。足元には警告灯。壁面の大型モニターには、現在の海域の状況と敵の出現予測が表示され、刻一刻と情報が変化していく。
艦に設けられた海上で活動するアストレアたちのための帰投設備だ。
着地すると同時に、《サジタリウス・フライト》の出力を落とす。脚部の光翼が粒子となって消えた。
「つっかれたぁ……」
我ながら情けない声に笑ってしまい、全身から力が抜ける。これほどまでの疲労感は初出撃以来だろう。
予想外の長時間出動、そして戦闘。急制動に自由落下。
めったに行わない無茶をし過ぎた。
壁面の自動アームが近付き、レガリアを固定する。
ガコンという音と、固定完了という文字を確認。《サジタリウス・フライト》の背面が開き、そこから脚を引き抜いた。
続いて半壊したメイン・レガリアである回収アームも外される。そしてその破損の全容を改めて確認し、表情が引きつる。
「うわぁ……修理費……」
思わず遠い目になる。弱小事務所にとって、レガリア修理費は死活問題だ。
外されたレガリアはそのまま整備用レールへ吊り下げられる。肘関節や手首ならともかく、今回はマニピュレーター部分の破損である。高額であることは容易に想像できた。
ガラガラと金属音を立てながら、レールの先へ流れていった。
大型事務所なら専用整備区画があるが、ウチのような小規模事務所では、共用搬送設備を使うしかない。
一方で回収ケースの方も別レールへ載せられていた。
リヴォラ・オクルス由来の鉱物資源。金属繊維。熱線器官。浮嚢繊維。
数はそれなりにある。本来なら上機嫌でもおかしくない成果であるが、おそらくはプラマイゼロだろう。いや、マイナスの可能性もある。
ちらりと隣を見る。
保護した白髪の少女。透き通るような髪を揺らしながら、きょろきょろと周囲を見回している。
「あれ何?」
「右はレガリア搬送レール。その向かいは資源回収用のレール」
「あっちは?」
「整備アーム」
さっきまで意識がなかったとは思えないほどに、キョロキョロしながら軽やかに動き回っている。
「危ないからこっちにいなさい。怪我をするわよ」
「?」
少女は首を傾げるだけだった。
薄暗い階段を上りハッチを抜けると、そこから先は居住区画だった。
ノアの内部は、巨大な艦というより、もはや一つの街だった。
だが、普通の街とは決定的に違う。
空がない。
視界を覆うのは、鉄骨と配管と増築された建物ばかりだ。天井をあちこちに照明が設けられ、暗くはないがやはりどことなく息苦しさがある。特に空を飛んだ後だと、それを顕著に感じる。
通路の上にはさらに通路。
その隙間を縫うように無数の電線とパイプが走っている。
後から後から居住ブロックを継ぎ足して1世紀、元の船体構造など誰にも分からなくなっていた。
建物同士を無理やり繋ぐ渡り廊下、途中で途切れた増築通路はまるで蜘蛛の巣のよう。
配管の隙間に押し込まれるように存在する住居。
まるで街を圧縮して押し固めたような光景だった。
遠くで、低い重音が響く巨大なノアの機関音。
今もこの艦が海を進み続けている証だ。
通路は決して広くない。頭上を洗濯物が横切り、換気ファンが唸り声を上げている。
潮と機械油の匂いの中、狭い路地には屋台が並び、仕事帰りの人々が談笑していた。
魚を焼く煙。
怪しげなアニメ作品のグッズを売る露店。
壁面モニターでは人気アストレアの戦闘映像が流れ、子供たちが歓声を上げている。
「あ、おかえりー!」
「今日はいっぱい獲れたかー?」
近所の人々が気軽に声を掛けてくる。
「あはは……まあそこそこ」
苦笑いで手を振った。
雑多で窮屈ではあるが、ここには人のぬくもりがあった。決して都会ではなく、決して若者が好き好む環境ではないと分かる。けれども私はこの町の雰囲気が嫌いではない。
その横で少女はしばらく黙って周囲を見ていた。
その紫色の瞳には、不思議そうな色が浮かんでいる。まるで初めて人の街を見るようですらあった。やがて二人は、小さな事務所の前へ辿り着く。
古びた看板には、何度か補修した跡がある。
『八雲ヶ原資源管理事務所』
小規模アストレア事務所兼、資源回収業者。近隣住民御用達の便利屋みたいな存在だ。
扉を開ける。
「ただいま戻りました」
「おかえり〜、心配してたよ〜」
間延びした声。
ソファに寝転がりながら、駄菓子を食べている女性がいた。
緊張感のないジャージ姿。ぼさっとした黒髪に、やる気を感じない眠たそうな目。
八雲ヶ原アズサ。
この事務所の所長に、じとっとした目を向けた。
「……本当に心配してました?」
「してたしてた」
アズサはもぐもぐと駄菓子を咀嚼する。
「もう心配し過ぎて食欲不振」
ため息を吐く横で、アズサの視線が少女へ向く。
すると、ふっと少しだけ表情が柔らかくなった。
「通信で会話は聞いてたよ」
アズサはひらひらと手を振る。
「ウチのセイナちゃんを助けてくれて、ありがとね」
「どういたしまして」
少女は即答した。
「お礼にお菓子あげちゃう!」
「いえーい」
アズサが駄菓子を差し出すと、少女が遠慮なく受け取る。初対面とは思えない空気だった。波長が妙に合っているのだろうか。
若干引いた目になった。
「……もしかして、お知り合いだったりします?」
「いいや、初対面」
アズサはあっさり答える。そして少女へ向き直った。
「んで、キミのお名前は?」
「んーーーー……」
少女が考え込む。
「ん?」
首を傾げる。
「んーーーー……なまえ……なまえ……」
段々と困った顔になっていく。
「どうしたのよ?」
少女はぽつりと言った。
「分からない」
「えっ?」
空気が止まる。アズサが駄菓子を咥えたまま目を瞬かせた。
「記憶喪失ってやつ?」
「設定上は?」
「何の設定よ」
アズサは少しだけ真面目な顔になった。
「漂流してたみたいだし、ショック性の記憶障害かもねぇ」
そう言いながら端末を操作する。
「ちょっと行方不明届とか出てないか調べてみるよ」
そして、アズサは少女を見た。
「その間、セイナちゃん。その子、お風呂入れてあげて」
「そうですね。このままだと風邪ひいちゃいますし」
「おふろ?」
「そう、お風呂。分かる?」
「わかるわかる。あの食べると美味しい……」
「違う。分からないなら分からないでいいから。着いてきて」
セイナは少女の前を歩く。
八雲ヶ原資源管理事務所は古い建物だ。
壁には何度も塗り直され、補修された跡があり、床の金属板には無数の擦り傷が刻まれている。だが不思議と薄汚れた印象はなく、手入れが行き届いている。
廊下の途中には古い写真が飾られている。近隣住民との集合写真。資源回収の記念写真。昔所属していたらしいアストレア達の写真。
今ではセイナしか所属していない事務所だが、確かな歴史が残っている。
少女は興味深そうに写真を眺めていた。
やがて二人は『シャワー室』と書かれた扉の前へ辿り着く。
セイナがドアを開く。
「おお」
少女が素直な感想を漏らした。
廊下とは対象的に室内はやたら真新しくあった。貼り付けられた耐水性の壁紙にはシミ1つなく、照明を眩く反射している。
最新ではなくとも、小綺麗な洗濯機が一台。真っ白なランドリーボックスが二つ。その中にはきっちりと畳まれたハンドタオルとボディタオル。
洗面台には大きな鏡。その横には高級そうなドライヤー。
さらに壁際には戸棚が置かれていた。
『真弓セイナ』
そう書かれたスペースには同じブランドの化粧品やヘアケア用品が綺麗に並んでいる。一方、『しょちょー』と殴り書きされたスペースには安売りの化粧品やシャンプーが雑多に押し込まれていた。
年季を感じる事務所の中でも、この部屋だけはやたら新しい。
「先月改装したばっかりなのよね」
少しだけ胸を張る。
「物置部屋を潰して、一つの部屋にしたの。おかげで浴槽も設置できてね。大浴場とまではいかないけど、ここまで立派なバスルームがあるアストレア事務所もなかなか無いわよ」
壁面のコントローラーを操作すると、ほどなくして浴槽へお湯が注がれ始める。心地よい水音が響いた。
「ほら、服脱いで洗濯機に入れちゃって」
「……ん、わかった」
少女は頷く。
だが服のボタンへ伸ばした手は妙におぼつかない。指先が思うように動いていない。慣れていないというより、力の入れ方を忘れているような動きだった。
「もう、貸してごらんなさい」
セイナは近寄る。服の生地は想像以上にしっかりしていた。
手触りに覚えがある。これは病衣だ。昔、自分が入院した時に似たような服を着たことがあった。
病院の患者だろうか。
ふと考える。だが疑問が浮かぶ。
病院は上層区画だ。海へ漂流するなど普通ならあり得ない。
何があったのかは分からない。だが、所長が調べてくれているはずだ。今は任せるしかないだろう。
「ほら、ばんざーい」
その声に素直に両手を上げる。
セイナは服を脱がせ、そのまま洗濯機へ放り込んだ。海水を吸った布地からは独特の生乾き臭が漂っているため、蓋を閉める。
そして、改めて少女を見た。
思わず息を呑む。
綺麗だった、人形のようだと思った。
白磁のような肌。
無駄を完全に削り落とした、均整の取れた華奢な体格。
透き通るような白髪。
宝石を思わせる紫色の瞳。
作り物めいているのに、不思議と目が離せない。
まるで世界に一つしか存在しない芸術品。
何人たりとも決して傷一つ付けてはいけない宝石。
そんな感覚すら覚える。
おそらく今まで見た誰よりも綺麗だ。ただ純粋に、美しい。
「……」
少女は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
慌てて視線を逸らすが次の瞬間、セイナの動きがぴたりと止まった。
「…………」
沈黙。
数秒思考が完全に停止する。
見間違えだろうと、再確認。
困惑し、思考が止まる。
しばしの思考停止の後、理解した。そして。
「──っ!!??」
声にならない悲鳴がシャワー室に響いた。




