1-2 漂流者
その少女は、じいっとこちらを見つめていた。
感情は読めなかった。だが、恐怖も混乱もない。まるで夢でも見ているような穏やかな顔のまま、今度はゆっくりとリヴォラ・オクルスたちへ視線を向ける。
そして薄い唇が、小さく動いた。
「上」
「……は?」
少女の白く細い指先が空を指さす。
「上に行く」
「何言って……」
最後まで言う前に、リヴォラ・オクルスの一体が突撃してくる。
「っ!」
反射的に回避機動を取る。
シールドで直撃は防げる。だが、自分はともかく、この少女はスーツも着ていない生身だ。金属の塊が直撃しようものならその強大な衝撃を全身で受けてしまう。そうなれば、負傷では済まないかもしれない。
反射的にスラスターを噴かす。
――上へ。
気付けば、少女が指差した方向へ飛んでいた。
海面が遠ざかる。重力を無視するように高く、もっと高く。
《サジタリウス・フライト》の光翼が空を裂き、太陽へ向かって一直線に加速していく。
風圧が変わる。
空気が薄い。
気温が下がっていく。
眼下では海が巨大な鏡のように広がっていた。
ここまで上昇すれば、普段であればリヴォラ・オクルスもやって来ない高度だ。それでも今回は違う。背後からは、あの甲高い羽音が追ってくる。
ギギギギギ――。
金属同士を擦り合わせたような不快な高周波音。
今日はどこまでもしつこいようだ。
「それで落ちる」
「……は?」
少女がぽつりと言った。
「自由落下。すぐに動けるようにしておきながら」
「自由落下って……上空何メートルにいると思ってるのよ!? この速度で海面にぶつかったら、私はともかく貴女は死ぬわよ!?」
シールドの有無は大きい。生身では、決して耐えられるわけがない。
「スレスレ」
「何が」
「合図したら、こう」
少女は右腕を持ち上げる。空中へカタカナの『レ』を書くように動かした。
「そうやって飛べって?」
「そう」
言葉足らずにも程がある。説明も理屈もない。だが、その声には妙な確信があった。つい従いたくなるような、不思議な説得力がある。
「……っ」
歯を食いしばる。
私に策はない。そして、このままでは埒が明かないのは事実だ。
逃げ切れない。
武器もない。
救援もまだ来ない。
現状を打破する方法が思いつかないというのなら。
「……わかった。でもその前に」
作業アームを引き寄せる。
そして少女の身体を抱き寄せた。
海水で濡れた少女の身体は、この高度の気温も相まって驚くほど冷えていた。
細く、軽い。存在そのものが希薄と思えるほどだった。
少女が小さく首を傾げる。
「私に抱き着いてなさい。スーツ越しだから完全じゃないけど、衝撃と風圧くらいは守れるはず」
そう言いながら、セイナは作業アームで少女を固定する。
振り落とさないよう、慎重に。
そして、セイナは推力制御を切った。
落下──瞬間。
内臓が裏返るような感覚が襲う。
「ぅ――っ!!」
視界が揺れる。
凄まじい速度で空と海が入れ替わる。
空気が悲鳴を上げる。
耳が痛い。
落ちる。落ちる。落ちる。
腕の中で、少女の声がした。
「落ちながら脚に力を貯めておく」
反射的に従った。
力、レガリアの動力源たる『エーテル』を《サジタリウス・フライト》へ集中させる。
脚部から膝下。膝下から光翼の基部へ。圧縮する。
膨大なエーテルが、今にも暴走しそうな熱量を帯びていく。
その最中、リヴォラ・オクルスたちが追い付いてきた。
前後対称の異形がぴたりと追尾していた。
海面が近付く。
青。青が迫ってくる。
白波。白が複雑にうねっている。
猛烈な速度で世界が迫ってくる。
落ちる──叩き付けられる。
本能が警鐘を鳴らす。
「5」
少女の声。
「4」
海面が近い。
「3」
脚部のエーテルが限界まで膨れ上がる。
「2」
今にも爆発しそうだった。
「1」
海面スレスレ。反射的に閉じそうになる瞼を必死に開く。
「今」
その瞬間、脚部へ圧縮されていたエーテルが一気に解放ふる。
爆発的推力で、海面を跳ねるようにセイナの身体が再び空へ舞い上がった。
「っ、ぐ――!!」
急激な慣性変化に息が詰まり、シールド越しですら身体が軋む。
だが、飛べた。
そのままリヴォラ・オクルスたちへ目を向ける。
すると、三体の異形は、こちらを追ったまま速度を殺せず真っ直ぐに海中へ突っ込んでいった。
巨大な水柱が上がり、白煙となる。
そして、甲高い羽音が途切れる。
「……やった……?」
セイナは呆然と呟く。
腕の中で、少女がぽつりと言った。
「トンボくん達はエーテルを見てる」
「……」
「いきなり膨大な量のエーテル見て、目眩した」
大したことではないと言わんばかりの口調だ。
海面には、白い泡だけが広がっていた。




