1-1 漂流者
赤い閃光が海面を薙いだ。
「っ――!」
反射的に身体を捻る。
脚部の《サジタリウス・フライト》が青い軌跡を描き、海上を滑空した。直後、背後の海面が爆発的に蒸発する。
観測するもの。
トンボにも似た飛行型の敵。
だが、生物的な印象は薄い。
細長い胴体は灰黒色の金属外殻で覆われ、その表面には黒い繊維組織が血管のように浮かんでいる。そして異様な形状。頭部に当たる部位が、腹部の先端にも存在している。
つまり、前後対称。両端に備わった頭部には赤い複眼のような光沢のある感覚器官と熱線器官が備わっている。その姿は、生物というより工業機械じみた無機質さを放っていた。
四枚の薄い翼が高周波で震え、甲高い駆動音を撒き散らす。その振動で海水が白煙を上げる。
直撃は避けた。
だが、エーテルシールド越しにも強い熱を感じる。
「ぅっ……!」
シールドに守られているとはいえ、直撃すればダメージは必至だ。
それに今は──。
背部に装着された、身の丈の二倍はある副腕の回収アームへ視線を向けた。
無骨な手のひらの中。
白い入院着のような服を纏った少女が、ぐったりと横たわっている。
透き通るような白髪。
潮風を受けて揺れるそれは、陽光を反射して淡く輝いていた。
まるで人形のように整った顔立ち。
意識はない。穏やかな顔で浅く呼吸を繰り返しているだけだ。この喧騒の中で目覚めないあたり、案外肝が座っているのかもしれない。
「所長!」
『救援要請は出してるよ〜』
間延びした声が返ってくる。
『ただまぁ……資源回収はタイパもコスパ悪いからなぁ。来てくれるかどうか』
「しっかり仕事しなさいよ、観測所の連中! 高い給料貰ってるんでしょうに!」
叫びながら、再び飛来した熱線を回避する。
三体のリヴォラ・オクルスが、執拗に背後を追尾していた。赤い光学器官が不気味に明滅する。少しずつ、その間隔が狭まり、再度熱線が放たれる。
──本来ならば。
本来なら、《ケイロン》があれば数秒で片付いていた。
エーテル狙撃銃《ケイロン》。
《サジタリウス》専用メインレガリア。長距離精密射撃に特化した私の得物。
だが今回は積んでいない。
簡易回収任務。対象海域に敵影無し。危険度低。
そう観測所から通達されていた。今までがそうであったように、今回もその判断を信頼した。その結果がこの様である。
不用心だと言われればその通りだが、メインレガリアの有無で回収効率は大きく変わる。
重量によるエーテル消費の増加。バーニア部への負荷。
これらは決して無視できない。
弱小事務所であるウチには、少しでも多くの資源を回収し、提出する必要があった。
「このっ……!」
海面を蹴るように急旋回。《サジタリウス・フライト》の足首付近から、光翼の羽毛が舞う。放たれたレーザーが頬を掠める。
オクルスは執拗だった。普通なら、ここまで深追いはしない。ある程度距離を置けば離れていく。なのに今回は違う。
「何なのよもうっ……! 今回はやけにしつこい!」
数日前の大規模殲滅戦によって、海面を埋め尽くすほどのオクルスが撃墜された。その生き残りだとしても不思議ではない。それならば、かたき討ちのつもりだとでもいうのか。
「ばかばかしい!」
もちろん、リヴォラに感情などないそんなことは知っている。
だが、そう言いたくなるほどに異常だった。
三体のオクルスが、赤熱した熱線器官をこちらへ向ける。
「くっ!」
セイナは反射的に急上昇した。
直後、海面を灼熱が走り、蒸気爆発が連鎖する。
白い飛沫が視界を埋めた直後、海面が爆ぜた。
灼熱によって巻き上げられた海水が白い壁となり、オクルスたちを包み込む。
すると、その動きが一瞬だけ鈍った。
「――今!」
セイナは即座に加速する。
海水。リヴォラは液体に弱い。
特に海水は、そのミネラル成分によって内部の繊維伝達系へ異常を引き起こす。
中型以上の個体なら、分厚い外殻や内部構造である程度は保護されている。
だが、リヴォラ・オクルスは違う。
全長一メートル前後。高速飛行のため極限まで軽量化された小型個体。その代償として、繊維伝達系の保護は薄い。
意識を研ぎ澄ませる。
まずは副腕の回収アーム。その中には、白髪の少女が眠ったままだ。
振り落とさない。だが衝撃で押し潰してもいけない。絶妙な力加減。
思考制御を通して、作業アームへ細かく思考を伝達する。
固定強度を再調整、姿勢制御、衝撃吸収。
同時に《サジタリウス・フライト》へ大量のエーテルを流し込む。
足首から伸びる光の翼が、一際強く輝いた。
身体を縦方向へ回転させる。
最大出力で、加速する。
空気が裂ける。
そして――渾身の力で、作業アームを振り抜いた。
戦闘用フライト・レガリアの推進力を乗せた一撃が、オクルスの外殻へ叩き込まれる。
形容しがたいほど鈍い音だ。骨でも肉でもない。何か巨大な鉱石を無理やり砕こうとしたような音だった。
次の瞬間。バチッ、と作業アームの関節部から火花が散る。
壊れた。
直感した。
当然だ。そもそも作業アームは殴打用ではない。五本指で資源を繊細に掴み、制御し、解体し、固定するための精密機器だ。
戦闘用レガリアの推進力を乗せた打撃など、耐えられるはずがない。だが、そんなことは。
「知ってた!!」
怒りを込めて叫ぶ。
オクルスは健在だった。ただ吹き飛んだ。だが、それだけ。
前後対称の異形がわずかに体勢を崩しただけで、すぐ赤い光学器官をこちらへ向ける。
ギチギチ、と内部繊維を軋ませながら再び加速。
「っ……!」
舌打ちした。
《ケイロン》さえあればオクルスなど十体いようが二十体いようが、物の数ではない。
だが今、自分の手元にあるのは半壊した回収アームだけ。
どうする。
逃げ切る?
いや、この速度差では厳しい。
救援は?
まだ来ない。
海面下へ潜る?
論外。この少女が危険だ。
その時だった。
不意に、視線を感じた。
ぞくり、と背筋が粟立つ。セイナはゆっくり振り返る。
回収アームの中で、白い髪の少女が薄く瞼を開いていた。
およそ人間のものとは思えない瞳だった。
紫。
ただの紫ではない。宝石のように透き通り、それでいて内側から淡く発光しているような、不自然な色彩だった。




