6-2 新たな力
「ぼんやりしてどうしたの?」
ナツキが少し前へ身を乗り出し、セイナの顔を下から覗き込むように問いかけた。心ここにあらず、といった様子で歩く彼女が珍しかったのだろう。
「……ん、なんでもない」
セイナは小さく首を振り、浮かびかけていた記憶を胸の奥へ押し戻すように短く息を吐いた。幼い頃の出来事など、普段は思い返すことはない。それなのに今日に限って鮮明に蘇ってきたのは、このあと向かう場所が理由なのだろう。もっともそれは決して嫌な思い出ではないのだが。
二人は中層区画の別ブロックへ向けて並んで歩き始める。
ノアの街並みは、どの区画も共通規格で設計されているため、一見すると同じ景色がどこまでも続いているように見える。白い集合住宅が整然と並び、街灯や植え込みの配置もほとんど変わらない。初めて訪れた人間なら迷うのも無理はないが、毎日歩いている者にとっては、その僅かな違いこそが街の個性だった。
「おぉ……」
ナツキは終始落ち着きなく辺りを見回していた。気になる店を見つければ小走りで近付き、細い路地を見つければひょいと顔だけ覗かせる。そして何かを確認しては、子どものように満足そうな顔で戻ってきて、また別の場所へ興味を移していく。
「セイナちゃん! あそこパン屋さん!」
「そうね」
「こっちは雑貨屋! なんか可愛い!」
「ちゃんと戻ってきなさいよ」
数歩歩いたかと思えば、今度は曲がり角の向こうを覗き込みに走っていく。その姿を見ながら、セイナは思わず口元を緩めた。こうして放っておくと、いつか本当に迷子になりそうだ。
そんなやり取りを続けているうちに、一棟の白い建物が見えてきた。
三階建ての事務所。その門柱には金属製の看板が掲げられ、《麻倉レガリアメンテナンス》という文字が落ち着いた書体で刻まれている。建物だけを見れば八雲ヶ原資源管理事務所とそう変わらない規模だが、その奥に広がる工場はまるで別世界だった。
サッカーグラウンドほどもある巨大な建屋からは重機の駆動音が低く響き、金属を削る甲高い音が幾重にも反響している。大型クレーンがレガリアを吊り上げ、フォークリフトが資材を運び、十数人を超える整備士たちが慌ただしく持ち場を行き来する様子は、一つの巨大な生き物が絶えず活動しているかのような活気に満ちていた。
オイルと金属の匂い。その中に微かに混じる冷却液特有の甘い香りが、この場所がレガリア専門工場であることを物語っている。
セイナは迷うことなく事務所を通り過ぎ、そのまま工場の受付へ向かった。
「へい、お嬢ちゃん。また迷子かい?」
受付の奥から、明るくよく通る声が飛んでくる。
「ちーがーいーまーす」
半ば呆れたように返すと、相手は楽しそうに笑った。
「あっはっは、そうだったそうだった。もうそんな歳でもないか」
「もう……ユイさんはいつまで経っても子ども扱いするんだから」
受付から姿を現した女性は、小柄ながら背筋の伸びた凛とした立ち姿をしていた。整備士用の作業着を着ているものの、その無駄のない体つきからは、現役時代にアストレアとして鍛え上げられた名残が今も色濃く感じられる。
「おや?」
女性はセイナの隣に立つナツキを見るなり、目を丸くした。
「君が噂の?」
「そう! あの噂の! 話題沸騰中、大人気アストレアのナツキです!」
胸を張って言い切るナツキに、一瞬ぽかんとしていたが堪えきれず吹き出した。
「あっはっはっ! なるほど、面白い子だねぇ!」
笑いながら差し出された右手を、ナツキも勢いよく握り返す。
「私は水無川ユイ。ここ《麻倉レガリアメンテナンス》で整備士をやってる。まあ、お嬢ちゃん専属みたいなものだけどね」
「専属?」
ナツキが驚いてセイナを見る。
「私のレガリアは、デビューしてからずっとユイさんにお願いしてるの」
「でもセイナちゃん、自分でも整備してなかった?」
「日常点検だけよ。外装や可動部の確認くらいならできるけど、フレームやエーテル伝導系統まで分解するには資格が必要なの。そこは私じゃ手を出せないわ」
ユイは親指で自分を指した。
「危ない部分は私たち整備士の仕事。戦うのはアストレアだけど、そのレガリアを万全にするのが私らの役目だからね」
ナツキは感心したように何度も頷く。
「へぇ……そういう分担なんだ」
「じゃ、ついておいで。仕事場見せてあげるよ」
ユイに案内され、三人は工場のさらに奥へ歩き出した。
頭上では大型クレーンがレガリアをゆっくりと吊り上げ、その下では整備士たちが分解した装甲を手際よく交換していく。壁際には女性用レガリアだけでなく、資源回収や艦内工事に使用される大型作業用レガリアも並び、その腕部だけでも人ひとりほどの大きさがあった。
歩きながらユイが思い出したように振り返る。
「そいや、この前の作業アームだけど」
「うぐっ……」
セイナの肩がぴくりと震えた。
「いやぁ、見事に壊れたねぇ!」
「それは……本当に申し訳なくて……」
「殴るなら手のひら! ツッパリよ、ツッパリ! そこが一番頑丈なんだから!」
「……面目ないです」
セイナが小さく肩を落とすと、ユイは堪えきれず笑い出した。
「まあ、ちゃんと直しておいたから気にしなくていいよ」
三人が工場の一角へ足を踏み入れると、ナツキは思わず息を呑んだ。
天井近くまで届く整備ラックには、分解途中のレガリアが何十機も吊り下げられている。外装を取り外された機体は、人間で言えば骨格や筋肉が露わになったような姿をしており、無数の配線とエーテル伝導管が複雑に張り巡らされていた。
その間を、整備士たちが慌ただしく行き交う。
誰一人として無駄な動きをしない。
工具を受け渡す者、診断端末を確認する者、エーテル導管の圧力を測定する者。それぞれが自分の役割を理解し、一つの巨大な機械の歯車のように正確に動いている。
「すご……」
ナツキは感嘆の声を漏らした。
レガリアの整備は何度も見たことがある。しかし、それは事務所で行う簡易点検程度のものだ。
ここまで大規模な整備工場へ入るのは初めてだった。
「こんなにたくさんの人が働いてるんだ」
ぽつりと漏らした言葉に、ユイは少しだけ目を細める。
「そうだよ」
その返事は穏やかだった。
「テレビに映るのはアストレアだけ。でも、その後ろには設計する人がいて、部品を作る人がいて、整備する人がいて、補給する人がいて……ようやく一人のアストレアが飛べるわけ」
工具の音が響く工場を見渡しながら続ける。
「だから私は、整備士になってからの方が『みんなで戦ってる』って実感するようになったかな」
セイナは静かにその横顔を見つめていた。
歳こそとっていても、あの日に見た顔と何も変わらない。自らの使命を理解した顔。
「ほら。」
ユイが顎で示した先には、《サジタリウス》が整備ラックへ固定されていた。
ターコイズブルーの装甲は半分ほど取り外され、内部フレームが露わになっている。普段は見ることのできない推進機構やエーテル伝導管が美しく並び、その一つひとつに整備用のマーキングが施されていた。
ユイは手近な端末を操作し、整備データを表示させる。
「大きな異常はなし。エーテル効率も十分、フレームの歪みも規定値以内。さすがお嬢ちゃん、自分で日頃からよく手入れしてる」
「ありがとうございます」
「でも、バーニア基部の軸受けは少し摩耗してるね。それと右側スラスターの噴射角がコンマ数度ズレてる」
ナツキは首を傾げた。
「そんなの分かるの?」
「もちろん」
「……ああ、やっぱり」
セイナは苦笑する。
「最近、長距離射撃でほんの少しだけ右へ流れる感覚がありました。まぁ、推力を無理やり弄って調整してましたけど」
ユイは満足そうに頷いた。
「部品は交換しておくよ」
慣れた手つきで部品番号を入力し、交換指示を送信する。
「三日もあれば終わるかな。監査も終わったし、今のうちに細かいところまで全部調べとくね」
「お願いします」
ユイは親指を立てると、今度は工場のさらに奥へ歩き始めた。
そこから先は空気が変わる。
人の出入りは少なく、床も壁もひときわ綺麗に保たれている。
重厚な隔壁の前で立ち止まると、ユイは社員証を端末へかざした。
無機質な電子音が響き、続いて来客人数を入力する。
厚い隔壁が左右へ静かに開いていく。
その先を見た瞬間、ナツキは思わず足を止めた。
壁一面に整然と並ぶ無数のレガリア。
ゾディアックシリーズ。
アルカナシリーズ。
タカマガハラ製最新機。
試験運用中のプロトタイプ。
それぞれが専用ラックに収められ、まるで美術館の展示品のような静かな存在感を放っていた。
「これは……」
ナツキは思わず小さく呟く。
その目は、まるで宝物庫へ迷い込んだ子どものように輝いていた。
ユイはそんな反応を楽しむように微笑みながら、部屋の中央へ歩いていく。
振り返ったその顔には、どこか悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「さて、ここからが今日の本題だよ。」




