6-1 星
特別大きな台風というわけではなかったと思う。
ただやたらと速度が速かったのか、それとも予測が外れたのか。いずれにせよ、その日は台風の直撃による影響で自宅待機が命じられていた。
私は、突然の小学校の休校とどこか慌ただしい大人達の様子にワクワクしたことをよく覚えている。
ただそれは最初だけだった。友人らと外で遊ぶのが好きだったがその日は当然外出禁止。役所で働く両親は、避難所の案内やら補助で留守。
普段見ることのできない時間帯のテレビ番組も、すぐに飽きてしまった。
読書やゲームはあまり好きではなく、昼寝をしようにも有り余った体力で眠気はない。
ふと、外を見てみる。いつもなら街灯が灯り、多くの人や車が行き交う通りが薄暗く、シンと静まり返っている。まるで雰囲気の異なる見慣れた街並みに魅了された。
大人しく留守番していてという両親の言いつけは覚えていたが、直ぐに戻れば問題ないだろうと、長靴をはいて玄関を飛び出た。
強風の影響で、艦はときおり大きく揺れた。けれど、私はそれがまるで巨大な遊具の上で遊んでいるような気分であった。所々にある水たまりをあえて踏みながら、灰色の街を歩く。
どこまで行っても人はいない。
たびたび振り返り、自宅のある集合住宅を確認する。あんなに大きな建物が分からなくなるわけがないという甘い判断で、ふらふらと当てもなく歩いていく。
危険だから登ってはいけないと言われた柵に登ったり、明かりのついていない横断歩道を左右確認せずに渡ったり、縁石の上を歩いてみた。
普段ならば絶対に出来ないようなことをするのは、なんだか少し大人になったようで気分が良かった。
いつもの通学路とは逆の方向へ歩いていく。ここからは知らない道だ。奇妙な形の遊具の公園があった、おしゃれなデザインの店があった、この辺りには無いと思っていたチェーン店があった。
ほんの少し違う道の先には異世界が広がっていた。
周囲の景色に興味を引かれ、右に左に歩き回る。
どのくらい時間が経っていたのかはわからない。なにがきっかけだったかも分からない。ただふと、後ろを見た。
そして、自宅である集合住宅が見えなくなっていたこと、どう歩いてきたかまるで覚えていないことに気がついた。
来た道を戻ればいいと思った。けれども、反対から見た道はすべてが別物でどちらに行くべきか全く分からない。
心臓の音が大きくなるにつれ、全身が冷たくなっていくのを感じた。先程までのワクワクした気持ちは鳴りを伏せ、今あるのは不安感と恐怖感。
2度3度そのあたりをうろついた後、何の根拠もなく道を決め歩き出す。
なんとなく見た気がするものを目印に進んでいけば帰れると思った。しかし、進めども進めども見慣れたものが現れない。
薄暗い街並みに人の気配はない。所々にある深い物陰から、何か得体のしれない怪物が現れるような気がして身を強張らせていた。
もう二度と帰れないのではないか、二度と両親に会えないのではないか、そういう考えに至り、気がつくと声を上げながら泣いていた。
その時、私は『星』を見た。
塞がれた天井なのだから、夜空など見えるはずはない。けれどもそれは、煌々と輝いている。
その星を道標に、導かれるように私は光の元へ歩いていく。
するとその星が、すっと動いた。
そして、だんだんと大きくなってくる。いや、こちらに近付いてきたのだ。
「どうしたの、お嬢ちゃん、こんなところで!?」
その星は、1人のアストレアだったのだ。水色のレガリアと、青色のエーテルスーツを纏った女性が驚いた様子で声をあげる。
その人は目の前に着地をすると、目線を合わせて問うてくる。
「お名前は? というか、どうして外にいるの?」
その優しい声色に緊張の糸は千切れ、彼女にしがみついて大泣きしてしまった。
きっと、その女性は困惑していただろうが何も言わずただ優しく私の頭を撫でてくれた。
散々泣いたあと、ようやく話せるようなる。
「ま、まゆみ、セイナ……」
「セイナちゃんね? どうして外に?」
こっそり抜け出したとは言えず黙っていると、女性は察したのか苦笑する。
「そっか。じゃあ、おうちは分かる?」
集合住宅の名称を伝える。女性はそれを検索すると、驚いたように声をあげた。
「うわ、遠!? こんなとこから来たの? あちゃー、飛行禁止区域も入ってるか……」
女性は顎に人さし指を当てながら、短く唸る。そして、おもむろに通信機を操作する。
「もしもし、私。ちょっと野暮用で離席するから……え、サボりじゃないって! 迷子の保護だってば! はいはい、それじゃ」
通信機を切ると、その女性はニッコリと優しく笑い両手を差し伸ばしてくる。
「おいで、おうちまで送ってあげる」
知らない人にはついていってはいけないと、くり返し母には言われていたがもうそんなことを意識している余裕はなかった。
女性が背を向ける。その背中に力いっぱいしがみつく。
「よぉし、飛ぶよ!」
女性の腕が身体を強く支えてくれる。そして、浮遊感。
「わっ……!」
一瞬で家々を飛び越え、木々を飛び越え、集合住宅を越える。眼下に広がるのは、灰色の街並み。
知っている場所だというのに、それがどんどん小さくなっていく。
「飛んじゃダメな所があるから、ちょっと遠回りするよ!」
フライト・レガリアから白色の光翼が舞い、一気に加速する。
閉じられた天井、その一部にある物資運搬用通路に飛び込む。
誘導灯の明かりが次々と背後に流れていく。ほほを掠める風が生暖かい湿度を帯びていく。
そして、一気に空間がひらけた。
「……きれい」
眼前に広がったのは、満点の星空だった。いつの間にか台風は過ぎ去っており、雲1つない夜空の向こうで満月が顔を覗かせている。
「おー、今日は満月だったんだね。台風も過ぎてるし、一安心だ」
出来るだけ安定した速度で飛行を開始する。月光を浴びて海面がキラキラと鏡を敷き並べたように輝いている。
その中に佇むのは、自分たちの生活する巨大な艦。かなりの高さを飛んでいるのにその全貌が未だに見えない。
「すごい……!」
「空を飛ぶのは初めて?」
「うんっ!」
「そっか、よし、サービスしちゃおうかな! しっかり掴まってて!」
高度を一気に落とす。
浮遊感が強まるが、不思議と落下への恐怖感はなかった。絶対にこの人は落とさないという安心感があった。
海面ギリギリを翔ける。舞いがった水飛沫が頬に当たる。ひんやりとした感触が心地良い。
そのまま船体に近付くと急上昇し、出てきた通路とは別の場所に飛び込む。
その先には、街並み。そして、真っ先に目に留まったのは新設された真新しい体育館と並ぶ見慣れた校舎であった。ということは、と首を左に回す。視線の向こうに、共通規格の集合住宅がきっちりと立ち並んでいた。
「あっち!」
「お、あっちか。何番目?」
「えっと、3ばん! 5かい!」
「よっしゃ、行くよー!」
いつもであれば三十分はかかる道のりが、一瞬で縮まっていく。
自宅が近付くにつれ、安心感が増す。それと同時に寂しさを覚えた。
最初にあった不安感はとうに無く、俯瞰からの景色と空を飛ぶ感覚が楽しくなっていた。もう少しだけ飛んでいたいという気持ちを抱きながら、おぶさりながら女性の横顔を見る。
茶色のショートカット、意志の強そうな灰色の瞳、わずかに弧を描いた口元。
当然、アストレアは知っている。学校でも話題になるし、目指している同級生もいる。テレビで毎日見る人気アストレアだって何人も見ている。
けれども、憧れたことなど無かった。全く縁のない遠い世界にいる存在で、関わることなどないとすら思っていた。
そんなアストレアが目の前におり、それどころか必死にしがみついているというのだから奇妙なものだ。
集合住宅の壁面に大きく刻まれた文字を確認、そしてその5階まで飛行し、背負っていたセイナをそっと通路へ降ろす。
「到着っと。ダメだぞ、お嬢ちゃん。こんな日に出歩いちゃ」
「ご、ごめんなさい……」
柵の向こうで、女性は泳ぐように浮かんでいる。静かに手を伸ばしくしゃくしゃと頭を撫でてくる。
「ま、こんな日に出かけたくなる気持ちは分かるけどね」
「ふふ」
「それじゃあね、もうこんな日に出歩いちゃダメだぞー」
「あっ……」
女性は光翼を一際強く発光させると、一瞬で天井付近にまで飛んでいく。
「ありがとう!」
聞こえない距離だろうが、大きく手を振りながら叫ぶ。
薄暗い天井の中、強く輝く彼女は星のようだ。先ほど見た本物の満天の星の中でも輝くような力強い光に、目を奪われる。
ふと授業で聞いた話を思い出す。
人類が地上にいた頃、その遥か昔、人々は星を道標にしていたという。その光に導かれ、旅をしていたのだと聞いた。
なぜそんな不確かなものを道標にしたのか分からなかった。
けれど、その気持ちが何となく分かった気がする。
暗い艦内で一筋だけ輝く白い光翼を見えなくなるまで見送る。
あの日、私にはあの人が一つの星に見えた。だから私は、アストレアを目指した。
いつか誰かが迷った時、その人の道標になれるように。




