5-5 復讐者
「へへ、儲けた儲けた」
囮役として適当に飛んでいた方角にも、運良く一体だけリヴォラ・オクルスがいた。
こんな状況では、一体でもありがたい。
腰のホルスターからメイン・レガリアを抜き放つ。
刃渡りほどもある白銀の大剣。刀身には青白いエーテルの光が脈打つように走り、雨粒が触れるたび淡い光を散らしていた。
本来なら剣とは、斬るための武器だ。しかし相手は柔らかい有機体ではない。金属と鉱物が幾重にも編み込まれ、神経繊維で束ねたリヴォラである。
硬度でいえば、こちらの刃が負ける。
だから切るのではない。刀身へ流したエーテルを叩き込み、リヴォラの神経の伝導を変質させる。
剣という形をした打撃武器。それがこのレガリアだった。
一閃。
青白い軌跡が雨空を裂き、鈍い音が響く。流し込まれたエーテルが内部を侵し、リヴォラは糸が切れた操り人形のように海へ落下した。
浮嚢繊維が弾け、純白の繊維が風へ舞う。
「よしっと」
剣を肩へ担ぎながら、視線を遠くへ向ける。
「セイナちゃんは──うお」
撃破ログが更新される。
九体目。
「ということは……リーチだ!」
あと一体で監査の目標へ届く。
思わず口元が綻ぶ。
今日は本当に凄い。
雨の中を自由自在に飛び回り、百キロを優に超える速度で飛翔するリヴォラ・オクルスを、一切の躊躇なく撃ち落としていく。
あれは射撃ではない。もはや、芸術に近い。
以前、興味本位で同じ条件のシミュレーターを体験したことがある。
結果は散々。一発も当たらず、終いには「訓練内容を見直してください」と機械に励まされた始末だった。
それを思い出すと、何故だか胸が温かくなる。
あれが、うちの真弓セイナだ。
誰にも真似なんてできない。世界中にそう言って回りたいくらいだった。
その時、不意に身体が強張る。
首筋を、氷水が一筋流れ落ちるような感覚。身体の内側で何かが軋む。心臓が一拍だけ打つことを忘れた。
「……なに?」
呼吸が止まる。
風が止んだわけではない。雨音も変わらない。それなのに世界から音だけが遠ざかったような錯覚に陥る。
この感覚を知っている。忘れていたはずなのに、身体だけが覚えている。
視線が勝手に空を探す。
どこだ、どこにいる。
心の奥底から、こみ上げてくるのはどす黒い感情。今まで思い出さなかったことが奇跡と思える程に明確で、強い憤怒。憎悪。殺意。
瞬間、ドローン越しに、セイナの声が飛び込んできた。
「ナツキ!」
普段より一段高い、悲鳴に似た声だった。
反射的に振り返る。
灰色の雨雲の向こう。何かがいた。
雨粒を裂くこともなく、羽ばたくこともなく、ただ、そこに浮かんでいる。
人間だった。
いや、人間の形をしているだけだ。
全身は血のような赤銅色。
無数の曲線によって構成され、まるで筋肉が剥き出しになっているかのような有機的な形状だが、硬質的な装甲で覆われた身体。
腰から足首までを皮膜が、まるでドレスのように下半身を覆っている。
両腕の外側には鋭利な無数の突起が並び、その手、特に指が異常に長い。
そして頭部に毛髪はなく、ヘルメットのよう。顔の上半分を覆うほど巨大なカマキリを思わせる複眼。口のような部位はない。
そして胸部には漆黒の拳大の球が埋め込まれ、そこから伸びた繊維が怪しく脈動している。
その存在と対峙しているとセイナが飛んできた。傍らで静止し、眼前の謎の存在を睨み付ける。
セイナがナツキの隣へ並ぶと同時に、赤銅色の存在は空中で静止したままゆっくりと高度を下げ始めた。
その動きには推進器の噴射音も翼を羽ばたかせる音もなく、見えない糸で吊るされているかのように二人と同じ高さまで降下すると、その場で空気そのものに縫い留められたように停止した。
互いの距離は、およそ二十メートル。
ドローン越しにも姿は確認していた。だが、肉眼で見るそれは別物だった。
「……リヴォラ、じゃない? アストレア?」
自分でも信じられない言葉が口をついて出る。
全身を覆うエーテルスーツを着用するアストレアは珍しくない。しかし、それは人間が機械を身に纏った姿だ。
目の前にいる存在は違う。
赤銅色の装甲は筋肉をそのまま金属へ置き換えたような滑らかな曲面で構成され、雨粒が表面を滑るたび鈍く光を返している。生物のようにも見え、機械のようにも見える。そのどちらにも属していない曖昧さが、言葉にできない不気味さを生んでいた。
そして、大きい。
近づいて初めて、その体躯が人間の尺度から外れていることに気付く。身長は二メートルほど。女性のような均整の取れた体型でありながら、腕は僅かに長く、肩幅や脚の比率もどこか異質で、その僅かな狂いが本能へ警鐘を鳴らしていた。
この海域に所属するアストレアはだいたい把握している。
こんな人物はいない。視線は自然と装備へ向かう。
メイン・レガリアがない。
フライト・レガリアも見当たらない。
腰から広がる折り畳まれた皮膜だけが、パーティードレスの裾のように幾重にも重なり、雨風を受けながら静かに揺れている。
あれが飛行装置なのだろうか。
いや、違う。
薄すぎる。
小さすぎる。
何より、生物的すぎる。
赤銅色の存在はゆっくりと首だけを動かし、巨大な複眼をセイナへ向ける。
カマキリを思わせる複眼には感情らしいものは一切ない。ただ観察するだけの視線が、無遠慮に全身を舐めるように通り過ぎる。
数秒の沈黙。
それだけだった。
興味を失ったように顔を逸らすと、その視線はナツキへ移る。
空気が張り詰めた。
音もなく距離を詰めた赤銅色の存在は、いつの間にかナツキの目の前まで迫っている。
拳一つ分。
互いの顔が映り込むほど近い。
カチ。
小さな音が鳴る。
首が横へ傾いた。
さらに、カチ。
もう一段。
獲物を吟味する昆虫のように、複眼だけがナツキを映し続ける。
四十五度。
六十度。
九十度。
人間なら頸椎が砕ける角度を越えてもなお、その首は軋むことなく滑らかに回転していく。
そこでようやく理解した。
人間ではない。
次の瞬間だった。右腕が大きくしなり、鞭のような軌道でナツキの脇腹へ叩きつけられる。
「っ!」
反射だけで剣を差し込む。
轟音。
衝撃が腕から肩、背骨まで一気に突き抜け、ナツキの身体は砲弾のように吹き飛ばされた。
海面すれすれまで叩き落とされる。
フライト・レガリアを全開にすると光翼を大きく輝く。水柱を上げながら辛うじて姿勢を立て直す。しかし息をつく暇もなく、赤銅色の存在はすでに目の前まで迫っていた。
「うわっ!」
考えるより先にスラスターを最大出力へ切り替える。
フールは機動力特化ではない。それでも最高速度は時速百五十キロ。オクルスとの戦闘を想定した速度で、一気に海面を駆け抜ける。
白波だけを残し、ナツキの姿は豪雨の向こうへ消えた。
赤銅色の存在もまた、一切の無駄なくその後を追う。
その加速には、羽ばたきも噴射も存在しない。
まるで重力だけが、あの存在に従っているかのようだった。
呆然としていたセイナは、奥歯を噛み締める。
ゴーグルへ通信回線を開き、本艦へ緊急通信を送る。
「こちら八雲ヶ原所属、真弓セイナ! 所属不明の飛行体と交戦! 至急、増援を要請します!」
叫ぶと同時にサジタリウスを高速飛行モードへ移行し、全身のバーニアが青白い光を噴き上げる。
豪雨を切り裂きながら、セイナはナツキの残した白い航跡だけを追って全速力で飛び出した。




