5-4 監査
「サクラ、邪魔!」
鋭い声と同時に、巴サクラの薄紅色の槍が一直線に走る。
槍先はリヴォラ・オクルスの胸部にある核を正確に貫く。機能を失ったオクルスは力なく海へ落下した。
内部の浮嚢繊維が破裂し、純白の綿毛のような繊維がふわりと広がる。その光景だけを見れば、美しい花が咲いたようにも見えた。
「わりぃな、早いもの勝ちだ!」
「揃いも揃って私の邪魔ばかりぃ……!」
歯を軋ませながら、セイナがライフルを下ろす。
「そりゃそうだろ。お前を自由にさせたら全部持っていかれちまう」
サクラは肩を竦めた。
監査では、一定期間ごとの平均撃破数が評価対象となる。
しかし、その数字を満たせるだけのリヴォラが必ず出現する保証などない。
出現すれば、誰よりも早く現場へ向かい、誰よりも早く倒す。
今だけは、普段なら助け合うアストレア同士が、同じ獲物を狙う競争相手だった。
「ありゃりゃ、また倒し損ねちゃったか」
光翼をきらめかせながらナツキが戻ってくる。
「コイツ邪魔」
「おい邪魔言うな」
監査まで、残り二日。
必要撃破数は六十。
現時点での撃破数は四十一。
今回の出撃でセイナが二体、ナツキが六体を撃破し、合計四十九体。
残る一日で、あと十一体。
数字だけを見れば不可能ではない。しかし、競争の激しい今、その十一体が遠かった。
「うちは……っと」
サクラが端末を開く。
「あ、おっしゃ。達成したみてぇだ」
巴アストレア事務所には八人のアストレアが所属している。
一人ひとりが突出しているわけではない。
それでも人数が多ければ、それだけ各エリアへ同時に展開できる。別働隊が撃破した実績も合算され、必要数へ届いたらしい。
「おめでとー」
「サンキュー。ギリッギリだったなぁ。来年からもっと増やされそうで嫌になるぜ」
「分かったから、とっとと消えなさい」
「怖えー怖えー」
サクラは笑いながら背を向ける。
「じゃ、お前らも頑張れよ」
フライトレガリアの光翼を大きく羽ばたかせ、そのまま帰投していった。
「んー……あと十一かぁ」
ナツキが頭を掻く。
「しかも一日で、となると流石にきついわね」
競争相手さえいなければ難しい数字ではない。だが、この数日は撃破数が不足している事務所が一斉に海へ出ている。
見つけたリヴォラは、誰かが先に倒してしまう。
今はその繰り返しだった。
「また別行動してみる?」
「それやって私がゼロだったでしょう……」
「ぐぬぬ……」
ナツキは腕を組み、海の向こうを眺める。
「いっそ他の海域まで行けたらなぁ」
その言葉に、セイナは苦笑した。
「できたら皆そうしてるわ」
現在、人類は世界各地で建造された『ノア』を拠点として生活している。
一つの国家に複数のノアが存在するのも珍しくなく、日本だけでも東京ノアをはじめ、複数のノアによる担当海域ごとの運用が分かれていた。
それぞれが決められた海域の警備と資源回収を受け持ち、所属するアストレアも原則として自らの担当海域から出ることはできない。
勝手に境界を越えれば、他ノアの作戦や資源管理計画を乱すことになる。
だから、たとえ隣の海域にリヴォラが大量発生していたとしても、それは隣のノアに所属するアストレアの仕事だった。
──
翌日。
監査前、最後の出撃日。
空は夜明け前から厚い雨雲に覆われ、灰色一色だった。大粒の水滴が絶え間なく海面を叩き、無数の波紋が幾重にも重なる。水平線は白く霞み、空と海との境界すら曖昧になっている。
頬を打つ雨は冷たい。
フライト・レガリアの光翼を広げれば、雨粒は高速で頬を掠め、小さな痛みとなって肌へ突き刺さる。耳元では風切り音に混じって雨が装甲を叩く乾いた音が絶え間なく響いていた。
普通なら、誰もが嫌う空模様だ。
だが、この今日だけは別だった。
口元が自然と緩む。
雨は視界を奪う。
海面から立ち昇る水煙と降り続ける雨粒が遠方を白く覆い、肉眼で捉えられる距離は普段の半分にも満たない。レーダーで位置は把握できても、人は最後の最後には自分の目で確認したくなるものだ。
だから、多くのアストレアは雨を嫌う。
ましてや近接戦闘を主体とする者ならなおさらだ。敵を見失えば距離を詰めることもできず、味方との位置関係も掴みにくい。結果として動きは鈍る。
その一方で、私には関係がない。
腰部ユニットから四基のサブ・レガリアが射出される。
小型のドローンは私の周囲を一周すると、それぞれ異なる高度へ散開した。雨雲の隙間を縫いながら広範囲へ展開し、絶え間なく情報を送り続ける。
ゴーグルの内側へ立体映像が浮かび上がる。
高度。
方位。
速度。
風向き。
気圧。
海流。
点でしかなかった情報が一本の線となり、線は未来の軌道を描く。
見えている必要はない。必要なのは、『どこへ行くか』だけだ。
「ねえねえ」
隣から間延びした声が聞こえる。
「ボク、もうびしょ濡れなんだけど」
「邪魔しないで」
視線は一度も向けない。
ライフルを肩へ預け、ゆっくりと呼吸を整える。
雨粒が照準器の前を横切る。
風が銃身を押す。
フライト・レガリアが微かに揺れる。
それらを一つずつ修正しながら、照準を数センチだけ右へ流す。
引き金を引く。
閃光。
放たれたエーテル弾は雨粒を裂くように一直線へ伸び、遥か彼方でリヴォラ・オクルスの核だけを正確に撃ち抜いた。
純白の浮嚢繊維が弾ける。
灰色の空へ綿毛のような繊維が舞い上がり、雨に濡れながらゆっくりと海へ落ちていく。
外れない。
実弾なら風雨は大敵だ。だが、エーテル弾は違う。
影響を受けるのは弾ではなく、撃つ側だけ。
強風は長大な銃身を揺らし、雨は姿勢を崩し、冷えた指先は感覚を鈍らせる。それでも照準は狂わない。
何千回と繰り返してきた修正が、身体に染みついている。
「ほら、ナツキ。あっち」
「はーい。うぅ……ウィッグ重いぃ……」
白髪のウィッグから滴を垂らしながら、ナツキは勢いよく飛び去っていく。
その姿を見た他事務所のアストレアたちも、一斉に進路を変えた。
八雲ヶ原の新人が向かった。
ならば、あちらにリヴォラがいる。
そう判断したのだろう。こちらの空域から人影が消える。
静かになった空を見渡し、私は小さく息を吐いた。
ようやく、撃てる。
引き金を引く。
一体。また一体。
ドローンが次の目標を映し出すより早く照準を合わせ、光が走る。
雨雲の向こうで、白い花が次々と咲いていく。
「……七体目」
誰へ聞かせるでもなく呟く。
監査が始まってから胸の奥へ少しずつ積もっていた澱が、雨とともに流れ落ちていくようだった。




