5-3 150年前
人類が大地を追われてから、およそ百五十年。
現在を生きる人々の中に、リヴォラが存在しなかった時代を知る者はいない。
だが、当時の映像や記録は数多く残されている。人類がいかにして地球外生命体との戦いに敗れ、大地を捨てることになったのか。その経緯だけは、後世まで語り継がれていた。
すべての始まりは、一つの隕石だった。
比較的大型の隕石が地球へ接近している――各国の観測機関はそう発表した。
落下予測地点は、南太平洋の無人海域。
ニュースとして話題になる程度の衝突ではあったが、文明への直接的な被害はないと判断され、人々の関心も次第に薄れていった。
しかし、その予測は外れる。
隕石は大気圏へ突入する以前、衛星軌道上で突如として崩壊した。
数え切れないほどの破片となったそれは、流星群のように世界各地へ降り注ぐ。
当初、それらは単なる隕石片だと考えられていた。
だが、一年後。世界は静かに壊れ始めた。
局地的な群発地震。
原因不明の地殻変動。
地磁気の異常。
河川や地下水から検出される高濃度の重金属。
植物は枯れ、動物は姿を消し、人類はようやく異変の深刻さに気付く。
しかし、その頃にはすでに手遅れだった。
地球そのものが、何者かによって侵食され始めていたのである。
そして、世界各地でさらなる異変が観測される。
地中を突き破るように現れた、巨大な構造物。
全高は一〇〇〇メートルを優に超え、その外観は生命の設計図を思わせる二重螺旋構造をしていた。
地上へ伸びた塔は、地下では無数の根のような繊維となり、地殻を貫き、マントル付近にまで到達していたという。
その材質は、金属と鉱物とが複雑に混合したもの。既存の理からは外れたあり得ないとされた組み合わせをした組成、鋼。鉄を遥かに凌ぐ強度と、植物のようなしなやかさを同時に備えていた。
各国政府は歓喜した。
未知の超素材。
総重量は数億トンを超えると推定され、その工業的価値は計り知れない。これを回収できれば、人類文明は飛躍的な発展を遂げる――。
そう判断した各国は、競うように構造物の解体計画を開始した。
そして、それが人類最大の過ちとなる。
構造物と接触した瞬間、その内部から無数の生命体が現れた。
全身を金属と鉱物で構成された昆虫のよう怪物。まるでB級SF映画に出てくるような不格好な地球外生命体。
各国は即座に迎撃態勢を敷いた。しかし、その昆虫たちは攻撃してくることはなかった。彼らは都市へ向かって進行を開始したのだ。
そして到達すると、人間には一切興味を示さず、街を構成する金属や鉱物だけを黙々と解体し、回収し始めたのである。
鉄骨は崩れ。
橋梁は解体され。
発電所は沈黙し。
都市は骨だけを残して朽ちていく。
それは生命に対する虐殺ではなかった。
文明そのものを解体する、静かで、あまりにも圧倒的な侵略だった。
人類はそれに対し、直ちに攻撃を開始した。
戦車砲はその外殻を砕けず、巡航ミサイルは構造物の一部を吹き飛ばすに留まった。徹甲弾は内部へ届かず、焼夷弾は金属と鉱物で構成された身体にほとんど効果を示さない。
そして何より、人類は最悪の事実を知る。
地球外生命体は、自らの身体へ金属や鉱物を取り込むことで、その損傷を瞬く間に修復してしまうのだ。
撃ち込まれた弾丸。
砕け散った装甲車。
崩壊した高層ビル。
それら全てが、リヴォラにとっては新たな肉体を構成する材料でしかなかった。
攻撃するほど敵は強くなる。
人類が築き上げた文明そのものが、敵を育てる餌となっていた。
そして、さらに厄介だったのは、彼らが無機物を操る能力を持っていたことである。
本来ならば人類を守るために存在する兵器やインフラ、その叡智の結晶が、ことごとく人類へ牙を剥いた。
通信網は寸断される。
人工衛星は制御を失い墜落し、自律兵器は味方へ銃口を向けた。
工場は暴走し、発電所は停止する。
戦場では敵に殺された者よりも、人類が生み出した兵器によって命を落とした者の方が多かったというのだから、皮肉という他ない。
地球外生命体は金属、鉱物、土壌を取り込み、その身体を形成しながら増殖していった。
その性質から、国際学術連合は彼らを
《Lithovora proliferans》
『岩石を喰らい、増殖するもの』と命名した。やがてその学名は略され、人々は畏怖を込めて彼らをこう呼ぶようになる。
――リヴォラ。
リヴォラ出現から二十年。
人類の生存圏は地球全土の40%にまで縮小していた。
絶望的な戦況が続く中、世界中の研究者による解析で、一つだけ希望が見つかる。
リヴォラは海中では正常に活動できない。
海水に含まれる成分が神経繊維の活動を著しく阻害し、長時間の行動を不可能にすることが判明したのである。
人類は地上を捨てる決断を下す。
聖書に記された箱舟の名を冠した超大型人類文明存続艦。
世界各国は国家という垣根を越え、残された全ての資源と技術を投入。その建造計画を開始した。
十年。人類は文明の全てを注ぎ込み、数多の《ノア》を完成させる。
そして――人類は再び、母なる海へと帰還した。
──
大地は、どこまでも濃い緑に満ちていた。
かつて海を埋め立てて築かれた土地は再び海へと没し、首都圏を埋め尽くしていた建築物や高架道路、高層ビル、自動車、鉄道、送電設備といった人工物の姿は、もはやどこにも存在しない。
あるのは、ただ果てしなく広がる森林だけだった。
それでも静寂ではない。
木々の間からは絶え間なく虫の羽音が響き、鳥がさえずり、遠くでは獣の鳴き声がこだましている。
人類が姿を消した大地は、彼ら野生生物にとって楽園そのものなのだろう。
金属の使用量を極限まで抑えた観測用ドローンを操作し、その映像をタブレットへ映し出す。
人工衛星の地図と照らし合わせながら地形を確認する。
ここが、かつて日本最大の都市圏だったなど、今の景色からは到底想像できない。
世界有数の電波塔も、超高層ビル群も、人々で埋め尽くされていた駅前も、その痕跡すら残されてはいなかった。
リヴォラは金属と鉱物を取り込み、自らの身体を形成する。
百五十年という年月をかけ、都市そのものが文字通り食い尽くされたのである。
衛星写真だけでは分からない情報を確認しながら、次回の上陸地点候補を絞り込んでいく。
人工衛星から大まかな地形や植生、リヴォラの活動状況までは把握できる。
しかし、それだけでは安全は保証されない。
樹木に覆われた地形では、谷や崖、小規模な地滑りなどは判別しづらい。
地表の土壌が流出していないか、腐植層が十分に形成されているかも上空からでは正確には分からない。
さらに、衛星では反応のない場所でも地下にリヴォラの群体が潜んでいる可能性がある。
だからこそ、人の目による最終確認が必要なのだ。
近々実施予定の大規模資源回収作戦。
今回の回収対象は、『土』である。
ノアには戦闘艦、居住艦、工業艦など様々な役割を持つ艦が存在する。その中でも農業艦は、人類存続の根幹を担う存在だった。
人は食べなければ生きられない。そして、食料を生産するには土が必要不可欠である。
土とは簡単な組成のものではない。
岩石が風化してできた鉱物。
植物や動物の遺骸が分解された腐植。
菌類や細菌をはじめとする数多の生物の死骸。
さらには水分や空気まで含めた、極めて複雑な生命の混合物である。
そのすべてを人工的に再現する技術は、現在の人類にも存在しない。
肥料は作れる。
培養土も作れる。
しかし、自然が何百年、何千年とかけて育んだ『本物の土』だけは、大量生産できなかった。
だから人類は今もなお、定期的に地上から土を回収している。今回の目的地は、日本有数の農業地帯であった場所だ。
長年にわたり肥沃な農地として利用されてきた土地であり、現在も良質な土壌が残されている可能性が高いと判断されていた。
私たち観測部の任務は、その土壌が今なお利用可能かを確認し、安全な上陸地点と輸送ルートを確立すること。
人類が明日も食卓を囲めるかどうかは、この地図の一つひとつに掛かっている。
第一候補と第二候補の土壌成分を比較する。
今回必要なのは、農耕用として長期間利用できる土壌だ。
どちらも窒素、リン酸、カリウムといった必要な養分は十分に含まれている。しかし、土の粒径や腐植の割合、水分保持量を考慮すると、第二候補のほうが排水性と通気性に優れていた。
こうした性質は衛星画像やドローンの分光解析だけでは判断できない。
実際に土を掘り返し、握り、崩し、匂いまで確認して初めて分かるものだった。
第二候補を回収地点として仮設定し、観測データへ反映させる。
あとは本艦へ持ち帰ったサンプルを精密分析に回し、重金属や有害微生物、未知の汚染物質が検出されなければ正式決定となる。
これで今回の任務は終了――そのはずだった。
最後のサンプルケースを収納した、その時である。
視界の端を、何かが横切った。
反射的に顔を上げる。
飛行物体だ。リヴォラ・オクルスか。
そう判断したのは一瞬だけだった。
違う。
オクルスにしては大きすぎる。
細長い胴体でも、四枚羽でもない。
もっと質量がある。存在そのものが、重い。
木々の隙間へ身を滑り込ませ、息を潜める。
周囲の音が急に大きく感じられた。
風に揺れる枝葉。
虫の羽音。
遠くで鳴く鳥。
その全てを聞き分けるように耳を澄ませる。
目だけを動かし、空を探る。
見えない。どこへ消えた。
その瞬間だった。
――ポン。
乾いた破裂音が頭上で弾けた。
反射的に空を見上げる。
観測ドローンだった。通信も警告もなく、まるで見えない何かに撃ち抜かれたように機体中央へ小さな穴が開き、そのまま回転しながら森の中へ落下していく。
画面がブラックアウトする。
通信断。
……やられた。
呼吸を殺したまま、ゆっくりと視線を上げる。
いた。
木々よりも高い位置。
陽光を背負うように、一つの影が静止している。
風に流されない。
羽ばたきもしない。
それでいて、確かに空中へ留まっていた。
記録には存在しないシルエット。
その輪郭は逆光で判然としない。それでも、一つだけ確信できることがあった。
その姿には、どういうわけか見覚えがあった。




