5-2 監査
ナツキは緊張した面持ちでタブレットを抱え、画面中央に表示された『更新』ボタンをそっと押した。
今日は月初め。アストレアランキングの更新日である。読み込みを示す円がくるくると回る。
数秒にも満たない待ち時間が、妙に長く感じられた。
やがて画面が切り替わる。表示された順位を見た瞬間、ナツキは目を見開いた。
「……二百八十八位……全然変わってなーーーい!!」
白髪のウィッグを両手でわしゃわしゃとかき乱し、事務所中に響くような悲鳴を上げる。その様子に、セイナは呆れたように肩をすくめた。
「十位くらい上がってるじゃない」
「ええーー!?」
慌てて順位の推移を示すチャートを開き、一般票と協会票の内訳を確認する。
一般票はわずかに減少。
対して、協会票は先月よりも伸びていた。その数字を見たセイナは小さく頷く。
「仕事内容は評価されてるみたいね。ただ、そのぶん一般の人たちからの注目は少し落ち着いてきたってこと」
「ぐぬぬ……」
「最初が異常だったのよ。あれだけ話題になれば、当然見る目も厳しくなる。不祥事を起こさなくても、目立った活躍がなければ一般票は少しずつ減っていくものなの」
人気というものは、維持するほうが難しい。それはアストレアも芸能人も変わらない。
「でも、協会票が増えてるじゃない」
セイナは画面を指差した。
「これは仕事ぶりを専門家が評価した票。地味でも堅実に活動していればちゃんと入るわ。派手さより、継続することが大事なのよ」
「くぅ……ぐうの音も出ない……」
むやみに出撃を増やせば、レガリアの消耗は激しくなる。
整備費もかさみ、故障の危険も高まる。
かといって出撃を控えれば実績は伸びない。自分の得意分野を理解し、必要な任務を見極め、確実に成果を積み重ねる。
言うのは簡単だが、それを続けるのは容易ではない。
かくいう私も、新人だった頃は実績欲しさに無茶な出撃を繰り返し、体調を崩した挙げ句、レガリアを大破させて所長に大目玉を食らったものだ。
そんなことを思い出し、少しだけ苦笑する。
「ランキングも大事だけど、監査も忘れないでねー?」
デスクからアズサ所長がひょいと顔を上げた。
「今年は早いですね」
「うん。去年は八月だったのに、今年は六月だって」
監査という言葉にナツキが首を傾げる。
「かんさ……?」
「簡単に言うと、ちゃんとしたアストレア事務所かどうかを協会が調べる制度よ」
セイナはソファへ腰掛け、指を折りながら説明を始める。
「レガリアの整備記録、出撃履歴、健康管理、教育体制、会計処理、安全管理。書類はもちろん、実際に設備も見られるわ」
「えぇ……」
「だから日頃からちゃんとしてないと駄目なの。整備不良なんて見つかったら一発で減点よ」
アズサも頷く。
「うちはその辺しっかりやってるから心配はしてないけどねー。過剰出撃もさせてないし、健康診断も定期的に受けさせてるし、レガリアの点検記録も全部残してる」
そこで大きくため息をつく。
「問題は書類なんだよねぇ……」
机の上には未処理の書類が山積みになっていた。
「こればっかりは私の仕事だからなぁ……ちくしょー」
頭を抱えるアズサを見て、セイナが苦笑する。
「手伝えることはやりますので」
「助かるぅ……」
アズサは早速メールソフトを開き、協会から届いた監査要項を表示した。
画面いっぱいに法律文書のような堅苦しい文章が並ぶ。ナツキはそれを横から覗き見るも、一目見ただけで顔をしかめた。
「うわぁ……読む気なくす文章だぁ……」
「大丈夫。読むのは私だから」
アズサは慣れた手つきでスクロールし、重要箇所だけを探していく。
その動きが、ある一文でぴたりと止まった。
目を擦る。
もう一度見る。
さらに去年の通知も開き、見比べる。
「……えーっと、セイナちゃん。ここ読んで」
「はい?」
タブレットを受け取り、読み上げる。
「『本年度定期監査においては、各アストレア事務所の対リヴォラ戦闘能力を重点評価項目とする。実績評価として、一事務所あたり月間五十体以上のリヴォラ討伐実績を基準値とする』……」
読み終えたセイナの表情が固まった。
「……え、多……くないです?」
アズサは去年の通知を開く。
「ちなみに去年は二十五体」
「二倍になってるじゃないですか! 上はバカなんですか!?」
思わず机を叩く。
五十体。
大手事務所ならともかく、中小規模の事務所では到底楽観視できる数字ではない。
「助成金狙いで怪しい事務所が増えてるってニュースになってましたよね。その影響ですか?」
「それもあると思う。でも……たぶん」
アズサは少しだけ視線を伏せた。
「いや、何でもない。しかし、参ったねこりゃ」
静かな声だった。状況を理解できていないナツキだけがきょとんとしていた。
「え? え?」
アズサはナツキのほうを向き、できるだけ分かりやすく説明する。
「監査っていうのは点数制なの。書類、安全管理、教育、設備、それから実績。それぞれ点数があって、一定以上取れば合格」
「じゃあ五十体倒せなかったら終わり?」
「そこまで単純じゃないよ」
アズサは首を横に振り、口を開く。
「ただ、今年は戦闘実績の配点がすごく大きい。ここを落とすと合格ラインがかなり厳しくなる」
セイナが補足する。
「監査に落ちると、まず改善命令が出る。改善計画書を提出して、一定期間の再審査。それでも改善されなければ補助金の減額、設備更新の支援停止。最悪、任務への参加資格も失う。それが続けば業務停止され、そして最終的には認可取消。アストレア事務所として活動できなくなる」
「つまり……」
ナツキの顔から笑みが消えた。
「解散ってことだねー」
事務所の空気が一気に重くなる。
八雲ヶ原資源管理事務所は決して大きな事務所ではない。だからこそ、一度つまずけば立て直すのは容易ではない。
「だ、大問題じゃん……!」
ナツキの声だけが、静まり返った事務所に響いた。顎に手を当て、ぶつぶつと指を折り始める。
「ご、五十体かぁ……まぁ、二人で二十五体ずつなら……」
「違うよ? 月間平均五十体。だから監査までの累計で計算するの」
「へ?」
アズサは端末を操作し、今年度の撃破記録を一覧表示する。
月ごとの討伐数がずらりと並び、五十体を超えている月もあれば、大きく下回っている月もある。
それらを合算し、監査日までに必要となる討伐数を自動計算する。画面中央に大きく表示された数字は。
「六十体ぴったり!」
「増えたじゃん! もう終わりじゃん!」
ナツキは頭を抱えてソファへ倒れ込む。一方、セイナは画面を見つめながら静かに考え込んでいた。
「……六十ですか」
しばらくして、小さく息を吐く。
「ギリギリ……なんとかなるかもしれませんね」
「嘘だぁ!」
勢いよく起き上がる。
「だって大手事務所も出てくるんでしょ!? そんなの仕事全部持っていかれちゃうじゃん!」
リヴォラ観測局は、各海域に出現したリヴォラの数や種類、危険度を分析し、それを基に討伐、回収のオーダーを発令する。
当然ながら、危険度が高く実績も求められる任務は、大手アストレア事務所へ優先的に割り振られる。
中小事務所へ回ってくるのは、その後だ。
しかし、セイナは首を横に振る。
「監査用の撃破数を稼ぐために、大手が無理して参加してくることはないわ」
「え、なんで?」
「もう達成してるから」
あっさりとした返答だった。
「大手は年間を通して出撃回数も人員も桁違い。監査基準なんて、とっくの昔に満たしてる。だから今回みたいな案件は、むしろ中小へ回ってくる可能性が高いのよ」
「そうなの?」
「ええ。それに――」
セイナは腕を組む。
「中小事務所がなくなって一番困るのは、大手事務所なの」
「え?」
「リヴォラは倒して終わりじゃない。倒したあと、『回収』しなきゃいけないでしょ?」
ナツキは先日の資源回収任務を思い出す。
浮嚢繊維を切り離し、鉱物資源を船へ運び、コンテナへ積み込む。
戦うよりも、むしろその後のほうが時間は掛かっていた。
「回収ってね、結構時間が掛かるの。一体ずつ資源を仕分けして、船へ運んで、コンテナへ積み込む。戦闘時間より長くなることだって珍しくない。人気アストレアを半日拘束して回収作業をやらせるくらいなら、その間に別の危険海域へ向かってもらった方がいい。スポンサーも、その方が喜ぶわ」
アズサも頷く。
「人気アストレアって芸能人みたいなものだからねぇ。テレビ出演、雑誌撮影、ネット番組、イベント……スケジュールはびっしり。もちろん戦闘映像も大事だけど、ファンやスポンサーが見たいのは華のある活躍なんだよ。」
「地味な回収作業を一日やらせるより、中小事務所へ依頼したほうが、時間的にもお金の面でも効率がいいってわけ」
「なるほど……」
ようやくナツキも納得したように頷く。
この世界では、戦う者と支える者、その両方がいて初めて社会が成り立っている。
そして中小事務所は、その"支える側"として重要な役割を担っているのだ。
セイナは壁に掛けられた海図へ目を向ける。
「このノアだけでも中小アストレア事務所は四十から五十ある。でも、戦闘を専門にしているところはそんなに多くないわ。会社の一部門としてアストレアを抱えているところもあるし、回収専門の事務所もある。今年の監査で、自主的に統合したり、廃業を選ぶ事務所も出るかもしれないわね」
「そうなると、実績のある中小事務所は二十くらいかなぁ」
アズサは腕を組みながら苦笑する。
「協会としても、そのくらいに整理したいのかもしれませんね」
中小事務所の数が減れば、一事務所あたりの負担は増える。しかしその一方で、残った事務所にはより多くの仕事が回ってくる。
生き残れるかどうか。
その分岐点が、今年の監査だった。
アズサはぱん、と手を叩く。
「かなり大変なのは間違いないけど、やるしかないね。私は整備会社や資材メーカーに声を掛けてみる。レガリアの整備スケジュールも前倒しで組めるよう相談してみるよ」
「手伝えることがあれば言ってください」
セイナが頷く。ナツキも立ち上がり、小さく拳を握った。
「よーし……じゃあ頑張って六十体!」
一拍置いて。
「……やっぱ多くない?」
その情けない一言に、事務所には思わず笑い声が広がった。




