4-5 白瀬トウカ
そんなバカな。いやしかし、この風貌は間違いない。人の顔を覚えるのは得意であるし、モニター越しとはいえ何度も見た顔なのだ。間違えるはずがない。
そんなことを考えているうちに、ミラクルマンは子どもたちの声援を受けて立ち上がり、高々と拳を掲げた。
歓声が爆発する。勇壮な主題歌が流れ始め、会場全体の空気が一変した。そこから先は圧巻だった。
怪獣の拳を紙一重でかわし、鋭い蹴りを叩き込み、尻尾攻撃を飛び越えて懐へ潜り込む。派手なアクションでありながら、一つ一つの動きには確かな迫力があった。
最後に大きく距離を取り、両腕を十字に構える。
お決まりの必殺技。
実際に光線が出ているわけではない。プロジェクションマッピングによる映像演出だ。それでも子どもたちは目を輝かせ、大人たちまで息を呑んで見守っている。光線を浴びた怪獣は火花を散らしながら吹き飛び、悲鳴を上げつつ舞台袖へ逃げていった。
静寂。
そして勝利を告げるファンファーレ。
ステージ中央へ立ったミラクルマンは、観客全員をゆっくり見回したあと、胸へ手を当て、小さく頷いた。たったそれだけの仕草だった。
それだけなのに、会場中から惜しみない拍手が湧き起こる。
ショーが終わると、ミラクルマンはそのままステージ前へ降り、一人ひとりと丁寧に握手を始めた。
何十人と並ぶ長蛇の列。
きっと中にいる人は汗だくで、疲労も相当なものだろう。それでも子ども一人ひとりと目を合わせ、しっかり頷き、笑顔を返している。
その姿勢は、どこか私たちアストレアにも通じるものがあった。人に見られる仕事とは、こういうことなのかもしれない。
「いくよ、セイナちゃん!」
「え、ちょっと!?」
気付けばナツキに手を引かれ、そのまま握手待ちの列へ並ばされていた。
しかも、さっきまで号泣していたバケットハットのお姉さんまで、当然のように私たちの隣へ並び、涙を拭きながら静かに順番を待っていた。
我々の番はすぐに来た。
「はじめまして、ナツキです! とっても格好良かった!」
満面の笑顔でミラクルマンと握手をする。ヒーローはそっと自身の胸元に手を当て、胸中に刻みつけるように振る舞う。そして、ポンポンと優しくナツキの頭を撫でた。
そのまま私の方を向き、手を伸ばしてくる。
「え、握手? 私も?」
小さく首肯してくる。おずおずと手を伸ばすと、力強く手を握ってくる。
「えっと、とても凄かったです。頑張ってください……?」
咄嗟に言葉が出てこず、当たり障りのない事しか言えない。そのまま出口から出ると、背後からは例の女性の言葉にならない悲鳴が聴こえてきた。
ナツキはそれを気にも留めず、私の腕をつつく。
「ねぇ、セイナちゃん。ミラクルマンって他にも種類あるの?」
「え、なんで?」
「ほら、前を歩いてる子が持ってる人形。角が生えてる」
そう言われてみればそうだ。赤と銀色のカラーリングは同じだが、デザインは異なっているように見える。
「……親戚、とかなのかしら?」
「違いますよ!」
思わず振り返ると、目元を赤く腫らしたバケットハットの女性がいた。彼女が勢いよく続ける。
「あの角が生えているのはミラクルマンジロウです。今放送中のミラクルマンノアとは全く別の惑星……いえ、全く別の宇宙にいるミラクルマンなのです! そもそもですね、ミラクルマンとは概念的なものでして……」
長くなりそうな気配を察知し、ナツキの背を軽く押す。
「えっ?」
「私買い物行ってくるから、話し相手になってあげて」
「ちょっ、セイナちゃん!?」
───
ナツキが例のバケットハットの女性に捕まっている間、私は商店街を一人歩き回り、日用品の買い物を済ませることにした。
一人暮らしをしている以上、生活に必要な物は自分で揃えなければならない。
醤油が残り少なかったはずだ。味噌も切れかけていた気がする。食パンに卵、それから牛乳。ついでに洗剤とシャンプーの詰め替えも買い物かごへ放り込み、足りなくなっていた調味料を一つずつ思い出しながら揃えていく。
途中、何かもう一つ買い忘れているような気がするという引っ掛かりは最後まで消えなかったが、どうしても思い出せない。
「さて、そろそろ……」
両手いっぱいの買い物袋を提げ、私は再び中央ステージへ戻った。
つい先ほどまで子どもたちの歓声で埋め尽くされていた広場は、すでに元の商店街へ戻っている。
椅子はほとんど空になり、親子連れも帰路につき始めていた。そんな中、最前列の椅子だけには二人の姿が残っていた。
向かい合うナツキと、あのバケットハットの女性である。
私が離れた時は女性が一方的に熱弁を振るっていたはずなのだが、今は様子が違う。
身を乗り出しながら、お互い夢中になって話し込んでいる。
「つまり、二十年前の放送で回収されなかった伏線を、客演回でちゃんと拾ったと……!」
「そう! そうなんですっ! しかも当時のキャストそのままで……!」
「なるほど、それは熱い……!」
二人とも妙に真剣な表情で頷き合っている。もう完全に意気投合していた。
「あ、セイナちゃん、おかえりー!」
ナツキがこちらへ気付き、大きく手を振る。
「ただいま。……で、まだ話は続いていたのね」
「いやぁ、これがなかなか奥深くてね。ミラクルマンシリーズ」
「百六十年の歴史がありますから……!」
女性が胸を張る。
「百六十年ねぇ……」
さすが長寿シリーズというべきか。
もっとも、私にはその凄さはいまひとつ分からない。
それよりも。
私は改めて女性の顔を見つめた。帽子。眼鏡。服装。それらを差し引いても、やはり見覚えがある。
「あの、違ったら申し訳ないんだけど……」
一拍置いて口を開く。
「白瀬トウカ、よね?」
女性はぱちぱちと瞬きを繰り返し、それから「あっ」と小さく声を漏らした。
「はい。ごめんなさい、自己紹介がまだでしたね」
立ち上がると、帽子を軽く押さえながら丁寧に頭を下げる。
「そうです。白瀬トウカです」
その所作はどこか育ちの良さを感じさせる、綺麗なお辞儀だった。
「えっ!」
ナツキが勢いよく立ち上がる。
「白瀬トウカ!? あのランキング一位のアストレアの!?」
「あはは……そうですね。畏れ多いですが」
照れ笑いを浮かべる姿は、映像で見た孤高の最強アストレアとはまるで別人だった。
戦場では一切の無駄を許さぬ剣士。
だが今目の前にいるのは、好きな作品について延々と語り続ける、ごく普通の女性である。
「似てるとは思っていたけど、やっぱり……でも、どうしてこんなド田舎に?」
「え? ミラクルマンショーを観るためですよ?」
あまりにも当然と言わんばかりの返答だった。
「……え?」
「今日はこのノアでショーがあったので」
首をかしげる。
「それだけのために、来たの?」
「はい!」
満面の笑みだった。そこでふと、あることに思い至る。
「もしかして、フリーでいるのって……」
「はいっ!」
食い気味だった。
「そうしないとイベントへ行けませんから!」
拳をぎゅっと握り締める。
「特に来月から始まるミラクルマンサマーフェスティバル、通称ミラサマは毎日通う予定なんです!」
なるほど、筋金入りだ。トウカは慌てて付け加える。
「あっ、何かあれば戦闘へは参加しますよ? ミラクルマンなら絶対そうしますから!」
「あっ」
ナツキが何か思い付いたように人差し指を立てる。
「もしかしてトウカちゃんのレガリアって、ミラクルマンカラー?」
「そうなんです!」
トウカの目が輝き、嬉しそうに何度も頷く。
「赤色と銀色と言えばミラクルマン! そして、金色は私の最推し、ミラクルマンメビウスのイメージなんです!」
まさか理由がそこだったとは。私の中で"孤高で寡黙なアストレア"という像が、音を立てて崩れていく。
腕時計へ目をやったトウカが、小さく声を漏らした。
「あ、ごめんなさい!」
慌てて立ち上がり、私たちへ深く頭を下げる。
「本当はもっと布教活動をしたいんですけど、明日の予定もあるので失礼しますね!」
「あ、そうなんだ」
ナツキも立ち上がる。
「じゃあ、気を付けてね!」
「ありがとうございます!」
トウカはにこりと笑う。
「ナツキさん、ぜひまたミラクルマンのお話をしましょう! それと、今度円盤を贈りますね!」
そして少し身を乗り出した。
「円盤?」
「ブルーレイです!」
いつの間にそんな約束を取り付けたのだろう。完全に趣味友達と思われているのだろうか。
最後に彼女は私へも視線を向け、小さく微笑んだ。
「真弓セイナさんも、また今度」
「あ、どうも……」
軽く頭を下げ返したところで、ふと違和感が生まれる。彼女の背中を見送りながら呟いた。
「私の名前……知ってた?」
どこかで会った記憶はない。
ランキングの動画か何かで見たのかもしれない。だが、私程度のアストレアを記憶しているとは思えず、結局、思い当たる節は見つからなかった。
「……まあ、いいか」
腕時計へ目を落とす。
そろそろ事務所へ戻る時間だ。ナツキを呼び掛けようとして、私は言葉を止めた。
ナツキは壁へ貼られたミラクルマンのポスターを、じっと見つめていた。
「そんなに気に入った?」
「うん。それもあるんだけど……」
珍しく歯切れが悪い。
何かを思い出そうとしているように、視線だけがポスターの上をゆっくりとなぞっていく。
長い沈黙の後、やがてぽつりと呟いた。
「……ミラクルマンってさ、超常的な能力と圧倒的な身体能力を持ってるんだってさ」
「へえ、そうなの」
「でも、その力を私利私欲には使わない」
ナツキは静かに続ける。
「困っている人を助けるためだけに、その力を振るう」
その横顔は、どこか遠くを見ていた。
「……なんでか分からないけど」
ゆっくりと目を閉じる。
「そんな存在を、ボクは昔から知っていたような気がするんだ」
そして、小さく首を振った。
「でも、それが誰なのか思い出せない」
記憶喪失。
その事実を改めて突き付けられる。
「……ま、焦ることもないでしょ」
私は努めて明るく笑う。
「そのうち、ひょっこり思い出すわよ」
「……それもそうだね!」
さっきまでの沈んだ表情は嘘だったかのように、ナツキはいつもの笑顔へ戻った。
その笑顔を見ながら、私はどこか胸の奥に、小さな引っ掛かりだけを残していた。




