3-5 アストレア
作業開始から、しばらく時間が経過した。
最初のうちは珍しそうに辺りを見回していたナツキも、今では黙々とリヴォラの残骸を回収している。だが、いくら回収しても終わりが見えない。
「……終わらないよー」
ナツキが心底うんざりしたような声を漏らす。
作業アームで引き寄せた残骸をコンテナへ放り込みながら、セイナは苦笑した。
「そうねぇ……」
視線を巡らせる。
コンテナは既に手持ちの半数の二基が満載になっていた。だが海面を見れば、回収しきれていない残骸がまだ無数に漂っている。どう考えても回収しきれる量ではない。仕事には慣れているが、それでも気が滅入る。
「……さすがに休憩ね。いったん船にいくわ」
エーテルスーツの計器を確認する。
連続稼働時間は一時間を超えていた。
まだ動けなくはない。だが、今回私は作業アームと《ケイロン》のメイン・レガリアの二刀流である。その分、重さが増し負荷がかかっている。
レガリアは高価だ。そして何より大切な相棒でもあり、無理をさせたくはない。
「了解ー」
二人は回収船へ向けて高度を下げる。海面近くを流れていた潮風が次第に弱まり、やがて金属製の甲板が足元へ迫ってきた。
静かに着地。その衝撃を逃がすようにフライト・レガリアが短く噴射し、二人の身体を支える。そのまま装備解除を開始した。
ロック機構が解除される音。
エーテル回路が停止する音。
足元から光翼が消えていく。
長時間の飛行を続けたフライトレガリアは熱を帯びていた。特にスラスター周辺は顕著で、陽炎のような揺らぎが立ち上っている。触れれば火傷するほどではない。しかし機械としては十分に熱い。
レガリアラックへ懸架されたユニットからは、冷却ファンの低い駆動音が聞こえていた。
「どのくらい休む?」
ナツキが首を傾げる。
「規定どおり、一時間ね」
セイナは肩を回しながら答えた。その頃には冷却も終わっているだろう。
レガリアのエーテル回路も安定するし、身体の疲労もある程度回復するはずだ。
「ナツキ、おいで」
手招きをすると、ナツキが素直についてくる。二人は船内へ足を踏み入れた。
回収船は無人運用である。
操舵も航行管理も全てノア側から遠隔制御されており、人員は搭乗していない。そのため船内は妙に静かであり、聞こえるのは空調設備の低い唸り声と船体を叩く波音だけだった。
船の中央部には広い休憩スペースが設けられていた。長机が整然と並び、その周囲には固定式の椅子が配置されている。天井の照明は明るく、無機質ながら清潔感があった。
セイナは迷うことなく奥へ向かう。壁際に設置された大型冷蔵庫。その扉を開く。内部にはペットボトル飲料や保存食が整然と並んでいた。
「回収任務の時は食料が用意されてるわ」
そう言いながら二つの弁当箱を取り出す。
「これがお弁当で……はい、水」
一本のペットボトルを手渡す。
「ジュースがいいです!」
「ない」
即答するとナツキは露骨に肩を落とした。セイナは無視して電子レンジへ弁当を入れる。しばらくして温めが終わり、二つの弁当を机へ並べた。耐熱樹脂製の容器は三つの区画に分かれている。
主食は雑穀を混ぜた白米。長期保存用として改良された品種らしく、炊き上がりはやや硬めだが風味は悪くない。
主菜は照り焼きにされた白身魚。海上生活では貴重な動物性タンパク源であり、甘辛いタレの香りが食欲を刺激する。
副菜には加工大豆から作られた高タンパク食品と、海藻を煮込んだ総菜が添えられていた。
野菜は少ない。細切りにされた人参とキャベツが申し訳程度に入っているだけだ。生鮮野菜はノアにおいて貴重品である。水耕栽培施設は存在するが、生産量には限界がある。そのため一般市民が口にする食事は、どうしても魚介類や加工食品が中心になる。
だが栄養バランスそのものはよく考えられていた。不足しがちな栄養素は強化食品やサプリメントで補われている。見た目は質素だが、実用性を重視した献立だった。肝心な味も悪くはない。
「ちゃんとした依頼だと、こういう補助が出るのよ」
セイナは蓋を開けながら言う。
「食事とか燃料とか、それにレガリアが破損した時の補助金なんかもね」
ナツキは感心したように頷く。
「お偉いさん達でも、アストレアとレガリアの重要性を分かってるわけだね」
「そういうこと」
セイナは笑いながら箸を手に取る。
窓の向こうには青い海。そしてまだ回収しきれていない大量のリヴォラ資源。休憩が終われば、また仕事だ。だから今はまず腹ごしらえである。
「さて、食べちゃいましょ」
「いただきまーす!」
ナツキの元気な声が、静かな船内に響いたのだが、すぐさま苦悶の声が響いた。弁当を食べ始めて数分ほど経った頃だった。
「く……ぐぐ……」
隣の席から聞こえてきた苦しげな唸り声に、セイナは焼き魚を口へ運びかけた手を止める。
「……なによ」
視線を向けると、ナツキは真剣そのものの表情で箸と格闘していた。
右手に握られた箸は今にも飛んでいきそうなほど不安定で、その先端では掴み損ねた卵焼きが何度も皿へ転がり落ちている。
「……セイナちゃーん」
助けを求めるような犬のような声だった。セイナは一瞬ぽかんとしたあと、思わず額を押さえる。
「あ、ごめんごめん」
そうだった。
ナツキは箸がうまく使えない。普段の振る舞いがあまりにも自然なため忘れそうになるが、彼は記憶喪失なのだ。
文字の読み書きや日常会話に困らないのは、おそらく身体が覚えている知識が残っているからだろう。しかし、箸の扱いのような細かな動作までは上手く引き継がれていないのだろうか。
事務所で暮らし始めてからというもの、アズサは生活に必要な知識を一つ一つ教えている。
挨拶の仕方。
食器の片付け方。
洗濯機の使い方。
ゴミの分別。
そういったものは覚えるのが早かったが、箸だけは何故か壊滅的だった。
「スプーンとフォークはこの引き出し」
セイナがテーブル脇の収納を開く。中から金属製のスプーンとフォークを取り出し、ナツキへ差し出した。
「はーい、ありがとーございます!」
ナツキはぱっと表情を明るくすると、両手で受け取ってぺこりと折り目正しく頭を下げる。おそらくアズサから何度も叩き込まれたのだろう。昼行灯を絵に描いたような所長だが、こういう礼儀作法には意外なほど厳しい。
ナツキはさっそくフォークを手に取ると、先ほどまで苦戦していた卵焼きを難なく口へ運び、満足そうに頬を緩めた。
セイナもようやく弁当へ手を付ける。温かい白身魚を口へ運んだその時だった。
卓上へ置いていた通信端末が小さく震えた。
ブブッ、と短い振動音。
視線を落とす。
表示された名前を見て、セイナは眉をひそめた。
『巴サクラ』
ほんの一時間ほど前に別れたばかりである。こんなタイミングで連絡してくる理由が思いつかない。
「もしもし。どうかしたの?」
通話を繋ぐ。スピーカー越しに聞こえてきたのは、いつもより少し緊張した声だった。
『あー、通じた。良かった』
「なによ」
『なぁ、ちょーっとばかし頼みたいことがあるんだけど』
「忘れ物?」
軽い調子で返したセイナだったが、返ってきた言葉で表情が固まる。
『いや、えーっと』
一拍。
『現在攻撃を受けておりましてな』
「は!?」
思わず椅子から腰が浮く。食堂の静寂が一瞬で吹き飛んだ。
『母艦にも連絡はしてあるけど、多分お前らのが近いかなって』
背後では風切り音が聞こえている。飛行中なのだろう。
『たしか、得物はもってたよな?』
セイナは即座に理解した。
回収任務では武器を持たないのが基本である。飛行時間を優先するためだ。だが今回は違った。前回、リヴォラ・オクルスに襲われた経験がある。だから今回は《ケイロン》を持ち込んでいた。
「わかった。すぐ向かう」
『助かる! 今度なんか奢る!』
「座標送って。すぐ行くから」
『おう!』
「通信切るわよ。何かあったらまた連絡して」
返事を待たず通話を終了する。端末をポケットへ押し込み、そのまま立ち上がった。
「ナツキ、すぐに――」
言葉が途中で止まる。
席を見ると、誰もいない。
「あれ?」
ついさっきまで向かい側に座っていたはずだ。だが椅子だけがぽつんと残されている。フォークも皿もそのままだ。食事の途中だったはずなのに。
「ナツキ?」
呼びかけるが、返事はない。
セイナは急ぎ食堂を飛び出し、デッキへ続く通路を駆ける。船内は無人だ。機関音だけが低く響き、照明に照らされた金属壁が延々と続いている。階段へ差しかかったその瞬間だった。
ゴンッ――!!
船体全体が激しく揺れた。
「っ!?」
咄嗟に手すりへ掴まる。足元が大きく持ち上がり、視界がぐらりと傾く。
波ではない。何かが船体へ衝突したような衝撃だった。数秒遅れて金属の軋む音が響く。
「まさか……!」
一段飛ばしで階段を駆け上がる。甲板へ飛び出した瞬間、強い海風が頬を打った。
そして。ハンガーを見て絶句する。
そこには《サジタリウス》しかなかった。隣にあったはずの《フール》が消えている。
「嘘でしょ……」
視線を上げる。
遠方、蒼い空を切り裂くように飛行する黒い影が見えた。
黒のレガリア。腰まで伸びた純白の髪。間違いなく、ナツキだ。
「ちょっと待ちなさいよ!」
思わず叫ぶ。
当然届くはずもない。黒い影は迷うことなく一直線に飛んでいる。
「どっちに行くか分かってないでしょ、あの子……!」
慌ててサジタリウスへ駆け寄る。
脚部ユニットを固定。
腰部フライト・レガリアを接続。
思考制御を同期。
各部の起動音が重なり、ターコイズブルーの発光が走る。
ナビゲーションリングを展開し、サクラから送られてきた座標データを読み込む。
すると。
「……え?」
セイナは思わず目を見開いた。リング上に表示された進路。その方向がナツキの飛んでいった方角と完全に一致していた。誤差など存在しない。
まるで最初から目的地を知っていたかのように。
通信は聞いていないはずだが、座標データは共有していない。それなのに、あまりにも正確だった。だが今は考えている暇などない。セイナは唇を噛む。
「あとで問い詰めるから……!」
脚部スラスターへ一気にエーテルを流し込む。
光の翼が展開。
圧縮された推力が爆発し、サジタリウスの身体が砲弾のように射出された。青空の彼方へ消えた白髪の背中を追うように、セイナもまた海上へ飛び出した。




