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第5話 処刑かと思いきや、毛布でくるまれお持ち帰り

「展開が早すぎますぅぅぅぅ!!」


 私の悲痛な絶叫が、しんと静まり返った夜の騎士団宿舎に虚しく響き渡った。

 だが、そんなものに動じるクロード様ではない。


 王国最強の筆頭騎士にして、『氷の死神』の異名を持つ男は、私の細い手首をがっちりと掴んだまま、淡々と寝室の扉へ向かっていく。

 いや、淡々と、というのは少し違う。

 足音は静かなのに、「絶対に逃がさない」という、息が詰まるほどのどす黒い執着と圧力が、背中越しにガンガン伝わってくるのだ。


 怖い。でも顔が良い。そして近い。

 感情が大渋滞である。


「ま、待ってください、クロード様! ほんの少しだけ、冷静な話し合いの場を――」

「している」

「私の認識では、一方的な連行(拉致)です!」

「お前は今、俺の寝室に不法侵入した現行犯だ」

「ぐっ……!」


 ド正論で物理的に殴られた気分だ。

 そう。ぐうの音も出ないほど、私は紛れもない不審者なのだ。


 深夜に騎士団長の私室へ忍び込み、寝顔を眺め、謎のヒール(湿布)をかけていた女。客観的に見れば完全にアウト、控えめに言っても変態である。たとえ動機が百パーセントの善意と推しへの純粋な信仰心だったとしても、法がそれをどう裁くかは別問題だ。


 引かれるまま、よろよろと廊下へ出る。

 夜更けの宿舎は静まり返っていて、魔石灯の青白い光の下で見るクロード様の横顔は、恐ろしいほど整っていた。


 ああ、推しが実在している。

 ……いや、そこに感動している場合ではない。


(落ち着いてください、私……! これはたぶん、前世を含めても人生最大の危機です!)


 今のところ斬られてはいない。けれど、「俺の屋敷へ来るぞ」と断言された今、状況はだいぶ分からない方向へ転がっている。


 普通、こういう場合はどうなるのだろう。

 騎士団の地下牢で苛烈な尋問? それとも、実家に突き出されて家族から「一族の恥晒し!」と殺される?

 あるいは、さっきクロード様が口走った『聖女』とかいう意味不明な勘違いのせいで、もっと恐ろしい事態に発展するのだろうか。


 いや、私みたいな無能が聖女だなんて、さすがにありえない。

 そう思い込もうとした、その時だった。


「……寒いのか」


 頭上から、ひどく低い声が降ってきた。


「へ?」


 間抜けな声を漏らして見下ろすと、私の肩は小刻みに震えていた。

 極度の緊張のせいなのか、冷たい夜風のせいなのか、自分でもよく分からない。


 クロード様はわずかに眉を寄せると、私の肩に掛けていた彼の分厚い外套を、さらにぎゅっと、隙間を埋めるように巻きつけた。

 それだけでも十分すぎるほどありがたいのだが――次の瞬間。彼は廊下の隅に置かれていた予備の分厚い毛布まで引っ掴んできた。


「えっ」

「動くな」

「はい?」


 ばさっ。

 私は頭から、すっぽりと毛布でくるまれた。


「ふぎゃっ」


 視界が一瞬でふかふかの布に埋まる。

 あたたかい。いや、あたたかいけれど、そうじゃない。今の私、完全に『出荷待ちの荷物』みたいな包まれ方をされたのですが。


「ク、クロード様!?」

「お前は薄着すぎる。それに――」

「それに?」

「……お前の姿を、他の誰にも見せたくない」

「はい!?」


 何を言っているのだろうか、この御方は。

 私が混乱している間に、クロード様は毛布ごと私の体をひょいっと抱え上げた。


「――えっ!?」


 浮いた。完全に浮いた。

 地面から足が離れ、自分がクロード様の腕の中にすっぽりと収まっている(横抱きにされている)のだと理解する。


「ひゃあああああ!?」

「静かにしろ。舌を噛むぞ」

「む、無理ですぅぅ!!」


 なぜなら今、私は最愛の推しに『お姫様抱っこ』されているからである。


 いや、落ち着け。これはロマンチックな何かではない。

 不審者を安全かつ速やかに、他人の目に触れさせずに運搬するための、極めて合理的な『拘束措置』だ。そう、たぶん。


 でも、おかしい。距離が近すぎる。近すぎて心臓が破裂しそうだ。

 クロード様の腕は、まるで鋼のようにびくともしない。しかも視界のすぐ近くに、彼の端正すぎる顎のラインと、喉仏がある。


(し、死ぬ……! 推しのファンサが物理的に近すぎて死ぬ……!!)


「暴れるなと言っている」

「いえその、暴れているのではなく、オタクの情緒が限界でして!」

「まったく意味が分からん」

「ですよね!」


 クロード様はため息をつきながらも、私を落とすまいと腕の力を少しだけ強め、まったく危なげない足取りで宿舎の裏口へ向かった。


 そこでようやく、私はひとつの重大な社会的問題に気づく。


「あ、あの……クロード様?」

「何だ」

「この姿、誰かに見られたら大変なのでは……?」

「何が大変なんだ」

「何がって、王国最強の筆頭騎士様が、深夜に、毛布にくるんだ怪しい女を私邸に持ち帰っているという、完全に事案な絵面です……!」

「お前が怪しい女なのは事実だろう」

「そこは否定してくださいません!?」


 ひどい。でも否定できない。

 クロード様は扉の前で一度足を止めると、外の気配を探るように鋭い視線を巡らせた。


「問題ない」

「どこがですか!?」

「俺とお前を見た者は、物理的に黙らせる」

「発言が物騒すぎますぅぅ!!」


 これが国の治安を守る騎士団長のセリフなのだろうか。

 私は毛布の中でぶるぶる震えた。発言の治安が悪すぎて震えているのだ。


 ◇ ◇ ◇


 幸いというべきか、誰にも見つからずに宿舎の外へ出ることはできた。


 クロード様は毛布にくるまれた私を抱えたまま、迷いのない足取りで王都の夜道を進んでいく。

 私はといえば、もう抵抗を完全に諦めて、大人しく運ばれる荷物と化していた。


 なにしろ、逃げようにも不可能だ。

 相手は王国最強。こちらは毛布で簀巻きにされた無能令嬢。勝負になるはずがない。


 それに――。


(あれ……?)


 ふと、気づいた。

 クロード様の体温が、思っていたよりずっと温かい。


 戦場を駆ける冷酷無慈悲な『氷の死神』。

 勝手に「体温まで氷のように冷たいのでは」と思っていたのだけれど、実際は全然違った。力強い腕に抱えられていると、不思議と、これまで感じたことのないような絶対的な安心感がある。


 そして、ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけ、私を抱きしめる彼の呼吸が、熱を帯びて深い気がした。


(えっ……もしかして、クロード様って……)

(思っていたよりずっと、お優しい……?)


 その考えに至った瞬間、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。


 いけない。これはいけない。

 推しは遠くから見守るからこそ尊いのだ。そこに「私にだけ優しいかも」なんて勘違い要素が乗ってくると、オタクの情緒は簡単に爆散する。

 私はただの不法侵入したゴミなのだから、図に乗ってはいけない。


 私は毛布の中で、そっと自分の顔を覆った。

 無理。供給過多である。


「苦しいのか」

「ち、違います! ただ心が処理落ちしているだけで!」

「本当に意味が分からん」


 ◇ ◇ ◇


 やがてクロード様は、王都の一等地にある巨大な屋敷の前で足を止めた。

 暗闇の中でも分かるほど立派な鉄門。どこまでも続く庭。重厚で美しい邸宅。


 これが、クロード様の私邸。


「到着だ」

「と、到着……」


 私は呆然と呟いた。

 伯爵家の出来損ないである私など、一生足を踏み入れることのない雲の上の世界だ。


 門番らしき騎士が、血相を変えてこちらへ駆け寄ってくる。

 私は毛布の中でぶわっと冷や汗をかいた。


 やばい。見られる。

 主人が夜更けに毛布ぐるみの不審者を抱えて帰宅したところを、部下に見られる。社会的に終わる。


「ク、クロード様! やはりここで一度私を降ろしてください! 自分の足で歩けます! たぶん!」

「駄目だ」

「なぜですか!?」

「逃げるだろう」

「逃げません!」

「信用できん。それに、お前の足は素足だ。こんな石畳を歩かせるわけがない」

「ぐぅ……!」


 またも正論……いや、最後のは過保護では!?


 門番の騎士は、主人の腕の中にいる『謎の毛布』を見て、目を剥いて硬直した。

 そりゃそうだ。


 だが、クロード様は平然と、いや、むしろどこか誇らしげに言い放った。


「最上級の客人だ」

「は、はあ……?」

「すぐに一番良い客間を整えろ。湯と食事もだ。急げ」

「こ、心得ましたぁっ!」


 門番は動揺を全身から漂わせながら、慌てて屋敷の中へ駆け込んでいった。

 私はというと、毛布の中で目をぐるぐるさせていた。


 客人。今、最上級の客人って言いました?

 不法侵入犯ではなく? 捕縛対象でもなく?


「え、ええと……私、客人扱いなのですか?」

「そうだ」

「どうしてですか?」

「俺の魂を救ってくれた、たった一人の恩人だからだ」

「お、恩人……!?」


 やめてほしい。

 そんな真っ直ぐで重たい言葉を向けられると、推し活が一気に報われすぎて情緒が死んでしまう。


 ……と、しみじみしていたのも束の間。


 屋敷の巨大な扉が開き、深夜にも関わらず、使用人たちがずらりと並んで出迎えた瞬間、私は現実に引き戻された。


「ク、クロード様!? やっぱり降ろしてください!」

「却下だ」

「無理です! 恥ずかしさで死にます!」

「死なせん」

「そういう問題ではなくてですね!?」


 私の悲鳴は虚しく響き、クロード様はそのまま堂々と、私を抱き抱えたまま屋敷へ足を踏み入れた。

 整然と頭を下げる使用人たち。その視線が一斉に、毛布にくるまれた私へ突き刺さる。


(ああっ、もうお嫁に行けない……! いや、元々行く予定もなかったけど!)


 私は羞恥で真っ赤になりながら、毛布の端をぐいっと引き上げ、顔を完全に隠した。

 だが、そんな私の頭上で、クロード様は静かに、けれど絶対的な権力者の声で命じた。


「この者は、俺の命に等しい最上級の客人だ」

「はっ」

「俺の許可なく、指一本触れるな。少しでも不敬を働いた者は、その場で首を刎ねる」

「しょ、承知いたしました……!」


 使用人たちの声が、恐怖で震えながらぴしりと揃う。

 私はもはや白目を剥きそうだった。


 命に等しい。指一本触れるな。首を刎ねる。

 情報量が、重さが、多すぎる。


「食事は一番消化の良い、温かいものを。湯は熱すぎないように調整しろ。寝具は、この国で一番柔らかいものを用意しろ」


 これ、もしかしなくても、限界突破した過保護が始まっていませんか?

 推しが私のために、そこまで細かく指示を出している。

 その事実だけで、前世と今世のすべての苦労が浄化されそうで危険だった。


「……ルシエラ」

「は、はいっ!」


 不意に名前を呼ばれ、びくっとする。

 クロード様はようやく私をそっと、壊れ物を扱うように床へ降ろした。とはいえ、逃げられないよう肩にはしっかり手が添えられている。


「ここでは、誰もお前を虐げさせない」

「……え」

「お前を傷つけるものは、俺がすべて排除する。……だから、もう安心しろ」


 たった一言。

 それだけだった。


 それなのに、その言葉は、冷え切っていた私の心の奥底に、真っ直ぐに突き刺さった。


 誰も虐げさせない。安心しろ。

 そんなふうに言われたこと、生まれてから一度もなかった。


 実家でも、前世のブラック企業でも、私に与えられるのは命令と叱責、そして蔑みだけだった。

 できて当たり前、搾取されて当然、役立たずは隅で震えていろ。

 誰かに守られるなんて、考えたことすらなかった。


 だからだろうか。

 一瞬だけ、視界が歪んで、泣きそうになった。


 だが、ここで泣いたら不審者として完全に情緒が終わる。

 私は慌ててぎゅっと唇を結び、こくりと小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


 そう絞り出すのが精一杯だった。

 クロード様は、そんな私を痛ましそうに、けれど熱を帯びた瞳で見つめると、小さく頷いた。


「今夜はもう何も考えるな。休め」

「え、でも私、不法侵入の件でまだ弁明が――」

「休め。これは騎士団長としての命令だ」

「は、はい!」


 あの良い声で凄まれたら、逆らえるわけがない。


 そうして私は、ふかふか毛布つきのまま、使用人さんに屋敷の奥へ案内されることになった。

 途中、振り返ると、クロード様はその場に立ったまま、私が見えなくなるまで、射抜くような視線を外さなかった。


 怖いような、落ち着かないような、でも絶対的な庇護を感じる、不思議な視線。


 今夜を境に、私の人生は確実におかしくなった。

 あまりにも意味が分からない。


 けれど――。


 案内された特別客間の扉が開いた瞬間、私はすべての思考を失った。


 広い。明るい。暖かい。ふかふか。ベッドが大きすぎる。

 なんかもう、目に映る全部がすごい。


(な、何ですかここは……!?)


 まるで天国だった。

 隙間風が吹き込む屋根裏部屋で、薄い毛布一枚で震えていた人生から、いきなり雲の上の超絶ホワイト環境に叩き込まれた気分だ。


「本日はこちらでお休みくださいませ」


 使用人さんが丁寧に一礼する。

 私は呆然としたまま、部屋の中へ足を踏み入れた。


 あたたかい空気。柔らかな灯り。

 しかも、ほどなくして運ばれてきたのは、湯気の立つ極上のポタージュスープと、ふんわりと焼き上がった白いパンである。


 えっ。

 夜食? 私に? 残飯じゃなくて?


「どうぞ、ご遠慮なくお召し上がりください。旦那様からの厳命でございます」

「……あの、私、夢を見ているわけでは」

「現実でございます」

「そ、そうですか……」


 現実らしい。

 私は震える手で椅子に座り、そっとスープを口に運んだ。


 おいしい。


 温かくて、優しくて、芯まで冷え切った体にじんわりと染み渡る味だった。


 その瞬間。

 ぷつん、と。私の中で張り詰めていた何かが、完全に切れた。


「おいしいぃぃ……っ」


 ぽろぽろと、大粒の涙が零れ落ちた。


 だって、温かいのだ。

 冷えていない。石のように固くもない。家族の食べ残しでもない。

 ちゃんとした、温かい食事が、私という人間のために用意されている。


 そんな当たり前のことが、どうしようもなく嬉しくて、悲しかった。


 使用人さんは驚いたように目を見開いたが、何も言わず、優しい手つきでそっと追加のパンを置いてくれた。

 優しい。この屋敷、全体的にホワイトすぎる。


 私はボロボロと泣きながらスープを飲み、柔らかいパンを齧り、心の中でひとつだけ確信した。


 ――ここ、神企業だ。


 そして、その神企業の最高責任者みたいな顔をして、私に激重な感情を向けてくるのが、私の最愛の推しである。


 これはもう、色々な意味で逃げられる気がしなかった。



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