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第28話 結婚式の準備。ドレスが神話の神器に進化。

『国母スカウト事件』が、クロード様の物理的な脅迫(秒での拒絶)によって完全に鎮圧されてから数日後。


 私は現在、クロード様の私邸の広大な客間で、人生最大級の“ふわふわした重圧”に包まれていた。


 具体的には――。


「……け、結婚式のドレス合わせ、ですか」


 声が裏返って上ずったのは、決して私のせいではないと思う。


 だって、そうだろう。

 ついこの前まで、カビ臭い屋根裏部屋で薄い毛布にくるまり、実家の家族から飛んでくる雑巾を片手キャッチして労働していた底辺令嬢である。

 それが今や、王家と神殿公認の真聖女にして、王国最強の筆頭騎士様の婚約者(確定)である。


 そして、その次に待っている怒涛のイベントが『結婚式のドレス選び』。


 情報量が多い。人生の展開速度が早すぎる。前世のベンチャー企業でもこんな爆速でプロジェクトは進まない。

 しかも相手は、あのクロード様だ。

 ただの平和なドレス選びで済む気が、一ミリもしない。


「はい。お式の日取りも、旦那様の強いご意向により最短でおおよそ固まりましたので」


 優秀な侍女長さんが、穏やかな、けれど有無を言わさぬ笑顔で頷く。


「本日より、本格的な衣装合わせに入らせていただきます」

「本格的……とは」

「王家御用達の筆頭仕立て師、神殿が誇る最高位の刺繍師、そして宮廷宝飾師もすでに別室に控えております」

「規模が国家事業レベルに大きすぎません!?」

「我が国の至宝である真聖女様と、筆頭騎士様の花嫁衣裳ですので。当然でございます」

「その『当然』という言葉を言われると、私はひどく弱いです……!」


 クロード様と同じ圧を感じて、私が抗議を飲み込んだ時には、現実はもう止まらないところまで進んでいた。


 私の目の前にある巨大な長机には、すでに何十着分もの最高級の生地見本が広げられていた。

 雪のように滑らかな絹、幻の魔獣の糸を編んだレース、神殿で清められた聖糸、光沢のある金銀の刺繍糸、そして、触れるのも恐ろしいほど透けるように軽いヴェール素材。

 どれもこれも、見ているだけで「これ1センチで私の平民時代の年収を超えるのでは……」という小市民的な感想しか出てこない。


 私は思わず、そっと自分の膝の上で震える指を組んだ。


 結婚式。

 ドレス。

 花嫁。


 うわぁ。

 本当に、私はあのクロード様と結婚する、そういう段階なのだ。


 じわじわと、顔から火が出るほど頬が熱くなる。

 いけない。このままだと、まだ採寸もしていないのに、先に私のオタクとしての情緒が限界を迎えて爆発する。


「ルシエラ様、お顔が真っ赤ですが」

「えっ」

「ご気分が優れませんか? すぐに旦那様をお呼び立て――」

「いえ! 大丈夫です! ただちょっと、『花嫁』という単語の破壊力に、私の限界社畜な心が処理落ちしているだけです!」

「……はい?」


 侍女長さんが何とも言えない顔でやんわりと首を傾げた。

 すみません。私にも上手く説明できません。


 その時だった。


「――何をしている」


 地を這うような、けれどひどく甘い低い声が、背後から落ちてくる。

 私は「ぴゃっ」と変な声を上げて肩を揺らし、振り返った。


「ク、クロード様!」

「そんなに驚くな」

「毎日申し上げていますが、気配が暗殺者レベルでなさすぎるのです!」

「そうか」


 本日も最愛の推しは、通常運転(突然のエンカウント)だった。


 漆黒の騎士服姿。圧倒的な長身。彫刻のように整いすぎた顔立ち。

 しかも今日は激務の合間を縫って来たのか、少しだけ急ぎ足だったらしく、広い肩に外の冷たい空気の匂いが残っている。


 格好良い。非常に、腹立たしいほど格好良い。

 でも今は、尊さを摂取している場合ではない。


「ドレスの打ち合わせだと聞いた」

「は、はい……」

「見せろ」

「まだ生地見本を選ぶ段階ですが!?」

「それでもだ。俺が確認する」


 圧が強い。だいぶ強い。


 クロード様は当たり前みたいに私のすぐ隣へ立ち、机上の膨大な生地を見下ろした。

 そして数秒後、王国を滅ぼすかのような真面目な顔で、とんでもない仕様要求を口にする。


「肌の露出は、一切許さん」

「やっぱり最初の要件定義がそこなんですね!?」

「当然だ。他の男に一ミリも見せたくない」

「分かっていました!」

「あと、可能な限り軽いものにしろ」

「えっ」

「長時間着るなら、重いものはルシエラの体力と肩を奪う。駄目だ」

「…………」

「胸や腰の締めつけも最小限にしろ。呼吸が浅くなる」

「…………」

「裾が長すぎて歩きにくいものも却下だ。転んだらどうする」

「クロード様」

「何だ」

「今ちょっとだけ、“花嫁を世界一綺麗に見せたい男”より、“婚約者の健康管理と安全対策に本気すぎる過保護な管理職”が前に出ていませんか?」

「俺にとっては両方だ」

「そうでした」


 やっぱりこの人、最後は自分の都合のいい過保護なところへ着地する。

 でも、その要求の一つひとつが、見栄えよりも『私の体への負担』を最優先で気遣ったものだと分かるから、反論しづらい。

 悔しい。でも、どうしようもなく嬉しい。


 ◇ ◇ ◇


 王家御用達の仕立て師さんたちは、まさにプロフェッショナルだった。


 私の体型、肌の色、髪の柔らかさ、顔立ち、そして隣で殺気を放ちながら見張っているクロード様との並びまで考慮して、いくつもの候補を瞬く間に絞り込んでいく。


「ルシエラ様は、派手な権力誇示より『清らかさと神聖さ』を軸に」

「ただし、夜会の際のような白金の光(無意識チート)が乗る可能性を考慮しますと、素材は光を乱反射しすぎないものがよろしいかと」

「ヴェールは長めに。ですが重量は魔術で極限まで抑えましょう」

「刺繍は胸元を避け、裾へ流れるように配置するのが美しいですね。旦那様のご意向(露出禁止)にも沿います」

「背中側へ神殿の『神聖紋』を編み込んでおけば、ルシエラ様の祝福の魔力とも干渉せず、むしろ増幅するはずです」


 すごい。専門家の会話だ。限界オタクの私には七割くらいしか言語が理解できない。

 でも、とにかく皆さんが『国家の威信をかけて本気』なのは分かる。


「では、まず最初の仮縫いを」


 そうして着せられた最初の試作ドレスは、驚くほど軽く、柔らかかった。

 淡い白銀を基調に、月光みたいな艶を持つ極上の生地。

 胸元は上品に守られ、裾へ向かってなめらかに広がる。まだ装飾前なのに、すでに十分きれいだ。


「わぁ……」


 思わず、感嘆の声が漏れる。


 姿見の鏡の前に立つ自分を見て、私は少しだけ息を止めた。


 花嫁だ。

 ちゃんと、幸せな花嫁に見える。


 以前の、屋根裏部屋でボロ雑巾のように働いていた私なら、こんな姿が自分に似合うなんて絶対に思えなかった。

 でも今は、似合うかどうかはさておき、「私はこれを着て、彼の隣で幸せになっていいのだ」と心から思える。

 それだけでも、私にとっては奇跡みたいに大きなことだった。


「……どうでしょうか」


 おそるおそる、背後を振り向く。


 クロード様は数秒、何も言わなかった。

 ただ、瞬きすら忘れたように、じっと私を見ている。


 長い。すごく長い。

 えっ、だめだっただろうか。やはり露出か。露出がまだ問題だったのだろうか。いや今回は首元までかなり控えめなはずだが。


 私が内心で激しく慌て始めた、その時。


「……綺麗だ」


 低く、ひどく熱を帯びた、静かな声だった。


「……っ」


 だめだ。その言い方は、反則である。


 しかも今日は、夜会とか式典の時の“公的な褒め言葉”ではない。

 もっと個人的で、もっと深くて、独占欲にまみれた熱がある。

 純粋に、自分の花嫁姿の私を見て、本能で言ってくれているのが痛いほど分かる。


 私は一気に、顔から火が出るほど頬が熱くなるのを感じた。


「あ、ありがとうございます……」

「……俺の想像を、遥かに超えている」

「ひぅ」

「これは駄目だな。式を非公開にしたい」

「ど、どうしてですか!?」

「この姿を、俺以外の他の誰にも見せたくない」

「いつもの激重な方でした!」


 仕立て師さんたちが、壁と同化するレベルで完璧に気配を消した。

 ありがとうございます。でも、たぶん全部聞こえていますよね。知っています。


 クロード様は私へ歩み寄ると、大きな指先で、そっと私のヴェールの端を持ち上げる。


「このまま、今すぐ俺の寝室へ連れて帰りたい」

「今すぐ式をすっ飛ばして物理で確保する勢いで言わないでください!」

「駄目か」

「だめです! 準備があるでしょう!?」

「俺の準備なら、今できている」

「そういう破廉恥な意味ではありません!」


 だが、その氷の瞳の奥で燃える熱が本気なので、別方向に心臓へ非常に悪い。

 本当にこの人、たまに式そのものより先に『花嫁の完全所有』を強行しにかかるから、一秒も油断ならない。


 ◇ ◇ ◇


 大問題が起きたのは、その後だった。


「では、神聖紋の魔力的な馴染みだけ確認いたしますね」


 神殿監修の最高位の刺繍師さんが、ドレスの裾のあたりへ仮の紋様を置く。

 まだ本刺繍ではなく、あくまで配置と魔力伝導を確認するための簡易な糸らしい。


「ルシエラ様、少しだけこちらへ」

「はい」


 私は鏡の前で、裾を軽く持ち上げた。


 その時。

 本当に、まったく何の気なしに。無意識に。

 私は「ここ、少し皺になっているな」と思い、裾の流れを整えようと、指先でほんの少しだけ生地へ触れた。


 ただ、それだけだった。

 本当に、ちょっとだけ撫でた。それだけ。


 なのに。


 ぱあっ、と。


 太陽のような白金の光が、ドレス全体を稲妻のように走った。


「…………」


 場が、完全に止まる。


 私も止まった。仕立て師さんたちも止まった。侍女さんも息を止めた。

 クロード様だけが、「またか」という顔ですっと目を細める。


 光は、一瞬では終わらなかった。


 胸元の生地が、やわらかな月光みたいな輝きを帯びて発光し始める。

 裾へ流れる刺繍の仮線が、まるで最初から完成された意匠だったみたいに、自律的に動き出し、緻密で圧倒的に神聖な紋様へと編み込まれていく。

 ヴェールの端からは細かな光の粒がこぼれ、床に落ちる前にふっと清浄な魔力となって空間に溶けた。


「えっ」

「えっ」

「えっ」


 私はたぶん、三回くらい限界オタクのような間抜けな声を出した。


 何これ。どうして。

 今、何が起きました? 魔法少女の変身バンクですか?


「し、仕立て師殿……?」

「わ、私ではございません!」

「触れたのはルシエラ様だけで……」

「し、神具反応……!? いや、しかし素材はただの神殿の聖糸のはず……」

「ただのではありません! 今、明らかに別次元の物質へ昇華しました!」


 現場が、パニック映画のような大混乱に陥る。


 刺繍師さんがわなわなと震える手で、私のドレスの裾へ触れる。

 次の瞬間、その人が目ん玉が飛び出そうなほど目を見開いた。


「清浄度が……規格外だ……」

「はい?」

「この布地、今、神話の時代にしかない『神器級』の加護を帯びています……!」

「…………はい?」

「すべての穢れを弾き、邪悪な魔力を完全浄化し、装着者へ『絶対的かつ持続的な物理・魔法保護』を与える構造に、一瞬で変質しています!」

「変質」

「神話級のアーティファクトです!!」


 規模が大きすぎる。


 私は完全に石像と化した。

 いや、今の私、別にヒールや防御魔法をかけようとしたわけではない。

 ただ、「綺麗に着たいな」と思ってドレスの裾を整えただけである。

 その結果、なぜ“神器級”という物騒な単語が飛び出すのだろう。


「ええと……」

「ルシエラ様!」

「はいっ」

「もう一度、今と同じように、胸元へお手を触れてみてください!」

「えっ」

「至急、確認が必要です!」

「ええっ」


 仕立て師さんに必死の形相で懇願され、私はおそるおそる、自分の胸元へ触れた。


 ふわっ、と。

 今度はドレスの背中側へ、さらに複雑で神々しい光の紋様が広がる。


「うわああああ!?」

「増えた!」

「自律型の守護結界紋が増設された!?」

「しかも着用者への魔力負担が完全にゼロ! 無限動力です!」

「伝承級の祭礼装です、これは……! 国宝だ!」


 やめてほしい。

 そんなeスポーツの実況みたいに叫ばれると、余計に現実味がなくなる。


 私は助けを求めるように、クロード様の方を見た。


「ク、クロード様」

「何だ」

「私、また何か、無自覚にやらかしました?」

「ああ」

「やっぱり」

「国宝級のすごいことをな」

「ですよねぇ……」


 クロード様はため息混じりにそう言ったが、その目はどこか「俺の妻は最高だろう」とでも言いたげに誇らしげだった。


 ああ、もう。

 そういう顔をされると、困る。

 私までちょっと、「推しに褒められた」と嬉しくなってしまうではないか。


 ◇ ◇ ◇


 その後の現場は、ほとんど新興宗教の奇跡を目の当たりにしたお祭り騒ぎだった。


「着るだけで、王都の防衛結界レベルの小規模結界を纏う設計になっています!」

「いえ、小規模どころでは……大砲を受けても傷一つ付きませんよこれ!」

「結婚式の祝福の場で発動すれば、参列者全員への病除けと魔力回復効果も期待できます!」

「待ってください、この術式構造の流れですと、不老長寿寄りの反応まで微かに……」

「は!?」

「試験用の老化抑制石を近づけてください!」

「こ、これです!」

「……止まりました」

「えっ」

「石の劣化反応が、完全に止まった!?」

「間違いなく、神話の神具だァァァッ!!」


 私は白目を剥きそうになった。


 不老長寿って何ですか。

 そんなチート効果を、私は一切付与した覚えがない。

 いや、そもそも付与した自覚すらない。


 でも、目の前で国家最高峰の専門家の皆さんが「伝説」「神具」「神話級」と涙を流して連呼しているので、たぶん何かとんでもないアーティファクトを生み出してしまったのだろう。


「ルシエラ様……」

「は、はい」

「このドレス、もはや王家の最深部の宝物庫で厳重保管する案件かもしれません……」

「困ります! それは私の結婚式用です! 着るものがなくなります!」

「ご安心ください」


 そこで、これまで一歩引いてガタガタ震えて見ていた宮廷宝飾師さんが、なぜか悟りを開いたような真剣な顔で口を開いた。


「花嫁様が結婚式で着用なさった後、後世へ『建国神話の遺物』として厳重に保管・展示される流れかと」

「保管前提!?」

「当然でございます。国宝ですから」

「当然の基準が私を置いてけぼりにしています!」


 すると隣で、腕を組んで見ていたクロード様が、絶対零度の声で静かに言った。


「――保管などしなくていい」

「えっ」

「これは、ルシエラのものだ」

「い、いえ、ヴァレンティス卿、その、たぶんそれはそうなのですが、神話級の神具を個人で所有するのは……」

「俺の妻の私物だ。王家だろうが神殿だろうが、誰にも触らせる必要はない。渡さん」

「そこまでですか!?」

「神話級だろう。お前を守るのにちょうどいい」

「自分で『神話級』って認めましたね!?」

「問題あるか。俺が管理する」

「いえ、問題というか、愛が重いです……!」

「花嫁の身と私物を命懸けで守るのは、婚約者として当然だ」


 真顔である。

 王家を敵に回してでもドレスを死守する気満々である。さすが最強騎士である。

 でも、ちょっとだけ、いやかなり嬉しい。


 だって、神具級だろうと国宝だろうと何だろうと、クロード様の中では「これは俺の愛するルシエラのドレス」という認識が最優先なのだ。

 王家の価値とか神殿の保管とか、そういう社会的ステータスよりも、まず私の気持ちと安全がそこにある。


 ああ、本当に。

 この人の優先順位は、いつだって狂気的なまでに、私の方だけを真っ直ぐに向いている。


 ◇ ◇ ◇


「……ねえ、ルシエラ様」

「はい?」

「ひとつだけ、学術的興味としてお伺いしてもよろしいでしょうか」

「何でしょう」


 だいぶ落ち着き(諦め)を取り戻した仕立て師さんが、おそるおそる問いかけてくる。


「どのようなお気持ちで、先ほど裾を整えられましたか」

「……はい?」

「あの一瞬に、神具を創造するほどの、何らかの『強い祈りや意志』が宿っていた可能性が高いのです」

「ああ……」


 私は少しだけ考えた。


 裾を整えた時。胸元へ触れた時。

 何を思っていたか。


「……きれいなままで、クロード様の隣に自信を持って立ちたいな、とは思いました」

「…………」

「あと、裾を踏んで転ばないように、安全にしたいな、とか」

「…………」

「それから、せっかくなら式に来てくださる皆さんが、少しでも幸せで健康な気持ちになって帰ってくれればいいなって」

「…………」

「……それくらい、です」


 言った瞬間。

 仕立て師さんも、刺繍師さんも、宝飾師さんも、揃って絶望したように天を仰いだ。


「……それです」

「完全にそれでしたか……!」

「『綺麗に立ちたい(浄化)』『転びたくない(絶対守護)』『みんなに幸せと健康を(広域祝福・老化抑制)』……全部、神聖紋の術式とつながります!」

「花嫁の個人的な幸福への願いと、周囲へのささやかな祝福が、そのまま強大な神具化の『コア』に……!」

「なんて純度の高い、恐ろしいほどの聖性……! まさに歩く奇跡……!」


 私は完全に困惑した。


 そんな大層なつもりではなかったのだ。

 ただ、せっかくなら皆が幸せならいいなと、小市民的に思っただけだ。

 そして、最愛の推しの隣に、ちゃんとした姿で立ちたいと願っただけだ。


 だが、どうやら私の“だけ”は、限界突破した魔力量のせいで、もう世間の常識の“だけ”とはだいぶスケールが違って出力されるらしい。


「ルシエラ」


 呼ばれて、振り向く。

 クロード様が、呆れと深い愛をないまぜにした目で、まっすぐこちらを見ていた。


「お前らしいな」

「……そうでしょうか」

「ああ」

「どのあたりがですか」

「自覚なく、とんでもない奇跡を平然と生み出すところだ」

「うぅ、否定できません……」


 すると、クロード様はゆっくり私の前へ来て、そっとドレスの裾へ触れた。

 先ほど『神器級』に昇華したらしい裾である。

 だが、そこへ触れる彼の手つきは、神具を畏れるものではなく、あくまで私を慈しむように静かで、甘かった。


「綺麗だ」

「ドレスが、ですか?」

「お前が着ているからだ」


「…………っ」


 もう本当に。

 どうしてそういう殺傷力の高い台詞を、周囲に人がいる時でも平然とド真顔で言うのだろう、この方は。


 仕立て師さんたちが、一斉に壁を向いて気配を消した。

 でも、耳はたぶんダンボのように立っている。

 知っています。明日には「ヴァレンティス卿の溺愛、神具を超える」という噂が広まるのでしょうね。


 ◇ ◇ ◇


 最終的に、その日のドレス合わせは、予定を大幅に超えて夜まで長引いた。


 なにしろ、もとの設計を『神器化(無限動力)』前提で全部一から引き直さなければならなくなったからである。

 普通の花嫁衣装ではなくなってしまった以上、縫い糸一本、宝石一粒に至るまで、魔力的な耐性と相性を厳密に確認する必要があるらしい。


「結婚式の準備って、本当に体力勝負で大変なのですねぇ……」

「お前の場合だけだ」

「やっぱりですか」

「当然だ。神話級の神具を縫う仕立て屋など、歴史上存在しない」

「その“当然”が、今日はだいぶ便利に使われていますね」


 私は少しだけ笑いながら、仮縫いを終えたばかりのドレスを見つめた。


 それはもう、最初の試作品とは完全に別次元の代物だった。

 やわらかく、呼吸をするように脈打つ白銀の光。

 裾へ流れる、自律的に動く神聖紋。

 触れるだけで、すべての疲労が消え去り、清浄な気配が伝わってくる布地。

 たしかにこれは、ただのウェディングドレスではない。


 でも不思議と、怖くはなかった。


 たぶん、その中心にあるのが“推しの隣に立ちたい”“誰かを幸せにしたい”という、自分の純粋な気持ちだったからだろう。

 そう思うと、少しだけ胸があたたかくなる。


「ルシエラ」

「はい?」

「疲れたか」

「ちょっとだけ」

「なら、今日は終わりだ」

「えっ、でもまだ皆さんが作業の途中で」

「今日は十分だ。強制終了する」

「強制終了の権限と圧が強すぎます!?」

「花嫁の体調が、国家の何よりも最優先だ」


 言い切られてしまえば、そうなのだろう。

 しかも隣では、専門家である仕立て師さんたちまで「旦那様の仰る通りです! 神具の主を疲れさせるなど万死に値します!」と深く頷いていた。

 完全に私の味方がいない。全員がクロード様の過保護に取り込まれている。


 そのまま私は、当然のようにヒョイっとお姫様抱っこで抱き上げられた。


「ひゃっ」

「帰る」

「今日はまだ同じ屋敷の中です! 廊下を渡るだけです!」

「それでもだ」

「歩けます!」

「神器級ドレスに触れて魔力を放出し、消耗しただろう」

「そこまで正確に分かるのですか!?」

「分かる。俺はお前のすべてを見ている」


 ああ、もう。

 本当にこの人の過保護と独占欲は、ミクロン単位で細かい。


 でも、嫌ではない。

 むしろちょっと、彼に甘やかされるのが嬉しいのだから、もう限界オタクとしてだいぶ手遅れだと思う。


 抱き上げられたまま、私はクロード様の肩越しに、完成途中のドレスをもう一度振り返る。


 きれいだった。

 そして、どこか少しだけ恐ろしいくらいに神々しかった。


「……私たちの結婚式、なんだかすごいことになりそうですね」

「ああ」

「不老長寿とか言っていましたよ?」

「問題ない」

「何がですか!?」

「お前が着て、お前が幸せに笑うなら、奇跡の一個や二個、何が起きようとどうでもいい」

「それ、だいぶ基準が私中心に壊れていませんか……?」

「今さらだろう」

「そうでした」


 私はクロード様の胸元で、くすっと笑った。


 そうだ。

 この人の基準は、いつだって狂気的なまでに『私基準』だった。

 ドレスが神器になろうと、伝説になろうと、彼には関係ない。

 “私が着るもの”で、“私が一切無理をしないこと”の方が、世界平和よりも大事なのだ。


 だから、きっと。

 どれだけ式が国家規模に大きくなっても、この人が隣にいるなら、私は大丈夫なのだろう。


 そう思った、その時。


「ところで」


 クロード様が、歩きながら低い声でぽつりと言った。


「はい?」

「俺からお前への、結婚の『贈り物』を用意した」

「…………」


 私は、嫌な予感に完全に固まった。


 贈り物。

 この人の言う“贈り物”は、だいたいにおいて規模のスケールがおかしい。

 婚約指輪が『魔境のドラゴンを単騎討伐して毟り取ってきた宝石』だった時点で、もはや学習済みである。


「え、ええと……今回は、何を討伐してきたのでしょうか」

「見れば分かる」

「その言い方が一番フラグみたいで怖いです!」

「問題ない。お前のためだ」

「その『問題ない』という台詞も、過去の実績から信用なりません!」


 クロード様は少しだけ口元を緩めた。

 あ、笑っている。

 絶対に、何か『とんでもなくやばいもの』を物理で用意している顔だ。


 私はじわじわと高まる小市民的な不安を抱えながら、でも、その広く温かい胸元へそっと額を預けた。


 神器級ドレスの次は、謎の特大の贈り物。

 もう、次の事件(奇跡)の気配しかしない。


 でもたぶん、どれだけ規模が大きくて常識外れでも、最後には嬉しくて泣いてしまうのだろう。

 この人のやることは、いつも全部、不器用なくらい私への真っ直ぐな愛のためだから。


 そしてもちろん。


 その“贈り物”が、福利厚生の次元をとうとう『国土規模』で踏み抜いてくることを――この時の私は、まだ知る由もなかったのである。



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