第25話 両親は極寒の鉱山で、一生「無給の掃除」刑
ルミナス伯爵家の断罪が、ついに“完結”したと知らされたのは、妹セレフィナの悲惨な近況報告から、さらに数日後のことだった。
その日の朝、私はクロード様の執務室にある私専用のふかふか長椅子で、珍しく少しだけ落ち着かない気持ちで座っていた。
理由は単純である。
――本日、王城にて、父と母に対する『最終処分』が正式に決定するからだ。
そこまで聞いてしまっては、さすがに無関心ではいられない。
いられないのだけれど、かといって「どうなるのだろう」と心配で胸が張り裂けそう、というわけでも、もうなかった。
不思議だ。
少し前までの私なら、「いくら何でも家族だから」とか「私さえ我慢すればここまで大事にならなかったのでは」とか、前世から染みついた社畜マインドで勝手に自分を責めていた気がするのに。
今の私はただ、波の立たない水面のように、静かに思っていた。
(……ああ。ようやく、あの家に関するすべてが終わるんですね)
長かった。
前世のブラック企業時代から数えたら、たぶん、気が遠くなるほど長い時間だった。
理不尽に怒鳴られて。
働いて当然だと搾取されて。
睡眠も自尊心も削り取られても、それが私の生まれた意味であり、役目なのだと押しつけられて。
その暗闇が、今日、やっと完全に終わる。
「ルシエラ」
低く、ひどく落ち着く声がして、顔を上げる。
視界に入ったのは、もちろん私の最愛の婚約者様である。
本日も大変にお顔の造形が芸術的だ。そして本日も、私の心拍数への配慮が一切ない。
クロード様は私の向かいに腰を下ろすと、手元の書類から目を離さずに言った。
「少し、緊張しているな」
「……分かりますか」
「分かる」
「さすがです」
「当然だ。俺がお前の変化を見逃すはずがない」
通常運転の激重である。
でも、そのブレない“当然”の圧が、今の私にはこの上なくありがたかった。
変に同情して励ますでもなく、過剰に気を遣うでもなく、ただ「俺が守る絶対の領域」として、いつも通りそこにいてくれる。
それだけで、不思議と呼吸がしやすくなるのだ。
私は膝の上で指を組みながら、小さく笑った。
「でも、前ほど怖くはないです」
「そうか」
「はい。……たぶん、もう私が“裁かれる側(理不尽に責められる側)”ではないからだと思います」
「その通りだ」
短く、力強く言い切られる。
「お前は何も悪くない。お前はただ、生きるために耐えてきただけだ」
「……はい」
「だから、堂々と顔を上げていろ」
「……はい」
その一言が、胸の奥の冷たい部分に、すとんと温かく落ちた。
ああ、本当に。
この人は、私が一番欲しい言葉を、欲しい時に、一番安心する温度でくれる。
ずるい。本当にずるい人だ。
◇ ◇ ◇
最終処分の内容は、王家と神殿の連名による、正式な公文書で届けられた。
執事さんが一礼し、封書を恭しく差し出す。
私はそれを受け取ろうとして――なぜか先に、クロード様が横から手を出して開封した。
「えっ、クロード様?」
「お前が読む前に、お前を不快にさせる余計な文言がないか俺が確認する」
「過保護の方向性が検閲レベルですね……」
「今さらだろう」
「そうでした」
もう慣れた。いや、慣れてはいない。でも仕様として理解はしている。
この方はこういう人だ。私の精神衛生を守るためなら、国家の公文書すら先に検閲する男なのだ。
しばらくして、クロード様が流し読みで書面を確認し終える。
ほんの少しだけ、その美しい目元が冷酷な色を帯びた。
「あっ」
「何だ」
「そのお顔は、たぶん、彼らにとって『なかなか容赦ない絶望的なやつ』ですね?」
「そうだな。妥当な判決だ」
「ですよね」
私はそっと息を吸い、覚悟を決めた。
「……読みます」
「ああ」
差し出された文書を受け取り、目を落とす。
そこに記されていた内容は、貴族の処分としては異例なほど、容赦なく明確だった。
『ルミナス元伯爵夫妻は、真聖女への長年にわたる虐待、不当搾取、保護・監督責任の完全な放棄、ならびに王家・神殿に対する悪質な虚偽報告(国家欺瞞)の主犯として、有罪とする』
『直ちに貴族籍を剥奪し、平民へと降格』
『王都近郊の恩赦施設ではなく、北方最果ての厳冬地にある“国営管理鉱山”へ罪人として移送する』
『財産は全額没収。終身にわたり、同施設にて強制労務に従事すること』
そして、最後の一文に、私は目を留めた。
『特例として、両名の作業内容は「屋内清掃および劣悪な環境区域の維持管理作業」を主とする。
なお、本処分は、被害者ルシエラ・ルミナス嬢が長年、劣悪な環境下で従事させられていた過酷な労働内容との“均衡”を考慮したものである』
「…………」
私はしばらく、言葉を失った。
極寒の鉱山。
終身刑。
一生続く、無給の掃除。
ああ。
そういう形で、彼らに返ってきたのか、と。妙に静かに腑に落ちた。
私があの家で、毎日毎日やらされていたこと。
誰にも感謝されず、魔力ゼロの穀潰しだからと、当然みたいに押しつけられていた膨大な雑務。
終わらない拭き掃除。底冷えする廊下。あかぎれで血の滲む指先。
削られていく体力と精神。
そして、「これが無能なお前の役目だ」と冷酷に切り捨てられる絶望感。
それを、今度はあの両親が、死ぬまで味わうのだ。
「……無給の掃除刑、ですか」
「ああ」
「だいぶ、皮肉が利いていますね……」
「当然の報いだ」
クロード様の声は、氷のように冷たかった。
「お前をボロ雑巾のように使い潰した連中だ」
「…………」
「他者の痛みを想像できない愚か者には、同じ苦痛を骨の髄まで味わわせるしかない」
その冷酷な言葉に、私の中に怖さはなかった。
ただ、ああ、この人は本当に、私が受けた理不尽な痛みを、一つも軽く見ていないのだな、と思った。私の怒りを、彼が代わりに背負ってくれているのだと。
私は文書を膝の上へ置き、ゆっくりと、深く息を吐き出した。
「……これで、本当に終わりですね」
「まだ、奴らに未練や同情の気持ちが残っているか」
「いいえ。まったく」
「本当にか」
「はい」
私は少し自分の心を見つめ直してから、正直に続けた。
「惨めで可哀想な末路だとは、少し思います」
「…………」
「でも、“だから許してあげたい”とは、一ミリも思いません」
「……そうか」
「はい。むしろ、そんなふうに『身勝手な自己犠牲』をしようと思わなくなった自分に、ちょっと安心しています」
クロード様は黙って私を見つめた。
その視線は、先ほどの冷酷さが嘘のように、ひどくやさしくて甘い。
「それでいい」
「……はい」
「お前はもう、あのゴミどもの人生を背負い続ける必要は一切ない」
胸の奥が、じんと熱くなる。
そうだ。
もう私は、あの人たちの後始末まで引き受ける『都合のいい長女』ではない。
かわいそうだからと、また自分を犠牲にして手を差し伸べる必要もない。
それが分かるだけで、魂が救われたように、ひどく楽だった。
◇ ◇ ◇
その数日後。
北方最果ての管理鉱山へ、罪人用の護送馬車で移送された元伯爵夫妻は、残酷な現実を前にして、ようやく自分たちの絶望的な立場を理解することになった。
「……寒いっ……! なんなのよ、ここは……!」
元伯爵夫人が、ガタガタと震える声で呻く。
北方の空気は、肌を刺すように冷たかった。
息をするたびに白い煙が絶えず漏れる。空は常に重く曇り、地面はカチカチに凍てつき、氷のような強風が容赦なく頬を打つ。
かつて王都の豪奢な邸宅で、暖かな特大の暖炉の前に座り、絹のドレスを着て侍女に茶を淹れさせていた女が、今はチクチクする灰色の粗末な防寒着を着せられ、石造りの冷たい広場で、惨めに立ったまま震えている。
その隣では、元伯爵が信じられないものを見る顔で、自分の手に乱暴に押しつけられた道具を見下ろしていた。
「なんだ……これは」
「清掃用具だ。見れば分かるだろう」
冷たく答えたのは、鉱山の罪人を管理する屈強な監督官だった。
その声音に、貴族へ向けるような敬意は一切ない。
当然だ。相手はもう高位の伯爵などではなく、ただの『国を騙した重罪人』なのだから。
「本日より、お前たち二人は、こちらの坑内労働者の居住区、および魔獣除けの悪臭漂う通路維持区画の清掃を担当してもらう」
「……私が、掃除だと?」
「そうだ」
「馬鹿な! 私は由緒正しき伯爵――」
「“元”だ。寝言は寝て言え」
ぴしゃりと、虫を払うように遮られる。
元伯爵の顔が屈辱で引きつる。
だが、周囲の武装した看守たちの誰一人として、その哀れな虚勢に付き合う者はいなかった。
監督官は淡々と、死刑宣告のように続ける。
「ここでは過去の身分など一切関係ない。一日の『作業量』だけで評価する」
「評価だと?」
「清掃のノルマが終わらなければ、当然、食事は減る」
「なっ……!」
「ノルマの半分以下なら食事は抜きだ。当然だろう。ここは慈善施設ではないのだからな」
「そ、そんな……!」
元伯爵夫人が、半ば泣きそうな悲鳴を上げた。
「こんな泥と煤だらけのところで、私が掃除なんて……! 手が荒れてしまいますわ!」
「そうか。では、もっと過酷な地下の鉱石運搬(土方)に回すか?」
「いえ! 掃除で結構です! 掃除をやります!」
保身の反応だけは早い。
だが、そう答えてしまった時点で、すでに地獄の入り口に立たされていることには気づいていないらしい。
彼らに与えられたのは、すり減った長柄のほうき、重い木桶、そして粗く硬い雑巾だけ。
清掃範囲は、泥と汗にまみれた労働者たちが生活する、広大な石床の居住区。
坑道脇のヘドロのような汚れ。
男たちが土足で出入りする冷たい通路。
そして、油と煤だらけの休憩所。
果てしない。そして、想像を絶するほど肉体的にきつい。
それが、今まで他人にすべてを押しつけてきた彼らに与えられた、終わりのない“刑”だった。
◇ ◇ ◇
労働開始から、わずか一時間。
元伯爵夫人の、手入れされていた白い手は、冷水と摩擦で真っ赤に腫れ上がり、水ぶくれができていた。
「いた……っ、痛い……!」
「おい新入り、何をしている。手を止めるな」
「こ、こんなの無理ですわ! 息が詰まります!」
「無理ではない。現に、お前の娘はそれを何年もたった一人でやっていたのだろうが」
「私はあの無能とは違――」
「違わない。お前はただの罪人だ。さっさと床を磨け」
看守に冷たく足で小突かれ、元伯爵夫人は屈辱に唇を噛み切りながら口を噤んだ。
元伯爵の方も、目も当てられないほど悲惨だった。
掃いても掃いても、労働者の泥靴で汚され続ける石床。
凍傷になりそうなほど冷える指先。
慣れない屈み姿勢で、すぐに限界を迎え、悲鳴を上げる腰。
少しでも痛みに顔を歪めて手を止めれば、すぐに看守の容赦ない怒声と鞭が飛ぶ。
「おい、そこ! 泥汚れが残っているぞ!」
「もっと隅々まで這いつくばって磨け!」
「何度言わせる。やり直しだ! 今日の飯は半分だな!」
かつて、彼らが自分たちの実の娘であるルシエラへ、冷酷に投げつけていた言葉。
それが今、数万倍の物理的な苦痛を伴って、そっくりそのまま自分たちへと返ってきているのだ。
元伯爵の顔が、疲労と絶望でみるみる歪んだ。
「……ふざけるな……」
「何か言ったか?」
「私は、こんな泥水をすするようなことをする人間では……」
「今は、そうだ。お前は一生、ここで這いつくばる人間だ」
「…………っ!」
監督官は一切、情けを見せなかった。
だが当然だ。彼らの言う“こんな底辺の仕事”は、これまでずっと、彼らが実の娘に無給で押しつけてきたものなのだから。
しかも、休憩中に耳に入ってくる周囲の労働者たちの会話が、彼らのすり減った神経をさらに抉った。
「あの新入りの老夫婦、動きが鈍すぎないか?」
「なんでも、王都の貴族上がりらしいぞ」
「へぇ、あれが? ただの薄汚い年寄りにしか見えねえな」
「あの、国を救った『真聖女様』を長年虐待して、魔力をかすめ取ってたクズの家のやつらだってさ」
「うわ……そりゃきついな。人間の底辺じゃねえか」
「まあ、完全なる自業自得だろ。同情の余地もねえよ」
ひそひそ、ではなく、わざと聞こえるような大きな声で吐き捨てられる。
それだけでも狂いそうなほどきついだろうに、誰一人として、彼らを庇おうとする者はいなかった。
だって、彼らにはもう、誰かに助けてもらえるような『価値』も『人間性』も、何一つ残っていないのだから。
◇ ◇ ◇
数日後、私のもとに届いた監視報告書には、さらにこう記されていた。
『両名とも初日より、清掃業務に対する強い拒否反応と、過去の身分を振りかざす傲慢な主張を示したが、継続的な過酷作業と空腹により、徐々に発言(反抗)量は減少』
『特に元伯爵夫人は、寒冷環境および極度の手荒れに対する不満と泣き言を繰り返したが、規定に基づきすべて却下』
『今後も同様の怠慢な態度が続く場合、さらに過酷な作業区画への配置転換を検討する』
私はその報告書を読み終え、思わず、ふっと静かな息を漏らした。
「発言量は減少、ですか」
「物理的に口答えする体力がなくなったらしいな」
「環境が、想像以上に厳しいのでしょうね」
「当たり前だ。国を騙し、お前を傷つけた大罪人だからな」
「……はい」
でも、その悲惨な報告を読んでも、私の胸がチクリと痛むことは、もうまったくなかった。
ただ、静かに思うだけだ。
ああ。
終わりのない、絶望的なブラック労働って、こういう感じでしょう、と。
前世の徹夜続きの会社も。
今世の、カビ臭い実家の屋根裏部屋も。
私にとっては、それがずっと、逃げ場のない『日常』だった。
寒くても、痛くても、疲労で倒れそうでも、嫌でも、やらなければならない。
這いつくばってやって当然。
完璧にやっても誰にも褒められない。
少しでも足りなければ、無能と罵られ、暴力で責められる。
それを今、ようやく、あの人たちが自分の身をもって知るのだ。
「……ルシエラ」
クロード様の声で、私は顔を上げる。
「何を考えている」
「その……」
「言え」
「やっと、分かったのかなって」
「何がだ」
「私が今まで、どれほど苦しい思いをして、何をしていたのかを、です」
しばらくの沈黙。
それから、クロード様はひどく冷たく、静かに答えた。
「今さら分かったところで、お前の過去の傷は消えん。遅すぎる」
「……そうですね」
「だが、自分が何をしたかも知らぬまま無様に死ぬよりは、絶望の中で後悔しながら生き地獄を味わう方が、よほど奴らにお似合いだ」
私は、その言葉に小さく頷いた。
そう。きっと遅い。もう遅すぎる。
でも、それでも、自分が悪いと知らずに終わるよりはずっといい。
自分たちが、どれほど理不尽な重荷を押しつけてきたのか。
誰の血の滲むような犠牲の上に成り立っていたのか。
少しでも、その身が擦り切れるまで知ればいい。
それが、私が彼らに向けられる、最後の情けなのかもしれなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
私は珍しく、クロード様の私邸の客室の、大きな窓辺に少しだけ長く立っていた。
ここから見える夜空はひどく静かで、遠く王都の復興の灯りが、星のように優しく瞬いている。
寒くはない。
部屋の中は、最上級の魔石ストーブでぽかぽかと暖かい。
背後には、雲のようにふかふかに整えられた大きな寝台もある。
お腹も、おいしい夕食で満たされているし、私の華奢な肩には、クロード様が自ら掛けてくれた温かいカシミアのショールまであった。
完璧な、圧倒的なホワイト環境だ。
そしてそれは、少し前の私なら、お伽話の中でも到底想像できなかったような、奇跡の産物だった。
「……終わりましたね」
夜空に向かって、ぽつりと呟く。
ざまぁ、完結。
私を虐げた両親は極寒の鉱山で、一生無給の掃除刑。
妹はすべてを失い、底辺で泥水をすする。
なんだか、安い復讐劇の小説のタイトルみたいだな、と思った。
でも、それが私の現実になった。
私は振り返る。
そこには、当然のように私の最愛の婚約者様が立っていた。
今日も今日とて、私が少しでも長く窓辺に立っていると、「冷えるだろう」と即座に様子を見に来る仕様らしい。
本当に、呼吸をするように過保護である。
「寒いか」
「いえ、大丈夫です。とても暖かいです」
「ならいい」
「……クロード様」
「何だ」
「私、ちゃんと、すべてを終わらせられた気がします」
「…………」
「前世のブラック企業での未練も、実家の鎖も。全部まとめて、ようやく私の中で、本当の意味で一区切りついた感じがして」
「そうか」
「はい」
クロード様はしばらく、愛おしそうに私を見ていた。
それからゆっくりと近づいてきて、何の前触れもなく、ふわりと私の体を抱き上げる。
「ひゃっ」
「お前の『過去の清算』の役目は、もう完全に終わりだ」
「は、はい?」
「なら、もうあんなゴミどものことは一秒も考えなくていい」
「…………」
「これからは、お前が俺の隣で、ただひたすらに幸せになることだけを考えろ」
私は、息を呑んだ。
ああ、まただ。
また、この人は。
私が一番欲しい言葉を。
一番欲しい、逃げ場のない真っ直ぐな形で。
心臓のど真ん中に、真っ直ぐ突き刺してくれる。
「……ずるいです」
「何がだ」
「そういう反則みたいなことを、国宝級の真顔で言うところです」
「事実だ。お前は俺が幸せにする」
「……はい」
抗議にもなっていない甘い返事をしながら、私はそっと、クロード様の広い肩へ額を預けた。
終わった。
本当に、終わったのだ。
ブラックな前半生。
誰かに搾取されるだけの日々。
誰かの引き立て役として、心と体を削られるだけの人生。
もう、私は二度と、あんな暗闇には戻らない。
今の私には、帰るべきあたたかい場所がある。
私を絶対に守り抜いてくれる、最強の騎士がいる。
そして何より、私自身の「生きたい」という確かな意思がある。
それだけで、私の人生はもう、十分すぎるほど完璧だった。
「甘いものを食うか」
「……はい」
「今日は、特別に取り寄せたお前の好きな焼き菓子だ」
「ふふ……はい、いただきます」
「……泣くな」
「泣いてません。ちょっと、極甘な情緒の処理が忙しいだけで……」
「そうか」
小さく笑いながら、私は彼の腕の中でそっと目を閉じた。
ざまぁは、完全に完結した。
あとはもう、この重すぎる推しと一緒に、甘くてやさしい、私だけの人生を積み上げていくだけだ。
……いや。
たぶん、オタクの思い描くようには、そう簡単にはいかない。
だって私の婚約者様は、今日も元気に激重で、狂気的なほど過保護で、次の『幸せという名の物理的供給』を、当然のように怒涛の勢いで上乗せしてくるのだから。
でも、そんな甘すぎる未来なら――私はもう、喜んで大歓迎だった。




