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第24話 妹の末路。魔力が枯渇し、ただの村娘以下に

 ルミナス伯爵家の爵位が正式に剥奪され、一族が破滅の道を歩み始めてから、数日後。


 私はクロード様の屋敷の、太陽の光が燦々と降り注ぐ広大な温室で、のんびりとお茶を飲んでいた。


 本日の天気は極めて穏やか。

 日差しはやわらかく、色とりどりの希少な花々が美しく咲き誇り、優秀な侍女さんが淹れてくださった最高級の茶葉の香りが、肺の奥まで清めてくれるようだ。

 おまけに向かいの席には、分厚い書類仕事の束を片手に持ちながらも、一分に一度のペースで私の体調を確認してくる『過保護の権化』こと婚約者様までいる。


 何ということだろう。

 実家が絶賛ざまぁ進行中だというのに、私の生活環境だけがあまりにも天国ホワイトすぎる。


「何を考えている」


 書類から目を離さず、低い声が飛んでくる。


「いえ、その……この屋敷の福利厚生のすばらしさを、五臓六腑で噛みしめておりました」

「そうか」

「はい。あらためて、ここは神企業だなと」

「神企業?」

「私の前世の概念ですので、深く気にしないでください」


 クロード様はいつものように「俺には分からんが、お前が幸せならそれでいい」という顔で小さく目を細め、それ以上の追及はしなかった。

 ありがたい。

 最近この方、私の限界オタク特有の妙な単語にも、だいぶ順応してくださっている。


 私はカップをそっとソーサーに置き、温室のガラス越しに外の青空を眺める。


 王城でのあの審問以来、実家からの直接的な接触は完全に途絶えた。

 王家と神殿が厳重な監視体制を敷き、クロード様の第一騎士団が物理的に包囲しているのだから当然だろう。

 父と母は家財と特権の大半を国に没収され、今はみすぼらしい仮住まいで、互いを罵り合いながら身を寄せ合っているらしい。

 そして妹のセレフィナは――神殿の最下層で監督下に置かれ、聖女候補としてのあらゆる特権を永遠に失った。


 つまり。


(ざまぁ第二弾、妹の『個別転落編』が本格的に始まっているわけですね……)


 胸の奥が、少しだけそわそわする。

 別に見に行きたいわけではない。いや、人間としての好奇心でちょっとだけ気にはなる。

 でも、見に行く必要はまったくない。

 私はもう、あちらの泥沼へ自分から関わる立場(引き立て役)ではないのだから。


 そう思っていた、その時だった。


「失礼いたします、旦那様、ルシエラ様」


 足音もなく執事さんが温室へ現れ、深く一礼する。


「神殿より、定期報告の文書が届いております」

「……神殿から?」

「はい。元聖女候補、セレフィナ・ルミナスの現在の処遇と生活態度についてでございます」

「…………」


 おお。

 来ましたか。噂をすれば。


 私は反射的に、居住まいを正して背筋を伸ばした。

 別に身構える必要もないのだが、なんとなく、そういう態勢で聞くべきだと思った。


 クロード様が先に封書へ手を伸ばし、中身の羊皮紙を確認する。そして、ほんの少しだけ冷酷な笑みを作るように眉を動かした。


「どうかしましたか?」

「予想通り、いや、予想以上に無様だ」

「何がです?」

「読めば分かる」


 差し出された文書を受け取り、私はそっと目を通す。

 そこに記されていたのは、神官の客観的かつ容赦のない観察記録だった。


『セレフィナの神殿における庇護は最低ランクへ大幅縮小』

『専用侍女、専用馬車、専用衣装、特別食の配給、すべて即時停止』

『高位神官扱いの豪華な特別室から退去させ、下級神官見習い用の隙間風の入る簡素な大部屋へ移送』

『さらに、これまでの傲慢な生活態度と虚言癖の改善のため、早朝からの便所清掃、回廊の雑巾がけ、炊事補助などの“肉体労働による奉仕活動”を義務づける』


 そして最後に、神殿の魔力測定係による、冷酷な一文が添えられていた。


『本人の魔力反応は著しく低下し、現時点では、一般的な農村の村娘が使う“火おこし”の生活魔術にも満たない、極めて脆弱な水準です』


 私は、その一文を読み返し、しばし黙った。

 それから、そっと文書をテーブルに下ろす。


「……村娘以下」

「そうらしいな」

「……日々懸命に畑を耕している村娘さんに、大変失礼な比較では?」

「その通りだな」


 クロード様が淡々と、深く頷く。


 そう。それはそうだ。

 本来、村娘だって立派に肉体労働をして生きている。重い水を汲み、泥にまみれて畑を手伝い、家族を支え、自分の足で必死に生活を回しているのだ。

 それに比べてセレフィナは、今まで姉(私)から無断で奪った力と、『天才聖女』という虚飾の肩書だけで、他者を見下して守られていただけ。


 つまり正確には――。


(村娘以下、というより……ただの『魔力ゼロで生活能力もゼロの、元・甘やかされ特権令嬢の実地放流』ですね……)


 うん。なかなかに、生存環境として厳しい。

 でも、仕方がないとも思う。

 むしろ今までが、他人の血肉を啜って、あまりにも過剰に甘やかされていただけなのだから。


 ◇ ◇ ◇


 その頃、セレフィナは神殿の裏手にある薄暗い見習い宿舎で、人生最大級の屈辱と絶望を味わっていた。


「……うそでしょ」


 狭い。寒い。薄暗い。埃くさい。

 それが、今あてがわれている部屋への率直な感想だった。


 つい数日前までの彼女は、神殿内でも『次期真聖女』として最上級に近い破格の扱いを受けていた。

 陽当たりのいい広々とした部屋。王族が使うような柔らかな寝台。

 かしずく専用の侍女。最高級の絹のドレス。専属の料理人が作る選りすぐりの食事。

 そして何より、高位神官たちのへりくだった敬意と持ち上げ。


 けれど今、彼女の目の前にあるのは、カビの生えた質素な木の机と、硬い毛布が置かれた小さな寝台、そして他人のお下がりが入った粗末な衣装箪笥だけである。


 しかも。


「朝の鐘と共に起床。大部屋の便所清掃。冷水での回廊の雑巾がけ。その後、洗濯場での力仕事補助……?」


 無感情な声で読み上げられた『本日の予定表』を見て、セレフィナは顔を引きつらせた。


「何これ」

「あなたに与えられた、本日のお役目です」

「いや、意味が分からないわ。私は聖女候補よ? 天才なのよ?」

「“元”です。それに、魔力測定の結果、あなたはただの無能力者と判定されました」

「…………っ」


 淡々と言い返したのは、今日から彼女の厳しい監督役となった中年の神官だった。

 その表情には、一切の媚びも、憐れみすらない。以前の神官たちが見せていた、聖女候補へのへりくだった態度など微塵もなかった。


「神殿は今後、大罪人であるあなたを特別扱いしません」

「そんな……待ってよ……」

「自分の食い扶持は、自分の体で働いて稼いでいただきます」

「私が? この美しい手で?」

「はい」

「どうしてよ! 私は今まで祈るだけでよかったのに!」

「働かざる者、食うべからず。それがこの世界の道理です」

「そんな、底辺の平民みたいなことを言わないでよ!」


 思わず、ヒステリックに叫んだ、その瞬間。


 ぴしり、と。

 部屋の空気が、物理的に冷えた。


 神官が、ひどく冷たい、汚物を見るような目で彼女を見たのだ。


「……懸命に働く平民の方々に、今すぐ謝罪しなさい」

「え……」

「彼らは、自分の足で立ち、汗水流して働いて生きています」

「…………」

「あなたのように、実の姉の魔力を泥棒のように吸い取って、安全な場所で『聖女ごっこ』をしてふんぞり返っていただけの寄生虫とは、人間としての価値が違います」


 セレフィナは、完全に絶句した。


 その目の絶対的な冷たさと軽蔑に、ようやく理解する。

 もう誰も、自分を『特別な存在』として庇ってはくれないのだと。


「……とにかく、無駄口を叩く暇があるなら、清掃の支度を」

「い、嫌よ! 私、こんな下働きみたいなこと、生まれてから一度もしたことない!」

「これから死ぬ気で覚えていただきます」

「無理!」

「そうですか。では、本日の食事は全食抜きで」

「なっ……!?」


 神官は取りつく島もなかった。


 かつては、彼女が少し顔を曇らせて涙を浮かべるだけで、侍女も神官も慌てて飛んできたのに。

 今は、泣こうが怒ろうが喚こうが、誰も手を差し伸べない。同情すらしない。


 それが、今まで他人を見下してきた彼女にとって、何より堪える絶望だった。


 ◇ ◇ ◇


 初めての雑巾がけは、開始からわずか五分で破綻した。


「いやっ! 水が冷たい! 凍っちゃう!」

「手を止めるなと言っているでしょう」

「なんで私がこんな底辺の仕事を……!」

「床の汚れは、あなたが泣き止むのを待ってはくれません。早く磨きなさい」

「意味が分からない! お姉様を呼んでよ!」


 意味が分からないのはこっちだ、とでも言いたげに、監督役の神官は深い溜息をついたきり、無言だった


 セレフィナの白く滑らかだった手は、冷水と摩擦ですぐに赤く腫れ上がった。

 しゃがみ込むせいで腰も痛い。きれいに結っていた髪は乱れ、粗末な修道服の裾は泥水で汚れ、手入れされていた爪は床のささくれに引っかかって無惨に欠けた。


 今までなら、姉のルシエラが黙って全部やっていたことだ。

 それを自分の手で、たった数分やるだけで、これほど肉体と精神を消耗するとは思わなかった。


 さらに彼女にとって何よりの屈辱だったのは、周囲を行き交う見習い神官たちの視線だ。


 以前なら、彼女が回廊を通るだけで、皆が壁際に避けて深く頭を下げた。

「聖女様」と崇め、羨望の目を向けてきた。

 けれど今は違う。


「……ねえ、あれが例の」

「魔力泥棒の偽聖女」

「実の姉を虐待して、力を吸い取ってたって本当?」

「こわ……信じられない性格の悪さ……」

「しかも見てよ。雑巾がけすらまともにできないらしいわ。あれでよく貴族を名乗れたわね」


 ひそひそ、ひそひそ。

 嘲笑と軽蔑の混じった囁きが、耳に鋭く刺さる。

 刺さるのに、何も言い返せない。


 だって、全部事実だからだ。


「うるさい……」

「何か言いましたか?」

「なんでもないわよ!」


 セレフィナは、ぼろぼろになった爪で雑巾を握りしめ、血が出るほど唇を噛んだ。


 悔しい。

 悔しくて、みじめで、たまらない。


 どうして自分が、こんな目に遭わなければならないのか。

 どうしてお姉様ばかり、あの恐ろしく美しい筆頭騎士に溺愛され、王家に認められて、幸せそうにしているのか。

 どうして自分だけ、急に全部失って、こんな泥水をすするような生活に落ちるのか。


(お姉様がいなくなったせいよ……お姉様が、私から奪ったのよ……!)


 そう責任転嫁しようとしても。

 その“全部”が、本当に自分の実力で手に入れたものだったのかと己の心に問われたら、何も言えなかった。


 ◇ ◇ ◇


 昼過ぎ、彼女はついに過酷な労働と屈辱に我慢できず、清掃を抜け出して一人で中庭へ逃げ出した。


「……なんでよ」


 荒れた両手を握りしめ、ボロボロと涙をこぼす。


「なんで、お姉様だけ……」


 思い出すのは、夜会で圧倒的な白金の光に包まれていた姉の姿。

 建国祭で王都を大群から救った、神話のような奇跡の光。

 人々が跪き、王家が頭を下げ、筆頭騎士が独占欲をむき出しにして誇らしげに隣へ立つあの姿。


 以前は、あれは『全部自分のもの』になるはずの未来だと思っていた。


 本物の聖女として称えられるのは、私。

 最強の騎士に守られるのは、私。

 きれいなドレスも、特別な食事も、皆の憧れの視線も、全部私のもの。


 そう信じて疑わなかったのに。


「……私だって、今までずっと、聖女として頑張ってたのに」


 ぽつりと漏れた言い訳の言葉は、自分でも驚くほど薄っぺらく、弱々しかった。


 本当に頑張っていたのだろうか。

 思えば彼女がやっていたのは、「きれいに見えるように着飾ること」と、「大人たちに褒められるような愛想笑いと立ち回り」だけだったのではないか。

 泥にまみれて誰かを救ったことなど、一度としてなかったのではないか。


 そう考えた瞬間、無性に腹が立った。


 いやだ。

 認めたくない。自分が空っぽの偽物だなんて、絶対に認めたくない。


「まだよ……まだ、私にも少しは光魔法が残ってるはず……」


 セレフィナは、震える両手を空へ掲げた。

 魔力を練り上げるために集中する。

 いつものように、眩しい光を出せばいいだけだ。そうすれば、またみんな私を認めてくれる。


 でも。


 ジジッ……ぽっ。


 懸命に絞り出した魔力で、掌に浮かんだのは、頼りない、今にも消えそうな豆電球みたいな明かりだけだった。

 しかも、ふるふると明滅して、数秒で音もなく消えた。


「…………」


 しん、と静まり返る中庭。


 そのあまりにも惨めな様子を、たまたま通りかかった見習い神官たちが見てしまったらしい。


「……いまの、光魔法?」

「あれで? 嘘でしょ」

「台所の簡易魔石灯火の明るさにも届かないわよ」

「私が巡回に行く村の、五歳の子の生活魔術の方がまだマシでは……」


 ぐさり。


 その悪意のない純粋な感想が、セレフィナの心臓に何より深く、鋭く刺さった。


 村娘以下。


 まさにその通りだった。

 ルシエラの魔力という『巨大なバッテリー』を失った彼女は、今や平均的な平民以下の魔力しか持たない、ただの無能だったのだ。


 セレフィナはかっと顔を赤くし、羞恥と絶望で叫んだ。


「うるさいっ!!」

「ひっ」

「見ないでよ! あっち行きなさいよ、この下賤の者たちが!」


 だが、必死に怒鳴った声には、以前のような貴族としての威圧感は欠片もなかった。

 ただ焦っているだけの、キャンキャン吠える負け犬の弱い悲鳴。


 見習いたちは「関わると面倒だ」と慌てて離れていったが、その背中から漂うのは恐れではなく、明らかな気まずさと、底知れぬ『憐れみ』だった。


 それがまた、プライドの高い彼女にとって、たまらなく惨めで、死にたくなるほどの屈辱だった。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、過酷な労働の末に大食堂で出されたのは、具のほとんどない薄い塩味のスープと、石のように硬い黒パンだった。


 以前のセレフィナなら、ひと目見た瞬間に「こんな残飯みたいなもの食べられないわ!」と皿を壁に投げつけて激怒していただろう。


 でも今は違う。

 極限まで空腹なのだ。

 朝から冷水で雑巾がけをさせられ、昼もサボった罰として大したものは食べていない。

 しかも、ここで文句を言って食べなければ、本当に明日の朝まで何も口に入らないのだと、今日の監督役の態度で痛いほど思い知らされていた。


「……まずい」


 小さく呟いても、誰も反応しない。


 周囲の長テーブルでは、見習い神官や下働きの人々が、静かに食事をしている。

 皆、肉体労働で疲れているけれど、支給された食事に感謝しながら黙々と食べている。

 その中で、文句を垂れている自分だけが、完全に異質で浮いていた。


「セレフィナ様」


 不意に、隣の席に座っていた年若い見習い修道女が声をかけてきた。


 セレフィナはびくりと肩を揺らす。また罵倒されるのかと身構える。

 でも、その少女の顔には、意外にも敵意はなく、ただ純粋な忠告の色があった。


「その黒パン、そのまま噛むと顎を痛めますよ。スープにしばらく浸してふやかすと、少し食べやすくなりますから」

「……は?」

「歯が疲れて、明日のお役目に響くので」

「…………」


 セレフィナは一瞬、何も言えなかった。


 そんなふうに、生活の底辺の知恵を「教えられる側」になるのは初めてだった。

 しかも相手は、自分が今までゴミのように見下していた“ただの平民の見習い”だ。


「……別に、いらないわ。大きなお世話よ」

「そうですか。ご無理はなさらずに」


 少女はあっさりと引き下がり、それ以上何も言わず、自分の食事へ戻った。


 セレフィナは、手元の石のような黒パンを見つめる。

 硬い。そのままでは絶対に噛みきれない。

 でも、お腹は悲鳴を上げるほど空いている。

 仕方なく、誰にも見られないように隠しながら、さっき教えられた通りにパンをスープへ浸してみる。


 数分後、一口かじる。

 少しだけ、柔らかくて食べやすくなった。


「…………」


 悔しい。

 でも、食べられる。飢えをしのげる。


 その事実がまた、じわじわと彼女の薄っぺらいプライドを削り取り、惨めだった。


 以前なら、こんな食事を“家畜の餌みたい”と鼻で笑って床に捨てていた。

 でも今の自分は、その“餌みたい”なものすら、生きるためにありがたく感じかけている。


 そして、ふと思い出す。


 お姉様は……ルシエラはずっと、私が残したこういうものを食べていたのだろうか。

 冷え切ったスープと、硬いパンを。

 屋根裏部屋で、たった一人で。当たり前みたいに。


 その想像が頭に浮かんだ瞬間、胃の奥がせり上がり、吐き気のような妙な感覚に襲われた。

 けれど、セレフィナはすぐに強く首を振る。


 違う。

 考えたくない。

 あっちが悪いのだ。

 自分が今まで、姉にどれほど非人道的なことをしてきたか。それを直視したら、自分が完全に『悪』だと認めてしまうことになるから。


 彼女はただ、惨めにふやかしたパンを、涙と一緒に飲み込むことしかできなかった。


 ◇ ◇ ◇


「……以上が、神殿から上がってきた、現在のセレフィナ・ルミナスの惨状の報告です」


 感情を交えずに報告を終えた使者が、静かに頭を下げた。


 私は執務室の柔らかなソファで、その話を黙って聞いていた。


 雑巾がけもまともにできず、絶望。

 生活魔術は豆電球以下。

 食事は質素な黒パン。

 周囲からは“魔力泥棒の偽聖女”と蔑まれ。

 かつて自分が見下していた下働きの人々に、今度は惨めに生活の知恵を教えられる。


 ……うん。

 なかなかに、精神的にも肉体的にもきつい末路だ。


 でも、不思議と、「妹がかわいそうだ」「胸が痛んでどうしようもない」という感情は、一ミリも湧いてこなかった。


 ああ、これが現実の因果応報なんだな、と。

 ただそれだけだ。


「詳細な報告、ありがとうございました」

「はっ」


 使者が一礼して去っていく。

 部屋に、落ち着いた静けさが戻る。


 クロード様は分厚い書類へ視線を戻しながら、ぽつりと聞いた。


「気分はどうだ」

「……そうですね」

「胸が痛むか。辛いか」

「いえ、全く」

「ざまぁみろ、か」

「そこまでストレートに言ってしまうと、令嬢として品がなくないですか?」

「なら何だ。どう思っている」

「……完全なる『自業自得』、でしょうか」


 我ながら、だいぶ感情を切り離した穏当な表現を選んだと思う。


 クロード様は書類から顔を上げ、少しだけこちらを見た。


「甘いな」

「そうですか?」

「ああ。俺なら、あの女が飢え死にするまで食事すら与えん。だが、その甘さがルシエラらしくていい」

「褒められているのでしょうか」

「一応はな」


 一応なんですね。

 私は小さく肩を竦め、それから、膝の上でそっと手を組んだ。


「でも……よかったです」

「何がだ」

「前みたいに、あの子の報告を聞いて、無意識に『私が助けてあげなくちゃ』って思っていない自分がいるので」

「…………」

「あの子が困っているから、私が我慢して戻るべき、とか。かわいそうだから、過去を水に流して許すべき、とか。そういうふうには、もう一切思いません」

「そうか」

「はい。たぶん、それが私にとって一番の成長(救い)です」


 クロード様はしばらく黙って私を見つめていたが、やがて静かに深く頷いた。


「それでいい」

「……はい」

「お前はもう、あのゴミどもに一ミリも責任を感じる必要はない。過去は切り捨てろ」

「分かっています。もう引きずられません」

「本当にか」

「……たぶん」

「なら、もっと細胞の隅々まで分からせてやろうか」

「どうやってですか」

「今日も徹底的に甘やかす」

「いつもですね!?」

「足りないか。それとも嫌か」

「いえ、むしろ効きすぎています……! 供給過多です!」


 思わず、心から笑ってしまった。


 そう。

 私はもう、あちらの不幸を自分の責任だとは微塵も思わない。

 冷酷になったわけではない。思いたくないのではなく、本当に、私の責任ではないのだ。


 私は私の人生を、自分の足で取り戻した。

 セレフィナは、自分が他者から奪うだけで何も積み上げなかったことの『代償』を、今まさに払っている。

 ただ、それだけの話だ。


 クロード様が優雅に席を立ち、こちらへ歩いてくる。

 そして当然のように、私の体をひょいっと抱き上げた。


「ひゃっ」

「疲れた顔をしている」

「えっ、座って使者の報告を聞いていただけなのですが」

「それでもだ。あの家の名前を聞くだけで、お前の精神は消耗する」

「過保護の判定が厳しすぎますねぇ……」

「今さらだろう」

「そうでした」


 私はおとなしく、その広く温かい胸にこてりと寄りかかった。


「甘いものを食うか」

「いただきます」

「今日は、お前が厨房で使っていたのと同じ、最高級の蜂蜜を使った焼き菓子だ」

「わあ……」

「気分は?」

「とても回復しました。HP満タンです」

「早いな」

「クロード様の提供する福利厚生の即効性が高いので」


 クロード様が小さく息を吐く。

 たぶん、少し笑っている。


 その胸元へ額を預けながら、私はそっと目を閉じた。


 セレフィナの末路は、たしかにひどく惨めだ。

 でも、それを見て私が前みたいに心を抉られ、同情に引きずられることは、もう二度とない。


 だって私は今、こうして絶対的な力で守られている。

 あたたかい場所にいて、ちゃんとおいしいものを食べて、ふかふかのベッドで眠って、愛されている。


 だったら、もう過去の暗闇へ引きずられる必要はどこにもない。


 そしてもちろん。


 この「妹の底辺への転落」は、ざまぁの序章にすぎない。

 本当に容赦のない、社会的な死を伴う断罪は、これから両親の方へ向かっていくことになるのだけれど――今の私はまだ、まずはクロード様の腕の中で運ばれた先の蜂蜜菓子を全力で楽しむ方が、ずっと忙しかったのである。



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