第22話 王家も騎士団も国民も全員土下座。「貴女こそが真の聖女だ」
王都を包んでいた絶望的な悲鳴が、ようやく少しずつ、安堵のどよめきへと変わり始めた頃。
私はクロード様にすっぽりと抱き上げられたまま、広場の隅に設置された仮設の神殿幕舎の中で、ぼんやりと天井の布地を見上げていた。
(……私、とんでもないことをしてしまった気がします……)
いや、気がするではない。
確実に、物理的にも魔法的にも、歴史に残る大事件を起こしてしまった。
建国祭のど真ん中で大結界が砕け、魔物の大群が王都へなだれ込み、騎士団が血みどろで応戦する中――私は「推しに傷をつけられるのは許せない」という限界オタクの業火(勢い)のまま戦場へ飛び出し、広域殲滅&完全回復ヒールみたいなチート魔法をぶっ放した。
結果。
魔物はチリとなって浄化され、騎士たちは古傷ごと完全回復し、王都は数分で救われた。
うん。
改めて頭の中で整理すると、規模が大きすぎる。
だいぶ、国家の歴史書に載るレベルで大きい。
「……水を飲め」
低い、けれどひどく甘い声とともに、私の口元へカップが差し出される。
私は反射的に受け取ろうとして――受け取れなかった。
なぜなら、私はまだ、クロード様の太い腕の中に抱き込まれたままだったからである。
「え、ええと……自分で持てます……」
「いいから飲め」
「はい……」
仕方なく、彼に抱かれたまま、差し出されたカップからおとなしく一口飲む。
冷たすぎず、温すぎず、疲れ切った体に染み渡るちょうどいい温度だった。おいしい。
というか、こういう非常時の野戦幕舎においてすら、私の口当たりと胃への負担を最優先で考慮してくださる王国最強の婚約者様、控えめに言って過保護のベクトルがおかしい。
「落ち着いたか」
「た、たぶん……」
「『多分』では困る。どこか痛むのか。魔力枯渇か」
「違います! ただ、その……自分のやったことの状況確認が、まだ心に追いついていなくて……」
「追いつかなくていい」
「……わかりました」
「ああ。お前はただ、俺の腕の中で休んでいればいい」
有無を言わさず言い切られてしまった。
私はカップを両手で持ちながら、小さく息を吐く。
疲れている。とても疲れている。魔力を一気に放出したせいか、指先が少し痺れている。
でも、不思議と恐怖はもう欠片も残っていなかった。
たぶん、クロード様が無傷で、こうして私の傍に戻ってきてくれたからだ。
そして、王都の皆さんも無事だったから。
「クロード様」
「何だ」
「本当に、ご無事でよかったです」
「お前もな」
「私は、まあ、安全圏からチートを撃っただけなので……」
「『まあ』で済ませるな」
「すみません……」
「次に、俺の許可なく勝手に戦場へ出たら」
「……出たら?」
「叱る」
「叱るで済むのですか!?」
「まず、ひどく叱る。泣くまでだ」
「『まず』の先が怖いです!」
だが、その声音は思ったよりずっと静かだった。
怒っているというより、私を失いかけた恐怖と、まだ心臓に悪かった余韻が色濃く残っている感じだ。
つまり、本気で心配をかけたのだろう。反省はしている。
しているのだけれど。
(でも、あの背中を見て、行かない選択肢はありませんでしたし……)
だって、大好きな推しが目の前で傷ついて、血を流していたのだ。
限界オタクとして、あの絶望的な状況で「神殿の奥で待機」を選べるほど、私の理性は強靭にできていない。
私がそんなことを考えていると、幕舎の外が急に騒がしくなり始めた。
「……?」
「来たか」
クロード様が、視線を外へ向けながら短く、ひどく面倒くさそうに言う。
来た? 敵の残党?
そう思った次の瞬間、幕の外から、いくつもの重々しい声が重なって聞こえてきた。
「国王陛下がお見えです!」
「王妃殿下、大神官猊下も!」
「第一騎士団、道を空けろ! 整列!」
えっ。
私はぱちぱちと瞬いた。
今、何と?
国王陛下? 王妃殿下? 大神官? 騎士団?
なんだか、この国における『とても偉い人たち』が、コンプリートセットみたいにまとめてこちらへ向かってきている気がする。
◇ ◇ ◇
幕舎の中へ、まず静かに入ってこられたのは国王陛下だった。
その後ろに王妃殿下。大神官。宮廷魔術師長。騎士団の幹部たち。
さらにその向こう、幕の外には、避難を終えた大勢の王都の民や、神官たちの姿まで見える。
私は反射的に「不敬だ!」と思い、クロード様の膝から立ち上がろうとして――当然のように、腰に回された腕にガッチリと止められた。
「無理をするな。座っていい」
「で、でも、国王陛下の御前で、殿方の膝の上に座ったままというのは!」
「今のお前は、極度の魔力消費による絶対保護対象だ。動けば倒れる」
「そういう時だけ合理的に職務へ忠実なの、ずるくないですか!?」
「俺はいつだってお前に対して忠実だ」
「それはそうでしたけども!」
私たちが小声で言い合っているうちに、国王陛下がふっと口元を苦笑の形に緩められた。
「相変わらずだな、ヴァレンティス卿」
「何のことでしょう」
「そこまで猛犬のように警戒せずとも、誰もそなたからルシエラ嬢を奪いはせぬ」
「保証がありません」
「ある」
「ありません。油断すれば、神殿あたりが聖女として拉致しかねない」
「おい大神官、睨まれているぞ」
王様が、完全に最強騎士の過保護の圧に押されている。
しかも今日は、クロード様の瞳がマジで氷点下なので、少しも冗談になっていない気がする。
推しの独占欲、王権に対しても平常運転である。
だが、その空気をやわらげたのはほんの一瞬だけだった。
国王陛下はすぐに王としての威厳ある表情に改め、私を真っ直ぐに、深い敬意を込めて見つめられた。
「ルシエラ嬢」
「は、はい」
「まず、礼を言わせてほしい」
その声音は、厳かで、でもひどく真摯だった。
「そなたがいなければ、今日この王都は確実に滅び、幾万の血が流れていただろう」
「…………」
「力なき民も、前線で戦う騎士も、祈る神殿も、そして我ら王家も。皆、そなたの奇跡に救われた」
「…………」
「王として、そしてこの国に生きる者の一人として、心から感謝する」
そう言って――国王陛下が、ゆっくりと、その場に膝をつき、深く頭を下げたのだ。
「えっ」
私は、本気で呼吸を忘れて固まった。
えっ。
えっ。
待ってください。
今、一国の国王陛下が。私みたいな魔力ゼロの底辺令嬢だった人間に。
膝を?
その隣で、王妃殿下も静かに豪華なドレスの裾を整え、深く頭を下げられる。
大神官も。騎士団幹部も。宮廷の高官たちも。
そして、それを見た幕舎の外の人々までもが、次々に、波が引くようにその場へ膝をつき始めた。
どさ、どさ、どさ、と。
布越しに伝わるほどの、何百、何千という人間の一斉の動き。
「……えっ」
「…………」
「えっ、えっ、ちょっ」
「ルシエラ」
頭上から落ちたクロード様の低い声で、ようやく私は我に返った。
見上げると、彼は静かに私を見つめている。
その顔には微塵の驚きもなかった。むしろ、「世界が俺の妻に平伏するのは当然だ」とでも言いたげな、恐ろしいほど落ち着いた、誇り高い表情だった。
でも、私には到底そんなふうに受け止められない。
「ク、クロード様」
「何だ」
「規模が」
「何の話だ」
「限界オタクへの公式からの『感謝』の規模が、応援上映にしては大きすぎます……!!」
ついに、処理しきれなくなった本音が漏れた。
だって無理だ。
王様も王妃様も大神官様も騎士団も国民も、全員が私へ向かって頭を下げ、祈るように手を組んでいるのである。
こんなの、前世のしがない社畜人生を含めても完全に想定外のバグである。
「落ち着け。呼吸が浅いぞ」
「無理です! 何ですかこれ! 宗教の始まりですか!?」
「ただの純粋な感謝だ」
「重いです! 国家規模は重すぎます!」
「お前は、それだけの偉業を成し遂げた。王都の命を救ったのだ」
「さらっと重い事実を言わないでくださいぃ!」
私は半ば泣きそうになりながら、幕の向こうにまで果てしなく広がる人の波を見た。
広場にいる傷ついた人々が、みんなこちらを見ている。
神の奇跡を見たような畏怖と、涙ながらの感謝と、安堵と。色んな感情を抱えた顔で。
騎士たちは胸に手を当てて敬礼し、神官たちは深く祈りを捧げ、避難していた子どもたちまで、親に倣ってぺこりと小さな頭を下げていた。
ああ、もう。
だめだ。
こんなの、胸がいっぱいになって、どうしていいか分からない。
◇ ◇ ◇
「ルシエラ様」
今度は、白衣を泥で汚した大神官が、震える声で呼びかけた。
「貴女こそが、神の遣わされた『真の聖女』にございます」
「…………」
「今日この日、この国に生きるすべての者が、その奇跡の御業を見ました」
「…………」
「邪悪を浄め、傷ついた者を癒やし、王都を守るその神聖なる御力。もはや、貴女様を疑う愚か者は、この国に一人もおりますまい」
その言葉に、周囲から一斉に「そうだ」「女神だ」と熱狂的に頷く気配が広がる。
第一騎士団の副官さんが、一歩前へ出た。
戦場では常に厳しい顔をして部下を叱咤していたその歴戦の騎士が、今はボロボロと大粒の涙を流している。
「団長だけではありません」
「…………」
「今日、この広場にいた我々騎士全員が、ルシエラ様の光に命を救われました。欠損した手足すら元通りに……」
「…………」
「俺たちは、我々第一騎士団は、貴女の慈愛を一生忘れません」
その後ろで、血まみれの鎧を着た騎士たちまで、一斉に膝をついた。
「第一騎士団一同、真聖女ルシエラ様へ最大の敬意と忠誠を!」
「えっ、あっ、いえ、忠誠は国王陛下かクロード様に!」
「王都を守ってくださり、ありがとうございました!」
「ルシエラ様、万歳!!」
野太い声が、完全にひとつに揃う。
びりっと胸に、いや物理的に空気を震わせるくらい、大きく、真っ直ぐな軍人たちの声だった。
私はもう、本格的に困っていた。
どうしよう。
嬉しい。すごく嬉しい。
でも、私のような日陰の引き立て役だった人間が、これほど真っ直ぐな感謝と称賛を、そのまま受け取るには、あまりにも大きすぎる。
大きすぎて、押し潰されそうで、ちょっと泣きそうだ。
「クロード様……」
「何だ」
「私、こういうの、前世からずっと慣れてなくて……」
「知っている」
「どうしたら、いいのでしょうか……」
「受け取れ」
短い、力強い言葉だった。
でも、その声音はひどくやさしくて、私の震える背中を支えてくれるように温かかった。
「お前が救った」
「…………」
「だから、これは当然の礼だ。誰の目にも明らかな、お前の価値だ」
「…………」
「縮こまるな。俺の妻になる女だ。堂々と胸を張れ」
「…………」
私は、その力強い言葉に、ゆっくりと深く息を吸った。
胸を張る。
そうだ。
今まではできなかった。
実家でどれだけ膨大な実務をこなしても、すべて「妹の引き立て役だから」「無能で役立たずな長女だから」で片づけられ、搾取されてきた。
褒められることにも、誰かから正当に感謝されることにも、ずっと縁がなかった。
でも、今日は違う。
私は本当に、誰かを救えたのだ。私の意志で。
王都を守れたのだ。私の力で。
そしてそれを、この国の皆が、ちゃんと見ていてくれた。
だったら――。
「……皆様、どうか顔を、上げてください」
自分でも驚くほど、声は静かで、澄んでいた。
けれど、その一言で、広場の熱狂的なざわめきが、すっと止む。
国王陛下が、ゆっくりと顔を上げられる。
その深い敬意の視線を受けながら、私はクロード様の腕から少しだけ身を離し、なんとか自分の言葉をつないだ。
「私一人では、何もできませんでした」
「…………」
「皆さんが、死を恐れずに一番前で戦ってくださったから。皆さんが諦めなかったから、私も、守りたいと思えました」
「…………」
「クロード様が、騎士団の皆さんが、神官の皆さんが、王都の人たちを命懸けで守ろうとしていたから……だから私は、自分の使える力を使っただけです」
「…………」
「なので、その……全部を私一人の手柄みたいにされて崇められると、少しだけ困ります。恥ずかしいです」
最後の方は、だいぶ限界オタクの本音が混ざった。
だって、本当にそうなのだ。
私が放ったチート光は確かに規模が大きかったかもしれない。
でも、それを使う決意をくれたのも、守るべき尊い理由をくれたのも、全部、彼らがいたから生まれたものだったのだから。
すると、しばしの沈黙のあと。
王妃殿下が、扇の向こうでふっと優しく微笑まれた。
「まあ」
「…………」
「なんて、欲がなく……お優しい子でしょう」
やめてください。
そういう「聖女ポイント加算されました」みたいな反応をされると、さらに恥ずかしくて穴を掘りたくなります。
だが、王妃殿下のそのひと言で、場の張り詰めていた宗教的な空気は、少しだけやわらいだ。
国王陛下も、大神官も、副官さんも、それぞれホッとしたように顔を上げる。
そして、国王陛下が深く、満足げに頷かれた。
「承知した」
「…………」
「では、王都を救った最大の功は、死線を越えた騎士団と神殿と、そして真聖女ルシエラ嬢、その『すべて』にあると歴史に記そう」
「…………」
「だが、その奇跡の中心に、そなたの慈愛があったこともまた、紛れもない事実だ」
うっ。
そこは絶対に譲ってくださらないらしい。
でも、さっきまでの「生き神様」扱いよりは、だいぶ小市民にも受け止めやすい形になった。
「……はい、ありがとうございます」
「うむ」
私がこくりと頷いた、その瞬間。
広場のあちこちから、ぱちぱちと温かい拍手が起こり始めた。
最初は控えめに。
でも、それはあっという間に伝播して大きくなって、王都全体が私を祝福しているみたいな、巨大な音のうねりになる。
拍手。歓声。
「真聖女様!」という声。
「ありがとう!」という涙声。
子どもたちのはしゃいだ笑い声。
ああ、もう本当に。
「……規模が大きいです……」
「今さらだろう」
「今さらですが、大きいものは大きいです……心臓がもちません」
「なら、俺の方だけを見ていろ」
「お顔が良すぎて、それはそれで落ち着かないのですが!?」
「慣れろ。一生見ることになる」
「やっぱり最後はそこへ着地するんですね!?」
私は半ば涙目で抗議した。
だが、その私たちの痴話喧嘩じみたやりとりを聞いていたらしい周囲の騎士たちから、くすくすと温かい笑いが漏れる。
なんだろう。
一気に、戦場のヒリヒリした緊張がほどけていく感じがした。
◇ ◇ ◇
だが、広場のざわめきが少し落ち着いた頃。
今度は別の意味で、私は驚き、そして震えることになる。
「ルシエラ嬢」
国王陛下が、あらためて私の前へ歩み寄られた。
その表情は先ほどよりもずっと柔らかいが、一国の王としての威厳があった。
「ひとつ、正式な頼みがある」
「は、はい」
「今後、この国の真聖女として、王家と神殿から『正式な支援と絶対的な保護』を受けてほしい」
「……支援と、保護」
「そうだ。生活のすべてを保証する」
「…………」
「そなたの力は、この国の至宝だ。偽りに騙され、そなたを不遇な環境に置いたこと、本当に申し訳なかった」
「…………」
「だが同時に、そなた自身がこれ以上決して無理をせぬように、国としても全力を挙げて守らねばならぬ」
その言葉に、じんわりと胸が熱くなる。
至宝。守る。無理をするな。
前世でも今世でも、権力を持つ上の人間から、そんなふうに優しく言われたことは一度もなかった。
けれど、私が感動して何か答えるより先に。
「――条件があります」
氷結魔法のように冷えた声が、私の頭上から落ちた。
あっ。
来た。
私の過保護(狂気)の婚約者様が。
クロード様は私の隣に並び、一国の王である国王陛下を真っ直ぐに、一切怯むことなく睨み据えた。
「ルシエラを、国の公務などで一切働かせすぎないこと。指一本、強制的に動かさせないこと」
「う、うむ」
「神殿にも王家にも、勝手な呼び出しをさせないこと。面会はすべて俺を通すこと」
「配慮しよう」
「口約束の『配慮』では足りません。信用できない」
「厳しいな、ヴァレンティス卿!?」
「俺の妻の健康と精神の安寧が懸かっているのです。当然です」
「出たな、その無敵の“当然”が!」
思わず私が限界オタクのツッコミを口に挟むと、場が少しだけ呆れたように和む。
国王陛下は苦笑しながらも、しっかり頷かれた。
「分かった。そなたの過保護には負ける。正式に取り決めよう」
「必ず『文書』で。法的な効力を持たせて」
「ヴァレンティス卿、そこまで念を押すか?」
「文書で」
「……よかろう」
強い。推しが今日も権力に屈せず強い。
しかもその無敵の強さの向く先が、全部「私のホワイトな生活環境の整備(労働の拒否)」なのだから、本当にどうかしている。
でも、ありがたい。
前世のブラック労働で死んだ私にとって、これ以上なくありがたい。
◇ ◇ ◇
その後、王都の仮復旧作業が本格的に始まるまでの間、私はしばらくだけ、魔物の死骸が片付けられた広場の高台へ移された。
そこから見える王都は、まだ結界が砕けた混乱の痕跡こそ残していたけれど、確実に立ち直り始めていた。
騎士たちが軽傷者を助け起こす。
神官たちが残った瘴気の浄化を進める。
街の人々が互いを助け合い、崩れた屋台を直し、無事だった子どもたちを抱きしめて泣き笑いしている。
誰もが、生きている。明日へ繋がっている。
その光景を見て、ようやく「守れたのだ」という実感が追いついてくる。
「……守れたんですね」
「ああ」
隣で、クロード様が短く答える。
私はその横顔を見上げた。
死闘の後だというのに、もう表情は落ち着いている。
でも、よく見れば、ほんの少しだけ目元に疲労の色が戻ってきているようにも見えた。
「クロード様」
「何だ」
「疲れていませんか」
「お前の魔力枯渇ほどではない」
「またそういうふうに比較して誤魔化す……」
「事実だ」
私は少しだけ頬を膨らませた。
するとクロード様が、そんな私の額へ、ごつごつした大きな手を軽く当てる。
「だが、俺のルシエラがそう言うなら休む」
「……本当ですか?」
「ああ」
「では、帰ったら絶対に休んでください。添い寝業務も本日はお休みです」
「それは別だ」
「別じゃないです! 寝てください!」
「お前を抱いて寝る」
「結局抱っこなんですね!?」
素直だと思ったら、ちゃっかり要求を通してきた。
でも、たぶん、それだけ今日のことが、彼にとっても精神的に大きかったのだろう。
私が戦場へ出たことも。王都が救われたことも。
そして、自分が『守る側』でいるだけでは済まなかった、初めての経験も。
「ルシエラ」
「はい?」
「さっきの言葉」
「どれでしょうか」
「『私の推しの背中は私が守る』というやつだ」
「…………」
うっ。
思いきり、戦場のど真ん中で叫んでしまった限界オタクの魂の叫びだ。
冷静になると、だいぶ恥ずかしい。
「忘れてください……」
「無理だ」
「ええ……お願いします……」
「一生覚えている。俺の魂に刻み込んだ」
「重いです……!」
「俺の命を救った女の言葉なのだ。そういうものだろう」
そう言って、クロード様はほんの少しだけ、本当に嬉しそうに口元を緩めた。
悔しい。でも、嬉しい。
だって、それはたぶん、私の不器用な言葉が、彼の心の奥底にちゃんと届いたということだから。
私はそっと、左手のドラゴン産の指輪へ触れる。
そこでようやく、自分の手がまだ少しだけ、魔力枯渇と事後興奮で震えていることに気づいた。
怖かった。
本当は、ものすごく。
でも、それ以上に、彼を守りたかった。
その狂気的なオタクの執念だけで動いた結果が、王都全体土下座祭りである。
いや、祭りではないのだけれど。
でも本当に、国民規模で頭を下げられるとは思わないではないか。
「……クロード様」
「何だ」
「私、まだ少しだけ信じられません」
「何がだ」
「魔力ゼロのゴミだと言われていた自分が、こんなふうに誰かに必要とされたり、感謝されたりする日が来るなんて」
「…………」
「前世でも今世でも、そういう温かいものとは、あまり縁がなかったので」
言ってから、少しだけ自嘲気味に視線を落とした。
すると、クロード様の大きな手が、私の細い指へ絡む。
婚約指輪の上から、私の不安ごとすっぽりと包み込むみたいに。
「覚えろ」
「……はい?」
「お前は最初から、それだけの圧倒的な価値があった」
「…………」
「今日、それが国ごと、世界中に証明されただけだ」
私はしばし、何も言えなかった。
ああ、まただ。
この人は、私が一番欲しい言葉を、欲しい時に、逃げ場のない真っ直ぐな形でくれる。
本当に、ずるい。
「……ずるいです」
「何がだ」
「そういうところです」
「そうか」
「はい」
「なら、もっと言うか」
「やめてください、今度は本気で泣きます……!」
「泣くな」
「無茶を仰います……」
私が目元を押さえてしゃくり上げると、クロード様は静かに、でもどこか独占欲を満たしたように満足げに目を細めた。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
王都では、すでに“真聖女降臨の奇跡”の噂が、爆発的な勢いで駆け巡っていた。
建国祭の危機を一撃で救った白金の光。
魔物だけをチリにし、人々だけを完全に癒やした神話の奇跡。
真聖女ルシエラ様への、大広間での大礼拝。
そして、その隣で一歩も離れず、王にすら牙を剥いた筆頭騎士様の『激重絶対保護宣言』。
噂はたぶん、明日には国中へ、そして近隣諸国へも広がるだろう。
そしてそれは同時に、実家にとっても『決定的な物理打撃』になる。
偽聖女だったセレフィナが魔物を前に逃げ出し、真聖女である私が王都を救った。
もう、どんな言い逃れも、政治的な工作もできない。
たぶん次に来るのは、王家と神殿からの正式な『断罪』だ。
爵位も、特権階級としての立場も、全部まとめて根こそぎ奪われ、破滅することになるだろう。
でも今の私は、その復讐の結末を、少し遠い出来事のように感じていた。
ただ、広場の隅で、散ってしまった祭りの花を配り直している人たちや、助け合いながら屋台を起こしている人たちの姿を見て、胸がじんわりと温かい。
「……クロード様」
「何だ」
「王都、きれいですね」
「今日は少し荒れて、血の匂いもするがな」
「はい。でも」
「でも?」
「皆さん、生きていてよかったです。本当に」
そう言うと、クロード様はほんの少しだけ視線をやわらげた。
「……そうだな」
「はい」
「そして、お前も生きていてよかった」
「…………」
「俺にとっては、それが一番大事だ。お前がいなければ、世界が救われても意味がない」
うっ。
駄目だ。
今それを真っ直ぐに言われると、今日何度目か分からないくらい胸がいっぱいになる。
私は熱くなった目元を隠すように、そっとクロード様の肩へ寄りかかった。
すると、当然のように力強い腕が回ってくる。
「帰るか」
「……はい」
「帰って、甘いものを食うか」
「本当に、推しの提供する福利厚生が一貫していますね……」
「お前の回復に必要だろう」
「はい。とても」
私は小さく笑った。
王家も騎士団も国民も、みんな頭を下げた。
「貴女こそが真の聖女だ」と、歴史に刻まれる形で認められた。
それはきっと、私の波乱万丈な人生の中でも、とても大きな節目なのだと思う。
でも、それ以上に今は――。
隣にいる最愛の推しが無事で。
その腕の中が、恐ろしいほど温かくて。
帰ったら、私のためだけの甘いお菓子が待っている。
それだけで、私の人生は十分幸せだった。
そしてもちろん。
そんな幸福の裏で、ルミナス伯爵家への『完全包囲網』は、王家と神殿と騎士団(主にクロード様の殺意)によって、静かに、しかし確実に絶望の形へと狭まっていくことになるのだけれど――その時の私はまだ、次に出てくる『ざまぁ(断罪)』の規模がどれほどえげつないか、まったく知らなかったのである。




