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第18話 偽聖女(妹)の焦り。「お姉様の魔力を返してよ!」

 王家の夜会での、私の盛大すぎる社交界デビューは無事――いや、たぶん『無事』とはだいぶ違う形で――終了した。


 無事というか、国家規模の大事件だった。

 入場時に無意識の神聖魔法で自然発光し。

 神官様に触れただけで離宮の会場ごと広域浄化し。

 最後は王国最強の騎士様と踊りながら、堂々と「俺の妻(予定)だ。二度と引き立て役などと呼ぶな」と世界へ向けて宣戦布告される。


 うん。

 冷静に振り返ると、限界社畜のキャパシティを遥かに超える情報量である。


 その夜会から一夜明けた朝。

 私は客間の最高級ソファに座り、まだほんのり残る余韻で頬を染めながら、侍女さんが淹れてくれた適温のお茶をちびちびと飲んでいた。


(……すごかったですねぇ……本当に……)


 何がすごいって、夜会そのものの豪華さもそうなのだけれど。

 あの場にいた人たちの、私を見る視線が、最初と最後でまるでひっくり返ったことだ。


 最初は、きっと誰もが半信半疑だったのだろう。

 本当に真聖女なのか。あの底辺のルミナス伯爵家の長女が?

 本当に、あの冷酷無慈悲なクロード様の婚約者なのか。


 けれど夜会が終わる頃には、誰もそんな胡乱な顔をしていなかった。

 圧倒的な驚愕と、深い敬意と、あとは純粋な畏怖。

 それに加えて、「あの筆頭騎士が、近づく男を物理で斬り捨てる勢いで本気で囲い込んでいる相手だ」という、妙な納得と諦め。


 ……うん。

 最後のひとつは、完全にクロード様の過剰な殺気のせいである。


「ルシエラ様、少しお疲れではございませんか?」

「いえ、大丈夫です。ちょっとだけ昨夜の公式からの供給圧が強すぎて、思い出しては感情の処理落ちを起こしているだけで」

「……はい?」


 侍女さんがやんわりと首を傾げる。

 いけない。また限界オタクの言語が漏れた。


 だが、そんな穏やかな朝の時間は長くは続かなかった。


 ぱたぱたと、屋敷には似つかわしくない慌ただしい足音が廊下の向こうから近づいてくる。

 続いて、執事さんのやや困惑した、硬い声が部屋の外から響いた。


「ルシエラ様、失礼いたします」

「はい?」

「その……昨夜の夜会の件で、少々、外が騒がしくなっておりまして」

「外?」


 私はきょとんと目を瞬いた。

 執事さんが重厚な扉を開け、少しだけ複雑そうな、眉間に皺を寄せた顔で深く一礼する。


「ルミナス伯爵家より、再び使いが参りました」

「…………」


 ああ。

 そう来ますか。


 胸の奥が、ひやりと冷たい泥に触れたように冷える。

 けれど、前みたいに全身の血が凍りついて固まるほどではなかった。


 たぶんもう、昨日までの私とは決定的に違うのだ。

 王家の前で正式に婚約を発表され、神殿にも真聖女だと認められた。

 あんなにたくさんの人の前で、クロード様が「彼女の価値は俺が世界に分からせる」と断言してくれた。


 その事実が、思っていた以上に、私の折れそうな背中を強く支えてくれている。


「使いの用件は?」

「“至急、セレフィナ様がお会いしたい”と」

「……あの子が」

「門前で、かなり取り乱しておられるようでして……追い返すよう手配はしておりますが」


 そりゃそうだろう。


 夜会で私が『真聖女』として公に認められたこと。

 そして、クロード様の婚約者として華々しく披露されたこと。

 その噂は、王都中へ一晩で爆発的に広がっていてもおかしくない。


 つまり、妹のセレフィナからすれば、自分が長年ふんぞり返ってきた“天才聖女”という唯一のアイデンティティが、一夜にして完全に崩壊したも同然なのだ。


(……でも)


 だからといって、優しく受け止めて話を聞いてあげたいとは、もう微塵も思わない。


 前の私なら、たぶん少しは罪悪感で揺らいでいた。

 妹だし、とか。家族だし、とか。困っているなら、長女の私が助けるべきかも、とか。

 前世から染みついた『自己犠牲の呪い』が、私を縛っただろう。


 でも、今は違う。


 自分が困った時だけ、私の労働力と魔力を『当然の権利』のように搾取しようとする人たちのために、また自分を切り売りするつもりは一切ない。


 私はゆっくりと深く息を吸って、執事さんへはっきりと告げた。


「……会いません」

「かしこまりました」

「ただし」

「はい」

「もしも、これ以上騒ぎ立てて無理に押しかけてくるようなら……クロード様にお伝えください。物理的な排除も含めてお任せします、と」

「……承知いたしました」


 執事さんが、ひどく満足げに深く頭を下げる。


 言えた。

 ちゃんと、自分の意志で「会わない」と拒絶できた。


 ただそれだけのことなのに、胸の奥に詰まっていた重い石が取れたように、少しだけ熱くなった。


 ◇ ◇ ◇


 だが、その日の夜。

 私は再び、王家主催の小規模な晩餐会に出席していた。


 小規模。

 王家基準である。絶対に信用してはいけない詐欺ワードだ。


 とはいえ、昨夜の大規模な夜会に比べれば、たしかに人数はかなり絞られていた。

 王族と、ごく近しい大貴族、神殿関係者のトップ、それから騎士団幹部の一部。

 いわば、昨日の正式発表後の、内輪での『顔合わせ』といった雰囲気である。


 さすがに昨夜ほどのパニックにはならない。

 ……はずだった。


「ルシエラ、絶対に無理はするな」

「はい」

「少しでも疲れたらすぐ言え。俺が抱えて帰る」

「はい」

「誰かに絡まれたら俺を呼べ。斬る」

「はい」

「できれば最初から、一歩も俺の傍を離れるな」

「最後だけ難易度が高いです。トイレに行けません」


 隣を歩くクロード様は、本日も平常運転で過保護の圧が激重だった。


 私は半ば慣れた顔(限界オタクの諦め)で返事をしながら、会場へ足を踏み入れる。

 今夜のドレスは昨夜より少し落ち着いた、夜空のような青みがかった銀色だった。

 左手には、ドラゴン産の婚約指輪が誇らしく装備済み。

 そして私の隣には、当然のように王国最強の騎士様が、私を庇うように立っている。


 大丈夫。

 たぶん、今夜も無事に終わる。


 そう思っていた、その時だった。


「――お姉様っ!!」


 優雅な晩餐会の空気を引き裂くような、ヒステリックな甲高い叫びが響いた。


 私は反射的にビクンと肩を跳ねさせる。


 会場の入口付近。

 招待客たちが驚いてざわめきながら、不快そうに左右へ割れていく。

 その中央を、高級なドレスの裾を泥で汚し、髪を振り乱しながら駆け込んでくる人影があった。


 妹の、セレフィナだった。


 ◇ ◇ ◇


「な、何事だ?」

「ルミナス伯爵家の次女……」

「まさか、あれが噂の『偽聖女』か?」

「王宮の警備は何をしていた! なぜあんなものを入れた!」

「待て、ヴァレンティス卿の目が……」


 会場が一気に不穏な空気にざわつく。


 だが、その中心にいるセレフィナは、周囲の冷ややかな視線などまるで耳に入っていない様子だった。

 顔はひどく青白く、美しいはずの目の下にはドス黒い隈。

 以前みたいに華やかで、傲慢な自信に満ちた“聖女”らしさは、もう欠片もない。

 ただ焦りと憤り、そして醜い嫉妬だけで、血走った目をぎらつかせている。


「お姉様!」

「セレフィナ……」

「どうして! どうしてこんなことするのよ!」


 半狂乱で叫びながら、セレフィナはまっすぐ私へ向かって突進してくる。


 だが当然、その前にクロード様がすっと一歩出た。


「――止まれ」


 地を這うような、低い一言。

 ただそれだけで、会場の空気がぴんと凍りつき、物理的な重圧がのしかかる。


 セレフィナの足が、恐怖で一瞬だけ止まった。

 でも、彼女はすぐにギリッと歯を食いしばって、見当違いの怒りを叫び返す。


「邪魔しないでください! これは私たち姉妹の問題です!」

「違う」

「違わないわ! お姉様は、私の――!」

「俺の妻だ。貴様の所有物ではない」


 ぴしゃり、と。

 絶対零度の剣で切り捨てるような声だった。


 会場のあちこちで、「おお……」と息を呑む気配が広がる。

 けれどセレフィナは、もう己の破滅を前にして、そこまで冷静な判断力を保てていなかった。


「返してよ!」


 その言葉に、私は思わず目を瞬いた。


 返して。

 何を?


 次の瞬間、セレフィナは細い指を私へ突きつけて、恥も外聞もなく叫んだ。


「お姉様の魔力を、私に返してよっ!!」


 会場が、水を打ったようにしんと静まり返る。

 誰もが、そのあまりにも愚かで滑稽な言葉の意味を理解するのに、一瞬遅れたのだろう。


 でも私は、その意味が痛いほど分かってしまった。


 ……ああ。

 ついに大衆の面前で、自分から言ってしまったのだ、この子は。


 自分の誇っていた聖女の力が、自分だけのものではなかったことを。

 無能だと虐げていた私から、無意識に吸い取って流れていた『借り物』だったということを。


「セレフィナ」

「お姉様がいなくなってから、私、全然魔法が使えないのよ!?」

「…………」

「屋敷はカビだらけだし、お父様たちには怒鳴られるし! なのにどうして、お姉様ばっかり……! どうしてそんな綺麗なドレスを着て、涼しい顔で立っていられるのよ!」

「…………」

「返してよ! 私の聖女の力! それがないと、私、ただのゴミになっちゃうじゃない!」


 魂を削るような、悲鳴みたいな叫びだった。


 会場の貴族たちが、「自白したぞ」「やはり偽物だったか」「なんと浅ましい」とざわざわと嘲笑交じりに揺れる。

 当然だ。今の言葉だけで、すべての答え合わせが完了したようなものだから。


 私はしばらく、何も言えなかった。


 哀れだとは思う。少しだけ、かわいそうだとも思う。

 でも、それ以上に――静かな怒りが、腹の底から湧き上がってきた。


 私がどれだけ、屋根裏部屋で消耗していたか。

 どれだけ不当に、魔力も体力も奪われていたか。

 この子は今まで、ただの一度も考えなかったのだ。


 それなのに今さら、自分が困ったから「返して」と言うのか。

 私が無償で提供して当然だと、本気で思っているのか。


 前世のパワハラ上司と、完全に同じだ。

 私が過労で倒れる寸前まで働かせておいて、いざ私が現場を抜けたら「お前がいないと回らないだろ! 無責任な奴め!」と激怒して責めてくる。

 違うだろう。

 私が抜けても回るように、正当な対価を払って環境を構築しなかったそっちが100%悪いのだ。


 胸の奥で、カチリと、静かに何かが切り替わる音がした。


「……返しません」


 自分でも驚くほど、静かで、冷たい声が出た。


 セレフィナが、はっと信じられないものを見るように目を見開く。

 私はもう一度、一言一言、はっきりと言い渡した。


「返しません」

「なっ……」

「だって、それは最初から『私のもの』です」

「……っ!」

「貴方のものじゃない。今まで勝手に盗んでいたものを、さも自分の権利のように要求しないで」


 言えた。

 ちゃんと、理不尽に対して「NO」と言えた。


 セレフィナの顔が、ぐしゃりと醜く歪む。

 悔しさと怒りと、今まで見下していた姉に逆らわれたという信じられない感情が、全部まざった顔だった。


「うそよ……! そんなの、そんなの、お姉様のくせに……!」

「その言い方、もうやめて」

「え?」

「『お姉様のくせに』って、貴方はずっとそればっかりだった」

「な、何よ……」

「私は、貴方の引き立て役になるために生きているわけじゃない」


 その瞬間、左手の指輪が、私の心に呼応するようにふわりと淡く光った気がした。


 そして同時に、胸の奥からじんわりと、あたたかな力が満ちていくのが分かる。

 怒っているのに、不思議と頭はすっきりと冷えていた。

 たぶん、もう無理をして自分を押し殺さなくていいからだ。クロード様が隣にいるからだ。


「私はもう、貴方たちのために、一秒たりとも働きません」

「でも! お姉様がいないと、私、このままじゃ――」

「知らない」


 会場がまた、水を打ったように静まり返る。

 たぶん皆、あの大人しかった私が、こんなに冷酷に言い切ると思っていなかったのだろう。


 でも、口に出してしまえば、案外すっきりとしたものだった。


 そうだ。

 知らない。知る必要もない。自業自得だ。


 今までずっと、私は「知らない」「やりたくない」と言えなかった。

 でももう、言っていいのだ。私の人生を取り戻すために。


 ◇ ◇ ◇


 その時だった。


「っ、だったら……!」


 セレフィナの表情が、悪鬼のようにひどく歪んだ。


 嫌な予感がする。

 そう思った瞬間には、もう遅かった。


 彼女は半ば叫ぶように呪文を唱え、私へ向かって両手を突き出した。

 掌に浮かんだのは、かつての美しい光魔法ではない。

 どす黒く濁った、灰色混じりの不快な光だった。


「セレフィナ様!?」

「やめろ!」

「まさか、こんな御前で攻撃魔法を――!」


 周囲の貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。


 でも、私はその光を見た瞬間、妙に冷静に観察していた。


 ああ、汚い。

 と、純粋に思った。


 以前のセレフィナの光は、私の魔力を吸っていたから、もっと表面だけは綺麗だったはずだ。

 きらきらして、派手で、いかにも聖女らしく見える都合のいい光。

 でも今、彼女の手にあるそれは違う。

 焦りと嫉妬と、私への理不尽な憎悪が、そのまま魔力になって腐臭を放っているみたいに濁っている。


「お姉様が悪いのよっ! お姉様さえ消えればっ!」


 ドス黒い光が、矢のように放たれる。

 会場が悲鳴に包まれる。


 ――けれど次の瞬間。


 ぱあっ、と。

 私の体の周囲から、極めて自然に、太陽のような白金の光が防壁となって広がった。


 意識して防ごうとしたわけではない。

 ただ、あんな汚いものに「触れられたくない」と本能が拒絶しただけだった。


 その瞬間、私の内に眠る真の聖なる力が、主の意思に勝手に反応したのだ。


 セレフィナの放った濁った光は、私へ届く前に、圧倒的な白金の光の壁へ触れて――。


 ジュワッ!! と、汚物が焼却されるような音を立てて、一瞬で跡形もなく浄化された。


 それだけではない。

 反動のように広がった私の光が、まるで意思を持っているかのように、セレフィナ自身をふわりと包み込む。


「え……?」


 セレフィナが、ぽかんと間抜けに目を見開いた。


 白金の光は、ひどく優しかった。

 優しいのに、一切の嘘を許さない容赦のなさがあった。

 隠していたもの、偽っていたもの、自分を大きく見せるために纏っていた濁った殻を、すべて洗い流してしまうような、絶対的な光だった。


 次の瞬間。


 セレフィナの体をまとっていた薄っぺらい魔力の膜が、ぱりぱりと音を立ててガラスのように崩れ始めた。


「な、なに、これ……!」

「まさか……」

「偽装が……完全に剥がれている?」

「残っていた聖女の加護の残滓が、浄化されて消えていく……?」


 神殿関係者たちが、畏怖に満ちた声で息を呑む。


 セレフィナの髪を飾っていた見栄えだけの光の粒が消え、肌を覆っていた薄い神聖力の錯覚が、ボロボロと剥がれ落ちる。

 彼女の周囲にあった“聖女らしさ”というメッキが、全部、ただの上辺の偽物だったと、何百人もの前で残酷に暴かれていく。


「いやぁぁぁっ!! 見ないで!!」


 セレフィナが顔を覆って悲鳴を上げた。

 けれど浄化の光は止まらない。

 その体に絡みついていた濁った魔力だけを的確に浄化し、最後には、本当に『何も』残さなかった。


 白金の光がすうっと消えた時。

 そこに立っていたのは、華やかな聖女でも、眩しい天才魔術師でもない。


 ただ、魔力を持たず、焦りと恐怖で泣きそうな顔をして震えている、ひどく平凡で惨めな、一人の少女だった。


 ◇ ◇ ◇


 会場が、息をする音すら聞こえないほど静まり返る。


 誰もが、はっきりと見てしまったのだ。

 セレフィナの“聖女”が、ただの泥棒による上辺だけのメッキだったことを。

 そして、私の放った聖なる光が、いかに隔絶した『本物』であったかを。


「……これが、真聖女の浄化……」

「偽りを、文字通り根こそぎ剥がしたのか……」

「なんという神聖で、恐ろしい力だ……」


 神官たちの声が、感動と畏れで震えている。


 一方でセレフィナは、その場にへなへなとへたり込み、呆然と自分の何も出なくなった両手を見つめていた。


「うそ……」

「…………」

「うそよ……こんなの……」

「…………」

「私、聖女なのに……っ。みんなに愛される、特別なのに……っ」


 その虚しい呟きに、もう誰も、哀れみすら向けなかった。


 だって、さっき自分で暴露してしまったのだから。

「お姉様の魔力を返して」と。

 その上で今、こうして魔法によってすべてのメッキが暴かれた。もう、どんな言い訳も通用しない。


 すると、神殿の高位神官がゆっくりと冷ややかな顔で前へ出てきた。

 昨夜、私の力に触れて平伏したあの方だ。


「セレフィナ・ルミナス嬢」

「……っ」

「あなたは、真なる聖女ではありません。ただの、魔力窃盗の罪人です」

「や、やめて……違う……」

「これまで神殿があなたを見誤り、厚遇していたこと、王家に対して深くお詫び申し上げます」


 その言葉は、本来なら私へ向けられるべき謝罪だったのだろう。

 でも、今はまず、この『偽物』をこの場から排除し、秩序を正さなければならないという冷徹な響きがあった。


 セレフィナはぶるぶる震えながら、子どものように首を振る。


「違う……違うもん……! 私が聖女だもん……!」

「違わない」


 今度は、私がはっきりと言った。


 自分でも驚くくらい、冷たくて、落ち着いた声だった。


「貴方は、聖女じゃない」

「お姉様……助けて……」

「でも」

「…………」

「それで終わりじゃない」


 セレフィナが、すがるような、涙に濡れた目で私を見上げる。


 私は、ほんの少しだけ胸が痛んだ。

 ずっと一緒に育ってきた妹だ。無邪気に笑っていた頃の記憶も、少しはある。

 それでも、彼女自身の人生のために、言わなければと思った。


「聖女じゃなくても、生きていける」

「……っ」

「誰かから奪わなくても、メッキを剥がされても、貴方自身の価値はゼロじゃない」

「そんなの……」

「でも、今までみたいに、誰かを踏み台にして生きることは、もう絶対に無理だよ」


 私の突き放すような言葉に、セレフィナの顔がくしゃりと絶望に歪む。

 たぶん、私がもう二度と、彼女を甘やかす「都合のいい姉」には戻らないと、悟ったのだろう。


 そう。

 私はもう、何もかも許して笑って戻る姉ではない。

 突き放すべきところは、残酷なまでにちゃんと突き放す。


 彼女が本当に自分の足で前に進むためには、それが必要なのだから。


 ◇ ◇ ◇


「……十分だ」


 低い、底知れぬ怒りを孕んだ声とともに、クロード様が私の肩をガッチリと抱き寄せた。


 気づけば、会場のざわめきも、セレフィナの嗚咽も、少し遠く感じる。

 私の隣には、いつもの絶対的な安心感と温度があった。


 クロード様は、ゴミ以下の汚物を見るような冷えきった目でセレフィナを見下ろす。


「これ以上の醜態を、俺の妻の御前で晒すな」

「…………ひっ」

「俺の婚約者に攻撃魔法を向けた罪、万死に値する。次は、本当にその首を落とすぞ」


 その一言で、会場の空気が再びぴんと張りつめ、気温が下がった。


 若い近衛騎士たちが動き、セレフィナの周囲を完全に包囲する。

 彼女はもう抵抗する気力もないのか、泣き崩れたまま肩を震わせていた。


「神殿と牢獄へ引き渡します」

「うむ。厳重に拘束しろ」

「聴取と、魔力窃盗の確認を徹底的に行え」

「ルミナス伯爵家への処罰の記録も取るがいい」


 王家の側近たちが、冷酷に素早く動き始める。

 ああ、もうこれは完全に国家反逆レベルの“大事件”として処理される流れだ。

 王家主催の夜会乱入、真聖女への攻撃未遂、国家を騙した偽聖女発覚。

 どれを取っても、一族郎党破滅の重罪である。


 私はその光景を静かに見ながら、ゆっくりと長く息を吐いた。


 終わった。

 たぶん、これで本当に。実家からの呪縛は、完全に断ち切られた。


 セレフィナが、引きずられていく直前に、最後に一度だけ私を見た。

 そこにはもう怒りや傲慢さはなく、どうしようもない敗北感と、みじめさが滲んでいた。


「……お姉様は、ずるい」


 ぽつりと、そんなことを言う。

 私は少しだけ首を傾げた。


「何が?」

「だって、そんなの……最初からそんなすごい力を持ってるなんて……」

「…………」

「私、どれだけ頑張って取り繕っても、ああはなれないじゃない……」


 その言葉に、胸の奥がちくりと痛んだ。

 でも、すぐに思う。


 違う。

 違うのだ。


 私は最初からこの力を持っていたのかもしれない。

 でも、それを自由に使えたわけじゃない。これで誰かにチヤホヤされ、大事にされたわけでもない。

 貴方たち家族に奪われ、押し込められ、無いものとして、ゴミとして扱われてきたのだ。


 だから、これは“最初からチートを持っていたからずるい”のではない。


 私が耐え抜いて、ようやく取り戻しただけだ。

 私自身の、私のための人生を。


「……頑張る方向を、間違えただけだよ、セレフィナ」


 そう静かに答えると、セレフィナはもう何も言い返せなくなった。


 そのまま騎士たちに連行されていく背中は、かつての『天才聖女』の面影など微塵もない、ひどく小さく、弱々しいものだった。


 私はそれを見送って、ようやく肩の力を抜く。

 その瞬間、クロード様の太い腕が、しっかりと私を引き寄せた。


「よくやった」

「……また、それを言ってくださるんですね」

「事実だ。お前は立派だった」

「今日は、さすがにだいぶ疲れました……」

「分かっている」

「でも、たぶん……もう大丈夫です」

「そうか」

「はい。すっきりしました」


 私が小さく、心からの笑顔で頷くと、クロード様はほんの少しだけ、甘く目を細めた。


「帰るぞ」

「はい」

「今日はもう、誰にも会わなくていい。俺がお前を独占する」

「助かります……」

「甘いものを用意させる」

「勝利後の福利厚生が手厚すぎます……」

「当然だ。俺の妻だからな」

「やっぱり」


 思わず、限界オタクの私が少しだけ声を出して笑ってしまう。


 会場を出る時、周囲の貴族たちの視線は昨夜以上に、圧倒的な畏敬に満ちていた。

 でももう、その刺さるような視線は怖くなかった。


 私は真聖女で。

 クロード様の婚約者で。

 そしてもう、誰かの身代わりの引き立て役ではない。


 そのことを、今夜、セレフィナ自身が身をもって完全に証明してくれたのだ。


 だから私は、左手のドラゴンの指輪をそっと撫でながら、心の中で静かに呟いた。


 ――これでようやく、しがらみなく前に進めます。


 そしてもちろん。


 隣を歩く最強の婚約者様は、会場を出た瞬間に私を当然のように、周囲の目も憚らずお姫様抱っこで抱き上げて、

「今日はよく耐えた。屋敷に戻ったら、お前が溶けるまで徹底的に甘やかす」

 と真顔で恐ろしい宣言をしたので。


 私の波乱万丈なホワイト人生は、本日も大変に順調(供給過多)だったのである。



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