第25章:仮面の亀裂と最後の晩餐(ラスト・サパー)
【オク・ボナシ王宮 ―― 地下の隠し部屋】
黒檀の机の上で、蝋燭の炎が激しく揺れていた。部屋に集った五人の影から漏れる、焦燥を含んだ呼吸に煽られているのだ。
再び集結した仮面の貴族たちの間には、以前にも増して重苦しい空気が漂っていた。もはや高級煙草の優雅な香りはなく、机に散乱した報告書の束から放たれる、埃っぽい死臭だけが残っている。
「……ルークソウへの愚かな侵攻について、最新の報告はあるか、レイヴン(烏)」
獅子の仮面が沈黙を破った。その声は重く、抑え込まれた威圧感を孕んでいる。
烏の仮面は背もたれに身を預け、緊迫感の中にあって不気味なほど冷静だった。「もちろんだ。数時間前、包囲の準備を進めていたカエル軍は、マーベリー軍による火矢の奇襲を受けた。
兵站は灰となり、緊急要請を出した矢先に輸送部隊は全滅。十名の騎士の死亡が確認された。現在、カエルとその軍勢は、焼け焦げた薔薇の野で完全に孤立している」
「何だと!?」牛の仮面が机を叩きつけた。「馬鹿な! 王国の精鋭が、あんな辺境の小勢にこれほど早く追い詰められるなどあり得ん!」
「その情報は……確かなのか?」狼の仮面が、不安と困惑に声を震わせる。
「私の情報に狂いはない」レイヴンは短く答え、仲間たちの動揺を鼻で笑った。
「レオ、我々も動くべきだ!」猿の仮面が詰め寄る。「このまま傍観し、侵攻が完全な失敗に終われば、貴族議会における我々の地位も危うくなるぞ!」
「そうだ! この混乱に我々まで引きずり込まれるわけにはいかん!」ウルフもまた、財産と地位を失う恐怖を露にした。
密室の空気は凍りついた。仮面の裏側の視線が、一斉にリーダーであるレオへと注がれる。権力の構図を塗り替えかねない決断を待っているのだ。ただレイヴンだけは、結末を知っているかのように炎を見つめ続けていた。
レオはゆっくりと腕を組み、陶器の仮面の奥で目を閉じた。
「……待て」
ようやく、重い口が開いた。「今は静観だ。形勢はまだ四対六。軽率にどちらかの陣営に与すべきではない。勝者が完全に見えるまで、我々は安全圏で立ち回るべきだ」
レオは軋む椅子に深く身を預けた。
「そんな悠長な……!」タウルスが再び机を叩き、報告書の埃が舞った。「我々の利益のために、今すぐ手を打つべきだと言っているんだ!」
「タウルス、落ち着け。元騎士団長の貴公が焦る気持ちは分かる。この侵攻が潰れれば、議会で貴公の立場が問われるからな」モンキーが仮面の裏で小馬鹿にするような笑みを漏らす。
「貴様、モンキー!」タウルスが色めき立つ。「レオ、本気で観測を続けるつもりか? このままでは国が滅びかねんぞ!」
レオは暗い天井を仰いだ。
「タウルス、国が滅ぼうが我々の知ったことではない。我々自身が安全であれば、それでいいのだ。最初から我々は、多くの者を裏切ってここに集まっている。今さら純朴な正義感でも出したか?」
「レオの言う通りだ」ウルフが鋭く突き放す。
「我々は生存者であって、英雄ではない」
「……クソッ!」タウルスは一度だけ机を殴り、荒い息を吐きながら座り直した。
「レイヴン」レオが怒れるタウルスを無視して呼んだ。「工作員をさらに動かせ。この国の行く末、そして貴公が言っていた『サラ』という女が我々の地位に及ぼすリスクを見極めたい」
「サラ……?」
モンキーとウルフが、聞き慣れぬ名に顔を見合わせた。
「いずれ嫌でも知ることになるさ、その正体をな」レイヴンは冷淡に言い捨てて立ち上がると、黒い外套を翻して部屋を去った。
暗い回廊の柱の陰で、一人の男が待っていた。レイヴンの腹心であり、鰻のように狡猾な密偵、ルイスだ。
「ルイス、直ちにルークソウへ向かえ」レイヴンは振り返らずに命じた。「遠くから眺めるだけでは足りん。内部のシステムに食い込め。
あの『サラ』という女が、我々が下層地区へ放り出した『彼女』本人かどうか、この目で確かめたい」
「御意」
ルイスは短く応じ、闇夜を裂いて南へと馬を走らせた。
【王軍キャンプ ―― ルークソウ城門前】
カエル将軍にとって、時間は泥のように遅く感じられた。血塗られた最後通牒を送ってから二時間。ルークソウの城門は、墓標のごとく沈黙を保ったままだ。
降伏の白旗も、交渉の使者も現れない。
その静寂は、将軍の顔を直接殴りつけるような屈辱だった。
「……舐めおって。完全に無視するつもりか」
カエルは空の報告書を握りつぶした。
天幕の外の光景はさらに凄惨だった。
銀の鎧を輝かせていた精鋭たちは、今や歩く死体の群れだ。焼け残った薪に寄りかかり、目は落ち窪み、脱水症状で唇は紫色に変色している。
喉を鳴らして鳴く軍馬の悲鳴が、焦げ臭いキャンプに響いていた。
「将軍……」分隊長がふらつく足取りで現れた。「兵たちが……幻覚を見始めています。数時間以内に水と食糧を得られねば、剣を握る力さえ失うでしょう。……城を攻めるどころではありません」
カエルは城壁の外側に広がる村を見つめた。そこには平穏な時間が流れ、いくつかの民家からは夕飯の支度を思わせる煙が立ち上っている。それは、飢えた彼らを嘲笑っているかのようだった。
「……マーベリーめ、我らをここで干からびさせるつもりか」カエルは兜を乱暴に被り、瞳に怒りと焦燥を宿した。「奴が騎士の礼節で戦わぬというなら、我々も我々のやり方で必要なものを奪い取るまでだ」
カエルは天幕を飛び出し、剣を高く掲げた。沈みゆく太陽の光が、震える刀身に反射する。
「全軍、聞け!」
掠れた声だが、捕食者の威厳はまだ死んではいない。
「ルークソウは騎士の誇りを捨てた! 我らを飢えさせ、独りで宴を楽しんでいる! 夜明けまで待つ必要はない! ターゲットは目前の村だ! 食糧を奪え! 水を奪え! 運べぬものはすべて焼き尽くせ! 今夜、我々は冷たい地面の上では寝ぬぞ!」
兵士たちから、弱々しくも獣のような歓喜の声が上がった。空腹が彼らの論理を塗り潰したのだ。隊列も組まず、飢えた狼の群れと化した騎士たちが、無防備な村へと雪崩込んでいく。
カエルは先頭に立って馬を駆り、静まり返った集落へと突入した。家の扉は固く閉ざされ、村全体が運命に絶望し、息を潜めているように見えた。
「門を壊せ! 突入だ!」
村の境界を越えるなり、カエルが命じた。
扉を蹴り破り、中に押し入った騎士たちを待っていたのは、焼きたてのパンとワインの瓶が並ぶテーブルだった。持ち主が恐怖で逃げ出した直後のような、無防備な食卓。
騎士たちは理性を失って略奪し、水を飲み干し、貪るように食らいついた。
カエルは馬を降り、勝利の雄叫びを上げる部下たちの光景を見つめた。彼はこのラウンドに勝ったのだと確信し、薄く笑った。
だが、穀物倉庫の二階、暗闇の中から一対の冷徹な瞳が将軍を監視していた。ハンスは音もなく短剣を抜き、各家の地下室に潜む数十の影に合図を送る。
ハンスは、夜風のような微かな声で囁いた。
「……存分に愉しむがいい。貴公らにとって、それが『最後の晩餐』だ。……サラ様が、温かい棺桶を用意してお待ちだぞ」
カエルはふと、村の中央で足を止めた。背筋に冷たいものが走る。略奪の喧騒の中に、奇妙な違和感があった。
(待て……。村人は一体、どこへ消えたのだ?)




