第44話・蟲王の目覚め
龍の放ったブレスが血反吐を吐いて倒れた男を焼き尽くす。その光景を誰もが幻視するほど決定的な未来だった。
しかし、現実はその予想を裏切った。ブレスが直撃する瞬間、男の体が白く輝き突如膨れ上がる。
ブレスが当たろうともその勢いは止まらず、ブレスを押し戻す勢いで膨張していく。龍も異変を感じてブレスが止めるが、膨張は止まらず最終的には龍をも上回るほどの大きさまで膨れ上がった。
そして、膨張が止まると輝きが収まりその姿を現す。
龍よりも大きな物体の正体は繭だった。周りの地面へと糸を張り、白色の糸で作られた殻状の巣だ。
あまりに場違いな物の出現に龍も顔をしかめて、様子を伺う。すると繭に亀裂が入り、眠っていた住人が外の世界へとその身をさらす。
この瞬間、真の意味で今代の蟲王が目を覚ました。
蟲王は龍に似てはいるが、異形というべき姿だった。その体は龍より一回りほど大きく、透き通るように白い。
形状は龍に近いが、身体の一部ずつが別のものへと置き換わっていた。
頭部は龍のそれとほぼ同じだが、龍の顎門の口端に蟻のような鋭い大顎が付いている。目は片方が3つずつ、合計6つの赤い複眼が辺りを見回していた。
前脚は4本あり、一対の腕は龍のものとほぼ同じだ。違いといえば爪が二股に分かれ鉤爪のような形状になっていることくらいだ。
しかし、もう一対の腕は龍のものとは大きく違う。肘から先が蟷螂の腕のような大鎌のものへと変わっており、死神の鎌を彷彿とさせる。
背中には昆虫独特の葉脈に似た翅脈が通った翅が皺の入った状態で2対、合計4枚生えている。
尻尾は3本に分かれており、それぞれが蠍の尾に似た形状で先端は如何なる物でも尽きさせそうなほどに鋭い。
一見キメラのような姿だが、その姿はどこか一つの生き物として完成されているように思える。
「ハァァァァ」
蟲王は大きく息を吐き、天を見上げる。すると体色が瞬く間に白から虫襖に色づいていく。
皺の寄っていた翅もゆっくりと伸びきり、倍近くの大きさになる。やがて全身が色づき硬化し終わると、一切の感情も籠もっていない瞳を目の前の龍へと向けた。
そこには蟲王であった男の意思はなかった。あるのは剥き出しになった本能だけだ。
「グァッ」
龍は感じたことない圧力を感じて、蟲王を敵と見なして威嚇した。しかし、蟲王は何ら動きを見せない。ただ、その複眼で龍を見つめているだけだ。
龍は知らない。目の前の存在が自身の父である竜王と同格の存在であることを。
龍は知らない。蟲王の持つ強大な力を。
知らぬが故に龍は攻撃をするという最も愚かしい行動を選択する。
龍は空中で静止した状態で口に魔力を収束し始めた。時間が経つとともに口に高密度の魔力が集まっていく。
明らかな敵対行動とも言えるが、蟲王は虚ろな瞳でみつめるだけだ。
やがて、龍は集められた魔力が光を放ち始めた頃にその口を開いた。
「ギュアァァ」
龍は蟲王へと向けて、咆哮とともに白炎のブレスを放った。先ほどよりも収束されたそのブレスは一直線に蟲王へと向かっていく。
蟲王はそのブレスを避けることなく真正面から受け止める。
光線状のブレスは目標へと直撃し、強い輝きを放つ。ブレスは貫通することなく、水しぶきのようにあたりに分散して飛び散っていく。
強い輝き故に蟲王の容態を伺い知ることはできないが、龍は確かな手応えを感じていた。ブレスが直撃しようともブレスを止めず、より一層勢いを増して放ち続ける。
ブレスを吐き続けること十数秒、ようやくブレスが止み蟲王の姿を視認できるようになった。
その瞬間、龍は愕然とする。
無傷。
龍からすれば、ブレスをあれだけ受け続けたのだからそれ相応の損傷を期待していた。にもかかわらず、確認した蟲王の損傷は一切無い。
溜めを要した万全の状態からの必殺のブレス、今までこの一撃を受けて死ななかった者はほんの一握りしかいなかった。
その生き延びた者でも、多大な損傷を負って瀕死になる者ばかりだった。
しかし、この目の前の生き物はそのブレスを正面から受け続けたにもかかわらず、些細な欠損すらない。
龍は言い知れぬ恐怖を覚えた。数百年間生きてきて、敵わない者にも幾度か会った。とはいえ一度敗れることはあっても、その時には未来が見えた、自分がいつか勝つ未来が。
敗れた者には再戦し、そして勝ってきた。自分が敗れ、いまだ勝てていない者は父親たる竜王ただ1人だった。
その竜王相手ですら、彼女にはいずれ超える自信があった。
しかし、この生き物は違う。竜王であっても自分のブレスを無傷で受けきることはできない。それだけのブレスを受け続け、傷1つない存在。
この生き物と幾百、幾千と戦おうと自分は永遠に勝てない、そう感じてしまった。
言い知れぬ恐怖を感じながらなんとか思案を巡らせる龍に対して、蟲王の動きはひどく緩慢だった。
ブレスを受けた自らの胸をゆっくりと見つめ、ブレスの余波でガラス化した地面へと視点を落とす。
あまりに愚鈍なその姿は寝起きで寝ぼけているように見える。実際に蟲王はまだ微睡みの中にいた。
しかし、龍へと視線を移した瞬間に6つの目が見開かれ、異様な威圧感が辺りを包む。一瞬にして覚醒した蟲王は本能のままに敵へと殺意を放つ。
「グオァァァァァァ!」
蟲王の咆哮が響き地面を揺らす。そして、背中に携えた2対4枚の翅を大きく広げ、後脚を地面へとめり込ませる。
次の瞬間には、凄まじい速さで龍の元へと飛翔した。優に音を超える速さで龍との距離を一瞬で縮めていく。
蟲王は速度を落とさず、すれ違いざまにその大鎌を振り抜ける。
恐怖と驚嘆により硬直した龍は反応することができず、その一撃を腹部へと受けてしまう。
「グァッ」
大鎌によって斬り裂かれた傷から、赤い血が飛び散る。龍は大きな傷を負いながらも何とか体勢を整えて、後方へ抜けた蟲王の姿を確認する。
すると蟲王は大きく息を吸い込み、口へと魔力を溜めているところだった。それは龍のブレスの準備に酷似したもので、龍に似た蟲王の姿からもブレスと予想される体勢だった。
龍は負傷した状態では回避は難しいと考え、守りの姿勢をとる。その龍に向けて、蟲王はその顎門を開けた。
「キィィィィィィィィィン」
その顎門から放たれたのは熱線でも光線でもなかった。音、金切り音にも似た高音の音が放たれた。
物だけでなく、空間が軋むような爆音。ただの音ではなく、音に魔力を乗せた音のブレスだ。音という空気の振動に魔力を乗せると魔力の分散が早く、射程範囲は狭い。
その代わり、射程内にいるものには無慈悲な防御不能の攻撃となる。回避ではなく守りに入っていた龍へと、音のブレスは直撃した。
鱗が震え、弾け飛ぶ。皮膚や翼も裂け、大量の血潮が飛び散る。音は外傷をもたらすだけでなくその影響は内部まで響き、骨も軋ませ内臓へも傷を与える。
「ギュアァァァァ」
龍は初めて受ける音のブレスにたまらず悲鳴を上げる。何とかブレスの軌道から逃れようと、より高く飛翔する。
その龍の様子を見て、蟲王はブレスを止めて次の攻撃を開始した。
「ギュアァァ」
蟲王が4本の腕と翅を大きく広げ、声を上げると、蟲王の左右に黒い渦が発生した。
ブウゥゥゥゥゥン
その渦の中から蜂、蠅、蚊、虻、羽虱、羽蟻、他にも様々な虫が群れを成して飛び出した。黒い霧にも見える虫の群れは、龍へと襲い掛かっていく。
手負いの龍はそれを滅するためにブレスを放つ。このブレスは範囲を広げるために収束していない炎のブレスだ。
虫たちは広範囲のブレスを前に塵となっていくが、それを補うようにして黒い渦からまた新たに虫の群れが生み出される。
白炎のブレスと生み出される虫は僅かな間拮抗していたが、ブレスは息を吐き出し続けているようなもので長時間放ち続けられるものではない。
龍に限界が訪れ、ブレス途切れるのを境にその状況は一転した。
ブレスが止んだ瞬間に遮られるものがなくなり、虫は龍へと襲いかかる。
虫には龍の鱗を突破するだけの力はない。しかし、龍には妖刀や大鎌で斬られた大きな傷がある。虫はその傷をえぐるようにして龍の肉を貪り喰らう。
「キュァァァァ!」
龍は虫を払いのけるようにして、今までとは比較にならないほどの白炎を身に纏う。
白炎は即座に集る虫を焼き、消滅させていった。龍は大半の虫を焼き殺し、残りの数も僅かになったところで背中に激痛を感じた。
咄嗟に振り返ろうとするが、何故か高度を保てずに身体がみるみる落下していく。
降下しながらもなんとか動かした視線の先には、血の滴る龍の片翼を咥えた蟲王がいた。龍が虫に気を取られているうちに、蟲王は龍の片翼を食いちぎったのだ。
龍は翼が無いためうまくバランスが取れずに、無様に地面へと衝突する。
「グァ…」
衝突によって砂煙が舞う中、龍は苦しげに唸った。
蟲王はその龍へとむかって急降下し始めた。龍は満足に受け身をとれなかったため、即座に体勢を整えることができていなかった。
その結果、上空からの蟲王の激突をもろに受ける。再び粉塵が舞い、傷口から激しく流血する。
蟲王は龍を馬乗りになる形で押さえつけていた。出血が酷く、龍にはすでに蟲王を振りほどく力は残っていなかった。
その代わりに、口へと残りすべてのMPを込める。力の逃げ場がない至近距離でブレスを放つつもりだった。
しかし、蟲王は龍の悪足掻きすら許してはくれなかった。ブレスを放つ前に蟲王の3本の蠍の尾が龍の横腹へと突き刺さる。尾は脈打つようにうねり、毒を龍へと注入していく。
すると即座に毒が回り、収束した魔力は霧散し龍は意識を失った。
蟲王は意識を失い無防備な龍の首へと食らいつこうと顎門を開き顔を近づける。
「カナ……ん…」
その直後、どこか聞き慣れた甲高い女性の声が蟲王の耳に入る。蟲王は龍のへの攻撃を中断し、声のした方向へと顔を向ける。
すると、蟲王の視界には一人の魔物の姿が映った。
「カナデさん、戻って来て下さい!」
その声を誘因としたのかは分からないが、蟲王の瞳には理性が灯り始めていた。
「…ア…リ……シ…ア…」
蟲王はそう呟き、後ろ向きへと倒れた。その大きな体は塵のように消えていき、そこには1人の少年が横たわっていた。
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