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第3話 麗しき日 後編

 ミハイルを追ってジローは廃工場のさらに先、鬱蒼とした林の中を走る。

「止まれ!」

 ジローは前を行くミハイルに向けて叫んだが、止まるはずも無い。ミハイルの速度はジローの全力疾走よりも速く、差は広がって行く。

 拳銃を前に突き出し、ジローは走りながら発砲した。狙いが定まらない銃撃はかすりもせず、ミハイルが怯んだ様子も無かった。

 2発目、3発目。やはりミハイルには当たらない。距離も広げられる一方で、ジローがミハイルを見失うのは時間の問題だった。

 そしてミハイルが林を抜け、その身を陽光で輝かせた。それを追い、ジローも体力を振り絞って走る。

 林を抜けた先にあったのは、雑草の生い茂った野原。その先に、道は無かった。

「終わりだ」

 銃を構えたジローが、ミハイルに宣告した。ミハイルはジローの方を向き、笑う。

「麗らかな日だね。こんな日に、こんな原っぱで、ホント、ボクは」

 何がおかしいのか、彼は笑い続けた。

「信じられないよ。何十年間もボクは暗がりを進んできたのに、太陽の下、自然の中にボクがいる。吸血鬼には許されない、そんな風景の中に」

「……そうだ。お前には、許されてない」 

「それを決めるのは君でも、他の誰でも無いよ。決めるのはきっと、神様さ。神様が許してくれたから、ボクは吸血鬼なのに太陽の光を浴びることが出来る」

「……」

 ジローは無言で発砲した。その銃弾は容易に、かわされた。

「懲りないね、君も」

 回避から一転、ミハイルがジローへと駆ける。身体を切り裂こうとする吸血鬼の爪が、ジローへ迫った。

 その攻撃が当たる直前、ジローはミハイルの腕を引っ張り、地面に向かって勢い良く投げ飛ばした。吸血鬼の速度を逆に利用した、受け流しの技術であった。

 ミハイルが体勢を整える前に、ジローは拳銃を撃つ。しかしミハイルは身体を捻って弾を避け、再びジローへと飛びかかった。

 今度は身体を屈め、ジローはミハイルの下をくぐるようにして攻撃をかわした。そして、発砲。ミハイルはジローから飛び下がり、距離を取った。 

「驚いたな。ジュードーというやつかい?」

「対吸血鬼用柔術、相手の速度を利用した逮捕術の一種だ」

「なるほど、吸血鬼との戦いに慣れているようだね、日本の警察は」

「恐らく……認めたくないが、あの2人のおかげだろう」

「ああ、そうだろうね。本当に、変な吸血鬼だと思うよ」

「俺もそう思う」

「ふふっ」

 ミハイルは笑いを漏らし、そのまま咳き込む。口元を、右手で抑えた。

「……」

「どうした?」

「いや……思ったよりも早かったな、って」

 そう言ってミハイルは、ジローに向かって右手を開いた。

「……血を吐いたのか?」

「ああ」

 再び咳き込み、ミハイルは地面に膝をつく。そして、横に倒れた。

「大丈夫か!」

 駆け寄るジロー。それを見たミハイルが、笑みをこぼす。

「どうして……心配するんだい?」

「犯人を捕まえるのが警察の仕事であって、殺すのは仕事じゃ無いんだよ」

「ははっ、まったく、君もあの子と同じくらい、変な奴だね」

「弾が当たっていたのか?」

「いいや……日光のせいさ。皮膚は耐性を持つことが出来たけど、身体の内部はそれほど日光に耐性が無かったらしくてね……何年も前から細胞の一部が悪性に変異して、ボクの体内を破壊していたのさ」

「それを知ったから、自分の組織を裏切ってまで羽鳥智恵に会いに来たのか?」

「理由の1つに過ぎないよ。たとえ自分の滅びが近づいていなくとも、ボクは彼女に会いに来ただろう」

「症状を抑える方法はあるのか」

「無いよ。大量の血を吸っても、何日も日の光を浴びなくても、症状は収まらなかった。消えるのは、もはや運命だったんだよ。神様はやっぱり、吸血鬼を太陽の下で生かしてはくれなかった」

 ミハイルは、笑った。

「でも、面白い人生だった。吸血鬼になってからは辛いことや苦しいことばかりだったけど、智恵のおかげで人間の心を失わずに済んだ。笑いも痛みも、薄れることはあっても失われることは無かった」

「……そうか」

「そうだ……あの子に伝えて欲しいことがある。あの、幸せな吸血鬼に……」

「何だ」

「どうか人間らしく生きて欲しい、と」

「……わかった、伝えておく」

「そう、安心したよ……」

 目を閉じたミハイルが、穏やかな表情を浮かべる。その皮膚が、日光によって次第に焼け爛れていく。

 ジローはミハイルの身体を抱え、日陰へと移動した。だが身体の崩壊は止まることなく、ミハイルの美しい容姿を消し去っていく。

 麗らかな日の光の下、可哀想な少年は静かに、その滅びを迎えた。


 ミハイルの遺体を処理班に任せ、ジローは車へと戻った。後部座席では遮光シートで全身を隠した2人の少女が寝息を立てている。

 ジローは車を発進させ、廃工場を後にする。向かうは、少女たちの帰る場所。

「……ジロー?」

 少女のうちの片方、麗美が目を覚ます。

「起きたか」

「良かった……無事だったのね」

「のんきに寝てた奴の言うセリフじゃねぇな」

「ごめんなさい……」

 本当にすまなそうに、麗美が言った。それは普段の彼女が決して見せない態度でもあった。

「……あいつから、遺言を預かった」

「ジローが倒したの……?」

 首を横に振って、ジローは否定する。

「俺は倒せなかった。結局、あいつも太陽を完全に克服してたわけじゃなかったんだよ」

「そう……あの人も、吸血鬼の運命に打ち勝ったわけじゃ無かったのね……」

「……あいつが言っていた。人間らしく生きてくれ、ってな」

「……そんなの、言われなくたってわかってるのに」

 麗美は黙り込み、車内に沈黙が訪れる。車の駆動音だけが、響いていた。

「なぁ、麗美」

「……なに?」

「お前は幸せな吸血鬼なのか?」

「なにそれ。急に変なこと聞くのね、ジロー」

「あいつがお前のことを、そう言っていたんだよ」

「幸せな吸血鬼、ね……確かに、自分が幸せ者だと思う瞬間はあるわ」

「それはどんな時だ?」

「う~ん……それは、秘密」

「おい」

「幸せだと感じたら、その時に教えるわ」

 3人が乗った車は、家路を進む。麗美と蘭子が幸せに暮らせる、彼女たちの住処へ。

 難しいことを学ばず、辛い労苦を課せられることもなく、他人を傷つける技を磨くこともない。真っ赤な飢えも、真っ白な恐怖も、真っ黒な悪意も、そこには無い。吸血鬼の色に染まらず、人間として生きることのできる場所。麗美と蘭子の、無垢な聖域。

 ジローの車は走り続けた。くだらなすぎる、それでも楽しい日常を過ごせる、あの部屋に向かって。

 麗しき日々に、向かって。



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