第3話 麗しき日 前編
麗美と蘭子は吸血鬼の姉妹である。
生活の保障と引き換えに国家への協力を要求された2人は、社会に紛れて人を喰らう無法の吸血鬼たちと長年戦ってきた。
その結果、吸血鬼による犯罪は激減し、姉妹の仕事はもっぱら自宅警備と宅配受取になった。
この物語は、そんな哀れな吸血鬼姉妹の姉、麗美と、
妹、蘭子と、
対吸血鬼班の刑事であるジローの壮絶な戦いを記した事件録である。
逃げ出した吸血鬼の少年、ミハイルを追って、麗美は住宅地を駆ける。夜も終わりに近づいてきた町は人の姿こそ見えなかったものの、目覚めた人々の立てる生活音が家々の中からわずかに聞こえていた。
日常の風景を、2匹の怪物が走り抜ける。次第に家屋は少なくなり、畑の間を通る道へ、そしてさらに人の気配の無い放棄地へとミハイルは逃げ続ける。
そして最後にたどり着いたのは、廃屋と化した工場らしき建物であった。
「この辺りが終点、かな」
振り返るミハイル。麗美は息を切らせながらも、どうにか彼を見失うことなく追い詰めることに成功した。
「君はなぜ、ボクを追いかけたんだい?」
「それが、私の仕事だからよ」
「同じ吸血鬼なのに、君はボクに不自由を強いるわけかい」
「吸血鬼である以前に、私には私の生き方があるのよ」
「それが他人の自由を奪う行為であったとしても?」
「吸血鬼はそもそも人間の自由を奪う存在でしょ?」
その言葉に、ミハイルは麗美を見据えた。
「返す言葉が無いよ。その通り、ボクら吸血鬼は人間から何かを奪う存在だ。それでもボクは、自由でありたいと思う」
「ジローに捕まっても私や蘭子が説得すれば、貴方も私たちみたいにのんびりとした生活が送れるかも知れないわ」
「ありえないよ」
首を振ってミハイルは否定した。
「それは君らが、何十年にも渡って人間に協力した結果だろう? ボクのような殺人を繰り返した吸血鬼に同じ待遇を与えるなんて、考えられないよ」
「だけど……」
「ならば君らはどうだったんだい? 人間に協力し始めた頃、君らはどんな扱いを受けた?」
「……」
麗美はその当時を思い出しているのか、表情を固くして微かに俯いた。夜風が地面の雑草を揺らしながら、2人の横顔に当たる。
「最初は確かに……牢屋みたいな所で暮らしたわ。人間らしい生活なんて、お世辞にも送れたとは言えない。だけど、だけどそれでも、私たちは人間らしく生きていけると信じていたわ。悪い吸血鬼を倒しながら、いつか自分たちを人間だと認めてくれると信じていたの」
「それで、今の生活があるんだね」
「そうよ。私と蘭子は人間らしく生きるために頑張った。それが報われて、今は幸せな生活が送れているの」
「ボクも数十年かければ、君らと同じようになれると言うのかい」
「ええ。私たちがその証拠よ」
「だけど、やはりボクは君らのようにはなれない。君らは吸血鬼を倒した成果が認められ、人間に受け入れられた。でもボクには人間に捧げる、そのような成果など生み出せない。もしあるとしても、それは人殺しの成果だ。それでは、今までと同じことだ」
「……」
「ボクはもう、人を殺さない自由を手に入れたいんだよ」
ミハイルが悲しげな笑みを浮かべる。それを見た麗美が、哀れみを湛えた表情でこう言った
「……貴方は、可哀想な人なのね」
「……」
その言葉は、羽鳥智恵がミハイルに言った言葉そのものであった。
「だけど私は、貴方を捕まえる。貴方がどんなに不幸な人だったとしても、逃がしたりしない」
「情けはかけない、ということかい」
「貴方を逃がせば、誰かが傷つく。人間として、それは見過ごせないわ」
「君は人間では無いよ」
「もう、人間同然よ」
「……わかったよ」
ミハイルが両手を広げる。手錠の鎖はいつの間にか切断されており、彼の両手は拘束されていなかった。
「君を、倒させてもらう」
そう言った直後、ミハイルは麗美に向かって走り出した。人間を超えるその速度に対し、麗美は幻影の釘を自分とミハイルとの間に無数に生やして対抗する。激痛を与える釘の道、だがミハイルの速度は全く衰えることは無い。
飛び上がったミハイルが、右手で構えた手刀を麗美の首に向かって放つ。麗美は自身の右手の甲に釘を発生させ、その拳をミハイルの手に叩き込む。
驚異的な速度の手刀と、貫きの痛みを与える拳。その激突が起こした反動が、両者を離れさせる。
「さすがに痛いね、この一撃は」
地面に着地したミハイルが、右手を振りながら言った。対する麗美は地に膝をつき、右手を左手で抑えた。
「ボクはまだ行けるよ」
麗美が目の前の地面からミハイルに向かって、大量の幻影の釘を発生させた。集中的に、流れるように。ミハイルは後ろに跳んでかわしたが、釘の流れは彼を追い続ける。
「厄介だね」
大きく上に飛び、ミハイルは廃工場の屋根に上がる。それを追って麗美も屋根へと上がり、ミハイルに向かって殴りかかりながら彼の足元に釘を発生させる。
足元と正面からの攻撃。釘に貫かれたミハイルに、麗美の拳が迫る。
軽く、受け止められる。
「やっぱり君では、ボクに勝てないよ」
力の差は歴然としていた。
「ボクは痛みに耐えて生きてきた。太陽を克服したのも、その痛みに慣れた結果さ。だけど君はそうじゃない」
遠くの空が白くなって行く。夜明けが、迫っていた。
「ボクは吸血鬼としての運命から逃げられなかった。だから今、その運命を克服するだけの力を手に入れている。君のように吸血鬼としてではなく、むしろ人間として幸せに生きることの出来た者に、そんな力は無いんだよ」
麗美は残った手で、ミハイルに殴りかかる。当たる前に首を掴まれ、彼女は持ち上げられた。
「朝日が昇る。その麗しき光は、君には毒だ。吸血鬼としての苦痛から逃げた、君には」
夜明けの最初の光が2人を照らした。麗美の肌が、炎に焼かれるように爛れていく。
「っ……!」
「さよならだよ」
首を掴まれ、日に晒されたまま、麗美は屋根の端まで連れて行かれる。ミハイルが麗美を持った腕をさらに高く振り上げ、そして振り下ろす。
日に焼かれながら、麗美は落ちていく。硬い地面が、彼女を迎えようとしていた。
そこに乱入する、走る鉄の塊。
「ふべっ!」
麗美は車の屋根に落ち、蘭子のような変な声を出してバウンドした。結局地面に落ちた麗美だったが、車の上で跳ねたことが幸運し軽傷で済んだ。
「大丈夫か」
遮光シートを持って車から降りてきたのは、麗美の持つ携帯電話の位置を追って来たジローだった。
「遅いわ、もう……」
「悪い」
「でも、タイミングだけは最高だったわ……」
渡された遮光シートにくるまりながら、麗美が言った。
「お前は車の中で待ってろ」
「戦うつもり……?」
「ああ」
「無茶よ……」
「だとしてもだ」
屋根から飛び降りたミハイルが、ジローと麗美を一瞬見た後、その反対側へと逃げ出した。
「行ってくる」
「ダメ……!」
麗美が掴もうとしたジローの足首は、それよりも早く動き出していた。
「ジロー……」
麗美には遠ざかるジローの姿を見つめることしか出来ない。
陽光の下で、麗美はただの弱々しい少女でしか無かった。




