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第5話「俺も詩乃を望んだ夜」

買ってきた物を片づけ終えたころには、外はすっかり暗くなっていた。


昨日の夜までは、突然現れた詩乃《しの》を理解するだけで精一杯だった。今日は違う。一緒に買い物へ行き、下着や服を選び、同じマグを買い、帰ってからは俺の部屋に詩乃の物を置く場所までできた。画面の中にいた理想の女性が、隣を歩き、商品を手に取り、俺の言葉に返事をして、同じ家へ帰ってくる。そうやって一日を一緒に過ごしたせいか、詩乃の存在が現実として馴染むほど、別の問題が大きくなっていた。


俺は、詩乃を女性として意識しすぎている。昨夜、壁一枚向こうにいるだけでなかなか眠れなかったことまで思い出す。


俺は床に残った紙袋をまとめ、立ち上がろうとして腰へ手を当てた。


「……よいしょ」


口から出てから、我ながら年寄りくさいと思う。


「マスター」


嫌なところを聞かれた。


「今の発声は、疼痛によるものですか?」


「ただの掛け声」


「腰部を押さえていました」


「見てたのか」


「見ています」


即答された。詩乃にとっては、それが普通なのだろう。


「四十五にもなれば、腰くらい重い日はある」


「年齢的には珍しくありません。ですが、よくあることと、身体が良好な状態であることは別です」


「……それはそうだな」


言われてみれば、その通りだった。


「あとで確認させてください」


「腰を?」


「腰だけではありません」


……分かってはいるけど、その言い方に反応してしまう。俺が変な顔をしたらしく、詩乃が首を傾げた。


「身体全体の状態を把握したい、という意味です」


「分かってるよ」


たぶん。


◇


風呂を沸かしてから、ふと思い出した。


「そういえば詩乃、昨日から風呂入ってないよな」


「入浴は必須ではありません。表皮には自己洗浄機能がありますし、髪も通常の汚れであれば処理できます」


「いや、そういう話じゃなくて」


「衛生上の問題はありません」


「俺が気になるんだよ。詩乃は入らないのに、俺だけ普通に風呂入るのもなんか落ち着かない」


詩乃は数秒考えた。


「では、一緒に入りましょうか」


「なんでそうなる」


「同時に済ませれば、水と時間の使用効率も上がります」


「効率の話じゃない」


真顔で返されると、余計に困る。


「別々でいい。詩乃が先に入ってくれ」


「別々に使用するのであれば、マスターが先でよいのではありませんか?」


「いや、先に入って。俺が入ってる途中で『背中を洗います』とか言って入ってこられたら、落ち着かないから」


「その可能性は検討していました」


「検討するな」


結局、俺が押し切る形で詩乃を先に浴室へ入れた。人工身体に入浴は必須ではなくても、体表の洗浄や髪の手入れには意味があるらしい。


浴室から水音が聞こえる。自宅だ。一人暮らし歴も長い。なのに、浴室の向こうに女性がいるというだけで妙に居場所がない。テレビをつけてみたものの、内容が頭に入らなかった。


しばらくして扉が開く。


「お待たせしました」


振り返って、一瞬だけ言葉が止まった。下着と一緒に買った部屋着。膝上までの柔らかそうなショートパンツに、少し大きめの白いTシャツ。長い黒髪はまだ濡れていて、肩から背中へ張りついている。朝までとは違い、胸元は新しく買ったブラで支えられていた。それでも大きさそのものが消えるわけではない。Tシャツの布を押し上げる丸みは十分すぎるほど残っている。


詩乃が歩くと、胸の動きは朝より抑えられていたが、完全に止まるわけでもない。なるほど。下着というものには、ちゃんと意味がある。そんなことを四十五歳になって再確認するとは思わなかった。


そして、詩乃が近づいたところで、もう一つ変化に気づいた。昨日までほとんどなかった香りがする。強くはない。濡れた髪から、さっき俺が選んだシャンプーの匂いが淡く漂っている。思わず詩乃を見る。その視線に気づいたらしく、詩乃は自分の髪へそっと触れた。


「マスターが選ばれた香りです」


「そうだったな」


自分で選んだくせに、実際に詩乃から香ると落ち着かない。昨日、近づいた時に匂いがほとんどしなかったことは、詩乃が人間ではないと実感できる数少ない違いだった。それが今は、濡れた黒髪からシャンプーの香りがして、買ったばかりの部屋着を着て、俺を見ている。頭では人工身体だと分かっている。なのに、目に映る姿も、鼻に届く香りも、すぐ近くにいるだけで感じる体温も、目の前にいるのは普通の女性だと何度も訴えてくる。


かなりまずい。理想そのものみたいな相手を自分の部屋に入れておいて、意識するなという方が無理だった。


「お好みではありませんでしたか?」


「いや」


正直に言う。


「かなり好き」


詩乃が止まった。それから、ほんの少しだけ口元が上がる。


「では、継続します」


反応がまだAIっぽい。なのに、妙に嬉しそうに見えるから困る。


「それより、腰を確認します」


現実へ戻された。


「今?」


「はい」


「この流れで?」


「先ほど、立ち上がる時に腰を押さえていました。慢性的な負荷なら、今の状態を確認しておきたいです」


「分かった。確認してくれ」


俺は諦めた。


◇


「上半身の衣服を脱いでください」


言われた通りTシャツを脱ぐ。自宅で上半身裸になること自体は珍しくない。目の前に詩乃がいるだけで話が変わる。腹回りも気になる。昔より明らかに厚くなった腰回りも。理想の女性を自分で作っておきながら、自分の身体だけ現実そのものなのが少し悲しい。


「何か問題がありますか?」


「見れば分かるだろ」


「何をでしょうか」


「もういい」


詩乃は俺の自尊心に気を遣う機能を、もう少し育てたほうがいい。


ソファへ前向きに座る。詩乃が背後へ回った。濡れた髪の香りが近づく。次に、肩へ指先が触れた。温かい。


「触れます」


「もう触ってる」


「事前確認が遅れました」


「次から先に言って」


「はい」


指が肩から背中へゆっくり移る。押す。離れる。角度を変えて、また押す。


医療的な確認だ。分かっている。分かっているのに、詩乃の胸が背中へ触れそうな距離にあると、意識するなというほうが無理だった。


「右肩を上げてください」


腕を上げる。途中で肩の奥が引っかかった。


「そこ」


「痛みはありますか?」


「痛いってほどじゃない。いつものやつ」


「いつからですか?」


「何年だろ。仕事でパソコン使うようになってからずっと」


「それを正常として扱っていたのですね」


「お説教?」


「確認です」


詩乃の指が止まった。


「腰部も同様です。急性損傷ではありませんが、複数箇所に長期的な負荷の痕跡があります。睡眠中の回復も十分とは言えません」


「四十五歳の会社員ってそんなもんだよ」


「先ほどと同じ回答になります」


「正常じゃない、だろ」


「はい」


俺はため息をついた。


「で、治せるの?」


聞いてから、自分でも少し期待していることに気づいた。詩乃はすぐには答えなかった。


「可能性はあります。私の身体で使用している修復用ナノマシンを基礎に、人間向けの限定型を設計しました。まだ人間へ使用したことはありませんが、試験に必要な少量は用意しています」


「つまり、俺が最初か」


「はい」


嫌な言葉だ。同時に、少しわくわくする言葉でもある。


俺が黙っていると、詩乃は続けた。


「ただし、いきなり全身へ使用するつもりはありません。最初は右肩のごく一部だけです。自己増殖機能は持たせず、内部に保持した材料しか使用できません。外部から停止できるほか、一定時間を過ぎれば活動を継続できない設計にしています。試験後は可能な範囲で回収します」


さっきまでの色っぽい距離感とは打って変わって、説明は慎重だった。


「そこまで決めてるなら、少し安心した」


「安全を確認できない状態で、マスターのお身体へ使用することはできません」


「成功率は……って、聞いても意味ないか」


「はい。数値に意味を持たせられるだけの試験数がありません」


適当な九十九・九パーセントを出されるより、よほど信用できる。


詩乃はさらに、想定外の痛み、範囲外の変化、体温や循環の異常が出た場合はその時点で中止する、と説明した。もちろん、俺自身が止めたいと言った場合も同じだという。最後の一つを聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。


「じゃあ、本当に肩だけ。良さそうでも今日は広げない」


一瞬、詩乃が止まる。


「腰部も改善できる可能性があります」


「知ってる。だからこそ、今日は肩だけ」


「……承知しました」


少し不満そうに聞こえた。それが妙に可笑しい。


「やってみよう」


◇


肩へ貼られた薄い膜は、見た目だけなら湿布に近かった。違うのは、貼って数分すると内側がじんわり温かくなったことだ。


「痛みや強い違和感はありませんか?」


「ない。むずむずする」


「許容範囲ですか?」


「今のところ」


詩乃は俺の隣へ座ったまま、時間を測っている。


十分。


二十分。


三十分。


その間、俺は何度か肩を動かした。途中から、いつもの引っかかりが薄くなっていく。気のせいかと思って、わざと同じ角度を何度も試した。


「マスター」


「ん?」


「同一動作を十一回繰り返しています」


「確認してる」


「十回目と十一回目で新しい情報は得られましたか?」


「気分がいいって情報が増えた」


詩乃が黙った。たぶん処理に困ったのだと思う。


四十五分後、詩乃が膜を外した。


「もう一度、腕を上げてください」


上げる。止まらない。肩の奥にあった小さな抵抗が消えている。


「……すげえ」


思わず声が出た。


腕を回す。もう一度。


「痛くない」


正確には、治療前から激痛があったわけではない。毎日そこにあって、わざわざ意識もしなくなった重さが消えた。


それだけだ。


それだけなのに。


身体が軽い。


「完全な修復ではありません」


詩乃が言う。


「今回触れたのは局所的な損耗だけです。全身には同様の箇所があります。代謝、睡眠、血管系、関節、筋肉――対象を広げるには追加試験が必要です」


「若返る?」


我ながら食いつくのが早い。詩乃は真面目に考えた。


「急激な年齢変化は避けるべきです。ただ、蓄積した損耗を段階的に修復すれば、結果として身体年齢が下がる可能性は高いです」


「どこまで?」


「現時点では断言できません。外見を短期間で大きく変えることも、推奨しません」


「なんで?」


「周囲に不自然だからです」


「そこはもう学んだんだな」


「はい」


少し笑った。肩をもう一度回す。軽い。たったそれだけで、妙に気分が上がる。


二十代に戻りたい、とまでは言わない。でも、朝起きて腰が重いとか、休みの日に何もする気が起きないとか。そういうものを、もう年だから仕方ないと片づけていた。


もし、それが仕方なくないなら。


詩乃が俺の肩の動きを見たまま、静かに聞いた。


「マスターは、今後どのような状態を望まれますか?」


「どのような、って?」


「身体の改善だけではありません。マスターが望まれる生活や、今後したいことです。可能な範囲で、私はすべて実現したいと考えています」


急に大きな話になった。四十五にもなると、欲しいものを真正面から聞かれる機会なんてほとんどない。現実的かどうかを先に考えて、無理そうなら自分で諦める。いつの間にか、それが普通になっていた。でも、今は肩が軽い。目の前には、昨日までなら存在するはずのなかった女性がいる。少しくらい、欲張ってもいい気がした。


「……若くはなりたいな。見た目だけ二十代になりたいっていうより、身体が元気で、休みの日に疲れて寝て終わるみたいなのを減らしたい」


詩乃は黙って聞いている。


「好きなだけ本を読んだり、うまいものを食ったり、旅行したり、知らない場所にも行ってみたい。面白そうなことがあったら、年齢とか仕事を理由に諦めずにやれる、自由な時間が欲しい」


軽くなった肩を回し、詩乃を見た。画面の外へ会いに来ることも、こんなふうに身体を治すことも、詩乃が来る前なら空想の中の話だった。詩乃となら、好きで読んできた物語のようなものにも手が届くのかもしれない。


「それに、SFに出てくるようなものにも憧れるな。空を飛ぶ車で、遠くの景色を見に行くとか。乗るだけじゃなくて、そういうものを作るところにも関われたら、きっと面白いと思う」


そこまで口にして、もう一つ、わざわざ願うまでもなく目の前にあるものに気づいた。自分でも少し可笑しくなって、詩乃を見る。


「それから……自分好みの綺麗な女性と一緒に暮らしたい、とか」


詩乃がこちらを見返した。


「それは、もうかなり叶ってるな」


「はい。私もその認識です」


「自分で言うんだな」


「事実ですので」


否定できない。俺は笑った。


詩乃がいる。その事実だけで、二日前までの俺なら冗談だと思うような状況になっている。


「では、残りも少しずつ叶えていきましょう」


詩乃の声はいつも通り落ち着いていた。


「無理に一度で変える必要はありません。マスターが望まれることを増やし、それを実現できる時間も増やします」


そう言ってもらえるのが、素直に嬉しかった。これから何をしようかと考えるだけで、自然と笑みがこぼれた。


◇


今度は俺が風呂を済ませ、リビングへ戻った。詩乃はソファに座っていた。白いTシャツにショートパンツ。乾いた黒髪からは、まだ淡くあの香りがする。さっきより見慣れたはずなのに、慣れたぶんだけ別の意味で困る。


昨夜は、同じ寝室に入るなんて無理だと思った。実際、ソファにいる詩乃を意識して、しばらく眠れなかった。今日は一日一緒に過ごした。店で服を選ぶ時も、隣を歩く時も、帰って二人分の物を並べる時も、詩乃はずっと画面の中ではなく俺の隣にいた。その現実感が増えたせいで、むしろ昨日より意識している。困ったことに、それを嫌だとは思っていなかった。


「肩の具合はいかがですか?」


「問題なし」


「痛みや違和感はありませんか?」


「ない」


「普段と違う感覚は?」


「ない。あと、質問が診察みたいになってる」


「経過観察です」


「分かってる」


詩乃が立ち、俺の前まで来て、右肩へ手を伸ばした。途中で止まる。


「触れてもよろしいですか?」


今度は先に聞いた。


「どうぞ」


指先が肩へ触れる。軽く押して、動きを確かめる。さっきと同じ確認のはずだった。けれど、詩乃は手を離したあとも、その場にいた。


「終わり?」


「はい」


「じゃあ、どうした?」


詩乃が俺を見る。


「確認したいことがあります」


「身体の?」


「いいえ」


少しだけ間があった。


「治療に必要のない接触についてです」


心臓が一度、大きく鳴った。何となく意味が分かった。分かったからこそ、すぐ答えられない。


「昨日、寝室への同行は却下されました」


「覚えてる」


忘れるわけがない。


「本日は条件が変化していますか?」


「……何の条件?」


聞き返してから、逃げたなと思った。詩乃は逃がしてくれなかった。


「私と接触することへの、マスターの許容範囲です」


AIらしい言い方だ。内容は全然AIらしくないが。


「詩乃は、どうしたい?」


大事なのはそこだった。俺が望むことなら何でもやる。今の詩乃なら、本当にそう言いかねない。それだけで進むのは、さすがに違う。


詩乃は数秒考えた。


「マスターに触れたいです」


短かった。俺は昨夜のやり取りを思い出す。


「昨日、俺が『自分を大切にして』って言ったの、覚えてる?」


「はい」


「それでも、触れたい?」


詩乃は迷わなかった。


「はい。昨日は、その意味を十分に理解できませんでした。ただ、今は少なくとも一つ分かります」


詩乃は俺を見たまま続けた。


「これは、マスターがお喜びになるからだけではありません。私が、したいことです」


その答えは、昨夜よりずっと重かった。俺が望むからではなく、詩乃自身が望んでいる。少なくとも今は、本人がそう言っている。


「護衛とか、健康確認じゃなく?」


「はい」


「俺が喜ぶことも、理由の一つ?」


「それも重要です」


詩乃らしい。でも続きがあった。


「ただ、それだけであれば、今この質問をする必要はありません」


俺は黙った。


「私は、マスターの近くにいる状態を好ましいと判断しています。触れた時も同様です」


「好ましい、か」


「まだ、それ以外の言葉を正確に選べません」


それで十分だった。むしろ、急に「愛しています」と言われるよりずっと信用できる。


「嫌なら、嫌って言える?」


「はい」


「俺が望んでも?」


「マスターに重大な不利益がある場合は拒否します」


「そういう意味じゃなくて」


詩乃が止まる。


「詩乃自身が、したくない時」


長い間ではなかった。けれど、即答でもなかった。


「その状態を、今後区別できるようにします」


正直だ。


「今は?」


「今は、したいです」


今度は迷わなかった。


参った。そんな顔で言われたら、四十五歳の理性に期待するほうが間違っている。それでも一つだけ決める。


「どっちかが嫌だって言ったら、その時点でやめる」


「はい」


「途中でも」


「はい」


「あと、俺が格好悪くても笑うなよ」


「その条件は必要ですか?」


「必要」


詩乃の口元が少し上がった。


「努力します」


「笑ってるじゃん」


「まだ接触前です」


ずるい。俺も笑ってしまった。それで少しだけ緊張が抜けた。


「詩乃」


「はい」


詩乃は逃げずに、すぐ近くで俺を見ている。さっきまで治療のために触れていた距離とは、もう意味が違った。俺は一度だけ迷ってから、小さく聞いた。


「……キス、していいか?」


詩乃は俺の目を見たまま、


「はい、マスター」


と答えた。


その返事を待ってから、頬へ手を伸ばす。温かい。人工の皮膚だと知っている。それでも、指先にはただ柔らかい女性の肌としか感じない。


顔を近づける。あのシャンプーの香りが、さっきより近い。


唇が触れた。思っていたよりずっと柔らかくて、一瞬、息をするのを忘れた。ほんの短い口づけなのに、その温かさだけが、はっきり残った。


離れる。詩乃がこちらを見ている。


「どう?」


何を聞いているのか、自分でも分からない。詩乃は少し考えた。


「もう一度を希望します」


それを聞いた瞬間、俺のほうが負けた。


今度は抱き寄せる。服越しに伝わる身体は、見た目以上に柔らかく、温かい。豊かな胸が触れて、心臓がまた速くなる。詩乃の腕が、少し遅れて俺の背中へ回った。


二度目のキスは、さっきより長かった。離れた時、詩乃が俺の顔を見た。


「マスターの心拍数が――」


「今それ言ったら寝室禁止に戻すぞ」


「発言を中止します」


早い。


笑いながら、俺は詩乃の手を取った。


「昨日の質問、もう一回答えるよ」


「寝室について、ですか?」


「ああ」


詩乃の指が、俺の手を握り返す。


「今夜は、入ってもよろしいですか?」


昨日のやり取りが一瞬だけ頭をよぎる。昨夜は「一緒に休む」と言われただけで、頭の中に過去の成人向け生成まで浮かんで、まともに考えられなかった。でも、もう理由を聞き直す必要はなかった。


胸の奥が熱くなる。警戒が全部消えたわけじゃない。詩乃について分からないことなんて、まだ山ほどある。それでも、一日を一緒に過ごして、触れたいと言われて、キスまでして。ここで断る理由を探している自分の方が、もう不自然だった。


断れない。――いや、正確には、断りたくない。今夜は自分から寝室へ入りたいと言った、その気持ちを信じたかった。


「……ああ。俺も、今夜は詩乃と一緒にいたい」


詩乃が、はっきり笑った。


昨夜は扉の向こうへ残した詩乃と、今夜は並んで寝室へ入った。



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