第26話「俺が許せないのは技術のことじゃない」
クレルヴァントという名前が出てから二日。止めていた熱拡散材の適用開発も、警備の追加工事と俺の回復状況を相手先へ伝え、翌日から再開する方向で日程を組み直していた。身体はかなり戻ってきたし、工房の警備も以前より厚くなった。仕事を進めて次の資金を作るためにも、いつまでも事件だけを見ているわけにはいかない。
ただ、その前に確かめておきたいことがあった。工房の会議スペースで、俺は倉橋さんと外部弁護士をつないだ。画面の前にいるのは俺一人だ。
襲撃以降、詩乃は対外的な打ち合わせから外している。実際には壁を一枚隔てた作業室にいて、今日使う資料も、倉橋さんたちから内部共有の許可をもらったものだけを俺の端末から渡してある。会議とは別の小さなモニターには、詩乃が整理した日付や照合結果が、俺にだけ見える形で表示されていた。
『まず、確認できた事実だけに分けます』
倉橋さんが資料を共有する。
『襲撃より前に、神堂さんが見積もりを取った、あるいは実際に利用した会社のうち五社へ、神堂さんについての問い合わせが入っています。問い合わせ元の名義は四社。直接クレルヴァントを名乗ったものはありません』
その四社のうち二社には、役員の重複や過去の所在地、業務委託先などを通じてクレルヴァントとの接点がある。ただし、それだけで侵入事件をクレルヴァントが指示したとは言えない。
一件目は精密位置決めステージを扱う会社への電話だった。
『神堂真人という個人から、研究用途の問い合わせが来ていないか』
それだけなら、どこかで俺の名前を拾った可能性もある。だが、その後に『高真空環境で使う微細加工設備と組み合わせる予定だと聞いている』と続いていた。
俺の手元に、詩乃から短い表示が出る。
**連星技研登記前。高真空加工ユニット構成確定前。**
「これ、かなり早いですね。まだ設備構成を決める前です」
『設備会社側も、誰へ何を提案していたかは公開していません』
二件目は特殊材料の商社。三件目は工房の管理会社だった。問い合わせた側は、公開前の工房所在地まで把握していた。
襲ってきた連中も、工房へ入ると迷わず制御端末と試料棚へ向かった。それでも高精度微細構築式製造機《銀繭》そのものの役割や詩乃の存在まで理解していた様子はない。
核心ではない。その手前までの情報だけが、妙に揃っている。
四件目の資料を見た時、背中に嫌な冷たさが走った。海外企業との提携可能性を探るという名目で、熱拡散材の適用開発先へ問い合わせが入っている。そこには、以前、契約窓口とは別の関連部門を名乗る担当者から届いた照会も含まれていた。積層時の細かな配向条件、工程中の圧力条件、校正手順。契約で共有すると決めた範囲より、ずっと奥まで聞いてきたあの件だ。
当時は先方社内の行き違いかもしれないと考え、正式窓口から目的を確認してもらうだけに留めた。だが、今回並べられた問い合わせの時期と重ねると、同じ流れの中にあるように見える。
先方の担当者メモには、さらにこう残っていた。
『東都環境システム在籍の神堂真人氏が、勤務先へ届け出た有償の外部活動として進めている材料開発について確認したい』
「……この言い方、外へ出してましたか?」
『私は使っていません』
倉橋さんがすぐに答え、弁護士も続ける。
『適用開発先にも確認しましたが、「勤務先へ届け出た有償の外部活動」という説明を対外的に出した事実はないそうです』
手元の画面に、詩乃の表示が増えた。
**勤務先追加申告書と表現が近似。申告翌日から設備会社への照会開始。**
「この問い合わせ、私が勤務先へ追加申告した翌日から始まっています」
倉橋さんが日付を見比べる。
『本当ですね』
「偶然かもしれませんが、確認する価値はありそうです」
『現時点では偶然として扱います。ただ、勤務先へ提出した資料の閲覧履歴と取得履歴は保全してもらった方がいいでしょう』
弁護士の提案に頷いた。一瞬、芦屋常務の顔が浮かんだが、それだけで決めつけるつもりはなかった。
五件目には、俺が勤務先で担当していた設備分野についての質問まで残っていた。低温設備、熱設計、設備更新。それ自体は経歴からある程度推測できるが、公開されていない案件名を含むものもある。
工房、設備、材料、勤務先、外部活動、担当分野。一つだけなら決定的な情報ではない。でも、組み合わせれば、俺がどこで何をしているかはかなり見えてくる。あの日、侵入者がこの工房へ真っすぐ来られた理由も、それなら説明がつく。
「人事と法務の正式窓口へお願いします。警察にも今日の資料を追加で渡してください」
『分かりました。神堂さんは単独で確認に行かないでくださいね』
「はい。そこはもう十分懲りました」
倉橋さんが少しだけ笑った。
◇
通話を切ると、作業室から詩乃が端末を持って入ってきた。
「お疲れさまでした、マスター」
「詩乃もね。途中の表示、助かった」
「お役に立てて何よりです」
隣へ座った詩乃の端末には、クレルヴァントという名前が出てから続けていた照合結果へ、今日の問い合わせ記録が重ねられていた。
「今日の分を足すと、何か変わった?」
「はい。情報が外へ渡った経路について、一つ当たりがあります」
表示されたのは、芦屋常務の名前と複数の携帯回線だった。芦屋常務が会社へ届け出ている業務用携帯と、確認できる範囲の個人回線には、クレルヴァント周辺へ直接つながる記録はない。問題は、その下にあった。
十年以上前、芦屋常務が関係していた小規模な資産管理会社。その会社名義で契約された携帯回線が一本だけ、今も残っている。利用位置は平日の昼間なら東都環境システム本社周辺、夜間は芦屋常務の自宅周辺、出張日には移動先と重なっていた。
さらに、その回線から、クレルヴァントの日本向け技術調査案件を請け負っていた国内事業者の担当者へ複数回の発信がある。
最初に確認できる接触は、俺が勤務先へ外部活動の追加申告をした当日。その翌日に設備会社への照会。別の日の通話後には材料商社、その次には工房の管理会社へ問い合わせが入っている。
「……常務か」
口に出したあと、すぐに言い直す。
「いや。まだ決めつけるのは早いな」
「はい。回線の実使用者と、通話内容そのものは確認できていません」
「でも、かなり近い」
「私はそう判断しています」
数秒、画面を見たあと、別のことが気になった。
「詩乃。これ、どこまで調べた?」
詩乃が少しだけ黙った。
「……通信事業者側の非公開記録まで?」
「はい」
ため息が出た。怒るというより、困った方が近い。
「さすがに、そこまで勝手に入るのはやりすぎだぞ」
「申し訳ありません」
「今回は俺たちの安全に直接関わる話だから、責めるつもりはない。でも、次からは先に言ってくれ。俺も一緒に考えるから」
「はい、マスター」
詩乃の手を軽く握る。
「それと、これは外には出せないな」
「はい。正式な証拠として使用するべきではありません」
「会社側の閲覧履歴と、警察が取る正式な通信記録で同じ線が出れば、その時は使える」
「その認識で問題ありません」
今のこれは証拠ではない。ただ、どこを掘ればいいかは見えた。
◇
その日の夕方、東都環境システムの人事と法務から、事件に関係する可能性があるなら全面的に協力するという返事が来た。外部活動確認に関する文書の閲覧履歴、添付ファイルの取得履歴、関係者への転送記録まで確認するらしい。
少し遅れて、楠からもメッセージが入った。
『部長は調べに来なくていいですからね。会社側でやることは会社側でやります。今度勝手に来たら本当に追い返します』
思わず笑った。
「楠様でしょうか」
「うん。まだ部長扱いされてる」
「退職日までは部長です。それと、療養を優先していただく点では、私も楠様と同意見です」
「詩乃までそっち側か」
味方が多いのか、監視役が多いのか分からない。でも、悪い気はしなかった。
細い線が、ようやく一人の名前の近くまで伸びていた。
◇
その翌日、熱拡散材の適用開発は予定どおり再開した。まだ俺は重いものを持たず、試験片の製造も詩乃が中心だが、止まっていた工程が一つずつ動き始めている。
その日の午後、東都環境システムの法務から連絡が来た。社長、人事、法務を交えたオンライン会議へ参加してほしいという。倉橋さんと、事件を担当している外部弁護士にも同席してもらった。
顔には、詩乃が用意してくれた外見補正用の薄膜を使っている。画面に映る俺は、若返る前の四十五歳の自分とほとんど変わらない。退職前に余計な説明を増やす必要もない。
詩乃は今回も別室だ。全員が揃うと、社長が最初に口を開いた。
『神堂君。会社側で確認できた記録と、警察から共有を受けた範囲の事実を説明する。先に結論を言う。芦屋君が、君の外部活動に関する非公開情報を社外へ渡していたことは、会社として事実と判断した』
予想していた名前だった。それでも、実際に言葉になると胃のあたりが重くなる。
法務担当が共有したのは、俺が会社へ提出した外部活動の追加申告書だった。提出当日、芦屋常務のアカウントから申告書と添付資料へのアクセスがあり、その日の夕方には三つの資料が業務端末から外部記憶媒体へ書き出されていた。工房の住所を含む資料。設備・材料の調達先を説明した一覧。それから、会社との技術的な重複がないことを示すためにつけた、俺の過去担当案件の概要。
『閲覧自体は当時の権限内です。ただし、確認手順上、外部記憶媒体へ移す必要はありませんでした』
さらに、南第二倉庫の件で権限を外されたあとにも、俺の外部活動に関する過去資料へ二度アクセスを試み、システム側で拒否されていた。
次に表示されたのは、詩乃と俺が見つけていた第三の携帯回線だった。もちろん、詩乃の記録を会社へ渡したわけではない。警察が正式に通信事業者へ照会し、別の経路から同じ回線へ辿り着いていた。
『契約名義は休眠状態の小規模法人ですが、契約時の管理担当者と更新後の支払情報から、芦屋常務本人との関係が確認されています』
外部弁護士が続ける。
『その回線から、クレルヴァントの日本向け技術調査を請け負っていた国内事業者の担当者へ、複数回の通信が確認されています』
日付が並ぶ。俺の追加申告書へアクセスした日、第三回線から国内事業者へ連絡した日、設備会社、材料商社、工房の管理会社へ照会が入った日。前に詩乃と見た並びと、同じだった。
さらに国内事業者側は、芦屋常務から「勤務先の技術を流用して外部事業を進めている可能性がある人物について、競合調査をしてほしい」という趣旨の依頼を受けたと説明していた。会社が承認した調査ではない。
先方へ渡された情報には、俺の勤務先、工房所在地、設備調達先、材料商社、過去の担当案件名の一部が含まれていた。一方で、熱拡散材の製造条件や、|《銀繭》を含む現在の研究設備の具体的な構造は確認されていない。
俺の技術を流したわけではない。芦屋常務が流したのは、俺がどこにいて、誰と取引し、何を買い、どんな仕事をしてきた人間なのかという情報だった。それだけでも、俺へ辿り着くには十分だった。
「侵入事件について、常務が指示した証拠は?」
外部弁護士が首を横へ振る。
『現時点ではありません。国内事業者側も、調査結果の一部をクレルヴァント側へ報告したことは認めていますが、その後の実力行使については関与を否定しています。そこは警察の捜査範囲です』
「分かりました」
ここまでで確認できたのは、芦屋常務が外へ出した情報の一部がクレルヴァント側へ渡ったところまでだ。工房襲撃との因果は、警察が追うべき話だった。
◇
『本人にも入ってもらう』
社長がそう言って、数十秒後に画面が一つ増えた。芦屋常務だった。
『神堂君。ずいぶん大ごとにしたものだね』
社長がすぐに止める。
『芦屋君。今日は神堂君を責める場ではない』
法務担当が、申告書へのアクセス、外部記憶媒体への書き出し、第三回線、国内事業者との接触を一つずつ確認していく。
芦屋常務は途中まで否定しなかった。
『私は会社の利益を守るために確認しただけです』
『会社は依頼していない』
『会社の判断が甘かったからです』
一瞬、会議の空気が止まった。
『神堂君は長年、会社の技術部門で仕事をしてきた。その人間が突然、会社の外で異常な性能の材料を作り、大きな契約を取った。本当に全部を本人だけで生み出したものか、疑うのは当然でしょう』
「だから法務と知財で確認したはずです」
『結果が出る前の話だ』
「結果が出たあとも続けていますよね」
人事部長が、権限を外された後の第三回線から同じ担当者へ二度連絡があったことを示した。
『一度始めた確認を途中で止める方が無責任でしょう』
「会社が止めたあとも?」
芦屋常務はこちらを見た。
『そして君に都合のいい結論が出た』
「会社が決めた結論です」
芦屋常務の口が止まる。怒りより先に、ひどく小さく見えた。役職も経験も俺より上だった人が、最後まで、自分の思った結論にならなかったことを飲み込めないでいる。
社長の声が変わった。
『芦屋君。本日付で業務執行に関する権限を停止する。社内システムの権限も停止済みだ。役員としての処分は正式な手続に付す。警察から追加の照会があれば、会社はすべての記録を提出する』
芦屋常務の表情が初めて大きく動いた。
『私を切って、神堂君を選ぶということですか』
『違う。会社の情報を、会社の承認なく外部へ渡した人間について判断している』
退出する直前、芦屋常務が一度だけ俺を見る。
『神堂君。君の技術そのものを外へ渡したわけじゃない。それだけは勘違いしないでもらいたいね』
「分かっていますよ」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「あなたが流したのは、俺の技術じゃない。俺の居場所と、何をしていて、誰と取引しているかという情報です」
芦屋常務が何か言おうとしたが、その前に続けた。
「その情報が、その価値を分かる連中に渡った。そのあと、俺たちの工房は襲われた」
「もちろん、あなたが襲撃を指示したなんて言うつもりはありません。そこは警察が調べることです」
一度、息を吐いた。床に崩れた詩乃の姿が、脳裏に浮かんだ。俺のところへ来ることもできず、それでも必死に手を伸ばして、「マスター」と呼び続けていた顔まで鮮明に戻ってくる。
「でも俺は、自分が殴られて骨を折ったことより、俺の大切な人まで危険にさらされたことの方が、ずっと許せない」
芦屋常務の表情が固まった。さっきまでこちらを見下すようだった目が、わずかに揺れる。
「『技術そのものは渡していない』から何なんですか」
怒鳴ってはいない。それでも、自分でも聞いたことがないほど冷たい声が出た。
「もう二度と、俺たちに関わらないでください」
少し間を置いて、もう一つだけ付け加えた。
「俺たちだけじゃない。連星技研にも、取引先にもです。直接でも間接でも、こちらの周りを探らせるようなことはしないでください」
芦屋常務の顔が強張る。
「もし今後、こちらに関する不審な動きが一つでもあれば、全部記録を残して、弁護士と警察を通して正式に対応します」
脅すつもりはなかった。ただ、二度と同じことを繰り返させないために、曖昧にはしたくなかった。
芦屋常務は何も返さなかった。そのまま画面が消えたあと、社長は会社として改めて謝罪し、警察への全面協力を続けると約束した。
二十年以上いた会社の中で起きたことだ。会社そのものが芦屋常務と同じ方向を向かなかったことには、少し救われた。
◇
会議が終わり、倉橋さんと弁護士も画面から退出したあとも、俺はしばらく椅子から立てなかった。怪我はかなり治っている。身体が重いわけじゃない。ただ、何となく動く気になれなかった。
数分して、作業室の扉が開く。詩乃が何も言わずに入ってきた。
「終わったよ」
「はい」
「常務だった」
「はい」
それ以上説明しなくても、詩乃は全部聞いていた。俺は右手を伸ばす。
「詩乃、こっち」
近づいてきた腰へ腕を回し、そのまま引き寄せた。詩乃は抵抗せず、俺の膝へ横向きに腰を下ろす。
顔を肩口へ寄せると、いつもの柔らかな香りがした。詩乃の手が、ゆっくり俺の髪を撫でる。
少し時間が経つと、さっきまでの怒りが引いてきたせいか、今度は別のことが気になってきた。
「……ちょっと、言い過ぎたかな」
「いいえ」
「でも最後、結構きつく言っただろ」
「はい」
「はいって」
詩乃が俺の顔を覗き込み、少しだけ微笑んだ。
「とても格好よかったです、マスター」
「……そういう慰め方する?」
「慰めているわけではありません。本心です」
「そっか」
さっきまであれだけ腹を立てていたのに、今度は急に恥ずかしくなった。詩乃の肩へ顔を埋める。
「……何か、疲れた」
「はい」
「怒ってるのかどうかも、よく分からない」
「無理に決めなくてもよろしいと思います」
「うん」
会社がちゃんと調べてくれたことには救われた。社長も人事も法務も、楠も、俺を切り捨てなかった。二十年以上いた会社を、最後に全部嫌いにならずに済んだのは嬉しい。
でも、その中の一人が俺の居場所を外へ流していた。
「常務さ。最後まで、技術は流してないって言ってた」
「はい」
「そこじゃないんだよな」
詩乃の髪へ頬を寄せる。
「その価値が分かる連中に情報が渡ったから、あいつらは俺たちのところまで来たんだと思う」
「はい」
「俺だけじゃなく、詩乃まで巻き込んだ」
髪を撫でていた手が一瞬だけ止まり、また動き出す。
「マスター」
「ん?」
「私は、ここにおります」
短い言葉だった。その声を聞いて、ようやく肩の力が少し抜けた。俺は腕へ少しだけ力を入れる。
「もう少し、このままでいて」
「はい。いくらでも」
額へ柔らかな唇が触れた。
仕事の話も、警察の話も、クレルヴァントの話も、今だけは横へ置く。会社で起きたことの決着は、会社と警察に任せればいい。
俺の腕の中には詩乃がいて、詩乃の手はまだ俺の髪を撫でている。それを確かめるように、俺はしばらく動かなかった。
【カクヨム版・サイドストーリーのご案内】
本作品は「カクヨム」でも連載しています。
「小説家になろう」版では、掲載基準に合わせて一部の表現を調整していますが、物語の展開や設定に変更はありません。
また、カクヨムでは本編とは別に、詩乃の視点から描いたサイドストーリーも公開しています。
第1話は一般公開、第2話以降はサポーター限定公開となっています。
ご興味のある方は、作者プロフィールに掲載しているカクヨムへのリンクからご覧ください。




