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第11話「三番目を一番に」

金曜日の朝。いつもより三十分早い。昨夜、研究と事業の話を少しでも先へ進めたくて、「明日は少し早めに起こして。話を先へ進めたい」と詩乃《しの》に頼んでいた。


「マスター。六時十五分です」


「……ん」


目を開けたつもりが、また閉じかける。昨夜は寝るのが少し遅かった。


「現在、再入眠の兆候があります」


「……起きる」


詩乃はこういう時だけ、目覚ましより容赦がない。


食卓には、研究用の機材がまだ半分ほど残っていた。透明な製造容器、材料ケース、演算補助核へ伸びるケーブル。空いている側へ二人分の朝食を並べると、俺の皿と詩乃の皿の距離が妙に近い。詩乃は昨日までと同じように俺の隣へ座り、二人で同じ画面を見られる位置へ端末を置いた。


「昨日の続き、しようか」


「はい。何を商品として外へ出し、何を私たちだけの技術として残すか、ですね」


最初に表示されたのは、利益だけを優先した候補だった。身体修復用ナノマシン、演算補助核、補助電源。


どれも、使い方や詩乃の身体への影響をまだ確かめているものだ。収益が大きくても、今の商品候補にはできなかった。


「その三つは、今は候補から外しておこう」


「理由を伺ってもよろしいですか?」


「ナノマシンは論外。演算核も、中身を渡した後に誰が何へ使うか制御できない。補助電源も、今は詩乃の予備資源を使う部分が残ってる。補充方法が固まってないものを商品にする気はない」


「今回の使用後も、残量は安全域を下回っていません」


「安全かどうかと、商売に使うかは別だよ。一個売るたびに詩乃の中にしかないものが減るなら、利益が出ても嬉しくない」


詩乃が少し黙る。


「……合理的な判断だと思います。それと、マスターが利益より私を優先されたことを嬉しいと感じています」


そう言ってくれたのが嬉しくて、俺も頬が緩んだ。


「そういう気持ちも、聞かせてもらえると嬉しいよ」


「はい。これからも、お伝えしたいです」


詩乃の表情が少し和らぐ。その顔を見てから、俺は隣の画面へ目を戻した。


◇


危険度が高すぎるものを外しても、事業候補は三つ残った。短期の収益期待値で並べると、一位は企業向け設計最適化ソフトウェア、二位が耐摩耗性を上げる表面処理材、三位が薄い熱拡散用の積層材だった。


「詩乃なら、一位を選ぶ?」


「マスターの資産形成だけを優先するのであれば、一位を推奨します。初期設備が少なく、売上までの期間も短くできます」


「だよな」


俺は三番目を指した。


「でも、俺はこれがいい」


詩乃が画面から俺へ視線を移す。


「一つは、俺が仕事で見てきた分野に近いから。熱で困る場所なら、冷凍機の制御盤でも電源装置でも嫌というほど見てきた。材料そのものを研究してきたわけじゃないけど、客が何に困るかは想像できる」


「はい」


「それと、昨日の話」


精密型を作り直すには、今の詩乃だけでは難しい。市販の研究設備を基礎に、詩乃が改造できる装置を探す必要がある。特殊材料も、個人で適当に注文できるものばかりじゃない。


「この事業なら、電子材料、真空装置、精密加工、薄膜。詩乃が昨日言ってた『作るための設備と材料』に近い業界へ入れるだろ。ちゃんと商売として実績ができれば、今は個人じゃ相手にされにくい会社とも正規に話ができる」


詩乃が画面の端に、昨日まとめた再製造経路を小さく表示した。


「精密型の再製造環境へつながる取引実績を作る、という意味ですね」


「そう。金だけなら一位の方が早い。でも俺が欲しいのは、金だけじゃない」


「収益性の高い事業で資金を増やし、その後に設備を購入する方法もあります」


「それも分かる。でも、詩乃。それだと俺の利益を金額だけで決めてる」


詩乃が止まる。


責めるつもりではなかった。


「俺が金を欲しいのは、詩乃と安心して暮らしたいからだよ。詩乃に何かあった時に、設備がありません、材料が買えません、取引実績がありませんで終わりたくない。その道が事業と一緒に作れるなら、それも俺の利益だろ」


「……マスターの利益に、私の維持も含まれるのですね」


「少なくとも、俺はそう考えてる」


詩乃は数秒黙った。


「私は、マスターの利益を優先したつもりでした」


「分かってる。だから俺たち、優先順位の置き方が少し違うんだろうな」


俺は三番目の候補をもう一度指した。


「三番目でも十分商売になるなら、俺はこっちを選びたい」


「……承知しました。では、この案を第一候補へ変更します」


画面上で、熱拡散材が一番上へ移動した。


◇


俺にも、熱を広げる材料そのものは馴染みがある。制御盤でも電源装置でも、発熱部と放熱器の間に熱伝導材を挟むのは珍しくない。だから聞きたかったのは、何をする材料かではなく、詩乃の案がどこまで普通の材料と違うのかだった。


「制御盤や電源の半導体まわりならイメージできる。ほかに、どんな用途まで狙えそう?」


「サーバー、車載の電力変換装置、LED、高性能な携帯端末などが候補です。共通しているのは、狭い場所へ熱が集中しやすいことです」


詩乃が断面図を拡大する。細かな板状の層が何十枚も重なり、その間を細い柱のような構造がつないでいる。


「材料系統そのものは、現在でも熱管理に使われています。六方晶窒化ホウ素系の絶縁ナノシートを面方向へそろえ、厚み方向には高熱伝導セラミックの経路を配置します」


「つまり、熱源から受けた熱を横へ広げて、一か所に集中しにくくするわけか」


「はい。通常の複合材では、粒子の向きのばらつきや微小な空隙、材料界面で熱抵抗が増えます。私の製造では、ナノマシンで配向と接触面をそろえます」


専門用語は半分くらいしか分からないけれど、方向性は分かる。


「新しい冷却原理じゃなくて、今ある材料の熱の通り道を、普通じゃできない精度で整えるわけか」


「概ね、その理解で正しいです」


冷気を生むわけでも、熱そのものを消すわけでもない。局所的に熱くなる場所を作りにくくし、既存の放熱器や筐体へ逃がしやすくする。それなら、会社で見てきた設備へどう使えるかも想像できる。


「完成品の中には、動いてるナノマシンは残さないんだよな」


「はい。製造時には使用しますが、完成後は構造を固定した受動材です」


「外へ出すなら、そこは大事だな」


「はい」


「性能は、実際に試作品を作って測ってみないと分からないな」


「その通りです。設計値だけを商品性能として扱うべきではありません」


魔法みたいな説明をしないところも、俺には扱いやすかった。


「最初はこれでいこう」


「承知しました」


「売るのは材料の性能。作り方は渡さない。演算核、ナノマシン、補助電源も外へ出さない」


「はい、マスター」


線を引いてみると、少し安心した。金が欲しいから始めるのに、そのために詩乃や俺たちの先まで売ったら意味がない。


知財についても、そのまま続けて整理した。完成品から簡単に分かる形状や、周辺構造は将来権利化できるかもしれない。一方、ナノマシンによる配向工程や界面形成条件、製造時の制御パラメータは、特許へ書けば自分から解析材料を渡すことになる。


「中核は営業秘密にする?」


「はい。製造記録と条件データは暗号化し、閲覧主体をマスターと私に限定します。外部へ出すのは、寸法、絶縁性、熱抵抗、耐久性など、完成品の評価結果を中心にします」


「その辺は、実際に事業化する段階で専門家にも見てもらおう」


「はい」


全部を今朝決め切る必要はない。まず、作って売れるものか確かめる。


◇


会社へ向かう電車の中で、自分の銀行口座を確認した。普通預金と定期を合わせ、すぐ動かせる金はだいたい千二百万円。


昨日までは、研究と事業準備へまず三百万円くらい、と考えていた。ただ、詩乃から必要になりそうな設備の一覧を見せてもらうと、その数字では少し窮屈だった。


電源と換気を整えた作業場所に、温度、電力、絶縁性を記録できる比較試験環境。小型の真空容器と乾式ポンプ、加熱と加圧を一定にする治具、安全設備と材料保管。


精密型ナノマシンを作るための本格設備ではない。まず熱拡散材を安定して試作し、数字を残すための土台だけでも、それなりに金がかかる。


「……五百万くらいは見ておくか」


小さく呟く。生活資金まで突っ込む気はない。それでも、千二百万円のうち五百万円なら、今の俺には出せる。前の演算核の材料費も、この中へ含める。


金額を決めると、急に遊びではなくなった気がした。同時に、少し楽しくもなる。自分の金で、自分たちの未来を作る。会社の予算を動かすのとは、全然違った。


◇


会社の仕事は、大きなトラブルもなく進んだ。東湾の件は、清書と条件反映が中心だ。


昼休みに社内規程を確認すると、営利目的の外部活動は事前確認が必要と書いてある。当然といえば当然だ。しかも、今回選んだ候補は熱に関わる材料で、今の仕事とも完全な無関係とは言いづらい。


会社の設備も金も資料も使わず、会社で知った顧客へ、そのまま売り込みもしない。勤務時間中に試作しない。


「自分で考えたから俺のもの」で押し切るには、分野が近すぎる。


その場で総務の申請フォームを開き、勤務時間外の個人的な研究・試作として外部活動の届出を出した。まだ販売も契約もない。まずは研究を始めることと、その記録を会社側にも残しておく。


帰ったら詩乃にも話そう。


試作品を作って測り、第三者にも評価してもらう。売る段階へ進む前に、必要なら改めて会社との境界を確認する。面倒でも、後から会社に『それはうちの技術だ』と言われて揉める方が何倍も面倒だ。芦屋《あしや》常務の顔まで浮かんで、余計にそう思った。


◇


玄関を開けると、詩乃が待っていた。鞄と上着を預けながら、昼に出した外部活動届のことを簡単に話す。


夕食を終えて一息ついたところで、朝に決めた事業候補と資金計画をもう一度開いた。


「資金、確認した。事業と研究の初期準備は、五百万円までを目安にする。全部使うとは限らないけど、三百万では設備まで入れると足りなさそうだ」


「はい。私も、その程度の上限であれば余裕を持って構成できます」


「生活費は別にしておくよ。会社の手続きも進めて、売る前には必要な確認を済ませよう」


「承知しました」


詩乃が画面へ新しい項目を出した。


「もう一つ、資金確保の方法をご提案してもよろしいですか?」


「何?」


「投資です」


思わず詩乃を見る。


「……本気?」


「はい、マスター」


「どれくらいなら試せると思ってる?」


「まず百万円を運用試験へ分けることを提案します。信用取引や借入は使用しません。公開情報だけを使用し、勤務先や主要取引先に関係する銘柄も対象から外します」


「百万円か」


安くはないが、五百万円の設備予算とは分けて考えられる。


「最初はそれで試そう。結果だけじゃなく、どう判断したかも俺が見られるようにして」


「承知しました。判断根拠と、見送った理由も記録します」


「勝手に外部へ侵入したり、相場を動かすための注文を出したりするのもなし」


「はい。正規に提供された注文手段だけを使用します」


そこまで決めたところで、詩乃が画面を閉じかける。俺は止めた。


「もう一つ」


「はい」


「商品用の試作を増やす前に、精密型の残りをちゃんと点検しよう。この前、補充できないものがあるって聞いたし」


詩乃の手がほんの少し止まる。


「その確認を先に行う場合、試作開始は遅れます」


「急ぐのは、どうして?」


「設備と資金を早く整えれば、マスターの身体修復も、私の再製造研究も進められます」


「俺のため?」


「それだけではありません」


詩乃が俺を見る。


「私自身も、いつまでもマスターと共に在りたいです。マスターに仕え、そばで暮らし、守り、恋人として求めていただきたい。私からも、マスターを求めていたいです」


胸の奥が熱くなる。昨日、俺に言われて『私のためにも』と言い直した詩乃が、今日は自分からそこまで言った。


「研究は、そのため?」


「はい。研究そのものが一番なのではありません。マスターと共に在り続けるための手段です」


「そっか」


俺も詩乃の手へ、自分の手を重ねた。


「俺も、できるだけ長く一緒にいたい。詩乃が自分のためにも研究したいって言ってくれたのは嬉しい。でも、だからこそ、急ぎすぎて詩乃が減っていくのは嫌なんだ。これは俺のわがままだけどさ」


詩乃は何か言いかけて、重ねた手へ目を落とした。まだ急ぎたい気持ちもあるのかもしれない。それでも、俺の手を握り返した指は温かく、こちらを見た顔には小さな笑みが浮かんでいた。


「……はい、マスター」


「点検と保守用の金も、五百万の中で先に取る」


「はい」


詩乃が少しだけ俺へ身体を寄せた。


「マスター」


「ん?」


「もう少し近くにいてもよろしいですか?」


「どうぞ」


肩と膝が触れる。そのまま腰へ腕が回ったので、俺も肩を抱き寄せた。


「資金の話してたはずなんだけどな」


「必要な確認だと思います」


「それなら仕方ないか」


俺から唇を重ねる。短く離れると、詩乃の腕が少しだけ強くなった。


「もう一度、お願いします」


「そこは素直だな」


「はい」


そんなふうにまっすぐ求められると、どうしても顔が緩む。俺も詩乃をもう少し近くへ抱き寄せた。


今度は急いで離れず、さっきよりゆっくり唇を重ねる。触れているだけなのに、胸の奥までじんわり温かくなった。


◇


そのあと、今度は物件情報を開いた。まだ借りると決めたわけじゃない。週末に見に行ける、小さな工房を探すだけだ。


条件は、電源、換気、搬入経路、床の安定性に、作業台を二つ置ける程度の広さ。


「あと、詩乃がちゃんと休める場所」


「私は休憩を必須とはしません」


「必須かどうかじゃなくて。ずっと機械の横に立ってる場所を借りたいわけじゃない。疲れたら、二人で座って休めるくらいは欲しいだろ」


画面をスクロールしながら、ソファを置ける広さも条件へ加える。


詩乃は追加された項目をしばらく見ていた。やがて、ほんの少し口元を緩めて俺へ視線を戻す。


「でしたら、二人で座れるものを希望します」


「そこは希望するんだ」


「はい」


少し笑って、条件欄へ追加した。検索結果が三件まで減る。


食卓の端では、今日も俺のマグカップが材料ケースに押されていた。まずは、あれを普通に置ける場所からだ。




【カクヨム版・サイドストーリーのご案内】


本作品は「カクヨム」でも連載しています。

「小説家になろう」版では、掲載基準に合わせて一部の表現を調整していますが、物語の展開や設定に変更はありません。


また、カクヨムでは本編とは別に、詩乃の視点から描いたサイドストーリーも公開しています。


第1話は一般公開、第2話以降はサポーター限定公開となっています。


ご興味のある方は、作者プロフィールに掲載しているカクヨムへのリンクからご覧ください。

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