第8話 積み重なる嘘
◆五年分の記録
翌朝、ニールが財務室に戻ってきたとき、その腕には分厚い書類の束が抱えられていた。
「ヴェルナ街道沿いの土地に関する記録、五年分、全部出してきました」
「ありがとうございます。全部で何冊ありますか」
「集金記録が五冊、土地の管理台帳が三冊、それと——これは別の棚にあったのですが——測量記録が二冊です」
「測量記録も?」
「はい。かなり古いものと、三年前のものがあります」
慎は、まず測量記録から手に取った。古い方を開くと、十年以上前に作成されたもので、土地の面積と形状、用途が記されている。農地として分類されており、価値は標準的なものだった。
次に、三年前の測量記録を開く。
「……」
慎は、しばらく黙って、その記録を読んだ。
測量の目的欄に、こう記されていた。
「地下資源調査のための基礎測量」
そして、記録の末尾には、調査結果の要約が添付されていた。内容は、専門的な鉱物用語が並んでいたが、慎にはその意味が読み取れた。ある種の金属鉱脈が、地下に存在する可能性が高い、という内容だった。
「ニール、この測量記録は、誰が依頼したものですか」
「……書いてありますか?」
「依頼者の欄が、空白になっています」
ニールは首を傾けた。
「分かりません。バルト様の時代のものだと思いますが」
(三年前——バルトが横領を始めた時期と、ほぼ一致する)
慎は、集金記録を広げた。この土地からの税収が、年ごとにどう変化しているかを確認する。
一年目、二年目と、数字を追っていくと、明確なパターンが浮かび上がってきた。
三年前を境に、この土地からの税収が、毎年少しずつ減少している。だが、その減少の仕方が不自然だった。実際の農地収益が下がるなら、天候や作柄に合わせて上下するはずだ。だが、この記録は、毎年ほぼ同じ割合で、綺麗に減少している。
(作柄が影響する農地収益が、毎年同じ割合で減少する。これは、自然な変動ではなく、人為的な操作の跡だ)
前世の監査では、こういう「きれいすぎるパターン」を、不正の典型的な兆候として教わった。自然界は、こんなに綺麗な数字を生まない。
「ニール。この土地の、実際の農作物の収穫記録は、どこかにありますか」
「農地の管理台帳に、あるかもしれません」
「探してみてください」
慎は、手帳に数字を書き写しながら、仮説を組み立てていた。
(地下に鉱脈がある土地を、帳簿上は低収益の農地として見せかける。そして、安値での売却を正当化するための根拠を作る。これが、バルトに指示された不正の内容だったとすれば——)
土地の実際の価値と、帳簿上の価値の差。その差が大きければ大きいほど、売却によって誰かが不当な利益を得ることになる。
(その利益は、どこに行くのか)
◆エミリアの報告
午後、エミリアが財務室に入ってきたとき、その表情はいつもより複雑だった。
「ソフィア様と、お茶してきたわ」
「どうでしたか」
エミリアは、向かいの椅子に腰を下ろした。
「……あの方、賢い人ね。私が何かを探ろうとしているとは、気づいていないと思う。でも、話し方が、とても計算されていた」
「どんなことを話しましたか」
「最初は、ごく普通の話よ。王都の社交界の近況、季節の話、お茶の味。でも、途中から、さりげなく伯爵家の財産の話になっていったわ」
「財産の話、というのは」
「領地の管理が大変だとか、バルトがいなくなって財務が不安定だとか。そういう話の流れで、『将来のことを考えると、不要な土地は整理して、現金で持っておく方が安心よね』って」
慎は、手帳にメモを取りながら、頷いた。
「直接、売却の話は出ましたか」
「出なかった。でも、その方向に話を誘導しようとしているのは、明らかだったわ」
「具体的にどんな言い方でしたか」
エミリアは、少し思い出すような顔をした。
「『ジルは頭がいい子だから、きっと正しい判断ができるわ』って言われたの。伯爵様に、ではなく、ジル様に、という言い方で」
(私に——つまり、財務管理を担当している僕に、判断させようとしている、ということか)
慎は、そのニュアンスを頭の中で慎重に解析した。
ゲオルクに直接働きかけるのではなく、財務担当になった慎を経由しようとしている。それは、慎の判断を利用して売却を進めようとしているのか、あるいは慎を試しているのか。
「ソフィア様の様子で、他に気になることはありましたか」
エミリアは、しばらく考えてから言った。
「一つだけ。お茶の最中に、使用人が書状を持ってきたの。ソフィア様は、さっと中身を確認して、すぐに使用人を下がらせた。私には見えなかったけれど、封蝋の色が——」
「封蝋の色?」
「灰色だったわ。一瞬しか見えなかったけど、確かに灰色だった」
慎の手が、止まった。
(灰色の封蝋——『灰の方』——グレイ主教)
「エミリアさん、それ、確かですか」
「一瞬だから、自信は持てないけど……確かに、灰色だったと思う。それも、少し特殊な、くすんだ灰色で」
「……ありがとうございます。非常に重要な情報です」
慎は、手帳に書き込んだ。
『ソフィアへの書状——灰色封蝋。グレイ主教からの可能性』
まだ、確証ではない。だが、ソフィアとグレイ主教の繋がりを示す、最初の具体的な手がかりだった。
◆ロイドからの返信
夕方、ロイドから書状が届いた。
開封すると、内容は二つに分かれていた。
一つ目は、カシアンの出身地についての確認結果。
「カシアンの出身地は、ヴェルナであることが確認できた。幼少期から地元の礼拝堂で働き、そのまま聖職者の道に進んだようだ。ヴェルナを離れたのは、グレイ主教の就任の半年後——つまり、グレイ主教が大聖堂のトップに就いてから、程なくして現在の礼拝堂の管理者として王都近郊に来たことになる」
(グレイ主教が就任し、その直後にカシアンが呼び寄せられた。やはり、二人は以前から繋がっていた)
二つ目は、聖ヴェルナ教会財団についての調査結果。
「聖ヴェルナ教会財団は、正式な登録上は三年前に設立されている。設立者の名前は表向きは別の人物だが、実際の運営者は確認が取れていない。財団の資産規模は、設立から三年でかなり大きくなっており、その出所は不明な部分が多い。財団の法的な代理人は、王都のある法律事務所で、その事務所は教会系の案件を多く手がけていることで知られている」
慎は、書状を読み終えてから、手帳を広げた。
(三年前に財団が設立されている。これは、バルトが横領を始めた時期と完全に一致する)
つまり、横領した資金を一旦カシアンの礼拝堂に移し、その資金を元手に財団を設立する。財団が不動産などの資産を取得することで、資金を合法的な形に変換していく。
(古典的な、マネーロンダリングの手口だ)
前世の監査でも、こういう「不正資金の洗浄」の構造を、何度か見てきた。資金の出所を隠すために、複数の中間層を経由させる。追いかければ追いかけるほど、糸が複雑に絡み合っていく。
「でも、必ず端が出る」
慎は、独り言のように呟いた。
どれほど巧妙に隠しても、お金の動きは記録を残す。誰かが誰かに渡し、誰かが何かを買い、その全てに痕跡がある。監査屋はその痕跡を、時間をかけて丁寧に追う。それだけだ。
◆父の書斎で
その夜遅く、慎は父ゲオルクの書斎の前を通りかかった際に、偶然、中から声が聞こえてきた。
立ち止まるつもりはなかったが、聞こえてきた言葉の内容に、思わず足が止まった。
「……あの土地の売却、早めに進めた方がいいわ」
ソフィアの声だった。
「だが、ジルが財務を見ている今、あいつの目を通さずに進めるのは難しい」
ゲオルクの、疲れた声が返ってきた。
「ジルには、話せばいい。あの子は頭がいいんだから、必要な売却だと説明すれば——」
「必要ではないから、困っているのよ」
慎は、廊下で、静かに耳を傾けた。
「あなたのためを思って言っているのよ、ゲオルク。バルトがいなくなって、財務は不安定。あの土地の価値を今のうちに現金化しておけば、伯爵家の財政は安定する。それの何が問題なの」
「ジルが、その土地を詳しく調べている。何か気になることがあると言っていた」
「あの子が、気にする必要はないわ。財務の全体像が見えていないから、細かいことを気にしすぎるのよ」
「……しかし」
「ゲオルク」
ソフィアの声が、少し低くなった。
「私はあなたのために言っているの。それを忘れないで」
しばらく沈黙が続いてから、ゲオルクが口を開いた。
「……分かった。ジルに、一度話をさせる。だが、あいつが反対するようなら、私も強制はしない」
「それで十分よ」
足音が近づいてきたので、慎は素早く廊下の角に身を移した。書斎の扉が開き、ソフィアが出てきた。彼女は慎の存在に気づかずに、廊下を進んでいった。
慎は、その背中を見送りながら、頭の中で状況を整理した。
(ソフィアは、父上に土地売却を急がせようとしている。そして、僕が調査していることを知っていて、その調査を「細かいことへの過剰反応」として片付けようとしている)
これは、単純な財産管理の話ではなかった。明確に、慎の調査を阻止しようとする意図がある。
(つまり、ソフィアは調査されると困る何かを、知っている可能性が高い)
慎は、書斎に向かって、静かにノックした。
「父上、少しよろしいですか」
「ジル……どこにいたんだ」
「廊下です。少し話を聞いてしまいました」
ゲオルクは、気まずそうな顔をした。
「……聞いていたのか」
「はい。お義母様から、土地売却の話を急ぐよう言われているんですね」
「……ソフィアは、家のことを心配してのことだ」
「分かっています」
慎は、静かに言った。
「父上。その土地について、一つだけ確認させてください。三年前に、地下資源の調査が行われた記録が残っています。その結果について、父上はご存知でしたか」
ゲオルクは、眉をひそめた。
「地下資源? そんな調査が行われていたのか」
「はい。測量記録に残っています。鉱脈の存在が示唆されています」
ゲオルクは、しばらく黙っていた。
「……知らなかった。バルトから、そんな報告を受けた記憶はない」
「やはり、そうですか」
(バルトは、地下資源の調査結果を、父上に報告しなかった。意図的に隠した、ということだ)
「父上。この土地の売却は、もう少し待ってください。調査の途中で、重要なことが分かってきています。売却するにしても、適切な価格を確認してからの方が、伯爵家にとって有益です」
ゲオルクは、しばらく考えてから、静かに頷いた。
「……分かった。待つ」
「ありがとうございます」
慎は書斎を後にしながら、一つの確信を深めていた。
(ソフィアは、この土地の地下に何があるかを、知っている。知っているから、調査される前に売却を急ごうとしている)
では、ソフィアはいつ、どこで、その情報を得たのか。
グレイ主教——カシアンのラインから、情報が流れてきたのか。それとも、別の経路があるのか。
◆夜の確認
その夜、慎は財務室で、ニールが出してきた農地の管理台帳を確認した。
ヴェルナ街道沿いの土地の、実際の農作物の収穫記録。それを、集金記録の数字と照合する。
二時間ほどかけて確認した結果、予想通りの答えが出た。
実際の収穫量は、過去三年でほぼ変わっていない。むしろ、わずかに増加している。
だが、集金記録の数字は、毎年減少している。
(差額は、どこに消えたのか)
バルトの横領資金の一部は、この土地からの税収の「嵩上げ分」だった可能性がある。つまり、実際の収穫から本来徴収すべき税額は正しく集金しておきながら、帳簿上は少なく見せかけることで、その差額を横領していた。
さらに、その上で「低収益の農地」として土地の価値を低く見積もり、安値売却の根拠を作っていた。
(二重の不正だ。税収の横領と、資産価値の隠蔽)
慎は、手帳に全ての数字を書き込み、仮説を文章にまとめた。
『ヴェルナ街道の土地について:
一、過去三年の収穫記録と集金記録の差額から、横領の疑いあり。
二、地下資源調査の結果が父上に報告されておらず、土地の実際の価値が意図的に低く見せられていた可能性あり。
三、その土地を、バルトの横領資金で設立された聖ヴェルナ教会財団に売却しようとする書類が、ソフィアの側近によって作成されていた。
四、ソフィアは売却を急いでおり、グレイ主教から書状を受け取っている可能性がある。』
書き終えて、慎は手帳を閉じた。
(これだけ材料が揃えば、次は動ける)
だが、動く前に、もう一つだけ確認すべきことがある。
聖ヴェルナ教会財団が、この土地を手に入れた後、どうするつもりなのか。鉱山の採掘権を得て、その利益を教会系組織に流す——それが目的なのか。
あるいは、もっと大きな何かの、入り口に過ぎないのか。
(グレイ主教の本当の目的が、まだ見えていない)
慎は立ち上がり、財務室の窓を開けた。夜風が入ってきて、書類を揺らした。
遠くに、王都の大聖堂が、夜の闇の中で輪郭を浮かび上がらせていた。
(次は、あそこだ)
まだ、その場所に踏み込む準備は整っていない。だが、時間をかけて証拠を積み上げれば、必ず道は開ける。
前世でも、何十回もそうしてきた。
慎は窓を閉め、手帳を懐にしまい、財務室の灯りを落とした。
廊下に出ると、屋敷は静まり返っていた。使用人たちはとっくに寝ており、深夜の静寂だけが広がっている。
自分の部屋に向かいながら、慎は一つだけ、心の中で呟いた。
(明日、ロイドにもう一度会う。このまとめを持って)
◆深夜の廊下
自分の部屋に向かう途中、階段の手前で、明かりを持ったアルベルトと鉢合わせした。
「……まだ起きていたのか」
「兄さんこそ」
「眠れなかった」
アルベルトは、短くそう言った。手燭の灯りが、廊下の石壁に二人の影を映している。
「少し話してもいいですか」
慎がそう言うと、アルベルトは無言で頷いた。二人は、廊下の窓際に並んで立った。
「今夜、父上の書斎の前で、ソフィア様と父上の会話を聞いてしまいました」
「……どんな内容だ」
「土地売却を急ぐよう、ソフィア様が父上に迫っていました。そして、僕が調査していることを、細かいことへの過剰反応として片付けようとしていた」
アルベルトは、しばらく黙っていた。
「……ソフィアが、伯爵家に来て何年になると思う」
「十二年、ですか」
「そうだ。十二年間、あの人は伯爵家の中で、少しずつ自分の影響力を広げてきた。父上に取り入り、使用人を掌握し、家の財政に関与する場面を増やしてきた」
「兄さんは、以前からソフィア様を警戒していましたか」
「警戒、というほどではなかった。ただ、観察はしていた」
アルベルトは、窓の外の夜景を見つめながら言った。
「バルトとソフィアの関係も、以前から気になっていた。二人が親しくしている場面を、何度か見ていたからだ。だが、それだけでは何も言えなかった」
「今は、どう思いますか」
「バルトが、ソフィアの意向を受けて動いていた可能性は、十分にあると思っている。だが、それをソフィアがグレイ主教と繋がっているとなると——」
アルベルトは、一旦言葉を切った。
「それは、もっと大きな話になる。ソフィア個人の問題ではなく、伯爵家が何か大きな組織の計画の中に組み込まれている、ということになる」
「その可能性を、どう思いますか」
アルベルトは、正面を向いたまま答えた。
「あり得る、と思っている」
慎は、その答えを聞いて、少し驚いた。アルベルトは、感情ではなく、事実として受け止めている。
「兄さんは、これからどうするつもりですか」
「お前に任せる」
「任せる、というのは」
「調査は、お前の方が向いている。私は、父上とソフィアの間で、変な動きがあれば早めにお前に伝える。それが、今の私にできる一番有効な動き方だ」
慎は、静かに頷いた。
「ありがとうございます、兄さん」
「礼はいい」
アルベルトは、手燭を持ち直した。
「ただ、一つだけ言っておく」
「はい」
「ソフィアが、グレイ主教と本当に繋がっているとしたら——父上は、どう動くと思う」
慎は、少し考えてから答えた。
「……父上は、ソフィア様を庇おうとするかもしれません。感情が、判断に影響する可能性がある」
「そうだ」
アルベルトの声は、淡々としていたが、その中にわずかな苦さが混じっていた。
「父上を説得する必要が出てきたとき、お前一人では難しいかもしれない。そのときは、私も一緒に話す。二人で話せば、父上も聞くだろう」
「……分かりました」
「では、休め。明日も仕事があるだろう」
アルベルトは、それだけ言って、自分の部屋の方向へ歩いていった。
慎は、その背中を見送りながら、この世界に来てから初めて、家族というものを、少し身近に感じた。
前世では、仕事漬けで家族とほとんど関わる機会がなかった。今こうして、兄と深夜に廊下で話し合う時間が、妙にしっくりくるのが不思議だった。
(やるべきことは、変わらない。でも、一人じゃないのは、悪くない)
慎は自分の部屋に戻り、手帳を枕元に置いて、寝台に横になった。
夜は、まだ続いていた。
だが、夜明けは、必ず来る。
(第9話に続く)




