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冤罪令息、本日も論破します  作者: みかん


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第5話 王城大広間、最終弁論

◆広間へ


朝の光が王城の尖塔を照らす頃、慎は鎖こそ外されたものの、依然として囚人としての扱いのまま、大広間へと続く長い廊下を歩いていた。両脇にはロイドの部下が並び、護衛と監視を兼ねている。


(……前世でいえば、最終の役員会プレゼンの朝、というところか)


緊張はあった。だが、不思議と恐怖はなかった。手元には、この四日間で積み上げてきた証拠と論理が、きちんと整理された形で揃っている。あとは、それを正確に、誰の目にも明らかな形で提示するだけだ。


廊下の途中、ロイドが歩調を緩め、慎の隣に並んだ。


「最後に確認しておく。証拠の提示順は、決めているか」


「はい。物理的な不可能性、証拠の不自然さ、バルトの不正、そして口封じの試み――この順番で積み上げます。最初に『私が犯人ではあり得ない』という事実を固め、次に『では誰が、なぜ』という疑問に答える形にします」


「……お前は、本当に貴族らしくないな」


ロイドが、ふと漏らすように言った。


「貴族の弁論というのは、もっと感情に訴えるものだ。家門の名誉、忠誠、慈悲――そういう言葉を並べる。お前のように、ひたすら事実と論理だけを積み上げる人間は、見たことがない」


「感情に訴える弁論は、反論されたときに弱いです。『なぜそう思うのか』と聞かれて、答えられなければ、説得力を失います。事実は、反論されても、事実のままです」


ロイドは、小さく笑った。


「気に入った、とは言わないが……お前のやり方が、今は最も信頼できる。健闘を祈る」


廊下の角を曲がったところで、思いがけない人物が待っていた。父、ゲオルク伯爵だった。


「……父上」


ゲオルクは、気まずそうな表情で、慎の前に立っていた。


「お前が、毒を盛られたと聞いた」


「ご心配いただき、ありがとうございます」


慎は、あえて感情を抑えた声で答えた。父の手紙――「潔く罪を認めよ」という、あの冷たい文面を、まだ忘れてはいなかった。


「……あの手紙について、何か言い訳をするつもりはない。家のために、お前を切り捨てようとした。それは事実だ」


ゲオルクは、珍しく、はっきりとそれを認めた。


「だが、執事バルトの不正、教会との繋がり――そこまでの話になるとは、私も想定していなかった。もし、お前の言う通りなら……これは、伯爵家全体の問題だ」


「父上は、これからどうされるおつもりですか」


「審理の場では、何も言わない。お前一人に、任せる」


ゲオルクは、そう言ってから、少し間を置いた。


「だが、お前が無実を証明できたなら――今度こそ、父として、お前を支える」


慎は、しばらく父の顔を見つめた。前世の記憶にある、無責任な経営層の顔と、今の父の顔は、わずかに違って見えた。


「……期待せずに、待っています」


「正直な息子だ」


ゲオルクは、小さく、自嘲気味に笑った。それ以上は何も言わず、先に大広間へと向かっていった。


慎は、その背中を見送りながら、小さく息を吐いた。


(……完全に信頼できる相手ではない。だが、少なくとも、敵ではなくなったかもしれない)


エミリアが、隣でそっと声をかけてきた。


「大丈夫?」


「ええ。むしろ、やるべきことがはっきりしました」


慎は、懐の証拠と論理を、改めて確認した。


大広間の扉が、左右に開かれた。


中には、すでに多くの人々が集まっていた。居並ぶ貴族たち、伯爵家の関係者、王室の役人。そして、玉座には国王ヴィクトール3世が、静かに座していた。


会場の隅、一段高い場所には、灰色のローブを纏った聖職者の一団も控えている。その中に、カシアンという名の聖職者がいるのかどうか、慎にはまだ分からなかった。


ジルの父、ゲオルク伯爵の姿もあった。気まずそうに視線を逸らしている。その隣には、アルベルトの姿もあった。昨夜とは違い、今は毅然とした表情でこちらを見つめている。


エミリアは、傍聴席の最前列に座っていた。緊張した面持ちだが、その目には、確かな信頼の色があった。


「静粛に」


国王の側近が声を張り上げると、ざわめいていた広間が、すっと静かになった。


◆審理の開始


「本日この場は、執事バルトの不正疑惑、及び被告ジル・ヴァンディアールへの毒殺未遂に関する緊急審理として開かれる」


ロイドが、玉座の前に進み出て、簡潔に状況を説明した。これまでの調査経緯、礼拝堂――いや礼拝堂での出来事、回収された証拠の存在。


国王は、表情を変えることなく、ロイドの説明に耳を傾けていた。


「以上が、私の調査官としての報告です。詳細については、被告本人より直接、説明させたいと思います」


ロイドがそう告げると、国王の視線が、慎へと向けられた。


「ジル・ヴァンディアール。発言を許す」


慎は、一歩前に進み出た。広間の全員の視線が、自分に集中するのを感じる。


(……前世でいえば、これが最大の山場のプレゼンだ。緊張するな。事実を、順番通りに積み上げればいい)


「陛下、並びにご列席の皆様。私、ジル・ヴァンディアールは、ラングドル公爵毒殺の罪に問われておりますが、まず申し上げたいのは――その嫌疑には、立証上の重大な欠陥がある、ということです」


慎は、努めて冷静な声で、説明を始めた。


◆第一の論点:物理的不可能性


「第一に、晩餐会当日の座席表をご覧ください」


慎は、ロイドの部下が用意した座席図を、広間の中央に掲げた。


「私の席は、公爵の席から、相当な距離があります。当日の給仕の動線、視線の通り方を考慮すれば、私が直接、公爵の杯に毒を混入させることは、物理的に極めて困難です」


会場の一部から、小さなどよめきが起こった。


「では、誰が毒を混入させることができたのか。それは、当日の給仕担当者です。特に、臨時雇いとして晩餐会のみ雇用された『リース』という人物が、公爵の席に最も近いテーブルを担当していました」


「そのリースとやらは、今どこにいる」


国王が、初めて言葉を発した。


「事件発覚直後に、姿を消しております。住所も偽りであったことが、確認されています」


「……都合のよい証人だな」


国王の声には、わずかな疑念が滲んでいた。


(……これは、想定していた反応だ。一つの証拠だけでは弱い。続けて積み上げる)


◆第二の論点:証拠の捏造可能性


「第二に、私の私室から発見されたとされる毒の小瓶についてです」


慎は、警備記録の写しを掲げた。


「発見時刻とされる朝8時の直前、15分間にわたって、私の私室区画の巡回記録に空白があります。この空白の間に、誰かが小瓶を仕込んだとすれば、それは『発見された証拠』ではなく『仕込まれた証拠』ということになります」


ロイドが、補足するように口を開いた。


「この警備記録の空白については、私自身も確認しております。本来あるべき巡回の記録が、不自然に欠落していることは、調査官として認めざるを得ません」


会場の空気が、わずかに変わり始めた。先ほどまでの懐疑的な視線の中に、少しずつ、検討の色が混じり始めている。


◆第三の論点:執事バルトの不正


「第三に、これが今回の事件の核心に関わる部分です」


慎は、声のトーンを一段強めた。


「執事バルトは、過去三年にわたり、領地税の集金記録に不自然な操作を加えていました。記録上は『未収』として処理されていた資金が、最終的な決算では『処理済み』として帳尻が合わされている。この間、資金がどこにあったのか――その答えが、これです」


慎は、礼拝堂で回収した帳簿の写しを掲げた。


「未収として処理されていたはずの資金の一部が、ある教会施設への『特別寄進』として、実際には移動していたことが、この記録から確認できます」


会場が、はっきりとざわめき始めた。教会への言及に、列席していた聖職者たちの間にも、緊張が走るのが分かった。


「異議があります」


声を上げたのは、灰色のローブを纏った一人の聖職者だった。


「教会への寄進は、信仰に基づく自由な行為です。それを不正であるかのように語るのは、教会への不当な中傷ではありませんか」


「中傷ではありません」


慎は、即座に切り返した。


「寄進そのものを問題視しているのではなく、それが『未収』として記録上隠蔽された資金から行われていたという、会計上の不正を指摘しているのです。寄進の宗教的意義と、資金の出所が不正であるという事実は、別の問題です」


聖職者は、言葉に詰まった様子だった。


(……ここで、論点をすり替えられないようにすることが重要だ。前世でも、こういう『感情的な反論』で論点をぼかそうとする相手は、何度も見てきた)


◆第四の論点:口封じの試み


「第四に、これが最も重大な事実です」


慎は、一拍置いて、会場全体を見渡した。


「私が執事バルトの不正に気づき、調査を始めた、その直後――処刑前夜のことです。私の牢に、伯爵家からの差し入れと偽って、毒入りの飲み物が届けられました」


会場が、完全に静まり返った。


「これは、正式に鑑定済みの証拠です」


ロイドが、鑑定書を掲げて補足した。


「私が直接確認しました。残留物から、強い毒物が検出されています」


慎は、続けた。


「無実の人間に対して、わざわざ処刑前に毒を盛る必要はありません。これは、私が『何かに気づいている』ことを、犯人自身が確信していたからこそ起きた行動です」


会場の空気が、明確に変わった。先ほどまでの懐疑的な視線が、今や、執事バルトとその関係者たちへと向けられ始めていた。


「執事バルト。この場で、説明を求めます」


国王の声が、初めて鋭さを帯びた。


◆バルトの陥落


会場の隅、聖職者たちの後方に控えていたバルトが、ゆっくりと前に進み出た。顔は青ざめ、足元はわずかに震えている。


「……バルト殿」


慎は、静かに、しかし逃げ場を作らない口調で問いかけた。


「あなたは、領地税の不正な操作を、三年間にわたって行いました。その資金の一部を、教会への寄進という形で隠蔽しました。そして、私がその不正に気づいたことを知り、口封じのために毒を盛らせた。違いますか」


バルトは、しばらく沈黙していた。会場中の視線が、彼一人に集中していた。


「……私は」


声が、震えていた。


「私は、命じられただけだ」


会場が、再びざわめいた。


「命じた者の名を、この場で述べよ」


国王が、強い口調で命じた。


バルトは、後方の聖職者たちの方を、一瞬だけ振り返った。その視線の先にいた一人の聖職者――カシアンと思われる人物が、わずかに首を振るのが、慎の位置からも見えた。


(……脅されている。あるいは、何か弱みを握られているのか)


バルトは、再び口を開きかけたが、結局、何も言わなかった。


「答えられないのか」


国王の声に、苛立ちが滲んだ。


慎は、ここで一つの判断を下した。


(……バルト本人に、全てを語らせることは、今は難しい。だが、これまでの証拠だけでも、十分に結論は導ける)


「陛下。バルト殿が誰の指示で動いたのか、その全容は、まだ解明できておりません。ですが――」


慎は、確信を込めて、最後の論点を述べた。


「少なくとも、以下のことは、これまでの証拠から明確に言えます。第一に、私には公爵毒殺の物理的機会がなかった。第二に、私の私室の証拠は、不自然な状況で『発見』された。第三に、執事バルトには、明確な会計上の不正があった。第四に、私が調査を始めた直後、何者かが私の口を封じようとした」


慎は、会場全体に向かって、静かに、しかし力強く言い切った。


「これらの事実を総合すれば、結論は一つです。私は、公爵毒殺の実行犯ではなく、むしろ、執事バルトの不正、そしてその背後にいる何者かの陰謀に気づいたために、消されかけた被害者です」


広間に、長い沈黙が落ちた。


◆国王の裁定


国王は、しばらく目を閉じ、考え込んでいた。やがて、ゆっくりと目を開け、口を開いた。


「……ジル・ヴァンディアールの説明は、筋が通っている。物理的状況、証拠の不自然さ、そして口封じの試み――これらは、いずれも単独の偶然では片付けられない」


国王は、玉座から立ち上がった。


「執事バルトの不正については、正式に取り調べを行う。教会への資金移動についても、関係者の出頭を要請する」


聖職者の一団が、わずかにざわついたが、国王の威厳の前に、それ以上の異議は出なかった。


「そして――」


国王の視線が、改めて慎へと向けられた。


「ジル・ヴァンディアールへの処刑命令は、本日をもって撤回する。公爵毒殺の嫌疑については、改めて正式な再捜査を行うものとする」


会場に、安堵とどよめきが入り混じった空気が広がった。


エミリアの目に、涙が浮かんでいるのが、慎の位置からも見えた。


慎は、深く一礼した。


「陛下の御英断、心より感謝申し上げます」


(……ここまでだ。ひとまずの、勝利)


◆灰の影、再び


審理が終わり、会場が解散へと向かう中、慎はふと、聖職者たちが退出していく一団の中に、視線を向けた。


カシアンと思われる人物が、一瞬だけ、こちらを振り返った。その目には、敵意とも、興味とも取れる、複雑な感情が浮かんでいた。


(……あの男も、おそらく『手足』の一人に過ぎないのだろう。あの夜、聞こえた『灰の方』という言葉――その正体は、まだ分かっていない)


慎の中で、新たな仮説が、静かに形を成していった。


(バルトの不正、教会への資金移動、口封じの指示――これら全てを統括する、もっと上の存在がいる。今回の事件は、その存在が動かした、ほんの一部に過ぎないのかもしれない)


会場を出たところで、エミリアが駆け寄ってきた。


「終わったのね……本当に、終わったのね」


「いえ」


慎は、静かに首を振った。


「これは、終わりではなく、始まりです。バルトの不正の全容、教会上層部の関与、そして――僕自身がなぜこの世界に、このタイミングで存在しているのか。確認すべきことは、まだたくさんあります」


エミリアは、少し驚いた顔をしたが、やがて小さく笑った。


「相変わらずね、あなたは」


「悪い癖です。一つの不正を見つけると、その奥に、もっと大きな何かがないか、確認したくなる」


「……でも、それがあなたらしいわ」


慎は、王城の空を見上げた。澄み渡った青空が、そこには広がっていた。


(処刑は、回避した。だが、これは『一つ目の決算』が終わっただけに過ぎない)


アルベルトが、離れた場所からこちらを見つめていた。父、ゲオルク伯爵は、まだ気まずそうに視線を逸らしている。家族との関係も、まだ完全には修復されていない。


(やるべきことは、まだ山ほどある)


慎は、懐の手帳――ジルが残した、最初の手がかりとなった手帳を、そっと握りしめた。


(この手帳に書かれていた『何か』の全容を、必ず明らかにする)


王城の鐘が、正午を告げて鳴り響いた。


新たな調査の幕が、静かに上がろうとしていた。


(第6話に続く)


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