表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冤罪令息、本日も論破します  作者: みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/11

第4話 礼拝堂の夜

◆張り込み


夜の王都は、表通りの喧騒が遠ざかると、驚くほど静かになった。慎とエミリアは、ロイドの指示に従い、礼拝堂の脇にある古い井戸の陰に身を潜めていた。


「……思っていたより、静かですね」


慎は小声で呟いた。


「夜の礼拝堂は、いつもこんな感じよ。表向きは、ね」


エミリアも声を落として答える。彼女の視線は、ずっと裏手の搬入口に向けられていた。


慎は、頭の中で時間を数えていた。前世の監査現場でも、こういう「待つ」時間は何度も経験してきた。不正の現場を押さえるための張り込み、関係者へのヒアリングの順番待ち――焦って動けば、せっかくの調査が台無しになる。今は、ただ事実が動く瞬間を、正確に記録することだけに集中すべきだった。


ロイドの部下たちは、さらに離れた数か所に分散して身を潜めている。複数の証人を確保するための配置だ。


「来た」


エミリアが、小さく、しかし鋭く呟いた。


裏手の搬入口に、一台の馬車が静かに近づいてきた。御者台に座る男の他に、荷台の脇を歩く数人の人影がある。


「……あれが、バルト?」


慎は目を凝らした。馬車の脇を歩く、外套を深く被った人物。歩き方、わずかに前傾になった姿勢――書類で見た年齢層と一致する。


「間違いないわ。バルトよ」


馬車が搬入口の前で止まると、礼拝堂の裏口から、数人の聖職者風の人物が出てきた。彼らは慣れた様子で、馬車から木箱を下ろし始めた。


(……木箱、三つ。エミリアさんが言っていた『重そうな木箱』と一致する)


慎は、懐から取り出した紙に、目視できる範囲の情報を素早く書き留めた。時間、人数、箱の数、外見上の特徴――。


(これが、後の証言の裏付けになる)


◆運び込まれる証拠


木箱が運び込まれていく様子を、慎たちは黙って見守っていた。離れた場所に潜むロイドの部下たちも、同じ光景を目視しているはずだ。


「あと一つ」


エミリアが囁いた。最後の木箱が、馬車から下ろされようとしていたとき――


ガタン、という音が響いた。


木箱の蓋が外れ、中身の一部が地面に零れ落ちた。紙の束――帳簿らしきものが、夜風に煽られて数枚、地面に散らばった。


「拾え! 早く!」


聖職者の一人が、慌てた声を上げた。


(……あの慌て方。中身が、よほど重要な証拠だということだろう)


慎は、その瞬間を見逃さなかった。散らばった紙の一枚が、風に乗って、慎たちが潜む井戸の方向まで飛んできた。


「エミリアさん」


慎は小さく頷き合うと、井戸の陰から少しだけ身を乗り出し、その紙を素早く拾い上げた。


紙には、見覚えのある筆跡で、数字が並んでいた。領地税の集金記録――手帳に書かれていた内容と、一致する書式だった。


(これだけでも、十分な証拠になる)


慎は紙を懐に押し込んだ。だが、その瞬間――


「……そこに誰かいるな」


低い声が、すぐ近くから聞こえた。


◆発見される


井戸の陰から、慎とエミリアが顔を上げると、目の前に外套姿の男が立っていた。聖職者の一人――いや、その雰囲気は、もっと武力に慣れた者の佇まいだった。


「ジル様……?」


驚いた声を上げたのは、馬車の脇に立っていたバルトだった。外套の下から、その顔がはっきりと見えた。


「バルト殿。久しぶりですね」


慎は、あえて落ち着いた声で言った。


「な、なぜここに……いや、お前は牢にいるはずだ!」


「処刑前の最後の調査として、ロイド殿の監督のもとで、許可を得て行動しています」


「ロイド……ファーンハイト調査官か」


バルトの顔が、見る間に青ざめていく。


「お前、まさか、ここまで……」


「お逃げになる前に、お話を聞かせてください。なぜ、領地税の集金記録に、三年分の不自然な遅延があったのか。そして、なぜそれが、教会への『特別寄進』として処理されたのか」


慎の声は、静かだが、確信を込めていた。


バルトは、震える声で言葉を発しようとしたが、外套姿の武装した男が、それを制した。


「バルト殿。下がっていてください。私が対応します」


男は、慎とエミリアに向かって、ゆっくりと近づいてきた。


「お前たちが何者かは知らないが、これは教会の私的な財産移動だ。部外者が干渉する権利はない」


「干渉しているわけではありません。たまたま、この場所を通りかかっただけです」


慎は、平静を装って答えた。だが、男の目は明らかに、こちらの言葉を信じていなかった。


(……この男、ただの護衛ではないな。物腰、視線の配り方――訓練を受けた人間特有のものだ)


「動くな」


男が腰の剣に手をかけた瞬間――


「そこまでだ」


闇の中から、ロイドの声が響いた。


複数の足音とともに、ロイドと部下たちが、姿を現した。


◆対峙


「王室調査官、ロイド・ファーンハイトだ。今この場で、不審な荷の移動を目撃した。確認のため、その木箱の中身を見せてもらいたい」


ロイドの声には、揺るぎない権威が込められていた。


外套姿の男は、一瞬怯んだが、すぐに表情を取り繕った。


「これは教会の所有物だ。世俗の調査官に開示する義務はない」


「義務の有無は、後で正式に議論しよう。だが、私はこの場で、不審な財産移動の現場を確認した、という事実だけで十分だ」


ロイドは部下に指示を出し、地面に散らばった紙――まだ拾われていない数枚――を、慎重に回収させた。


「待て! それは――」


バルトが声を上げたが、すでに手遅れだった。


慎は、その様子を見ながら、静かに前に進み出た。


「バルト殿。もう一つ、確認させてください」


「……何だ」


「先日、僕の牢に毒を盛った椀を届けた使いの男――あれは、あなたの指示でしたか」


牢の中で起きた出来事を知らないはずの周囲が、一瞬、ざわついた。


バルトの顔から、完全に血の気が引いた。


「……知らない。私は、そんな指示をしていない」


「では、誰の指示ですか」


「……」


バルトは、答えなかった。だが、その沈黙こそが、何よりも雄弁だった。


(『自分はしていない』とは言うが、『誰が指示したか分からない』とは言わない。つまり、指示を出した人物を、知っている)


「カシアン殿、ですか。それとも、もっと上の――」


「やめろ!」


バルトが、初めて大きな声を上げた。


「お前には、何も分からない。これは、私一人の問題じゃない。私が全てを話せば……」


外套姿の男が、バルトの肩に手を置いた。


「バルト殿。それ以上は」


その一言で、バルトは口を閉ざした。怯えと、諦めが混じったような表情だった。


◆証拠の確保


ロイドが、改めて場を制した。


「教会の聖域内に立ち入る権限は、私にはない。だが、この搬入口は礼拝堂の敷地外、公道に接した場所だ。ここで起きたことは、私の管轄として記録する」


外套姿の男は、苦々しい表情を浮かべながらも、それ以上の反論はしなかった。


「バルト殿の身柄については、現時点で正式な逮捕状はない。だが、王室調査官として、明日の審理への出席を要請する。応じない場合、それ自体が不利な証拠として扱われる」


「……分かった」


バルトは、肩を落としながら、ようやくそれだけを口にした。


外套姿の男が、低い声で告げた。


「バルト殿は、礼拝堂の保護下に入る。教会の聖域に関する慣習法により、世俗の権力による強制的な身柄拘束は認められない」


ロイドの表情が、わずかに歪んだ。


「……聖域権を、ここで主張するか」


「事実だ。文句があるなら、正式な手続きを踏んでもらいたい」


(……ここで、バルト自身の身柄を確保することは、難しいということか)


慎は、内心で状況を整理した。


(だが、それでも構わない。今夜の目的は、バルトを捕らえることではなく、『証拠が動いた事実』を、複数の証人の前で確定させることだった)


地面に散らばっていた帳簿の数枚は、すでにロイドの部下によって回収されている。さらに、聖域に運び込まれる前の「移動の事実」そのものが、複数人の証人によって確認された。


「ロイド殿。これだけの証拠と証言があれば、明日の審理は開けますか」


「……十分だ。むしろ、これ以上の証拠は望めないだろう。教会が聖域権を主張したという事実自体も、不審な点を裏付ける材料になる」


ロイドは、外套姿の男とバルトを見据えながら、静かに告げた。


「明日、正式に審理の開催を、国王陛下に申し立てる。執事バルトの不正、そして被告ジル・ヴァンディアールに対する毒殺未遂についても、合わせて審議する」


外套姿の男は、何も答えず、バルトを連れて礼拝堂の中へと姿を消していった。


◆夜明け前の確認


礼拝堂を後にし、ロイドの執務室に戻った一同は、改めて手元の証拠を確認していた。


回収された帳簿の断片には、領地税の集金記録と、教会への「特別寄進」の記録が、確かに記されていた。手帳に書かれていた内容と、完全に一致する。


「これで、十分な物証になる」


ロイドは、紙を丁寧に整理しながら言った。


「だが、これだけでは『教会上層部の関与』までは証明できない。バルトと、その護衛をしていた男――名前も分かっていない――が繋がりを認めるかどうかが、次の鍵になる」


「審理の場で、バルト殿本人を証言台に立たせることはできますか」


「要請はする。だが、教会の保護下にある以上、向こうが出席を拒否する可能性もある」


慎は、これまでの調査全体を、改めて頭の中で整理した。


確定した事実(物証あり):1. 座席の物理的配置から、ジルが実行犯であることへの合理的疑義2. 私室での小瓶発見時の警備記録の空白3. 執事バルトの領地税不正、教会への不審な資金移動(帳簿の物証あり)

4. ジルへの毒殺未遂(残留物の鑑定結果あり)

5. 証拠の移送現場を複数の証人で確認


未確定:1. 教会上層部の具体的な関与の範囲2. 臨時雇いの給仕「リース」の正体と、現在の行方


「これだけ揃えば、少なくとも『ジルが実行犯であるという結論には、合理的な疑いがある』ということは、明確に主張できます」


慎は、静かに、しかし確信を込めて言った。


ロイドは頷いた。


「明日の朝、国王陛下に審理の開催を申し立てる。場所は、王城の大広間――公開の場になる」


「公開の場、ですか」


「お前の処刑も、本来は公開で行われる予定だった。それを審理に切り替えるなら、同じく公開で行うのが筋だ」


慎の中で、わずかな緊張と、それを上回る確信が湧き上がっていた。


(公開の場――つまり、多くの貴族や、国王自身の前で、この事件の真実を明らかにできる、ということだ)


前世の監査報告でも、最も効果的な瞬間は、関係者全員が同席する場で、動かぬ事実を提示する時だった。隠れた不正は、衆目の中で晒されることで、初めて意味を持つ。


「分かりました。明日――いえ、もう日付は変わっていますね。今日の審理に向けて、提示する証拠と論理を、最終的に整理します」


「時間はあるか」


「数時間あれば十分です」


慎は、懐の紙を取り出し、改めて広げた。


(これが、最後の『監査報告書』になる)


窓の外、王都の空が、わずかに白み始めていた。


処刑が予定されていた日――その日が、すでに始まっていた。


◆灰の影


礼拝堂を後にする直前、慎はふと、外套姿の男が小さく口にした言葉を聞き取っていた。


「……『灰の方』に、報告せねば」


それは、おそらく男自身も意識していない、ごく小さな呟きだった。だが、慎の耳は、その一言を確かに捉えていた。


(『灰の方』。カシアンのことだろうか。それとも、もっと上の――)


馬車が遠ざかっていく音を聞きながら、慎は懐の紙に、その言葉だけを書き留めた。


『灰の○○(称号? 役職名?)――要確認』


(……今は、これ以上深追いする時間がない。だが、覚えておく価値はある)


前世の監査でも、こういう「現場でこぼれた小さな一言」が、後に大きな不正の核心を暴く糸口になることが、何度もあった。今は深く考えず、記録だけしておく。それが正しい判断だった。


◆兄からの一言


ロイドの執務室に戻ったところで、思いがけずアルベルトが姿を見せた。こんな時間に、しかも一人で訪ねてくるのは、明らかに普通ではなかった。


「……礼拝堂で何があったか、もう耳に入っている」


アルベルトは、淡々とした口調で言った。


「兄さんの耳にまで、もう」


「私にも、伝手はある」


アルベルトは、しばらく言葉を選ぶように黙っていたが、やがて静かに切り出した。


「父上には、まだ話していない。だが、審理が公開で開かれると聞いた以上、隠しておくことはもう不可能だろう」


「それで、わざわざここまで」


「……お前に、これを渡しておく」


アルベルトは、一枚の書状を差し出した。


「ヴァンディアール家の財務に関する、私が個人的に把握している範囲の記録だ。バルトが管理していた帳簿の写しの一部――父上が把握していない部分も含まれている」


慎は、書状を受け取りながら、わずかに驚いた表情を見せた。


「これを、僕に渡していいんですか」


「家のためを思うなら、本当は隠すべきなのかもしれない。だが……」


アルベルトは、一瞬、表情を曇らせた。


「お前が毒を盛られたと聞いて、さすがに考えを変えた。これは、もう『家の体面』だけで済む話じゃない」


「ありがとうございます、兄さん」


「礼を言われる立場じゃない。これは、私自身の判断だ」


アルベルトは、それ以上は何も言わず、踵を返して執務室を後にした。


(……兄さんも、少しずつ変わり始めているのかもしれないな)


慎は、受け取った書状に目を通しながら、小さくそう思った。


◆嵐の前


ロイドの執務室で、慎は改めて、これから始まる審理の流れを思い描いていた。


「公開の審理、ということは――形式は、どうなりますか」


「国王陛下の御前で、訴える側と訴えられる側、双方が証拠と証言を提示する。最終的な判断は陛下が下すが、実質的には、提示された証拠の説得力で決まる」


「つまり、僕は、被告でありながら、自分の弁護を、自分自身で行う必要があるということですね」


「通常は、貴族には弁護人を立てる権利がある。だが、今回は時間がない。父である伯爵が弁護人を立てる様子もない以上、お前自身が話すしかないだろう」


(……父は、最後まで動かないつもりらしいな)


慎は、小さく息を吐いた。失望はあったが、驚きはなかった。前世でも、こういう「保身を優先する経営層」は、何度も見てきた。


エミリアが、心配そうな顔で口を開いた。


「大丈夫なの? 陛下の御前で、貴族や聖職者たちを相手に、一人で立ち向かうなんて」


「データと論理が、味方になります」


慎は、あえて軽い口調で答えた。


「前世――いえ、これまでの経験で、僕は『事実を、誰の目にも明らかな形で示すこと』だけを、専門にやってきました。相手が貴族でも、聖職者でも、国王陛下でも、事実は事実です。矛盾は矛盾です」


エミリアは、しばらく慎の顔を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「……あなたを信じる。きっと、大丈夫」


慎は、改めて懐から紙を取り出し、これまでの調査内容を、一つの「報告書」としてまとめ始めた。


審理で提示する論点(案):


第一に、座席の物理的配置から、ジルが実行犯であることへの合理的疑義を示す。


第二に、私室での小瓶発見時の警備記録の空白を示し、証拠が後から仕込まれた可能性を指摘する。


第三に、執事バルトの領地税不正と、教会への不審な資金移動を、回収した帳簿によって示す。


第四に、ジルへの毒殺未遂の事実――鑑定済みの毒物残留――を提示し、「真犯人が、被告の調査を恐れて口封じを図った」という構図を明確にする。


第五に、これら全てを一本の論理で繋ぎ、「ジルは実行犯ではなく、むしろ不正を暴こうとして消されかけた被害者である」という結論を導く。


(……順番が、何よりも重要だ。事実を一つずつ積み上げ、最後に結論へと収束させる。前世の役員会で、何十回もやってきたプレゼンと、本質は変わらない)


慎は、紙の上に整然と並んだ論点を見つめながら、静かに呼吸を整えた。


(あとは、これを実行するだけだ)


夜が完全に明け、王都の空に、朝の光が広がっていく。広間での審理は、もうすぐ始まる。


処刑が予定されていた日――その日が、すでに始まっていた。


(第5話に続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ