第41話 禁書の間
◆変わりゆく聖都
聖都は、慎が前に訪れたときとは、別の街のように見えた。
コルネリウスの支配下にあったときの、あの張り詰めた、息苦しい静寂は、消えていた。街を行き交う聖職者たちの表情は、まだ緊張を残しているものの、どこか、深く息を吸い直したような、解放の色があった。
門で、ベネディクトが、自ら慎を出迎えた。
上位評議会の議長代行という、聖都の実質的な頂点に立つ立場になっても、ベネディクトの佇まいは、あの救護院を営んでいた頃と、何も変わっていなかった。粗末な僧衣。節くれ立った手。そして、穏やかで、揺るがない目。
「ヴァンディアール殿。よく、来てくださいました」
「ベネディクト司教。いえ——議長、とお呼びすべきですか」
ベネディクトは、少し、困ったように、笑った。
「やめてください。私は、議長という器では、ありません。ただ、誰かが、この混乱を、収めなければならなかった。それだけのことです」
「その、誰か、になれる人は、多くありません」
慎は、静かに言った。
「あなたのように、権力を、望まない人こそが、権力を持つべきなのだと思います。権力を望む者に権力を与えれば、コルネリウスのようになる」
ベネディクトは、その言葉を、噛み締めるように、聞いた。
「……ヴァルクスも、コルネリウスも、最初から、権力を望んでいたわけでは、ないのかもしれません」
ベネディクトは、静かに言った。
「私は、長年、二人を、近くで見てきました。ヴァルクスは、若い頃、貧しい人々のために、身を粉にして働く、誠実な聖職者でした。コルネリウスも、来た当初は、真面目で、勤勉な男だった。それが、いつの間にか、変わっていった」
慎は、その言葉に、緊張した。
(ベネディクト司教は、二人の変化を、間近で、見ていた。声に、操られていく過程を)
「ベネディクト司教。その、変化について、詳しくお聞きしたいのです。ですが、その前に——」
慎は、本題を、切り出した。
「文書庫の、禁書の間に、入る許可を、いただけますか」
ベネディクトの表情が、わずかに、曇った。
「……禁書の間、ですか」
「はい。祭壇に関する、最も詳しい記録が、そこにあると、ヴァルクス殿から、聞きました」
ベネディクトは、しばらく、沈黙した。
「あの部屋のことは、私も、よくは知りません。議長だけが、立ち入りを許される場所で、私は、まだ、一度も、入っていません。ヴァルクスが議長だった頃、あの部屋には、決して他の者を、近づけませんでした」
「では、鍵は」
「議長の証である、印章と共に、私が、預かっています」
ベネディクトは、少し、迷った。
「ヴァンディアール殿。正直に、申し上げます。私は、あの部屋に、良い予感を、持っていません」
「予感、ですか」
「ヴァルクスが、あの部屋に籠もるようになってから、彼は、変わっていきました。誠実だった彼が、次第に、人を、駒のように扱うように、なっていった。まるで、あの部屋の中に、彼を変えてしまう、何かがあるかのように」
慎は、ヴァルクスの警告を、思い出した。禁書の間に入り、ある記録を読んでから、衝動が強まった、という言葉を。
「その、何か、を、突き止めたいのです」
慎は、言った。
「ヴァルクスも、コルネリウスも、その、何か、に、操られていたのかもしれません。そして、それを止めなければ、次に来る者も、同じように、操られる」
ベネディクトは、慎を、じっと見つめた。
「……あなたは、操られない、と?」
「分かりません。ですが、僕は、これまで、声も、衝動も、感じていません。おそらく、僕には、それに、抵抗する、何かがある」
ベネディクトは、長い沈黙の後、静かに、頷いた。
「分かりました。鍵を、お渡しします。ただし——」
ベネディクトは、慎の目を、まっすぐ見た。
「一つだけ、約束してください。もし、あの部屋で、あなたの心に、何か、異変を感じたら、すぐに、出てきてください。真実を知ることよりも、あなた自身を、守ることの方が、大切です」
慎は、その言葉に、エミリアの顔を、重ねた。同じことを、エミリアも、言っていた。
「約束します」
◆降りていく
文書庫は、聖堂の、地下にあった。
ヴェルナの祭壇と、同じだ、と慎は思った。この世界の、最も深い秘密は、いつも、地下に、埋められている。光の届かない場所に。
ロイドが、同行した。
「一人で行かせるわけには、いかない」
ロイドは、そう言って、譲らなかった。
「禁書の間には、私は、入れないかもしれない。だが、扉の外までは、行く。何かあれば、すぐに、駆けつける」
慎は、その申し出を、ありがたく、受け入れた。
文書庫は、広大だった。天井まで届く書架が、迷路のように、連なっている。数百年、いや、それ以上の年月をかけて、聖都が蓄積してきた、知識の集積。羊皮紙の、古い匂いが、空気に、満ちていた。
案内役の老文書官が、二人を、文書庫の、最奥へと、導いた。
書架の、迷宮を、抜けた先に、一枚の、扉が、あった。
他の、開かれた書架とは、明らかに、違っていた。黒い、鉄の扉。表面には、複雑な紋様が、刻まれている。そして、その紋様は——慎は、息を呑んだ——ヴェルナの祭壇に、刻まれていた紋様と、同じ、系統のものだった。
「これが、禁書の間、です」
老文書官は、それだけ言うと、まるで、その扉から、少しでも離れたいかのように、後ずさった。
「ここから先は、私は、ご一緒できません。議長の許可を得た方だけが、入れます」
慎は、ベネディクトから預かった、鍵と、印章を、取り出した。
鍵を、鍵穴に、差し込む。
重い、金属の音がして、扉が、わずかに、開いた。
その隙間から、冷たい空気が、流れ出てきた。
地下だというのに、その空気は、他の場所より、さらに、冷たかった。まるで、時間が、そこだけ、止まっているかのように。
「ジル」
ロイドが、低い声で、言った。
「無理は、するな。危険を感じたら、すぐに戻れ」
「はい」
慎は、頷いた。そして、ゆっくりと、扉を、押し開けた。
◆禁じられた記録
禁書の間は、思ったより、狭かった。
四方の壁に、書架が、備え付けられている。だが、他の文書庫とは違い、そこに収められているのは、羊皮紙の束ではなかった。
黒い、石板だった。
ヴェルナの祭壇と、同じ、黒い石。それが、薄く、板状に、加工され、無数に、書架に、並べられている。それぞれの石板に、古い文字が、刻まれていた。
慎は、灯りを、掲げた。
石板の文字は、擦れることも、褪せることもなく、刻まれた当時のまま、鮮明に、残っていた。羊皮紙なら、とうに朽ちているはずの、途方もない年月を、この黒い石は、耐えてきたのだ。
慎は、手近な、一枚の石板を、手に取った。
そして、そこに刻まれた文字を、読み始めた。
最初は、これまで見てきた記録と、同じような、内容だった。降る者について。世界の岐路について。二つの理が交わる地について。
だが、読み進めるうちに、慎は、これまで知らなかった、事実に、行き当たった。
「降る者を招く力は、この地に、自然に、備わりしもの」
「されど、もう一つの力は——」
慎の、目が、止まった。
前に、ヴェルナの祭壇で、擦れて読めなかった、あの部分。「もう一つの力」の、正体。
それが、この石板には、鮮明に、刻まれていた。
「されど、もう一つの力は、人の手によりて、後の世に、加えられしもの」
「古の賢者たち、降る者の力を、我がものとせんと欲し」
「降る者を、意のままに操る術を、この地に、刻み込みたり」
「その術、降る者の心に、囁きかけ、その意思を、我らの望む方へ、導く」
慎は、その記述に、戦慄した。
(もう一つの力は、自然のものではない。人が、後から、加えたものだ。降る者を、操るために)
つまり、あの「声」は、この世界の理でも、超自然的な存在でも、なかった。
はるか昔の、人間が、作り出した、仕組みだった。転生者という、貴重な存在を、支配し、利用するために。
慎は、次の石板を、手に取った。
◆賢者たちの罪
「古の賢者たち、降る者の知恵を、渇望せり」
「降る者は、別の理の知恵を持つ。その知恵、この世界を、栄えさせ、あるいは、滅ぼす」
「賢者たち、思えり。降る者を、放置すれば、その気まぐれにて、世界の岐路は、定まる」
「されば、降る者を、我らの手で、導くべし」
「かくして、賢者たち、術を、編みたり」
「降る者の心に、囁く、声の術を」
慎は、読み進めた。
賢者たちは、祭壇に、術を刻んだ。降る者が、この世界に降りてくると、その心に、囁きかける、声。だが、その声は、誰にでも、届くわけではなかった。
「声は、心弱りし者にこそ、深く、届く」
「疲れ果て、限界を迎えし魂こそ、この地に、招かれやすく」
「そして、招かれし魂の中でも、迷いなき者、確信を持つ者にこそ、声は、最も深く、根を張る」
慎は、自分の仮説が、正しかったことを、知った。
祭壇は、疲れ果てた魂を、選んで、呼び寄せる。心が弱り、抵抗する力を失った者を。そして、その中でも、確信を持ち、迷いのない者ほど、声に、深く操られる。
(コルネリウスは、記憶を完全に失い、迷いがなかった。だから、完全に操られた。ヴァルクスは、記憶が残り、多少の迷いがあった。だから、声というより、漠然とした衝動しか、感じなかった。そして、僕は——)
慎は、続きを、読んだ。
「されど、術には、綻びあり」
「己を疑う者、己の正しさを、常に問う者には、声は、届かず」
「疑いは、声を、阻む。迷いは、術を、拒む」
「かかる者、賢者たちの術の、埒外にあり」
慎は、静かに、息を吐いた。
(やはり、そうだ)
疑いという鎧。それは、比喩ではなかった。この術の、明確な、欠陥だった。
賢者たちは、確信を持つ者を、操ることには、成功した。だが、自らを疑う者だけは、操れなかった。皮肉なことに、最も操りやすいのは、最も優れた、確信に満ちた指導者であり、最も操れないのは、常に迷い、悩む、凡庸に見える者だった。
(僕が、声に操られないのは、僕が優れているからではない。僕が、いつも、自分を、疑っているからだ)
慎は、その事実を、静かに、受け止めた。
だが、まだ、最も重要な問いが、残っていた。
(この術を、作った賢者たちは、今、どこにいるのか。彼らは、まだ、存在するのか)
慎は、さらに、奥の石板へと、手を伸ばした。
◆最後の石板
禁書の間の、最も奥。一段高い、台座の上に、一枚の石板が、他とは別に、置かれていた。
明らかに、特別な、扱いだった。
慎は、その石板を、手に取った。
そこに刻まれた文字は、他の石板より、新しかった。とはいえ、それでも、数百年は、経っているだろう。
「我、最後の賢者なり」
慎は、読み始めた。
「我らの術は、完成せり。降る者を、招き、操る術は。されど、我は、今、悔いておる」
「我らは、降る者を、道具と見なした。世界を、我らの望む形に、導くための、道具と」
「されど、降る者もまた、心を持つ者なり。別の理より来たれど、喜び、悲しみ、迷う、一つの魂なり」
「我らは、幾多の降る者を、操り、そして、壊した」
「操られた降る者は、我らの望む働きをなし、そして、抜け殻となりて、朽ちた」
慎は、その記述に、胸を、締めつけられた。
(幾多の降る者が、操られ、壊された。コルネリウスのように。そして、僕の前にも、何人もの転生者が、この祭壇で、道具にされ、壊されてきた)
「我は、悔いる。されど、術は、すでに、この地に、刻まれてしまった。消すことは、できぬ」
「我にできることは、ただ一つ。この真実を、記し、後の世に、残すことのみ」
「いつの日か、この術に、操られぬ、降る者が、現れることを、願う」
「疑いを、鎧とし、迷いを、力とする者が」
「その者ならば、あるいは、この呪われた術を、終わらせることが、できるやもしれぬ」
慎は、その言葉に、動きを、止めた。
(疑いを鎧とし、迷いを力とする者)
それは、まさに、慎自身のことだった。
数百年前の、最後の賢者は、いつか現れる、操られない転生者に、託していた。この術を、終わらせることを。
「されど、術を終わらせるには、一つの、代償が要る」
慎は、石板の、最後の部分を、読んだ。
「この術の、核は、この地の、最も深き場所に、埋められておる」
「祭壇の、さらに、その下に」
「そこには、術の源たる、石が、ある」
「その石を、砕けば、術は、終わる。声は、消える。降る者は、二度と、操られぬ」
「されど——」
慎は、息を、詰めた。
「その石を砕けば、降る者を招く力もまた、失われる」
「二度と、降る者は、この世界に、来られぬ」
「世界が、真に、岐路に立ちしとき、それを正すべき、降る者が、来られぬ」
「これは、救いであると同時に、この世界からの、一つの可能性の、喪失なり」
「選ぶは、後の世の、降る者に、委ねる」
石板は、そこで、終わっていた。
慎は、しばらく、その石板を、手に持ったまま、動けなかった。
(選択が、僕に、委ねられている)
術の核となる石を、砕けば、声は消える。二度と、転生者は操られない。だが、同時に、この世界は、転生者を招く力を、永遠に、失う。世界が、本当に危機に陥ったとき、それを正すために来るはずの、転生者が、二度と、来られなくなる。
救いか。喪失か。
それは、これまでの、どんな選択よりも、重い問いだった。
◆囁き
慎が、石板を、書架に戻そうとした、その時だった。
ふいに、頭の奥で、何かが、囁いた。
『……砕くな』
慎は、はっと、動きを止めた。
その声は、慎自身の思考とは、明らかに、異質だった。外から、忍び込んできた、他者の、声。
『術を、砕くな。降る者の力は、この世界に、必要だ。お前も、それを知っているはずだ』
慎は、その声の、正体を、悟った。
(これが——声か)
賢者たちが刻んだ、操りの術。その声が、今、慎自身に、囁きかけている。
慎は、冷静に、その声を、観察した。恐怖よりも、むしろ、興味が、勝った。ついに、敵の正体が、直接、姿を現したのだ。
『お前は、賢い。お前なら、この力を、正しく使える。降る者を招き、世界を、より良い方向へ導ける。ヴァルクスも、コルネリウスも、愚かだった。だが、お前は、違う』
声は、甘く、囁いた。
『この術を、砕くのではなく、使え。お前が、この地を、制するのだ。お前なら、正しく、使える』
慎は、その囁きに、じっと、耳を傾けた。そして、静かに、思考を、巡らせた。
(この声は、僕を、操ろうとしている。だが、賢者の石板には、こう書いてあった。疑いを持つ者には、声は届かない、と。なのに、なぜ、今、僕に、声が届いている)
その問いを、抱いた瞬間。
囁きが、わずかに、揺らいだ。
『……疑うな。疑いは、お前を、弱くする。確信を、持て。お前は、正しい。お前なら、できる』
慎は、その反応に、確信した。
(この声は、僕に「確信を持て」と、囁いている。つまり、僕が確信を持てば、操りやすくなる。逆に言えば、僕が疑いを持ち続ける限り、この声は、僕を、操れない)
慎は、心の中で、静かに、声に、語りかけた。
(お前が誰であれ、お前が何であれ、僕は、お前の言葉を、鵜呑みにはしない。お前が「正しく使える」と言うなら、僕は、まず、それを疑う。お前が「確信を持て」と言うなら、僕は、あえて、迷い続ける)
囁きが、明らかに、後退した。
『……お前は』
声の甘さが、消え、そこに、初めて、別の感情が、滲んだ。
焦りのような、あるいは、怒りのような、何か。
『お前は、なぜ、疑う。なぜ、確信を、拒む。確信は、力だ。迷いは、弱さだ』
慎は、静かに、答えた。
(違う。確信は、罠だ。迷いこそが、僕を、自由にする)
その言葉と共に、慎は、書架に、石板を、戻した。
囁きは、まだ、頭の奥に、残っていた。だが、それは、もはや、慎を、操ることは、できなかった。まるで、鍵のかからない扉を、外から、叩き続ける音のように、虚しく、響くだけだった。
慎は、禁書の間の、扉へと、向かった。
そして、扉を開ける、直前。
背後の、暗闇から、最後の囁きが、聞こえた。
『……いつか、お前も、疲れる。いつか、お前も、迷いに、疲れ果てる。その時、私は、また、囁く。その時こそ、お前は、私のものだ』
慎は、振り返らなかった。
だが、その言葉が、これまでのどの脅しよりも、深く、慎の胸に、突き刺さった。
(疲れ果てたとき——それは、僕が、前世で、この世界に呼ばれた、あの状態だ)
声は、慎の、最も深い、弱点を、突いていた。
慎は、扉を、開けた。
外では、ロイドが、待っていた。
「ジル! 大丈夫か。ずいぶん、長かったぞ」
慎は、ロイドの顔を見て、少しだけ、安堵した。
「……声を、聞きました」
「なに?」
「あの部屋で。声の、正体の、一端を、掴みました」
ロイドの表情が、険しくなった。
「お前、操られては——」
「大丈夫です」
慎は、静かに、しかし、はっきりと、言った。
「僕は、操られていません。ただ——」
慎は、禁書の間の、暗い扉を、振り返った。
「この事件の、本当の底が、見えました。そして、僕は、恐ろしい選択を、迫られています」
慎は、石板に記されていた、真実を、ロイドに、語り始めた。
声の術。それを作った、賢者たち。術を終わらせるための、代償。そして、術の核が、ヴェルナの祭壇の、さらに深い場所に、埋められていること。
ロイドは、その話を、青ざめた顔で、聞いた。
「……つまり、この事件を、本当の意味で、終わらせるには」
「ヴェルナの祭壇の、地下深くにある、術の核の石を、砕くしか、ありません」
慎は、言った。
「ですが、それを砕けば、この世界は、二度と、転生者を、招けなくなる。世界が、本当に、危機に陥ったとき、それを正す者が、来られなくなる」
文書庫の、冷たい空気の中で、二人は、しばらく、沈黙した。
「重い、選択だな」
ロイドが、ぽつりと、言った。
「はい」
「お前一人で、決めることでは、ない」
「分かっています。四か国と、ベネディクト司教と、協議する必要があります。そして——」
慎は、少し、間を置いた。
「ヴァルクス殿と、コルネリウスの、意見も、聞きたい。彼らは、操られた側です。声の恐ろしさを、最もよく、知っている」
ロイドは、頷いた。
「戻ろう。地上へ」
二人は、文書庫の、迷宮を、引き返し始めた。
慎の頭の中では、まだ、あの最後の囁きが、消えずに、残っていた。
『いつか、お前も、疲れる』
(それは、真実だ)
慎は、認めざるを得なかった。
人は、疲れる。どれほど強い意志を持っていても、迷い続けることは、疲れる。確信を持ち、迷いを捨てる方が、ずっと、楽なのだ。
声は、その、人間の弱さを、突いてくる。疲れ果てた瞬間を、待っている。
(だからこそ——)
慎は、思った。
(この術は、終わらせなければならないのかもしれない。僕が、疲れ果てる前に。次の、誰かが、操られる前に)
だが、それは、この世界から、転生者という、救いの可能性を、永遠に、奪うことを、意味する。
光の差さない、地下の階段を、上りながら、慎は、これまでで、最も重い問いを、抱えていた。
救いを取るか。可能性を残すか。
その答えは、まだ、どこにも、なかった。
(第42話に続く)




