第36話 森の夜襲
◆決行の日
作戦決行の日が来た。
朝から、慎たちは、最後の準備を進めた。
移送は、夜間に行われる。ヴァルクスの馬車が、森の区間を通過するのは、深夜になる見込みだった。
慎は、作戦に参加する全員を、集めた。
「今夜、ヴァルクスを救出します。作戦は、これまで詰めてきた通りです。もう一度、確認します」
慎は、地図を広げ、作戦を復唱した。
「森の区間で、二つの班に分かれて、ヴァルクスの馬車の前後を、同時に塞ぎます。前方班は、ロイド殿が指揮。後方班は、私が指揮します。救出班は、テオが率いて、混乱の中で、ヴァルクスを馬車から救出し、脱出します」
全員が、頷いた。
「ガウス殿は、ヴァルクスに伝言を届けてくれました。ヴァルクスが、救出に協力してくれるかどうかは、分かりません。ですが、彼が協力すれば、成功の可能性は高まります」
ロイドが、口を開いた。
「一つ、確認したい。もし、ヴァルクスが、救出を拒んだら、どうする」
慎は、少し考えた。
「その場合でも、救出を試みます。ヴァルクスの意思がどうであれ、彼をコルネリウスの手から、切り離す必要があります。ただ、彼が抵抗すれば、救出は難しくなります」
「無理にでも、連れ出すのか」
「はい。ヴァルクスの知識を、コルネリウスに独占させるわけには、いきません」
ロイドは、頷いた。
「分かった」
慎は、全員を見回した。
「危険な作戦です。ですが、皆で、必ず成功させましょう。そして、全員、無事に戻りましょう」
全員が、力強く頷いた。
◆森での待機
日が暮れ、慎たちは、森の区間へと移動した。
作戦地点は、森の中で、道が最も狭くなる場所だった。両側に木が生い茂り、道が細長く伸びている。ここで隊列を分断すれば、護衛を混乱させられる。
前方班と後方班は、それぞれの位置に、身を潜めた。救出班は、道のすぐ脇、ヴァルクスの馬車に最短で到達できる位置に、配置された。
慎は、後方班とともに、木々の陰で、息を潜めていた。
(あとは、ヴァルクスの馬車が、来るのを待つだけだ)
エミリアは、狩猟小屋で待機し、脱出後の合流と、負傷者の手当ての準備をしていた。危険な現場からは、離れた場所だった。
夜が、更けていく。
森の中は、静寂に包まれていた。時折、梟の鳴き声が、遠くから聞こえてくる。
慎は、その静寂の中で、作戦の一つ一つを、頭の中で反芻していた。
(倒木のタイミング。救出班の動き。脱出の経路。全て、想定通りに進めば、成功する)
だが、想定通りに進まないことも、覚悟していた。
(前世でも、現場では、常に想定外が起きた。大切なのは、想定外が起きたときに、冷静に対応することだ)
やがて、遠くから、複数の馬の蹄の音と、車輪の音が、聞こえてきた。
(来た)
慎は、緊張を、静かに引き締めた。
◆隊列の接近
馬車の隊列が、森の区間に、近づいてきた。
慎は、木々の陰から、その様子を確認した。
先頭に、数騎の護衛。その後ろに、ヴァルクスを乗せていると思われる馬車。そして、馬車の後ろに、さらに数騎の護衛。
(隊列の中央に、馬車。前後を、護衛が固めている。ガウス殿の情報通りだ)
慎は、前方班のロイドに、合図を送る準備をした。
隊列が、作戦地点に、差しかかる。
ヴァルクスの馬車が、ちょうど、二つの班の間に位置した瞬間——。
慎は、合図を送った。
「今だ!」
前方で、大きな音がした。ロイドの班が、あらかじめ用意していた倒木を、道に倒したのだ。
同時に、後方でも、慎の班が、倒木を倒し、道を塞いだ。
隊列の前後が、同時に塞がれた。
ヴァルクスの馬車が、前後を分断され、孤立した。
「何事だ!」
「襲撃か!」
護衛たちが、混乱し始めた。
前方の護衛は、倒木の向こうで、立ち往生している。後方の護衛も、同様だった。ヴァルクスの馬車の周りには、わずかな護衛しか、残っていなかった。
(今だ。救出班、動け)
慎の合図で、テオが率いる救出班が、動いた。
◆救出
救出班は、道の脇から、一気にヴァルクスの馬車へと、駆け寄った。
馬車の周りの護衛が、気づいて、対応しようとする。だが、混乱の中で、動きが遅れた。
テオが、馬車の扉に手をかけた。
「ヴァルクス様! 救出に来ました!」
扉が開いた。
中には、ヴァルクスがいた。
慎が伝言を届けていたためか、ヴァルクスは、混乱していなかった。むしろ、この瞬間を、待っていたような、落ち着いた表情だった。
「……来ましたか」
ヴァルクスは、静かに言った。
「はい。脱出します。ご協力を」
テオが、ヴァルクスを、馬車から助け出した。
ヴァルクスは、抵抗しなかった。むしろ、自ら、馬車を降りた。
(協力してくれる。伝言が、届いた)
慎は、後方班の位置から、その様子を確認した。
救出班が、ヴァルクスを連れて、道の脇の森へと、退避し始めた。
だが、その瞬間、残っていた護衛の一人が、叫んだ。
「ヴァルクスが、逃げるぞ! 追え!」
護衛たちが、混乱から立ち直り、ヴァルクスを追おうとした。
「ロイド殿! 後方班! 護衛を、足止めしてください!」
慎は、指示を出した。
後方班と、前方のロイドの班が、護衛の動きを、妨害した。倒木を盾に、護衛が救出班を追うのを、遅らせる。
その間に、救出班は、ヴァルクスを連れて、森の奥へと、逃げ込んだ。
◆脱出
慎は、後方班とともに、救出班の退避を援護しながら、自らも脱出を始めた。
「全員、退避! 脱出経路へ!」
事前に決めていた、複数の脱出経路を使って、慎たちは、森の中を、分散して逃げた。
護衛たちは、倒木に阻まれ、そして森の複雑な地形に、追撃を阻まれた。
慎は、森の中を、走りながら、救出班の状況を、気にかけた。
(テオたちは、ヴァルクスを連れて、無事に逃げられているか)
やがて、慎は、あらかじめ決めていた、第一の合流地点に、到達した。
そこには、すでに、テオと救出班、そしてヴァルクスがいた。
「ヴァンディアール様!」
テオが、慎を見つけて、声を上げた。
「無事か、テオ」
「はい。ヴァルクス様も、ご無事です」
慎は、ヴァルクスを見た。
ヴァルクスは、少し疲れた様子だったが、落ち着いていた。
「ヴァルクス殿。ご無事で、何よりです」
「……あなたが、来てくれるとは、思いませんでした」
ヴァルクスは、静かに言った。
「伝言を、受け取りました。『正しい選択をやり直す機会を、届けに来た』と」
「はい」
「その言葉に、賭けてみることにしました」
慎は、ヴァルクスの目を見た。
そこには、聖都で対話したときとは、違う、何かがあった。
決意のような、あるいは、覚悟のような、何か。
「詳しい話は、安全な場所で。まず、ここを離れましょう」
「分かりました」
慎たちは、第二の合流地点へと、移動を始めた。
護衛たちの追撃は、次第に、遠ざかっていった。
◆狩猟小屋へ
慎たちが、狩猟小屋に戻ったのは、夜明け近くだった。
ロイドの班も、無事に脱出し、小屋に戻っていた。
エミリアが、慎たちを、出迎えた。
「無事だったのね!」
エミリアは、慎の無事を確認して、安堵の表情を見せた。
「はい。作戦は、成功しました」
慎は、ヴァルクスを、小屋の中に案内した。
小屋の中で、慎、ロイド、ガウス、そしてヴァルクスが、向かい合った。
「ヴァルクス殿。改めて、お聞きします」
慎は、切り出した。
「あなたは、コルネリウスによって、拘束され、移送されようとしていました。そして、私たちが、あなたを救出した。これから、あなたは、どうするつもりですか」
ヴァルクスは、しばらく沈黙した。
「……コルネリウスは、私を裏切りました」
ヴァルクスの声には、深い感情が滲んでいた。
「私が育て、後継者と見込んだ男が、私の計画を乗っ取り、私を排除した。私が始めた計画を、より過激な、より危険なものに、変えようとしている」
「はい」
「私は、道を誤りました。それは、あなたと対話して、認めました。ですが——」
ヴァルクスは、慎を見た。
「コルネリウスは、私よりも、遥かに危険です。私の理想は、歪んでいましたが、それでも、この世界を良くしたいという、思いがあった。ですが、コルネリウスには、それがない。ただ、支配したいだけです」
「あなたは、コルネリウスを、止めたいのですか」
「はい」
ヴァルクスは、はっきりと言った。
「私が始めた計画が、コルネリウスによって、破滅的な方向に進もうとしている。それを、止める責任が、私にはあります」
慎は、その言葉に、ヴァルクスの決意を、感じ取った。
「では、私たちに、協力していただけますか。コルネリウスを止めるために」
ヴァルクスは、しばらく慎を見つめた。
「……一つ、条件があります」
「何ですか」
「私は、これまで、多くの罪を犯しました。各国の資産を奪い、多くの人を欺き、信仰を人質にした。その罪を、償う覚悟はあります」
「はい」
「ですが、コルネリウスを止めるまでは、私を、罪人としてではなく、協力者として、扱ってほしい。コルネリウスを止めた後、私の罪については、正当な裁きを受けます」
慎は、その条件を、真剣に検討した。
(ヴァルクスは、罪を償う覚悟がある。だが、コルネリウスを止めるまでは、協力者として動きたい。それは、理にかなっている)
「分かりました。その条件を、受け入れます。コルネリウスを止めるまで、あなたを、協力者として扱います。ただし、コルネリウスを止めた後、あなたの罪については、各国と協議の上、正当な裁きを受けていただきます」
「それで、結構です」
ヴァルクスは、静かに頷いた。
「では、協力を、約束します。コルネリウスの計画の全容を、お話しします。そして、彼を止めるために、私が知る全てを、提供します」
慎は、ヴァルクスと、握手を交わした。
(ヴァルクスが、協力者になった。これで、コルネリウスの計画を、内側から崩す、大きな力を得た)
◆予期せぬ情報
その日の午後、ヴァルクスは、コルネリウスの計画について、詳しく語り始めた。
「コルネリウスの計画は、私の計画を、基盤としています。ですが、彼は、それを、より過激な方向に進めようとしています」
「具体的には」
「私は、教会を、各国の王権と、対等な立場にすることを目指していました。ですが、コルネリウスは、教会を、各国の王権の上に立たせようとしています。各国の王を、教会の下に置く」
「その宣言を、近く出そうとしている、と聞いています」
「はい。そして、その宣言の後、コルネリウスは、次の段階に進もうとしています」
「次の段階、というのは」
ヴァルクスは、少し声を落とした。
「ヴェルナの祭壇です」
慎は、緊張した。
「ヴェルナの祭壇を、どうするつもりですか」
「コルネリウスは、あの祭壇を制し、次に現れる転生者を、自分の道具にしようとしています。転生者の知恵を、独占的に利用することで、自分の支配を、絶対的なものにしようと」
慎は、ヴェルナで得た情報と、ヴァルクスの言葉が、一致することを、確認した。
「そして——」
ヴァルクスは、続けた。
「コルネリウスは、一つ、危険なことを、考えています」
「何ですか」
「祭壇を利用して、転生者を、意図的に呼び出そうとしているのです」
慎は、その言葉に、衝撃を受けた。
「転生者を、意図的に呼び出す?」
「はい。これまで、転生者は、世界の岐路に、自然に現れていました。ですが、コルネリウスは、祭壇の力を使って、意図的に、転生者を呼び出そうとしている。そして、呼び出した転生者を、最初から、自分の支配下に置こうとしている」
慎は、その計画の危険性を、理解した。
(意図的に転生者を呼び出し、最初から支配下に置く。もし、それが可能なら、コルネリウスは、転生者の知恵を、完全に独占できる。そして、その知恵を、支配のために使う)
「それは、可能なのですか」
「分かりません。ですが、コルネリウスは、それが可能だと、信じています。そして、祭壇の力を使えば、それができると」
慎は、事態の深刻さを、改めて認識した。
(コルネリウスの計画は、私が想像していたよりも、遥かに危険だ。単なる権力の掌握ではなく、転生者そのものを、支配の道具にしようとしている)
「ヴァルクス殿。それを止めるには、どうすればいいですか」
「まず、コルネリウスが、ヴェルナの祭壇を、完全に制する前に、動く必要があります。祭壇を、コルネリウスの手から、守ることが、最優先です」
慎は、頷いた。
(ヴェルナの祭壇。そこが、次の戦いの舞台になる)
◆エミリアとヴァルクス
その夜、エミリアが、ヴァルクスに、水と食事を運んだ。
慎は、少し離れた場所から、その様子を見ていた。
エミリアが、ヴァルクスに何かを話しかけ、ヴァルクスが、静かに応えている。
しばらくして、エミリアが、慎のもとに戻ってきた。
「ヴァルクスと、何を話していたんですか」
慎が問うと、エミリアは、少し考えてから答えた。
「あの人が、どんな人なのか、知りたかったの」
「どう思いましたか」
「疲れた人、だと思った」
エミリアは、静かに言った。
「四十年間、大きな理想を抱えて、一人で戦ってきた。そして、道を誤って、最後には、信頼していた人に裏切られた。とても、疲れているように見えた」
慎は、エミリアの観察に、頷いた。
「私も、同じことを感じました」
「あの人、あなたのことを、話していたわ」
「私のこと?」
「『あの若者に、もっと早く出会っていれば』って。『そうすれば、こんな道には、進まなかったかもしれない』って」
慎は、その言葉に、少し複雑な気持ちを覚えた。
(ヴァルクスは、私に、自分の若い頃を、重ねている。同じ立場から来た者として、もし違う選択をしていたら、という思いを)
「ジル様」
「はい」
「あの人を、信じていいと思う?」
慎は、少し考えた。
「完全に、信じきることは、できません。彼は、多くの罪を犯した人物です。ですが、今の彼は、コルネリウスを止めたいという思いで、動いています。その点では、私たちと、利害が一致しています」
「利害が一致している間だけ、信じる、ということね」
「はい。ただ——」
慎は、少し間を置いた。
「彼が、本当に道をやり直そうとしているなら、その機会を、奪いたくはありません。人は、変われると、信じたいので」
エミリアは、慎を見つめた。
「あなたって、本当に、優しいのね」
「優しさというより、合理性です。人を、変われる存在として扱う方が、長期的には、良い結果を生むことが多い。前世でも、そうでした」
「それを、優しさって言うのよ」
エミリアは、少し笑った。
慎は、何も言えず、少し照れた。
◆今後の方針
翌朝、慎たちは、今後の方針を、協議した。
ヴァルクスを救出したこと、そして、彼から得た情報——コルネリウスがヴェルナの祭壇を制し、転生者を意図的に呼び出そうとしていること。
これらの情報を踏まえて、次にどう動くかを、決める必要があった。
「まず、ヴァルクス殿を、安全な場所に移す必要があります」
慎は、言った。
「コルネリウスは、ヴァルクスの救出を知れば、必死で追ってくるでしょう。ヴァルクス殿を、アルテシアに移し、保護します」
ロイドが、口を開いた。
「私は、聖都に戻る。ベネディクト司教と、穏健派の動きを、引き続き支える。コルネリウスが宣言を出すのを、内側から遅らせる必要がある」
「ロイド殿、危険です」
「危険は承知だ。だが、聖都の内側に、誰かがいなければ、状況を把握できない。ガウス殿と、ベネディクト司教とともに、動く」
慎は、ロイドの決意を、受け止めた。
「……分かりました。ただ、無理はしないでください」
「お前もな」
慎は、頷いた。
「私は、ヴァルクス殿をアルテシアに移し、そこで、コルネリウスの計画の全容を、詳しく聞き出します。そして、ヴェルナの祭壇を守るための、作戦を立てます」
ガウスが、口を開いた。
「私も、聖都に戻ります。ロイド殿とともに、コルネリウスの動きを、監視します」
「ガウス殿、ありがとうございます」
慎は、全員を見回した。
「これから、私たちは、二手に分かれます。ロイド殿とガウス殿は、聖都で。私とヴァルクス殿は、アルテシアで。そして、四か国連携が、外から圧力をかける。三方向から、コルネリウスを、追い詰めます」
全員が、頷いた。
「必ず、また会いましょう。コルネリウスを止めて」
慎は、そう言って、協議を締めくくった。
事態は、いよいよ、核心へと近づいていた。
コルネリウスの、最も危険な計画。ヴェルナの祭壇を巡る、戦い。
そして、慎自身が、転生者として、その戦いの中心に、立つことになる。
(第37話に続く)




