第30話 帰還
◆長い帰路
隊商に紛れて聖都を出た慎は、途中で隊商から離れ、別の経路でアルテシアへと向かった。
コルネリウスの一派が、聖都の周辺で慎を捜索している可能性がある。だから、行きとは違う道を選び、人目を避けながら進んだ。
帰路は、行きよりも長く感じられた。
一人で馬を進めながら、慎は聖都での出来事を、繰り返し反芻した。
ヴァルクスとの対話。彼が転生者だったこと。彼の過去と、道を誤ったことへの後悔。そして、コルネリウスのクーデター。
(ヴァルクスは、拘束された。ロイド殿とガウス殿、ベネディクト司教は、聖都に残った)
一人になった今、慎は改めて、状況の複雑さを噛み締めた。
最初は、伯爵家の冤罪を晴らすことから始まった。それが、バルトの横領、グレイ主教の陰謀、複数国への工作、そしてヴァルクスの計画へと広がり、今、コルネリウスという新たな存在が現れた。
(一つの底があると思ったら、さらにその下がある。この構造は、いつまで続くのか)
だが、慎は、諦めていなかった。
どれほど複雑でも、事実を一つずつ積み上げれば、必ず全体像が見えてくる。前世でも、そうやって、巨大な不正を解き明かしてきた。
(焦らない。一つずつ)
慎は、馬を進めながら、アルテシアで最初にやるべきことを、整理した。
一、国王とレオンハルトに、聖都での状況を報告する。
二、四か国連携に、コルネリウスの台頭という新たな情報を共有する。
三、ロイド殿からの連絡を待ちながら、聖都内部の穏健派との連携を、外から支援する方法を検討する。
やるべきことは、明確だった。
◆国境を越えて
数日後、慎はアルテシア王国の国境を越えた。
見慣れた王国の風景が、目の前に広がった。整備された街道、豊かな田畑、活気のある村々。
聖都の静謐な美しさとは違う、生きた人々の営みが、そこにあった。
(帰ってきた)
慎は、王都へと馬を進めた。
途中の村で、慎はあることに気づいた。
教会の鐘が、鳴っていた。
聖都が停止させたはずの、教会活動。だが、村の教会からは、確かに鐘の音が聞こえてきた。
慎は、村の人に尋ねた。
「教会は、活動しているのですか。聖都が、停止させたと聞いていましたが」
村人は、答えた。
「聖都は止めたが、うちの司祭様は、活動を続けてくださっている。マルコ様という方が、独立した聖職者を集めて、みんなで支え合おうと呼びかけているんだ」
慎は、その言葉に、少し驚いた。
(マルコ司祭の活動が、こんな地方にまで、広がっている)
「みんな、感謝しているよ。聖都が鐘を止めても、信仰は止まらないって、司祭様が言ってくれてね」
慎は、その言葉を聞いて、静かな手応えを感じた。
(聖都の圧力は、失敗しつつある。信仰を人質にする手段は、かえって、独立した聖職者への信頼を高めている)
慎が聖都に行っている間に、アルテシアの状況は、少しずつ、良い方向に動いていた。
◆エミリアとの再会
王都に着き、王城に向かう途中、慎は思いがけない人物と出会った。
エミリアだった。
彼女は、王城の門の近くで、何かを待っているように立っていた。慎の姿を見つけると、その表情が、一瞬で変わった。
「ジル様!」
エミリアは、駆け寄ってきた。
「ただいま、エミリアさん」
「無事だったのね。本当に、無事だったのね」
エミリアの声は、震えていた。
「聖都に行ったきり、しばらく連絡がなかったから、心配で……何度も、門のところで待っていたの」
慎は、エミリアの様子に、彼女がどれほど心配していたかを、感じ取った。
「ご心配を、おかけしました」
「ロイド様は?」
エミリアの顔が、わずかに曇った。慎が一人で戻ってきたことに、気づいたのだ。
「ロイド殿は、聖都に残っています」
「残った? どういうこと」
「聖都で、状況が変わりました。詳しくは、陛下への報告と合わせて、お話しします。ただ、ロイド殿は無事です。それだけは、確かです」
エミリアは、少し安心したようだったが、まだ心配そうだった。
「聖都で、何があったの」
「複雑な話です。ですが、一言で言えば——聖都の内部で、政変が起きました」
「政変?」
「ヴァルクスが、より過激な人物によって、拘束されました。私たちも、危険な状況になり、ロイド殿は聖都に残って内側から対応することになり、私はアルテシアに戻って外側から動くことになりました」
エミリアは、話を聞いて、驚いた顔をした。
「そんなことになっていたなんて」
「はい。ですが、悲観する状況ではありません。むしろ、新たな機会でもあります」
「機会?」
「詳しくは、後で。まず、陛下に報告します」
エミリアは、頷いた。
「分かった。でも、その前に一つだけ」
「何ですか」
エミリアは、慎を見つめた。
「帰ってきてくれて、ありがとう」
慎は、その言葉に、静かに応えた。
「約束しましたから。必ず、帰ると」
エミリアは、少し笑った。その笑顔に、安堵が滲んでいた。
◆陛下への報告
その日のうちに、国王とレオンハルトへの報告の場が設けられた。
慎は、聖都での全ての出来事を、順を追って報告した。
ヴァルクスとの対話、彼が転生者であること、彼の過去と動機、計画を止めるかどうか迷っていたこと。そして、コルネリウスのクーデター、彼がヴァルクスより過激な思想を持つこと、彼もまた転生者かもしれないという可能性、聖都が三つに割れていること、そしてロイドとガウス、ベネディクト司教が聖都に残って内側から動いていること。
国王とレオンハルトは、黙って聞いていた。
報告が終わると、レオンハルトが、最初に口を開いた。
「……つまり、ヴァルクスは、もはや聖都の実権を握っていない、ということか」
「はい。今、聖都の実権を握りつつあるのは、コルネリウスです。そして、コルネリウスは、ヴァルクスよりも遥かに危険です」
「どう危険なのだ」
「ヴァルクスは、教会を王権と対等な立場にすることを目指していました。ですが、コルネリウスは、教会を王権の上に立たせようとしています。各国の王を、教会の下に置く。それが、コルネリウスの狙いです」
国王が、低い声で言った。
「それは、我々にとって、直接の脅威だ」
「はい。ヴァルクスの計画も脅威でしたが、コルネリウスの計画は、それ以上です。各国の主権を、根本から否定するものです」
レオンハルトが、問うた。
「コルネリウスに、対抗する手立てはあるのか」
「あります。三つの方向から、対応します」
慎は、順番に説明した。
「一つ目。四か国連携を、さらに強化します。コルネリウスの計画が、各国の主権への脅威であることを共有すれば、連携はより強固になります」
「二つ目は」
「聖都内部の穏健派との連携です。ベネディクト司教をはじめとする穏健派は、コルネリウスの過激さに反対しています。彼らと連携し、内側からコルネリウスを封じます。ロイド殿が、その連携の要になっています」
「三つ目は」
「コルネリウスの本当の狙いを、明らかにすることです。コルネリウスは、信仰を口実にしていますが、その本質は、純粋な権力欲です。それを証拠として示せば、聖都内部の穏健派だけでなく、ヴァルクスの支持者すら、コルネリウスから離れる可能性があります」
国王は、しばらく考えていた。
「……お前の提案は、理にかなっている。だが、一つ、確認したいことがある」
「何でしょう」
「ヴァルクスについてだ。彼は、拘束されている。我々は、彼をどう扱うべきだと考える」
慎は、少し考えてから答えた。
「ヴァルクスは、罪を犯しました。それは、事実です。ですが、彼は、最後に迷い始めていました。計画を止めることを、考え始めていた。そして、彼は、コルネリウスの計画の全容を知っている可能性があります」
「つまり」
「ヴァルクスを、敵としてではなく、協力者として扱える可能性があります。彼が持つ知識は、コルネリウスに対抗する上で、貴重です。そして、彼自身も、コルネリウスによって拘束された今、私たちと利害が一致する部分があります」
国王は、少し驚いた顔をした。
「ヴァルクスと、手を組む、ということか」
「可能性として。もちろん、彼が犯した罪を、免罪するわけではありません。ただ、コルネリウスという、より大きな脅威に対応するために、一時的に協力する、ということです」
レオンハルトが、慎重に言った。
「危険な賭けだな。ヴァルクスが、本当に協力するかどうか、分からない」
「はい。ですが、少なくとも、ヴァルクスは、コルネリウスに裏切られました。その恨みは、利用できるかもしれません」
国王は、しばらく沈黙してから、言った。
「……分かった。三つの方向からの対応を、進める。ヴァルクスとの協力については、聖都のロイドからの連絡を待って、判断する」
「承知しました」
◆四か国への連絡
報告の後、慎はすぐに、四か国連携への状況共有の準備を始めた。
コルネリウスの台頭という新たな情報を、各国に伝える必要があった。
慎は、書状を作成した。
内容は、聖都の内部で政変が起き、ヴァルクスより過激な人物が実権を握りつつあること、その人物の計画が各国の主権への直接の脅威であること、そして、それに対抗するために四か国連携をさらに強化する必要があること。
書状は、ミレス、ラーセン、デミアに送られた。
数日のうちに、返信が届き始めた。
ミレス公国からは、レオンハルト経由で、連携強化への同意が伝えられた。「コルネリウスの計画が事実なら、これは各国共通の脅威である。連携を強化することに、異論はない」
ラーセン侯国からも、同様の返信が来た。
デミア連邦の商業ギルドからは、少し違う視点の返信が来た。「教会が王権の上に立つという計画は、商業の自由にとっても脅威である。商業ギルドとして、この動きに強く反対する」
四か国が、それぞれの立場から、コルネリウスの計画への警戒を強めた。
(連携は、機能している。コルネリウスという共通の脅威が、むしろ連携を強固にしている)
慎は、その手応えを感じた。
◆ロイドからの第一報
慎がアルテシアに戻ってから十日ほど経った頃、聖都のロイドから、最初の連絡が届いた。
連絡は、隊商の長を通じて、密かに運ばれてきた。
ロイドの書状は、簡潔だった。
「聖都内部の状況を、報告する。
コルネリウスは、上位評議会の実権を、ほぼ掌握した。ヴァルクスの支持者は、次々と排除されるか、コルネリウスに従属させられている。
ヴァルクスは、聖堂の奥に軟禁されている。面会は許されていないが、ベネディクト司教の伝手で、彼の状況は確認できている。命に別状はない。
ベネディクト司教を中心とする穏健派は、まだ様子を見ている。だが、コルネリウスの強引なやり方に、不満を持つ者は増えている。
コルネリウスの本当の狙いについて、証拠を集めている。一つ、重要な情報を掴んだ。コルネリウスは、聖都の資金を、密かに、ある目的のために動かしている。その目的が何かを、今、調べている。
そして——コルネリウスの経歴について、新たな事実が分かった。彼が聖都に来る前、ヴェルナにいたという記録がある。ヴァルクスと、同じ場所だ。
詳細は、次の連絡で。ガウス殿とベネディクト司教は、無事だ。心配するな。
ロイド」
慎は、書状を読んで、いくつかの重要な情報を、頭の中で整理した。
(コルネリウスは、聖都の資金を、密かに動かしている。その目的は、まだ不明。そして、コルネリウスも、ヴェルナにいた)
ヴェルナ。
グレイ主教の出身地。ヴァルクスの拠点。聖ヴェルナ教会財団の名前の由来。そして今、コルネリウスも、ヴェルナと繋がっている。
(ヴェルナが、鍵だ)
慎は、その地名を、改めて手帳に書いた。
(ヴェルナに、何があるのか。なぜ、この計画に関わる人物は、皆、ヴェルナと繋がっているのか)
これまで、ヴェルナは、単なる地名として扱ってきた。だが、これほど多くの人物が、ヴェルナと繋がっているのは、偶然ではない。
(ヴェルナそのものに、何か秘密があるのかもしれない)
慎は、新たな調査の方向を、見出した。
ヴェルナ——この計画の、根源にある場所。そこを調べることが、全体像を理解する鍵になるかもしれない。
◆エミリアとの夜
その夜、慎はエミリアに、ロイドからの連絡と、ヴェルナについての新たな気づきを話した。
エミリアは、話を聞いて、少し考えた。
「ヴェルナ、って、ずっと出てきている名前ね」
「はい。グレイ主教、ヴァルクス、聖ヴェルナ教会財団、そして今、コルネリウス。皆、ヴェルナと繋がっています」
「その場所に、何かがあるのね」
「そう思います。ただ、それが何かは、まだ分かりません」
エミリアは、少し考えてから言った。
「ヴェルナに、行ってみたら?」
「行く?」
「これまで、ヴェルナは、人の口から聞くだけだった。でも、実際に行ってみれば、何か分かるかもしれない」
慎は、その提案を、真剣に考えた。
(ヴェルナに、直接行く。確かに、それが最も直接的な調査方法だ)
「ヴェルナは、アルテシアから、それほど遠くありません。王都から東に、三日ほどの地方都市です」
「なら、行けるわね」
「はい。ただ、コルネリウスの一派が、ヴェルナを監視している可能性もあります」
「危険なら、一人で行かないで。今度は、私も一緒に行く」
慎は、エミリアを見た。
「危険です」
「あなただって、いつも危険な場所に行っているじゃない。それに、私は、あなたが一人で全部抱え込むのを、見ていたくないの」
慎は、少し考えた。
(エミリアの観察眼は、これまで何度も助けになった。ヴェルナの調査でも、彼女の視点が役立つかもしれない)
「……分かりました。ただし、無理はしないでください」
「分かってる」
エミリアは、少し嬉しそうに笑った。
「それに、聖都に一人で行かせて、あんなに心配したんだもの。今度は、目の届くところにいてほしいの」
慎は、その言葉に、静かに頷いた。
「ヴェルナ行きは、陛下に相談してから決めます。ですが、行く方向で、考えます」
「うん」
エミリアは、窓の外を見た。
「ねえ、ジル様」
「はい」
「聖都で、ヴァルクスと話して、どう思った?」
慎は、少し考えた。
「……自分と、紙一重だと思いました」
「紙一重?」
「ヴァルクスは、私と同じ場所から来ました。過労で倒れ、この世界に来た。前世で果たせなかった理想を、こちらで実現しようとした。もし、私が違う選択をしていたら、私も彼のようになっていたかもしれない」
エミリアは、慎を見た。
「でも、あなたは、彼のようにはならなかった」
「はい」
「なぜ?」
慎は、しばらく考えてから答えた。
「目の前の一人を、大切にするか。理想のために、その一人を犠牲にするか。その違いだと思います。ヴァルクスは、理想のために、目の前の人を犠牲にした。私は、それをしたくない」
エミリアは、静かに頷いた。
「それが、あなたよ」
「そうかもしれません」
「じゃあ、これからも、そうやって進んでいって。目の前の一人を、大切にしながら」
慎は、その言葉を、静かに受け取った。
「はい」
エミリアは、立ち上がった。
「そろそろ、休んで。長旅で、疲れているでしょう」
「そうします」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
エミリアが部屋を出た後、慎は手帳を開いた。
聖都での出来事、コルネリウスの台頭、ロイドからの連絡、そして——ヴェルナという鍵。
全てを、丁寧に書き記した。
そして、最後に一行、付け加えた。
『ヴェルナ——全ての根源。次は、そこへ』
書き終えて、慎は手帳を閉じた。
窓の外、王都の夜が、静かに広がっていた。
聖都から帰還した。だが、これは、終わりではなく、新たな始まりだった。
コルネリウス、ヴェルナの秘密、三人目の降る者の可能性——。
まだ、見えていないものが、多くある。
だが、慎は、一つずつ、明らかにしていくつもりだった。
(前世でも、この世界でも、やることは変わらない)
事実を積み上げ、矛盾を正す。
それを、続けていく。
慎は、灯りを落とした。
長旅の疲れが、静かに、体を包んでいった。
(第31話に続く)




