第23話 四つの声
◆文書庫の続き
翌朝、慎は再び文書庫の深部に入った。
リディア文書官が、昨日の続きとして、関連しそうな文書をいくつか用意してくれていた。
「昨日の『天より降る者の記』に関連しそうな文書を、いくつか探しておきました」
「ありがとうございます。助かります」
慎は、用意された文書を一枚ずつ確認していった。
最初の文書は、建国期の年代記の一部だった。そこには、建国の英雄の一人が「異なる理の記憶を持つ者」だったという記述があった。断片的だが、その英雄が、当時の混乱を収める上で、他の者には見えない解決策を示した、と書かれていた。
(建国の英雄の一人が、転生者だった可能性がある。この世界には、過去にも同じような存在が現れていた)
二つ目の文書は、さらに古い伝承を記したものだった。文字が擦れて読みにくかったが、リディアの助けを借りて、部分的に読み解いた。
そこには、こう書かれていた。
「降る者は、一人ではない。世界の岐路には、複数の降る者が現れることがある。彼らは、互いに知らぬまま、同じ岐路に立つ。ある者は正しき方向を示し、ある者は誤れる方向へ進む。岐路の行方は、彼らの選択の総和による」
慎は、その一文に、強い引っかかりを覚えた。
(降る者は、一人ではない。複数の転生者が、同じ時代に存在することがある——)
「リディア文書官、この記述について、他に補足する文書はありますか」
「この伝承については、いくつかの写本が存在します。ただ、内容はほぼ同じで、それ以上詳しい記述は見つかっていません」
慎は、その記述を手帳に書き写しながら、考えを巡らせた。
もし、この記録が事実を反映しているなら、この時代——慎が生きているこの岐路には、慎以外にも「降る者」がいる可能性がある。
(もし、ヴァルクスもまた「降る者」だとしたら)
その仮説は、これまでの違和感を説明する。
ヴァルクスが、この世界の常識を超えた長期計画を立てられたこと。転生についての知識を持っていたこと。そして、慎が現れることを予期していたこと——。
(ヴァルクスが転生者であれば、別の世界の知識を使って、この世界の権力構造を根本から変えようとしている、という構図になる)
だが、これはまだ仮説に過ぎない。根拠が足りない。
「リディア文書官。これらの文書は、聖都にも同じものがあると思いますか」
「おそらく、あるでしょう。この種の古い宗教文書は、建国期に聖都から伝わったものも多いので、聖都の文書庫には、より完全な形で保管されている可能性があります」
(聖都の文書庫。ヴァルクスは、そこにアクセスできる立場にいる。私が今、断片的に読んでいるこの記録の、完全な形を、ヴァルクスは持っているかもしれない)
慎は、その日確認できた文書の内容を、全て手帳に書き写した。
まだ、全体像は見えない。だが、少しずつ、この世界の深い構造が見え始めていた。
◆デミアの商業ギルド
午後、慎はデミア連邦の商業ギルド代表との面会に臨んだ。
代表の名は、ハーグレン。五十代の恰幅の良い商人で、目に商売人特有の鋭さがあった。デミア連邦は各都市が独立した連邦制のため、正式な外交ルートより、こうした商業ギルドを通じた接触の方が現実的だった。
「王室経済顧問殿が、私のような一介の商人に会いたいとは、珍しいことですな」
ハーグレンは、探るような口調で言った。
「ハーグレン殿は、デミア連邦の商業を代表する立場にあると伺いました。今日は、両国の商業に関わる、ある問題についてお話ししたいと思います」
「商業に関わる問題、ですか」
「はい。単刀直入に申し上げます。デミア連邦内で、聖都に関連する組織による、商業資産への不審な動きがありませんか」
ハーグレンの表情が、わずかに変わった。
「……なぜ、そのようなことを」
「アルテシア王国、ミレス公国、ラーセン侯国で、同様の動きが確認されています。いずれも、聖都から赴任した聖職者が、地域の重要な資産を教会系の組織に移そうとする動きです」
ハーグレンは、しばらく慎を見ていた。
「……確かに、心当たりがあります」
「教えていただけますか」
「デミアの主要都市の一つ、ヴェーデンで、一年ほど前から、聖都系の財団が商業施設を買い集めているという話があります。最初は普通の投資かと思っていましたが、その資金の出所が不明確で、商業ギルドとしても警戒していました」
「その財団の名前は分かりますか」
「聖ヴェルナ商業財団、という名前だったと思います」
慎は、思わず手帳に書き留めた。
(聖ヴェルナ——アルテシアの聖ヴェルナ教会財団と、同じ名前の系列だ)
「ハーグレン殿。その財団について、詳しい資料はありますか」
「商業ギルドに、取引記録の一部があります。ただ、それを外部に出すには、ギルドの承認が必要です」
「承知しています。今すぐにとは言いません。ただ、この問題について、デミア連邦の商業ギルドと、アルテシア、ミレス、ラーセンが情報を共有できれば、全体像がより明確になります」
ハーグレンは、少し考えてから言った。
「率直に聞きます。この件で、私たち商人にどんな利益がありますか」
(商人らしい、実利的な問い。だが、正当な問いだ)
「聖ヴェルナ系の財団が商業施設を掌握すれば、その地域の商業は、教会系組織の影響下に入ります。取引の条件、価格、市場へのアクセス——それらが、一つの組織によってコントロールされるようになる。それは、独立した商人にとって、大きな不利益です」
ハーグレンは、頷いた。
「……確かに、そうですな。市場が一つの組織に握られれば、我々の商売の自由が失われる」
「そうです。だからこそ、早い段階でこの動きを止めることが、商人の利益にも適います」
ハーグレンは、しばらく考えてから言った。
「分かりました。商業ギルドに諮って、情報共有について前向きに検討します。私個人としては、協力する価値があると思います」
「ありがとうございます」
「ただし、一つ条件があります」
「何でしょう」
「この件で、デミアの商人が不当な扱いを受けないよう、配慮してほしい。我々は、聖都と取引をしている商人も多い。急に取引を絶てば、混乱が生じます」
「承知しました。目的は、聖ヴェルナ系財団の不正な動きを止めることであって、正当な商取引を妨げることではありません。その点は、明確にします」
ハーグレンは、満足そうに頷いた。
「では、話は前に進められそうですな」
◆四か国の枠組み
デミアとの接触が実現したことで、四か国の連携の枠組みが、ようやく形になり始めた。
慎は、その夜、これまでの状況を一枚の図にまとめた。
アルテシア王国——グレイ主教逮捕。証拠固め完了。連携の中心。
ミレス公国——公爵が連携に同意。レオンハルトが直接交渉済み。
ラーセン侯国——港湾財務官が連携を希望。書状での連絡が確立。
デミア連邦——商業ギルドが情報共有に前向き。ハーグレンが窓口。
四か国が、それぞれ別のルートで繋がりつつある。正式な外交同盟ではないが、この問題に対して情報を共有し、協調して動く基盤ができつつあった。
(これが、ヴァルクスの計画に対する、最も有効な対抗策だ)
各国が個別に動いている限り、ヴァルクスは各個撃破できる。だが、四か国が連携すれば、聖都は同時に四つの正面で対応せざるを得なくなる。
慎は、この枠組みを、翌日の評議で正式に提案することにした。
◆評議での提案
翌日の評議で、慎は四か国連携の枠組みを提案した。
「現在、アルテシア、ミレス、ラーセン、デミアの四か国が、それぞれ聖都系組織による資産掌握の動きに直面しています。これらの国と、情報を共有し、協調して対応する枠組みを作ることを提案します」
外務大臣が、慎重な意見を述べた。
「四か国の連携は理解できるが、それが聖都との全面的な対立に発展するリスクはないか」
「そのリスクは考慮すべきです。ただ、目的は聖都との対立ではなく、不正な資産掌握を止めることです。あくまで、各国の資産と商業の自由を守るための、防衛的な連携である、という位置づけを明確にします」
「聖都が、これを敵対的な行為と受け取ったら」
「その場合でも、四か国が連携していれば、聖都の圧力は分散されます。一国では屈しやすい圧力も、四か国で共有すれば、耐えることができます」
国王が、口を開いた。
「ジル殿の提案は、理にかなっている。各国が個別に対応する限り、この問題は解決しない。連携の枠組みを作ることは、必要な一歩だ」
国王は、閣僚たちを見回した。
「この枠組みを、正式に進めることを決定する。外務省は、四か国との連絡体制を整えよ。ジル殿は、引き続き全体の調整を担当せよ」
「承知しました」
評議が終わり、枠組みの構築が正式に始まった。
◆ヴァルクスの反撃
だが、ヴァルクスも黙ってはいなかった。
四か国連携の動きが本格化してから数日後、聖都から新たな書状が届いた。
今度は、抗議ではなかった。
「アルテシア王国が、周辺国と結んで聖都に敵対する動きを見せていることは、遺憾である。聖都は、平和と信仰を守る立場から、この動きに深い懸念を表明する。もし、この動きが継続するならば、聖都は、アルテシア王国内の全ての教会施設における宗教活動を、一時停止することを検討せざるを得ない」
慎が予測していた、宗教的な圧力だった。
ロイドが、書状を読んで、険しい顔をした。
「教会活動の一時停止か。これは、国内の民衆に対する圧力だ」
「はい。信仰は民衆の生活に深く根付いています。教会活動が停止すれば、洗礼、婚姻、葬儀といった、人生の節目の儀式ができなくなる。それによって、民衆の不満を煽り、王室への批判に転じさせようとする狙いです」
「対応策は」
「事前に検討していた通り、情報の開示です。聖都が教会活動の停止という手段を取ろうとしていること、そしてその背景に、聖都系組織による不正な資産掌握があることを、民衆に正確に伝えます」
「民衆が、それを理解するか」
「全員がすぐに理解するとは限りません。ただ、事実を丁寧に伝え続ければ、聖都の圧力が、信仰のためではなく、権力と資産のためであることが、次第に伝わります」
慎は、少し考えてから続けた。
「それと、もう一つ。教会活動の停止は、聖都自身にとっても諸刃の剣です。民衆の信仰を人質に取るような行為は、教会本来の役割に反します。それが明らかになれば、聖都の権威そのものが揺らぎます」
「ヴァルクスは、それが分かった上で、この手を使ってきたということか」
「追い詰められている、ということだと思います。四か国連携が進めば、計画全体が崩れる。それを止めるために、強引な手段に出ざるを得なくなっている」
ロイドは、頷いた。
「陛下に報告して、対応方針を決めよう」
◆陛下の決断
その日のうちに、国王への報告が行われた。
国王は、聖都からの書状を読んで、しばらく沈黙した。
「教会活動の停止を、脅しに使うか」
「はい。ただ、これは聖都にとってもリスクの高い手段です」
「お前は、どう対応すべきだと考える」
「三つの対応を提案します」
慎は、順番に説明した。
「一つ目。聖都の書状に対して、冷静かつ毅然と返答します。四か国の連携は、聖都に敵対するものではなく、各国の資産と商業の自由を守るための、正当な防衛措置であることを明確にします」
「二つ目は」
「二つ目。国内の民衆に対して、この件の経緯を、段階的に開示します。聖都系組織による不正な資産掌握の事実と、それに対する四か国連携の目的を、正確に伝えます」
「三つ目は」
「三つ目。万が一、聖都が実際に教会活動を停止した場合に備えて、国内の宗教的な混乱を最小限に抑える準備をします。具体的には、聖都から独立した立場の聖職者との連携です」
「聖都から独立した聖職者、というのは」
「この国の教会組織の全てが、ヴァルクスの意向に従っているわけではありません。グレイ主教のような人物もいれば、その一方で、ヴァルクスの計画に疑問を持つ聖職者もいるはずです。そうした人々と連携できれば、聖都が活動を停止しても、国内の宗教的な支えを維持できます」
国王は、しばらく考えていた。
「……三つ目の対応は、簡単ではないな。聖都から独立した聖職者を見つけ、連携することは、時間がかかる」
「はい。ただ、長期的には、それが最も重要かもしれません。聖都の圧力に対抗する上で、国内に独立した宗教的な基盤を持つことは、大きな支えになります」
国王は、決断した。
「三つの対応を、全て進める。一つ目と二つ目は、すぐに着手せよ。三つ目については、時間をかけて慎重に進める」
「承知しました」
「ジル・ヴァンディアール」
「はい」
「お前は、いつも先を読んでいるな。この教会活動停止の可能性も、事前に予測していた」
「相手の立場に立って考えれば、次に打つ手は、ある程度予測できます。前世——いえ、これまでの経験で、そういう読み方が身についているだけです」
国王は、慎の言い間違いに気づいたようだったが、それには触れなかった。
「引き続き、頼む」
「はい」
◆夜、エミリアと
夜、執務室でエミリアに、その日の状況を話した。
四か国連携の枠組みが成立したこと、そして聖都が教会活動の停止という圧力をかけてきたこと。
エミリアは、聞き終えてから、少し心配そうな顔をした。
「教会の活動が止まったら、みんな困るわね」
「はい。だからこそ、聖都はそれを圧力に使おうとしています」
「でも、それって、聖都が自分の首を絞めることにもならない?」
「その通りです。よく分かりましたね」
「信仰を人質にするなんて、教会がやることじゃないもの。みんな、そのうち気づくわ」
慎は、エミリアの言葉に、頷いた。
「あなたの言う通りです。だからこそ、事実を丁寧に伝えることが重要なんです」
エミリアは、少し考えてから言った。
「ねえ、文書庫で見つけた記録のこと、覚えてる? 降る者は一人ではない、って書いてあったっていう」
「はい」
「それ、ずっと気になっているの。もし、ヴァルクスもあなたと同じ、別の世界から来た人だとしたら——」
「私も、その可能性を考えています」
「だとしたら、ヴァルクスは、なぜこの世界を変えようとしているのかしら。あなたは、矛盾を正したいという性分で動いている。じゃあ、ヴァルクスは何のために?」
慎は、その問いを、真剣に考えた。
「分かりません。ただ、グレイ主教の話では、ヴァルクスは理念を持っていた。聖都を大陸の独立した権威にすることで、王権による支配を弱めようとしていた。それは、ある種の理想主義かもしれません」
「理想のために、人を傷つけているのね」
「そうです。理想と方法が、乖離している。グレイ主教も、同じことを言っていました」
エミリアは、静かに言った。
「あなたは、理想のために人を傷つけたりしないでしょう」
「しないつもりです。目的のために手段を選ばない、という考え方は、前世でも見てきましたが、私はそれを取りません。事実を積み上げること、公正であること——その方法自体を、大切にしたい」
「それが、あなたとヴァルクスの違いなのかもしれないわね」
慎は、その言葉を、静かに受け取った。
(もしヴァルクスが転生者だとしたら、私と彼は、同じ立場から、正反対の道を選んだことになる)
文書庫の記録が示していた。降る者の選択によって、岐路の行方が決まる、と。
(私は、正しき方向を示せるだろうか)
答えは、まだ分からない。
だが、自分の信じる方法で、進み続けるしかない。
「そろそろ、休みなさい」
エミリアが立ち上がった。
「はい」
「明日も、忙しいでしょう」
「おそらく」
エミリアが部屋を出た後、慎は手帳を開いた。
今日分かったこと、四か国連携の成立、聖都の圧力、そして——降る者は一人ではない、という記録。
全てを、丁寧に書き記した。
窓の外、王城の夜が広がっていた。
第4部は、深いところへ向かっている。
財産の問題から、政治の問題へ。政治の問題から、存在の問題へ。
そして、その先に、ヴァルクスがいる。
慎は、手帳を閉じ、灯りを落とした。
(第24話に続く)




