第24話 沈黙する鐘
◆情報開示の始まり
四か国連携の枠組みが動き出す一方で、慎は国内向けの情報開示の準備を進めた。
聖都が教会活動の停止という圧力をかけてくる以上、その前に、民衆にこの件の経緯を正確に伝えておく必要があった。
「どういう形で伝えるのがいいでしょうか」
ロイドが問うと、慎は答えた。
「一度に全てを伝えるのではなく、段階的に伝えます。まず、貴族家への不正な資産掌握の事実。次に、それが複数国で起きていること。そして最後に、聖都がその調査を妨害しようとしていること」
「なぜ段階的に」
「一度に全てを伝えると、民衆は混乱します。特に、聖都への批判をいきなり前面に出すと、信仰への攻撃と受け取られかねない。まず事実を積み上げて、民衆自身が判断できる材料を提供することが大切です」
「具体的な方法は」
「各地の領主を通じて、正式な布告として伝えます。同時に、王都では公開の場での説明も行います。噂ではなく、王室が公式に説明する形を取ることで、信頼性が高まります」
「分かった。布告の文案を作ろう」
慎は、布告の文案を慎重に作成した。
感情的な表現を避け、事実だけを淡々と記す。誰が読んでも、同じ事実を受け取れるように。前世の監査報告書と同じ原則だった。
第一の布告は、こう始まった。
「王国内の複数の貴族家において、財産が不正な方法で外部の組織に流出していた事実が確認された。この不正は、信頼できる人物を装って各家に入り込み、財務の記録を操作することによって行われた。王室は、この不正の全容を調査し、被害の回復に努めている」
聖都という言葉は、まだ使わなかった。事実を、順番に積み上げる。
布告は、各地の領主を通じて、王国全土に伝えられた。
◆独立した聖職者
情報開示と並行して、慎は聖都から独立した立場の聖職者を探す作業を始めた。
これは、簡単ではなかった。この国の教会組織は、聖都の権威の下にある。表立って聖都に異を唱える聖職者は、ほとんどいない。
だが、ロイドが一人の人物を見つけてきた。
「王都の外れに、小さな救護院を営む司祭がいる。名前はマルコ。聖都の方針に距離を置いて、独自に貧しい人々の救護活動を続けている人物だ」
「その人物は、信頼できますか」
「長年、政治的な動きとは無縁で、純粋に救護活動に専念してきた。ヴァルクスの計画とも、無関係だと思う」
「会ってみたいです」
翌日、慎はマルコ司祭の救護院を訪ねた。
救護院は、質素な建物だった。だが、中は清潔に保たれ、病人や貧しい人々が、静かに世話を受けていた。
マルコ司祭は、六十代の穏やかな人物だった。粗末な僧衣を纏い、その手は、長年の労働で節くれ立っていた。
「王室の方が、私のような者に何の御用ですか」
「マルコ司祭。今日は、教会と聖都の問題について、お話を伺いたくて参りました」
慎は、これまでの経緯を、率直に説明した。聖都系組織による不正な資産掌握、それに対する調査、そして聖都が教会活動の停止という圧力をかけてきていること。
マルコ司祭は、黙って聞いていた。
「……そのようなことが、起きていたのですか」
「はい。マルコ司祭は、この件について何かご存知でしたか」
「詳しくは知りませんでした。ただ、ここ数年、聖都から来る指示が、以前とは変わってきたことは感じていました」
「どのように変わったのですか」
「以前は、信仰と救済についての指示が中心でした。しかし最近は、資産の管理や、寄進の集め方についての指示が増えてきた。私のような救護院にまで、寄進を増やすようにという指示が来るようになったのです」
「その指示に、従ってきたのですか」
「従いませんでした」
マルコ司祭は、静かに、しかしはっきりと言った。
「私の役割は、貧しい人々を救うことです。寄進を集めることではない。だから、聖都の指示に反して、これまで通りの活動を続けてきました。おかげで、聖都からは煙たがられていますが」
慎は、この人物が信頼できると感じた。
「マルコ司祭。もし、聖都が本当に教会活動を停止した場合、この国の民衆は、信仰の支えを失います。そのとき、あなたのような、聖都から独立した立場の聖職者が、民衆の支えになることができるのではないかと考えています」
マルコ司祭は、しばらく考えた。
「……つまり、聖都が活動を止めても、私たちが活動を続ければいい、ということですか」
「はい。ただ、それは聖都との対立を意味します。あなたに、そのリスクを負わせることになる」
マルコ司祭は、静かに微笑んだ。
「リスクなら、すでに負っています。聖都の指示に従わずに活動を続けている時点で、私はとうに、聖都から睨まれている身です」
「では——」
「協力しましょう。信仰は、聖都のためにあるのではありません。人々のためにあるのです。聖都が信仰を人質に取るなら、それは聖都の方が間違っている」
慎は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼には及びません。ただ、私一人でできることは限られています。同じ考えを持つ聖職者を、他にも集める必要があります」
「心当たりはありますか」
「何人か。聖都の最近の方針に、疑問を持っている者は、少なくありません。声を上げていないだけで」
「その方々と、繋いでいただけますか」
「やってみましょう」
◆聖都の実行
情報開示が進み、独立した聖職者との連携が始まった矢先、聖都は予告を実行に移した。
ある朝、王都の大聖堂の鐘が、鳴らなくなった。
毎朝、正刻を告げていた鐘が、沈黙した。
大聖堂は門を閉ざし、聖職者たちは礼拝を停止した。同時に、各地の教会にも、聖都からの指示が届き、宗教活動が次々と止められていった。
王都の民衆は、動揺した。
「教会が閉まっている」
「礼拝ができない」
「何が起きているんだ」
不安が、街に広がっていった。
慎は、その日のうちに、ロイドと対応を協議した。
「聖都が、本当に実行した」
「はい。予想はしていましたが、実際に鐘が止まると、民衆への影響は大きいですね」
「布告は、間に合ったか」
「第一と第二の布告は、すでに伝わっています。ただ、第三の布告——聖都が調査を妨害しようとしているという内容——は、まだ全土には届いていません」
「急ぐ必要があるな」
「はい。ただ、急ぎすぎて聖都への一方的な批判に見えると、逆効果です。あくまで事実として、聖都が教会活動を停止したこと、その背景に資産掌握の問題があることを、冷静に伝えます」
慎は、第三の布告を、慎重に仕上げた。
「聖都は、王国内の教会活動を停止した。この措置は、王国が周辺国と協力して、複数国にまたがる不正な資産掌握を調査していることへの、対抗措置である。王室は、民衆の信仰生活が損なわれることを深く憂慮し、聖都に対して、教会活動の速やかな再開を求めている。また、聖都から独立した立場の聖職者と協力し、民衆の信仰生活を可能な限り支える所存である」
この布告が、全土に伝えられた。
◆民衆の反応
布告が伝わると、民衆の反応は、二つに分かれた。
一部の民衆は、聖都の措置に憤った。信仰を人質に取るような行為は、教会本来の姿ではない、と。
だが、別の一部の民衆は、王室への不満を口にした。王室が聖都と対立したから、こんなことになった、と。
慎は、その両方の反応を、予測していた。
「二つに分かれるのは、想定通りです」
「だが、王室への不満の声もある。これが広がると、厄介だ」
「はい。だからこそ、マルコ司祭たちの活動が重要になります。聖都が活動を止めても、独立した聖職者が民衆の信仰を支えれば、王室が信仰を軽視しているわけではないことが伝わります」
マルコ司祭と、彼が集めた数人の独立した聖職者たちは、閉ざされた大聖堂の代わりに、王都の各地で、簡素な礼拝と救護活動を始めた。
「信仰は、建物や組織ではなく、人々の心の中にあります」
マルコ司祭は、集まった民衆に向けて、静かにそう語った。
「聖都が鐘を鳴らさなくとも、私たちの祈りは、変わらず続けられます」
その言葉は、少しずつ、民衆の間に広まっていった。
聖都が活動を停止しても、信仰そのものは止まらない。その事実が、民衆の不安を、徐々に和らげていった。
◆ヴァルクスからの接触
聖都が教会活動を停止してから五日後、慎のもとに、予想外の使者が訪れた。
「聖都のヴェルナ大司教、エルト・ヴァルクス様からの、個人的な書状をお持ちしました」
使者は、ガウスの補佐役をしていた若い聖職者の一人だった。
慎は、書状を受け取った。ロイドに立会いを求め、慎重に開封した。
書状は、丁寧な筆致で書かれていた。
「ジル・ヴァンディアール殿。
貴殿の働きについては、かねてより聞き及んでおりました。この短い期間で、これほどの成果を上げられたことに、素直に敬意を表します。
私は、貴殿と一度、直接話をしたいと考えております。互いの立場を超えて、この世界の行く末について、語り合いたいのです。
貴殿もまた、私と同じく、この世界の者ではない。であれば、我々には、通じ合えるものがあるはずです。
もし、貴殿にその意思があるなら、聖都へお越しいただきたい。貴殿の安全は、私が保証します。
エルト・ヴァルクス」
慎は、書状を読み終えて、しばらく動かなかった。
(ヴァルクスは、私が転生者であることを、はっきりと認識している。そして、自分もまた転生者であることを、暗に認めている)
「貴殿もまた、この世界の者ではない」——この一文が、それを示していた。
ロイドが、書状を読んで、険しい顔をした。
「聖都へ来い、だと。罠の可能性が高い」
「その可能性は、あります」
「安全を保証すると書いてあるが、信用できるものか」
「保証を信用するかどうかは、別として——」
慎は、少し考えた。
「ヴァルクスが、私と直接話したがっているのは事実だと思います。そして、その理由が気になります」
「どういう意味だ」
「ヴァルクスは、計画を進める上で、私を排除することもできたはずです。にもかかわらず、直接会って話そうとしている。それは、私を排除するより、対話することに何か意味があると考えているからです」
「取り込もうとしている、ということか」
「その可能性があります。あるいは——」
慎は、書状をもう一度読んだ。
「互いの立場を超えて、この世界の行く末について語り合いたい、と書いてあります。これが本心だとすれば、ヴァルクスは、同じ転生者である私に、自分の考えを理解してほしいと思っているのかもしれません」
「それは、危険な考えだ。お前を油断させるための言葉かもしれない」
「分かっています。ただ、この対話には、価値があるかもしれません」
「価値?」
「ヴァルクスの本当の目的を知る、最も直接的な機会です。グレイ主教も、カシアンも、末端の情報しか持っていなかった。ヴァルクス本人と話せば、計画の全体像と、その根底にある動機が分かるかもしれません」
ロイドは、しばらく黙っていた。
「……危険すぎる。聖都は、聖都の法が支配する場所だ。お前が入れば、王国の保護は及ばない」
「その通りです。だから、すぐに行くとは言いません。ただ、この機会を、簡単に捨てるべきではないとも思います」
「陛下に、相談する必要があるな」
「はい」
◆陛下との協議
その日のうちに、国王との協議が行われた。
国王は、ヴァルクスの書状を読んで、しばらく沈黙した。
「ヴァルクスが、直接お前を招いている」
「はい」
「これを、どう見る」
慎は、率直に答えた。
「罠の可能性と、対話の価値の、両方があります。ヴァルクスが私を排除したいだけなら、こんな回りくどいことはしません。直接会いたいという意思には、何か理由があります」
「その理由を、どう推測する」
「一つは、私を計画に取り込みたい。同じ転生者として、味方にできれば、計画にとって大きな力になる。もう一つは——ヴァルクス自身が、誰かに自分の考えを理解してほしいと思っている可能性です」
「理解してほしい、というのは」
「長年、一人で大きな計画を進めてきた人物です。その孤独の中で、同じ立場を理解できる存在——同じ転生者である私——と、話したいと思っているのかもしれません」
国王は、少し考えた。
「お前は、行きたいのか」
慎は、正直に答えた。
「行くべきかどうか、まだ判断がついていません。危険は承知しています。ただ、ヴァルクスの本当の目的を知ることができれば、この件を根本から解決する糸口になるかもしれない、とも思っています」
「危険が大きすぎる、とロイドは言っている」
「はい。ロイド殿の懸念は、もっともです」
国王は、しばらく沈黙してから、言った。
「即断はしない。この件は、慎重に検討する必要がある。まず、四か国連携をさらに固めよ。聖都が教会活動を停止したことで、むしろ各国は聖都への警戒を強めている。この機会に、連携を強化するのだ」
「承知しました」
「ヴァルクスへの返答は、保留する。すぐに行くとも、行かないとも答えず、時間を稼ぐ。その間に、状況をさらに有利にする」
「賢明なご判断だと思います」
「ただし——」
国王は、慎を見た。
「もし、対話に行くことになった場合、お前一人では行かせない。それだけは、約束しておく」
「ありがとうございます」
◆夜、エミリアと
夜、慎はエミリアに、ヴァルクスからの書状のことを話した。
エミリアは、聞き終えてから、しばらく黙っていた。
「聖都に、行くの?」
「まだ、決めていません」
「行ってほしくない」
エミリアは、はっきりと言った。
「危険すぎる。ヴァルクスが、あなたを取り込もうとしているにしても、排除しようとしているにしても、聖都はあなたにとって、あまりに不利な場所よ」
「分かっています」
「でも、行きたいと思っているんでしょう」
慎は、少し沈黙した。
「……ヴァルクスの本当の目的を、知りたいんです。同じ転生者として、彼が何を考え、何を目指しているのか。それを理解しなければ、この件は本当の意味では解決しない気がして」
エミリアは、しばらく慎を見ていた。
「あなたって、そういう人よね。危険でも、真実を知りたいという気持ちが勝ってしまう」
「悪い癖です」
「悪い癖だけど——それがあなただから」
エミリアは、少し寂しそうに笑った。
「一つだけ、約束して」
「何ですか」
「もし行くなら、必ず帰ってきて。真実を知っても、それに飲み込まれないで」
慎は、その言葉の意味を、静かに受け取った。
「約束します」
「本当に?」
「はい。私は、真実を知りたいだけです。ヴァルクスの考えを理解することと、それに同調することは、別です。私は、自分の信じる方法を、変えるつもりはありません」
エミリアは、少し安心したように頷いた。
「なら、いいわ」
「ありがとうございます」
「また言った」
「癖なので」
二人は、短く笑った。
だが、その笑いの後に、少しの沈黙が続いた。
聖都への対話が、現実味を帯びてきている。それは、これまでのどの局面よりも、危険な一歩になる。
慎は、窓の外を見た。
大聖堂の鐘は、まだ沈黙している。その向こう、遠い聖都に、ヴァルクスがいる。
同じ転生者。正反対の道を選んだ、もう一人の「降る者」。
(いつか、必ず向き合うことになる)
その日が、近づいていた。
エミリアが部屋を出た後、慎は手帳を開いた。
ヴァルクスからの書状の内容と、今日の協議の結論を書き記す。
そして、最後に一行、付け加えた。
『ヴァルクスとの対話——真実を知る機会か、それとも罠か。判断は、まだ先』
書き終えて、手帳を閉じた。
窓の外、王城の夜が、静かに広がっていた。
(第25話に続く)




