第22話 古い記録
◆ラーセンからの返信
オルグレン侯爵からラーセン侯国への書状を出してから二週間、ようやく返信が届いた。
侯爵に呼ばれた慎は、書状の内容を一緒に確認した。
「ラーセンの港湾財務官から返信が来た。読んでみてくれ」
慎は、書状を手に取った。
ラーセン侯国の港湾財務官、ベルナルドという人物からの書状だった。文面は慎重に言葉を選んであったが、内容は明確だった。
「半年ほど前から、聖都の関連施設への資金の流れが増加しています。特に、港湾施設の周辺にある小さな礼拝堂への寄進が急増しており、その礼拝堂を管理する聖職者は一年前に聖都から赴任してきた人物です。港湾の倉庫の一部が、教会名義で登録されるという動きもあり、財務官として懸念を持っています」
(港湾の倉庫。アルテシアの鉱山、ミレスの修道院、そして今度はラーセンの港湾施設——それぞれ、その地域で最も価値の高い資産を狙っている)
「やはり、同じ手口ですね」
「そうだ。ただ、ラーセンの場合は港湾の倉庫という点が、これまでと少し違う」
「港湾の倉庫は、商業的な価値だけでなく、軍事的な価値もあります。物資の集積地として、有事の際には重要な拠点になる」
「ヴァルクスは、経済的な支配だけでなく、軍事的な拠点も手に入れようとしている可能性があるか」
「今の段階では、まだ分かりません。ただ、可能性として排除できない」
侯爵は、書状を机に置いた。
「ラーセンの財務官は、この問題に対処したい意向のようだ。ただ、単独では動けないと言っている。アルテシアやミレスとの連携を求めている」
「すぐに、レオンハルト殿下とロイド殿に伝えます。ミレスとの連携が進んでいる今なら、ラーセンを加えることも現実的です」
「そうしてくれ」
「侯爵。デミアについては、まだ接触できていませんか」
「ミレス公爵経由で当たってもらっているが、まだ返答がない。デミアは、各都市が独立して動く連邦制だから、どこに話を通すべきかが難しい」
「デミアの商業ギルドの代表が、来月また王都に来る予定があると聞きました。その機会に、直接接触できないか検討しています」
「それが現実的かもしれない。商業ギルドなら、財務の問題への関心も高いはずだ」
「はい。準備を進めます」
◆グレイ主教への追加聴取
その日の午後、ロイドとともにグレイ主教の収監室を再び訪れた。
証言記録の「将来的に重要になる可能性がある人物」という基準について、追加の確認をするためだ。
グレイ主教は、相変わらず落ち着いた様子だった。
「また来ましたか」
「一点だけ、確認させてください」
「はい」
「証言記録の中に、各家への工作対象の選定基準として、将来的に重要になる可能性がある人物がその家にいるかどうか、という記述がありました。これについて、もう少し詳しく教えてもらえますか」
グレイ主教は、少し考えてから答えた。
「ヴァルクス様は、財産を持つ家を選ぶだけでなく、その家の中に特別な能力を持つ人物がいるかどうかを確認していました」
「特別な能力、とはどういう意味ですか」
「言葉にするのが難しいのですが……普通の人間には見えないものが見える、あるいは普通の人間には分からないことが分かる、そういう資質を持つ人物です。ヴァルクス様は、そういう人物を非常に重要視していた」
「なぜ、そういう人物を重要視するんですか」
「計画の障害になる可能性があるから、というのが表向きの理由です。でも、私が感じたのは、それだけではないということでした」
「どういう意味ですか」
グレイ主教は、少し迷ってから続けた。
「ヴァルクス様は、そういう能力を持つ人物を、計画の妨害者として排除するだけでなく、可能なら取り込もうとしていた節があります。敵に回すより、味方にする方が有利だと考えていたのかもしれません」
「ヴァンディアール伯爵家の場合は、どうでしたか」
グレイ主教は、慎を見た。
「……あなた自身のことですね」
「はい」
「正直に言うと、私はあなたのことを最初から知っていました。ただし、私が知っていたのは、ジル・ヴァンディアール本人のことではなく——」
グレイ主教は、言葉を切った。
「その先を、聞かせてもらえますか」
「ヴァルクス様から、この家に異質な存在が現れる可能性があると聞かされていました。この世界の人間ではない、別の知識と経験を持つ者が、この家に宿る可能性があると」
慎は、表情を変えないよう、意識した。
(ヴァルクスは、私が転生してくることを、事前に知っていた、ということか)
「ヴァルクスは、なぜそれを知っていたんですか」
「分かりません。ただ、ヴァルクス様は古い知識を多く持っていました。聖都の文書庫には、一般には公開されていない古い記録が多くあって、その中に、異質な存在についての記述があると言っていました」
「異質な存在についての記録」
「はい。この世界に、別の世界から魂が送り込まれることがある、という記録だそうです。それが、なぜ起きるのか、どのような条件で起きるのかについても、記録があると」
慎は、ロイドと視線を交わした。
ロイドは、慎重な目でこちらを見ていた。
「グレイ主教。その古い記録について、あなたが知っていることを全て教えてもらえますか」
「私自身は、直接見ていません。ヴァルクス様から聞いた話だけです。ただ、一つだけ覚えていることがあります」
「何ですか」
「その記録には、異質な存在が現れるのは、世界が大きな転換点を迎えるときだ、と書かれているそうです。そして、その存在は、転換点において、特定の役割を果たすために送り込まれる」
「特定の役割、というのは」
「それは、記録にも書かれていないそうです。あるいは、書かれていても、ヴァルクス様が教えてくれなかっただけかもしれません」
慎は、頭の中でその言葉を整理した。
(世界の転換点。特定の役割。送り込まれる——誰に、なぜ)
「ヴァルクスは、私を排除しようとした。つまり、私の役割が、ヴァルクスの計画にとって障害になると判断した、ということですね」
「おそらく、そういうことです」
「あるいは、計画の中に取り込もうとした可能性もある、とおっしゃっていましたね」
「はい。バルトを通じた工作の目的は、財産を奪うことだけでなく、ジル・ヴァンディアールの身体に現れるかもしれない異質な存在を、早期に把握して対処するためでもあったかもしれません」
「把握して対処する、というのは」
「排除するか、あるいは取り込むか。その判断を、状況を見て行おうとしていた」
慎は、その話を聞きながら、ある違和感を感じていた。
「一つ聞かせてください。ヴァルクスが私の存在を事前に知っていたとしたら、なぜ最初から直接対処しなかったんですか。バルトを使って財産を狙うという、回り道をした理由は何ですか」
グレイ主教は、少し考えた。
「……分かりません。ただ、一つ考えられることとして、ヴァルクス様は異質な存在が現れることを知っていても、いつ、どの形で現れるかは分からなかった。だから、その家を監視下に置く意味で、バルトを送り込んだのかもしれません」
(監視のために、バルトを送り込んだ。財産の横領は、監視の副産物だった可能性がある)
「ありがとうございます。今日聞いたことは、重要な情報です」
「私に言えることは、これが全てです」
グレイ主教は、静かにそう言った。
収監室を出てから、ロイドが言った。
「……大きな話になってきたな」
「はい」
「聖都の文書庫に、転生についての記録がある。それを確認することはできるか」
「直接確認するのは難しいでしょう。ただ、グレイ主教の話をヒントに、まずこの国の中に類似した記録がないかを探してみたいと思います」
「類似した記録?」
「王城の文書庫には、古い記録が多くあります。宗教的な文書、歴史的な記録、伝承の類。その中に、転生や異質な存在についての記述があるかもしれません」
「今日の文書庫への立ち入りを、手配しよう」
◆文書庫の深部
その夜、慎は文書庫に入った。
通常の閲覧区画ではなく、より古い記録が保管されている深部への立ち入り許可を、ロイドが国王から取り付けてくれていた。
担当の文書官、年配の女性のリディアが案内してくれた。
「この奥には、建国期の記録や、それ以前の伝承を記した文書が保管されています。保存状態が良くないものも多いので、慎重に扱ってください」
「ありがとうございます。転生、あるいは異界からの訪問者について記録した文書はありますか」
リディアは、少し考えた。
「直接そのような題目の文書は知りませんが、古い宗教文書の中に、それに近い内容があったと記憶しています。場所を確認しますので、少し待っていただけますか」
リディアが奥の棚を確認している間、慎は周囲の棚を見回した。
古い羊皮紙の束、木の板に刻まれた文字、金属板に打ち込まれた記録——この国の歴史が、ここに積み重なっている。
「ありました」
リディアが、一つの木箱を持ってきた。
「この中に、建国期の宗教的な記録が入っています。宗教儀式や、当時の人々の信仰についての記録ですが、その中に、天上より来たる者、という表現が出てくる文書があったはずです」
「見せていただけますか」
慎は、木箱の中の文書を、一枚一枚丁寧に確認した。
古い文字で書かれた羊皮紙が、何十枚も入っていた。文字の形が、今の書き方とは少し違っていて、読み解くのに時間がかかった。
一時間ほどかけて確認したところで、一枚の文書が目に留まった。
タイトルには、「天より降る者の記、建国百年の記録より抜粋」と書かれていた。
慎は、その文書を慎重に読んだ。
内容は、断片的で、文脈が掴みにくい部分もあったが、大意は取れた。
「この世界には、時として、別の理から魂を持ち込む者が現れる。彼らは、この世界の者ではなく、別の歴史と記憶を持つ。彼らが現れるのは、常に、世界が大きな岐路に立つときである。彼らの役割は、その岐路において、正しき方向を示すことにある。ただし、彼らが正しき方向を示すことができるかは、彼ら自身の選択による」
慎は、その文書を読み終えて、しばらく動けなかった。
(この世界の者ではなく、別の歴史と記憶を持つ者。世界が大きな岐路に立つときに現れる。正しき方向を示すことが役割——)
これが、前世の自分に当てはまるとすれば、今の状況はまさに、この記録が示す「岐路」にあたる。
「リディア文書官、この記録について、もう少し詳しく教えていただけますか。建国百年の記録というのは、いつ頃の話ですか」
「建国から百年後ということですから、今から数百年前の記録です。ただ、この記録はさらに古い伝承を書き写したものという注記があります。元の伝承がいつのものかは、分かりません」
「この種の記録は、他にもありますか」
「ないわけではありません。古い宗教文書の中に、散在しています。ただ、体系的に整理されているわけではなく、探すのに時間がかかります」
「できれば、類似した記述のある文書を全て確認したいのですが、時間をいただけますか」
「明日以降であれば、私が手伝えます。今夜は、これ以上の深部への立ち入りは、灯りの管理上難しいので」
「分かりました。明日また来ます」
慎は、その文書の内容を、全て手帳に書き写した。
◆執務室で
文書庫から戻り、執務室でロイドに報告した。
ロイドは、手帳の書き写しを読んで、しばらく黙っていた。
「……建国百年の記録に、こういう記述があったのか」
「はい。ただし、これは伝承を書き写したものだという注記もある。どこまで信頼できる記録なのかは、判断が難しい部分もあります」
「だが、グレイ主教の話と一致している。聖都の文書庫にも類似した記録があって、ヴァルクスはそれを知っていた」
「そうです。聖都とアルテシア、別の場所に同じような記録が存在するということは、これが一つの作られた伝承ではなく、実際に起きてきた事象の記録である可能性が高まります」
「正しき方向を示すことが役割、か」
「はい。ただ、その役割を果たせるかは、本人の選択による、とも書かれています」
ロイドは、少し考えてから言った。
「つまり、お前は正しい選択をし続けなければならない、ということだ」
「そういうことになります」
「それは、今まで通りやることと同じだな」
「そうです」
ロイドは、静かに頷いた。
「分かった。明日、文書庫で追加の調査を続けてくれ。同時に、ラーセンとの連携の件も進めなければならない。どちらを優先する」
「並行して進めます。文書庫は午前、ラーセンへの対応は午後、という形で」
「それでいこう」
ロイドが帰った後、慎は一人で手帳を読み返した。
「正しき方向を示すことが役割」
前世では、不正を見つけて正すことが仕事だった。この世界でも、同じことをしている。
(役割として与えられているのか、自分の性分としてやっているのか、今となっては区別がつかない)
だが、それでいい、と慎は思った。
自分の信念でやっていることが、世界にとっても正しい方向であるなら、それで十分だ。
窓の外に、夜の王都が広がっていた。
遠くに、大聖堂の輪郭が見える。
あの場所のさらに先、聖都には、ヴァルクスがいる。
そしてヴァルクスは、自分のことを最初から知っていた。
(次の対決が、近づいてきている)
慎は、手帳を閉じた。
明日も、仕事がある。
一つずつ、積み上げていく。
それだけを、続けていく。
(第23話に続く)




