第21話 帰還と新たな問い
◆レオンハルトの帰国
王太子レオンハルトがミレスから戻ってきたのは、出発から十六日後のことだった。
慎は、城門で出迎えた。レオンハルトは、出発前より少し日焼けして、疲れてはいたが、目に確かな手応えを持ち帰ってきていた。
「どうでしたか」
「思った以上に、動いてくれた」
レオンハルトは、馬車から降りながら言った。
「ミレス公爵との面会は、二時間以上に及んだ。当初は様子見の雰囲気だったが、アルテシアの証拠を見せ、ミレスでの状況と比較したところ、公爵の態度が変わった」
「どのように」
「『同じことが、我が国でも起きていたのか』と。それが、最初の一言だった。そこから先は、むしろ公爵側から積極的に情報を出してくれた」
「ミレスでの状況は、どの程度まで進んでいましたか」
「アルテシアより一年ほど遅れた段階だった。修道院への資金の流れは始まっていたが、まだ土地の売却には至っていなかった。つまり、早い段階で気づけた、ということだ」
「それは、良かった」
「ミレス公爵は、この件を各国で連携して対応することに同意した。まず、ラーセンとデミアへの非公式な接触を、ミレス側でも並行して試みてくれることになった」
慎は、その言葉の重みを受け取った。
アルテシア一国が動くのと、アルテシアとミレスが連携して動くのでは、全く意味が違う。聖都にとって、一国への圧力は容易でも、複数国への同時対応は大きな負担になる。
「侯爵に報告しましょう。ミレスのネットワークと、侯爵のネットワークが合わされば、ラーセンとデミアへの接触がさらに速くなります」
「そうしよう。今日の夕方、報告の場を設けてくれ」
「承知しました」
レオンハルトは、城門をくぐりながら、ふと付け加えた。
「一つ、気になることがあった」
「何ですか」
「ミレスで、現地の聖職者から聞いた話だ。ヴァルクスが計画を始めたのは、十年以上前だと言っていた」
「十年以上前」
「そうだ。聖都の上位評議会に入った頃から、長期的な計画を練り始めたらしい。十年かけて、今の段階まで進めてきた」
慎は、手帳にそれを書き留めた。
(十年以上の計画。グレイ主教を育てることも、各国への工作も、全て十年以上前から設計されていた。これは、個人の野心というより、組織的な長期戦略だ)
「ミレスで聞いた聖職者というのは、どういう人物ですか」
「現地の礼拝堂に長年いる老司祭で、ヴァルクスとは若い頃から知り合いだったそうだ。ヴァルクスの考え方の変遷を、長年見てきたと言っていた」
「その老司祭に、もう少し詳しく話を聞くことはできますか」
「可能だと思う。ミレス公爵に頼めば、引き合わせてもらえるだろう」
「ぜひ、お願いできますか。ヴァルクスの思想の根底にあるものを理解することで、次の手を読みやすくなります」
「分かった。書状を出す」
◆オルグレン侯爵への報告
夕方の報告の場には、ロイドとオルグレン侯爵も加わった。
レオンハルトがミレスでの成果を説明すると、侯爵はいつになく、感情を見せた。
「ミレス公爵が、そこまで動いてくれたか」
「はい。アルテシアの証拠が、決め手になりました」
「あの公爵は、慎重な人物だ。普通であれば、一度の面会でここまで動かない。よほど説得力があったということだ」
レオンハルトは、静かに答えた。
「ヴァンディアールが整理してくれた証拠が、明確だったおかげです。私は、それを見せただけです」
侯爵は、慎を見た。
「ラーセンとデミアへの接触だが、ラーセンについては私の繋がりで今週中に書状を出せる。ただ、デミアについては、私の繋がりが薄い」
「ミレス公爵が、デミアへのルートを持っているかもしれません」
「そうか。では、連携できるか確認してもらおう」
「はい。レオンハルト殿下経由で確認します」
侯爵は、少し考えてから言った。
「これだけの動きが出れば、ヴァルクスも対応を変えてくる。次の手を、どう読む」
慎は、答えた。
「二つの可能性があります。一つは、各国との個別の交渉を急いで、連携を分断しようとすること。各国に別々の利益を提示して、まとまることを防ごうとするかもしれません」
「もう一つは」
「より直接的な圧力です。聖都の正式な権威を使って、アルテシア王国に対して、宗教的な制裁を示唆する可能性があります」
「宗教的な制裁、というのは」
「聖都が、アルテシア王国内の教会施設を停止する、あるいは王族への宗教的な認証を取り消す、といった手段です。実際にそこまでやれるかどうかは分かりませんが、脅しとして使うことはあり得ます」
侯爵は、重い顔で言った。
「それをやれば、かえって各国が聖都への不信感を深める。ヴァルクスもそれは分かっているはずだが——」
「追い詰められれば、やるかもしれません。長年の計画が崩れかけているなら」
「なるほど」
ロイドが、静かに言った。
「どちらの手が来ても、対応できる準備をしておく必要があるな」
「はい。特に、宗教的な制裁の可能性については、事前に貴族家や民衆に対して、この件の経緯を正確に伝えておくことが重要です。聖都の行動が圧力であることを、人々が理解していれば、その効果は薄れます」
「情報の開示、ということか」
「はい。これまでは、証拠が固まるまで情報を絞ってきましたが、そろそろ段階的な開示を検討する時期かもしれません」
◆陛下との相談
翌日、国王との個別の面会の機会があった。
評議の場ではなく、より小さな執務室での対話だった。国王と慎、二人だけ。
「ミレスの件、よくやってくれた」
「レオンハルト殿下のお力です」
「お前が準備した証拠と分析がなければ、殿下も動けなかった。功績は、お前にある」
慎は、素直に頭を下げた。
「ありがとうございます」
「少し、個人的なことを聞いてもいいか」
「はい」
「お前は、この件に入ってきた当初から、妙に落ち着いていた。処刑を目前にした若者とは思えないほどに。ロイドもそれを不思議に思っていたし、私もずっと気になっていた」
慎は、少し間を置いた。
(陛下が、直接聞いてくる。どこまで話すべきか)
「正直に申し上げてもよいですか」
「どうぞ」
「別の場所での、長年の経験があります。それがどういう経緯でこの身体に宿ることになったのかは、私自身もよく分かっていません。ただ、その経験があったから、今の仕事ができています」
国王は、表情を変えなかった。
「別の場所での経験、か」
「はい」
「それ以上は聞かない。ただ、一つだけ確認させてくれ」
「何ですか」
「お前の忠誠心は、どこにある」
慎は、迷わず答えた。
「正しいことを正すこと、そのものにあります。陛下への忠誠というより、事実と公正さへの信念、と言った方が正確かもしれません」
「それは、王に仕えることとは、必ずしも同じではないな」
「はい。正直に申し上げれば、陛下のご判断が事実と異なる方向に動こうとするなら、私はそれを指摘します。そういう人間を側に置くことが、陛下にとって有益かどうかは、陛下がご判断されることです」
国王は、しばらく慎を見つめていた。
やがて、小さく笑った。
「面白い男だ。だから、お前を使い続けているんだが」
「ありがとうございます」
「一つ、お前に話しておくことがある」
国王は、声のトーンをわずかに下げた。
「ヴァルクスの計画について、私は以前から、ある程度察していた」
慎は、思わず顔を上げた。
「以前から、というのは」
「三年ほど前から、王都内の教会の財務の動きが、少しずつ変化していることに気づいていた。ただ、証拠が掴めなかった。そして、グレイ主教を動かしてでも表に出すことへの、政治的な判断の難しさもあった」
「陛下は、なぜその時点で調査を始めなかったのですか」
「証拠がなければ、教会を動かすことはできない。そして、教会を不用意に刺激することが、国内の安定を損なうリスクもあった。私は、状況が変わるのを待っていた」
「その状況を変えたのが、私、ということですか」
「そうだ。お前が処刑前に自分の冤罪を証明しようとしたことが、意図せず、ここまでの展開を作った」
慎は、その言葉の意味を、しばらく考えた。
(陛下は、以前から気づいていた。でも動けなかった。そこに、外部から証拠を持ち込む人間が現れた——それが、私だった)
「陛下。一つ聞いてもよいですか」
「どうぞ」
「私がこの世界に来たこと、この身体に転生したこと——それが、偶然ではない可能性を、陛下は考えますか」
国王は、その問いを、じっと受け取った。
「……何を根拠に、そう思う」
「根拠はありません。ただ、タイミングが、あまりにも合いすぎている気がして」
「確かに、お前が来たのは、グレイ主教の計画が実行段階に入った時期と重なる」
「もし、誰かが意図的に私をここに送り込んだとしたら——その人物は、ヴァルクスの計画を知っていて、それを止めようとしていた、ということになります」
国王は、長い沈黙の後、静かに言った。
「……それが本当なら、お前を送り込んだ存在が、まだどこかにいることになるな」
「はい」
「その存在が、味方だという保証は」
「ありません。ただ、今のところ、私を助けるような動きはしても、害を与えようとした形跡はありません」
国王は、また少し考えた。
「……この話は、今は二人の間だけにしておこう。ロイドには、必要になったら話す」
「承知しました」
執務室を出て、廊下を歩きながら、慎は今の会話を振り返った。
転生が偶然ではないかもしれない、という考えは、以前から頭の隅にあった。だが、今日初めて、他の人間に話した。
(誰が、私をここに送り込んだのか。何のために)
答えは、まだない。
だが、この問いが、第4部の核心に繋がる予感があった。
◆グレイ主教の証言記録
午後、ロイドが分厚い書類を持ってきた。
「グレイ主教の証言を、全て正式な記録にまとめ終えた」
「お疲れ様でした。内容の確認を、させてもらえますか」
「どうぞ」
慎は、書類を受け取り、丁寧に読み込んだ。
グレイ主教の証言は、大きく五つの部分に分かれていた。
一つ目、ヴァルクスとの出会いとその後の関係について。
二つ目、アルテシア王国への赴任と、バルトへの工作の開始について。
三つ目、複数の貴族家への工作の手順と、資金の流れについて。
四つ目、聖ヴェルナ教会財団とガルデン商会の設立と運営について。
五つ目、ヴァルクスの最終目標について。
どれも、これまでの調査で確認してきた内容と一致していた。だが、一か所だけ、新しい情報があった。
三つ目の部分、複数の貴族家への工作の手順に関する記述の中に、こう書かれていた。
「各家への工作の対象を選定するにあたり、ヴァルクスから特定の基準を示された。家の規模、当主の性格、財務の弱点、そして——将来的に重要になる可能性がある人物が、その家の中にいるかどうか」
慎は、その一文を、二度読んだ。
(将来的に重要になる可能性がある人物——これは、何を意味するのか)
「ロイド殿、この部分について、グレイ主教に追加の確認を取ることはできますか」
「どの部分だ」
「将来的に重要になる可能性がある人物、という基準の部分です。これが何を指すのかが、記録には書かれていません」
ロイドは、書類を確認した。
「……確かに、そこだけ曖昧だな。確認しよう」
「一つ、仮説があります」
「聞かせてくれ」
「ヴァルクスは、財産だけを狙っていたのではなく、各家にいる特定の人物そのものを、将来の計画の中に組み込もうとしていた可能性があります」
「人物を、計画に組み込む」
「例えば、伯爵家の場合——ジル・ヴァンディアールが監査屋のような能力を持つ人物だということを、事前に把握していたとしたら、その人物を排除しようとした理由が、より明確になります」
ロイドは、しばらく黙っていた。
「つまり、お前は最初から、目をつけられていた可能性があるということか」
「はい。毒殺の冤罪で処刑しようとしたのは、単にバルトの横領を見抜かれそうだったからだけでなく、それ以上の何かを察知されることを恐れていたからかもしれません」
「それ以上の何か、というのは」
「転生、という事実を、誰かが知っていた可能性です」
ロイドの目が、鋭くなった。
「……それは、どういうことだ」
「私が別の世界から来たという事実を、ヴァルクスあるいはその周辺が知っていたとしたら、なぜ彼らがそれを知っているのかという問いが生まれます」
「……」
「前世での私の仕事は、不正を見つけることでした。同様の能力を持つ人間が、この世界に現れることを、誰かが予期していたとしたら——」
慎は、そこで言葉を切った。
まだ、仮説の域を出ない。根拠が弱すぎる。
「ロイド殿、今の話は、まだ証拠がありません。一つの可能性として、頭に入れておいてもらえれば」
ロイドは、しばらく慎を見てから、静かに言った。
「……分かった。ただ、気をつけろ」
「はい」
「お前が最初から目をつけられていたとすれば、今もまだ、誰かに見られている可能性がある」
◆夜のエミリア
夜、エミリアに今日の話を——転生の可能性についての話は除いて——報告した。
グレイ主教の証言記録の新しい部分、ヴァルクスが各家に「将来的に重要になる人物」がいるかどうかという基準を持っていたこと。
エミリアは、黙って聞いていたが、最後に言った。
「それって、ジル様のことも、最初から把握されていた可能性がある、ということよね」
「そう思います」
「それは——少し怖いわね」
「はい」
エミリアは、少し考えてから言った。
「ねえ、あなたが転生してきた理由って、本当に偶然なの?」
「……どうしてそう思いましたか」
「あなたが、この世界の常識では説明のつかない能力を持っていること。タイミングが、あまりにも的確だったこと。そして今日の話を聞いて、何かが、意図的に動いているのかもしれない、と感じて」
慎は、エミリアの観察眼に、また驚いた。
「その可能性は、考えています」
「誰が、あなたをここに送り込んだと思う?」
「分かりません。ただ——敵ではないと思います。少なくとも今のところは」
「なぜ?」
「私をここに送り込んだとすれば、その目的はおそらく、この件を解決することです。私が処刑されることは、その目的に反する。だから、私を助けるような状況を作る動機がある」
「では、あなたを送り込んだ人物は、ヴァルクスの計画を止めたかった、ということ?」
「可能性の一つとして」
エミリアは、しばらく窓の外を見ていた。
「それが本当なら、あなたは誰かの計画の中にいることになる。自分が自由に動いているつもりでも、誰かの意図の中で動いている」
「それが、気になりますか」
「少し。あなたは?」
慎は、正直に答えた。
「誰かの意図の中にいたとしても、今自分がやっていることは正しいと思っています。矛盾を正す、事実を明らかにする——それ自体の価値は、誰かに意図されていたかどうかとは、関係ない」
「それが、あなたらしいわ」
エミリアは、静かに笑った。
「意図された駒だとしても、自分の信念で動き続ける」
「そうしか、できないので」
「……でも、一つだけ約束して」
「何ですか」
「あなたを送り込んだ存在が誰かを、いつか明らかにして。それが、あなたのためにも、この世界のためにも、必要なことだと思うから」
慎は、頷いた。
「約束します」
エミリアは、立ち上がった。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
扉が閉まった後、慎は手帳を開いた。
新しいページに、今日考えたことを書いた。
『転生が意図的であった場合、その目的と主体について——要調査』
一行だけ書いて、手帳を閉じる。
窓の外、王城の夜が広がっていた。
第4部が始まった。財産の問題から、政治の問題へ、そして今、存在そのものの問いへと、話は深くなっていく。
(でも、焦らない)
慎は、灯りを落とした。
一つずつ、積み上げていく。それだけだ。
(第22話に続く)




