第17話 聖都からの手紙
◆文書庫の書簡
翌朝、レオンハルトの手配で、王城の文書庫への立ち入りが許可された。
担当の文書官に案内されたのは、石造りの静かな部屋だった。棚が天井まで並び、羊皮紙の束や木箱が整然と収められている。年代ごとに分けられた区画に、過去の書簡や条約、外交記録が保管されていた。
「半年前の聖都からの書簡は、こちらに」
文書官が、一つの木箱を棚から下ろした。
「この中に、外交関係の受信書簡がまとめて入っています」
「ありがとうございます。確認させてもらいます」
慎は、木箱の中を丁寧に確認した。半年前の時期に絞って探すと、すぐにそれらしい書簡が見つかった。
封蝋は剥がされているが、封筒の外側に差出人が記されていた。
「聖都上位評議会 議長 ヴェルナ大司教エルト・ヴァルクス」
フルネームが、ここで初めて判明した。
エルト・ヴァルクス。
慎は、その名前を手帳に書き留め、書簡の内容を読んだ。
内容は、レオンハルトが言っていた通りだった。アルテシア王国の貴族制度と税制について、改革の必要性を訴える内容が、丁寧な外交文書の形式で記されていた。
表向きは穏やかな内容だ。だが、慎の目には、その文章の構成が気になった。
(改革の具体的な方向性として書かれている内容が、いずれもグレイ主教が複数の貴族家に仕掛けていた手口の結果として実現する内容と、一致している)
バルトのような人間が各家に送り込まれ、財産を抜き取られ、土地が教会系の組織に渡る。その結果として、貴族家の力が弱まり、教会の経済的な影響力が強まる。それを「改革」として正当化する書簡が、あらかじめ聖都から送られていた。
(これは、実行後に正当化するための布石として、先に書簡を送っておいたのではないか)
「この書簡が届いたのは、グレイ主教の就任から何か月後ですか」
文書官に確認すると、「就任からおよそ十か月後です」と答えが返ってきた。
(就任から十か月——グレイ主教が王都で根を張り、バルトへの工作を開始した時期と重なる)
慎は、文書庫をもう少し調べた。ヴェルナ大司教の名前で届いた書簡が、他にもないかを確認する。
一時間ほど探すと、さらに二通、見つかった。
一通は、グレイ主教の就任の二か月前に届いたもの。内容は、「優秀な聖職者をアルテシア王国に派遣する予定である」という事前通告の書簡だった。
(就任の二か月前に、ヴェルナ大司教からグレイ主教の派遣通告が届いていた。つまり、グレイ主教の就任そのものが、聖都の計画の一部だった)
もう一通は、グレイ主教が逮捕される三か月前に届いたもの。「アルテシア王国との友好関係の深化を望む」という内容だったが、その末尾に、一文が付け加えられていた。
「なお、王国内の一部の不穏な動きについては、教会としても懸念を持っております」
(不穏な動き——これは、慎たちがグレイ主教の工作に気づき始めた時期と一致する。つまり、聖都はすでにその頃から、こちらの動きを把握していた)
慎は、三通の書簡の写しを取り、文書庫を後にした。
◆ロイドへの共有
執務室に戻り、ロイドを呼んで、文書庫で確認した内容を全て話した。
ロイドは、三通の書簡の写しを読みながら、表情を険しくした。
「グレイ主教の派遣通告が、就任の二か月前に届いていた、か」
「はい。これで、グレイ主教はヴェルナ大司教の指示で動いていたことが、ほぼ確実になりました」
「だとすれば、グレイ主教の逮捕を受けて、ヴェルナ大司教はどう動くか」
「二つの可能性があります。一つは、グレイ主教を切り捨てて、自分の関与を否定すること。もう一つは、グレイ主教の釈放を求めて、政治的な圧力をかけてくること」
「どちらだと思う」
「まだ分かりません。ただ、グレイ主教が逮捕されてから、教会内部での抗議の動きがあると陛下がおっしゃっていました。それが聖都からの指示によるものなら、圧力をかけてくる方向で動いている可能性があります」
ロイドは、書類を机に置いた。
「聖都からの圧力となると、外交問題になる。軍事的な緊張にまで発展することもあり得る」
「はい。だからこそ、今の段階で証拠を固めることが重要です。証拠なしに聖都に対して動けば、こちらが不当に攻撃したという構図にされかねません」
「エルト・ヴァルクスという人物について、何か分かっているか」
「名前が判明したのは、今朝が初めてです。これから調べます」
「聖都に、情報提供できる人物はいるか」
慎は、少し考えた。
「一つ、心当たりがあるかもしれません」
◆意外な人物
その日の昼過ぎ、慎はカシアンの収監されている部屋を訪ねた。
カシアンは、大聖堂の奥から連行されて以来、王城の一室に軟禁されていた。共謀の疑いはあるが、自ら証言に応じる姿勢を見せていたため、正式な牢ではなく、最低限の生活が可能な部屋が与えられていた。
「また来ましたか」
カシアンは、椅子に座ったまま、慎を見た。最初の頃の疲弊した表情よりも、いくらか落ち着いていた。
「少し教えてもらいたいことがあります」
「何ですか」
「エルト・ヴァルクスという名前を、知っていますか」
カシアンの目が、わずかに動いた。
「……聖都の、ヴェルナ大司教ですね」
「知っていましたか」
「グレイ主教が、その名前を口にしていたことがあります。詳しくは話していませんでしたが、重要な後ろ盾がいると言っていた。その人物の名前が、ヴァルクス様だと」
「グレイ主教とヴァルクスの関係について、何か知っていることはありますか」
カシアンは、しばらく考えてから、静かに話し始めた。
「グレイ主教は、もともとヴェルナの出身だと言っていました。ヴェルナで育ち、地元の礼拝堂で働いていたときに、ヴァルクス様に見出されたと。ヴァルクス様は、当時まだ聖都の議員の一人でしたが、才能のある若い聖職者を見つけては、引き立てる人物として知られていたそうです」
「つまり、グレイ主教は、若い頃からヴァルクスに育てられた人物だった」
「そう聞いています」
「ヴァルクスとグレイ主教の関係は、師弟というより——」
「計画を共有する仲間、に近かったと思います。グレイ主教は、ヴァルクス様のことを、深く尊敬していた。その尊敬が、今回の行動の根底にあったと、私は見ています」
慎は、頭の中で、これまでの情報を整理した。
エルト・ヴァルクスは、ヴェルナ出身の聖職者を育て、彼をアルテシア王国の大聖堂の主教として送り込んだ。その主教を通じて、複数の貴族家への工作を実行させた。目的は、王国の意思決定に影響を与えることができる立場を作ること——。
「カシアン殿。あなたは、ヴァルクスの計画の全体像を知っていますか」
「私は、末端の実行者に過ぎませんでした。全体像は知りません。ただ——」
カシアンは、少し迷うような顔をしてから、続けた。
「グレイ主教が一度だけ、お酒が入ったときに言っていたことがあります。『ヴァルクス様の夢は、聖都と各国の王権が対等な立場になることだ。教会が、王の下ではなく、横に並ぶ存在になること』と」
「聖都と王権を、対等にする」
「はい。宗教的な理念としては、教会の独立性を高める、ということでもあるのでしょう。ただ、その方法として、各国の権力者を経済的に従属させることが正しいのかどうか——私は、そこで迷いがありました」
「迷いがあったから、最終的に証言に応じた」
「……そうです」
慎は、カシアンの告白を手帳に書き留めた。
(ヴェルナ大司教エルト・ヴァルクスの目的は、聖都と各国王権を対等にすること。その手段として、各国の貴族家を経済的に掌握し、王権への影響力を作る——これが、グレイ主教の言う「第一段階の先にあるもの」の正体だ)
「カシアン殿、もう一つだけ。ヴァルクスは、アルテシア王国だけを対象にしていたのですか」
カシアンは、首を横に振った。
「グレイ主教の言い方では、複数の国を同時に対象にしている、と聞こえました。アルテシアは、その中の一つに過ぎない、と」
慎の手帳に書く手が、一瞬止まった。
(複数の国を同時に——これは、一国の内政問題ではなく、大陸規模の計画だ)
◆聖都からの使者
その夕方、王城に予告なく、一人の人物が訪ねてきた。
「聖都の使者です。王室への謁見を求めます」
国王への取次を求める、正式な訪問だった。
慎は、ロイドから急ぎの書状で知らされた。
「使者の名前は、ガウス。聖都の外交担当官だそうだ。グレイ主教の件について、聖都としての公式見解を述べたいと言っている」
(予想より早かった。聖都が動いてきた)
慎は、すぐにロイドの元へ向かった。
「面会は、どうするつもりですか」
「陛下は、明日の午前に謁見を認めた。私も同席する。お前も来てくれ」
「私が同席しても、問題ないですか」
「陛下の判断だ。使者に対して、王室経済顧問として同席させる、という形を取る」
「……分かりました」
「今夜、使者について分かることを全て調べておいてくれ。外交担当官として、過去にどんな案件に関わってきたか。それが分かれば、明日の謁見で何を目的として来たのかが、予測できる」
「承知しました」
その夜、慎は文書庫の外交記録を確認し、ガウスという名前を探した。
一時間ほどで、いくつかの記録が見つかった。
ガウスは、過去五年間で、聖都と複数の国との外交案件に関わってきた人物だった。その中には、いくつかの国との条約交渉も含まれていた。
特に気になったのは、三年前の記録だった。
ガウスが関わった条約の内容は、「宗教施設の資産に対する課税の免除範囲の拡大」というものだった。
(宗教施設の課税免除の拡大——それは、教会系の組織が資産を持つ際に、国家による課税を回避できる範囲を広げることを意味する)
つまり、グレイ主教たちが各貴族家から奪った土地や資産を、教会系の財団に移すことで、課税を逃れながら資産を保有できるようにするための、法的な布石が、すでに三年前から打たれていた。
(ガウスは、計画の法的な基盤を、各国との条約交渉によって整えてきた人物だ)
慎は、その記録の写しを手帳に挟んだ。
明日の謁見での会話が、また一段、重くなりそうだった。
◆エミリアへの相談
深夜、執務室でまとめをしていると、エミリアが顔を出した。
「また遅いわね」
「明日の準備をしています」
慎は、今日分かったことを簡単に話した。ヴァルクスの目的、カシアンの証言、複数国が対象という可能性、そしてガウスの来訪。
エミリアは、話を聞きながら、じっと考えていた。
「つまり、グレイ主教は氷山の一角だった、ということね」
「そう思います」
「ヴァルクスは、複数の国で同じことをやっている。アルテシアは、その中の一つ」
「はい」
「それって——グレイ主教が逮捕されても、計画全体は止まらない、ということよね」
「その可能性があります。他の国では、まだ計画が進行しているかもしれない」
エミリアは、しばらく沈黙した。
「ねえ、一つ聞いていい」
「何ですか」
「あなたは、どこまでやるつもりなの」
慎は、少し意表を突かれた。
「どこまでやるつもり、というのは」
「グレイ主教の件は、あなたが伯爵家の冤罪を晴らすことから始まった。それが今、聖都を相手にした大陸規模の問題にまで広がっている。どこかで、引き際を考えないの?」
慎は、その問いを、真剣に考えた。
「引き際、か」
「無理だと思っているわけじゃない。ただ、相手の規模が大きくなればなるほど、あなた一人にかかるリスクも大きくなる。私は、そこが心配で」
慎は、しばらく窓の外を見てから、答えた。
「正直に言うと、どこで止めるべきかの基準は、まだ分かっていません。ただ——」
「ただ?」
「矛盾を見つけたら、正したくなる。それはもう、どうにもならない性分です。アルテシアで終わればよかったけど、他の国でも同じことが起きているかもしれないと分かった以上、それを知らないふりはできない」
「……意地っ張りね」
「そう言われます」
「でも」
エミリアは、慎を見た。
「あなたが引かないなら、私も引かない。最初に牢の前で言ったこと、覚えてる? 信じてみる、って言ったわ。今も、同じ気持ちよ」
慎は、何も言えなかった。
前世では、こういう感情のやり取りを、どう受け取ればいいのか分からなかった。だが、今は少し分かる気がした。
ただ、ありがとうございます、と言った。
「また言った」
「すみません」
エミリアは、笑った。
「おやすみなさい。明日、頑張って」
「おやすみなさい」
エミリアが出ていった後、慎は手帳を閉じた。
明日の謁見で、ガウスは何を持ってくるのか。圧力か、取引か、あるいは別の何かか。
(どれであっても、事実を積み上げた側が強い。それだけは、変わらない)
慎は、机の上の証拠書類を整然と並べ直した。
明日の準備は、整っていた。
◆他国の記録
ガウスの行動記録を確認し終えてから、慎はもう一つ、文書庫から持ち出していた資料を開いた。
過去五年間の外交記録の中から、聖都が関わった各国との交渉の一覧だ。
ガウスが関わった案件だけでも、すでに四か国との交渉記録がある。アルテシア王国、隣国のミレス公国、東の大国カーリン帝国の属国の一つ、そして南の小さな島国。
それぞれの交渉の内容は、表向きは宗教的な協力関係の強化、巡礼路の整備、聖職者の交流など、無害な内容に見えた。だが、条約の細部を確認すると、どれも「宗教施設の資産保護」「聖職者の法的な自治権の強化」「教会への課税の軽減」という共通の要素を含んでいた。
(複数の国で、同じ法的な布石を打っている。アルテシアでの計画が成功していれば、他の国でも同様の資産収奪が進んでいた可能性がある)
慎は、四か国の記録を並べて、共通点を洗い出した。
一つ目。いずれの国でも、交渉の開始時期は、グレイ主教がアルテシア王国に派遣される前後に集中していた。
二つ目。それぞれの国に、地方出身の新しい聖職者が「優秀な人材」として派遣されていた記録がある。
三つ目。その聖職者が赴任した後、各地の教会施設への「特別な寄進」や「資産の移転」が増加している傾向があった。
(アルテシアでのグレイ主教の役割と、全く同じ構造が、少なくとも三か国で同時進行していた可能性が高い)
慎は、手帳に、その四か国の名前と、関連する聖職者の名前を書き留めた。
これを、明日の謁見の場で全部話すべきか、それとも今は伏せるべきか。
(話した方がいい。陛下が全体像を把握することで、ガウスとの交渉の際に、より有利な立場を取れる)
慎は、まとめの紙に、追加の項目を書き加えた。
◆深夜の戦略会議
深夜、ロイドが執務室を訪ねてきた。
「ガウスについて、何か分かったか」
「かなり分かりました」
慎は、今夜調べたことを全て共有した。ガウスの過去の案件、課税免除条約の内容、そして複数国での同時進行の可能性——。
ロイドは、慎の説明を聞きながら、表情をどんどん険しくしていった。
「複数国で、同時並行か」
「状況証拠からの推測ですが、整合性は高いと思います」
「それを、明日の謁見で陛下に話すか」
「はい。ガウスへの対応の方針を決める上で、全体像を把握していた方が有利です」
「分かった。ただ——」
ロイドは、少し考えてから言った。
「ガウスが明日、何を持ってくるかによって、対応が変わる。最悪の場合、グレイ主教の釈放を条件に、外交的な脅しをかけてくる可能性もある」
「その場合、陛下はどう判断されると思いますか」
「釈放はしないだろう。ただ、外交的な圧力に屈する形で、調査を停止させようとする動きが出るかもしれない」
「その場合、証拠が十分に固まっていれば、調査停止の根拠がなくなります」
「だから、今夜中に証拠をまとめておいてくれ、ということか」
「はい。明日の謁見の前に、証拠の一覧を陛下にお渡しできれば、ガウスへの対応の選択肢が広がります」
ロイドは、頷いた。
「お前の判断は正しい。では、今夜は各自、準備をしよう。私は、グレイ主教への追加の尋問記録を整理する。お前は、証拠の一覧を仕上げてくれ」
「承知しました」
ロイドが部屋を出た後、慎は再び机に向かった。
手帳を開き、今夜だけで増えた情報を整理する。
ヴァルクスの目的、カシアンの証言、ガウスの過去の案件、複数国での同時進行の可能性——それら全てを、一枚の紙に簡潔にまとめる。
前世の監査報告書と同じように、最も重要な事実を先に書き、裏付けとなる証拠を対応させる。読んだ人間が、五分で全体像を把握できる形にする。
(これが、明日の謁見を左右する一枚になる)
一時間かけて、まとめの紙が仕上がった。
慎は、それを読み直した。
簡潔で、正確で、誰が読んでも意味が取れる。
(これでいい)
ようやく机を離れ、執務室の窓を少し開けた。
夜の冷たい空気が、部屋に流れ込んでくる。
王城の庭に、月の光が差し込んでいた。静かな夜だった。
(明日、また一つ、正しい方向に動かす)
慎は、窓を閉め、用意した書類を折り畳んで懐にしまった。
(第18話に続く)




