第14話 二つの家の影
◆エミリアの到着
王城に来て一週間が経った朝、執務室にエミリアが現れた。
正確には、慎が事前に国王に打診し、婚約者の立場での非公式な協力者として、王城への出入りを許可してもらっていたのだ。
「思ったより広いのね」
エミリアは、執務室の窓から中庭を見渡しながら言った。
「慣れますか」
「慣れる前に、まず教えて。今、何を調べているの」
「エルハイム伯爵家とファルスタット子爵家です。グレイ主教の工作を受けた可能性がある、追加の二家です」
「どんな家なの」
慎は、手帳を開いた。
「エルハイム伯爵家は、王都から北に二日ほどの領地を持つ、中規模の貴族家です。先代当主が十年前に亡くなり、現在は息子のヴィクター・エルハイムが当主を務めています。三十代半ばで、社交界への出入りは少ない、内向きの性格と言われています」
「もう一家は」
「ファルスタット子爵家は、王都に近い小規模な家です。当主のルーカス・ファルスタットは四十代で、商業ギルドとの関係が深い。ただ、この一年ほどで急速に財政が悪化しているという話があります」
エミリアは、少し考えながら聞いた。
「急速に財政が悪化、というのは、バルトのような人間に資産を抜かれていた、ということ?」
「可能性としてはそうです。ただ、まだ確認が取れていません」
「どちらから調べるの」
「まず、ファルスタット子爵家から始めます。財政悪化が進んでいるなら、早めに手を打たないと、手の施しようがなくなる可能性があります」
エミリアは頷いた。
「私には、何をさせたいの」
「ファルスタット子爵の奥方と、社交界で知り合いはありますか」
エミリアは、少し考えた。
「……直接の知り合いではないけど、共通の知人なら何人かいるわ。繋いでもらうことはできるかもしれない」
「それで十分です。接触の機会を作ってもらえますか」
「任せて」
エミリアは、迷いなくそう言った。
慎は、彼女の行動力の速さに、今更ながら感謝の気持ちを覚えた。
◆シデルの開示
その日の午前、財務長官シデルから、書状が届いた。
「陛下の調査命令書を確認しました。エルハイム伯爵家とファルスタット子爵家の過去三年分の財務申告記録を、開示できます。ただし、閲覧は財務局内での対面確認のみとなります。写しの持ち出しはできません」
制限はあるが、開示してもらえる、ということだ。
慎は、すぐに財務局へ向かった。
シデルは、自ら書類を準備して待っていた。几帳面な性格は、ここでも発揮されていた。
「まず、エルハイム家から確認しますか」
「はい、お願いします」
シデルが広げた書類を、慎は丁寧に確認した。
過去三年分の収支報告。領地からの税収、王室への納税額、使用人への給与、設備への投資——。
二十分ほどで、最初のパターンが見えてきた。
「シデル殿。この項目、領地管理費、を教えていただけますか。毎年、金額が一定でないのが気になります」
シデルは、該当の項目を確認した。
「……確かに、変動が大きいですね。通常、領地管理費は年ごとにそれほど変わらないはずですが」
「一年目は標準的な金額ですが、二年目から急増して、三年目にまた変わっています。急増した二年目に、何か特別なことがあったと考えると——」
「バルトと伯爵家の横領が始まったのも、二年前ですね」
「はい」
慎は、さらに数字を追った。
領地管理費が急増した時期と、特定の聖職者への寄進記録の時期が、ぴたりと一致していた。
(同じ手口だ。支出項目に不自然な増加を作り、その差額を横流しする。バルトの場合は税収の操作だったが、エルハイムの場合は支出の水増しを使っている)
「シデル殿。この寄進の送付先は記録されていますか」
「申告書上は、記載なしです」
「送付先不明の多額の寄進——これは、会計上のルールとして問題にはなりませんか」
シデルは、少し考えた。
「本来なら、一定額以上の支出には、送付先の記録が必要です。だが、宗教的な寄進については、従来から記録の義務が緩やかで……正直に言うと、ここに抜け穴があることは、以前から問題視していました」
「その抜け穴を、意図的に利用されていた可能性がある、ということですね」
「……そう考えると、辻褄が合いますね」
シデルは、静かな声でそう言った。
慎は、書類を見ながら、頭の中で構図を整理した。
バルトは税収の操作、エルハイムは支出の水増し、そしておそらくファルスタットは別の手口——それぞれの家に合わせた方法を使って、資金を抜き取っている。
(グレイ主教の工作は、一律の手口ではなく、各家の財務の弱点に合わせて、カスタマイズされている。それだけ、事前に各家の内情を詳しく把握していた、ということだ)
「シデル殿、ファルスタット子爵家の書類も、続けて確認させてもらえますか」
「はい、準備しています」
◆ファルスタットの記録
ファルスタット子爵家の書類は、エルハイムよりも、より直接的な問題を示していた。
「これは——」
慎は、三枚目の書類を見た瞬間に、思わず声を上げた。
負債の記録だ。ファルスタット家は、過去一年で、急速に借り入れを増やしていた。そして、その貸し手の名前が——
「王都の両替商ガルデン商会、ですね」
シデルが、補足するように言った。
「知っている商会ですか」
「名前は知っています。王都では、比較的大きな両替商です。だが、最近、急速に業容を拡大しているという話は聞いていました」
慎は、借り入れの金額と、ファルスタット家の収入を比較した。
収入に対して、明らかに過大な借り入れだ。このペースで増え続ければ、一年以内に返済不能になる可能性がある。
「シデル殿。このガルデン商会について、何か情報はありますか」
「正式な登録商会ですが……」
シデルは、少し言いにくそうに続けた。
「実は、このガルデン商会の資金の出所についても、以前から疑問を持っていました。急速な業容拡大を支えているだけの原資が、どこから来ているのかが、不明確で」
慎の頭の中で、繋がるものがあった。
(聖ヴェルナ教会財団。横領された資金を元手に設立された財団が、資金を何らかの形で商業活動に転換している可能性——)
「ガルデン商会と、教会系の組織との資金的な繋がりを、確認できますか」
「正式な調査権限があれば、できます」
「陛下の命令書の範囲で、可能ですか」
シデルは、しばらく考えた。
「……拡大解釈になりますが、グレイ主教の調査の一環として、関連する資金の流れを追う、という名目であれば、可能かもしれません」
「お願いできますか」
「……分かりました。少し時間をください」
シデルは、それだけ言って、自分の机に向かった。
慎は、財務局を出ながら、新しい仮説を手帳に書いた。
『横領資金→カシアン→聖ヴェルナ教会財団→ガルデン商会→ファルスタット家への貸付という資金の循環の可能性。ファルスタット家が借り入れを返済できなくなった場合、担保として設定されている何かを、商会が取得する可能性がある。その「担保」が何かを確認すること』
◆ファルスタットからの接触
その夕方、慎のもとに、思いがけない来訪者があった。
「ルーカス・ファルスタット子爵です。お目にかかりたいのですが」
取次を受けたカルロから報告を受けた慎は、少し驚いた。調査対象の当人が、自ら接触してきた。
(向こうから来た。これは、どういう意味か)
危険な可能性もあるが、何かを伝えたくて来た可能性もある。
「通してください」
ファルスタット子爵は、慎の予想より遥かに疲れ果てた顔をしていた。四十代のはずだが、十歳は老けて見える。目に、追い詰められた人間特有の光があった。
「急に参りまして、失礼しました」
「いえ、どうぞ座ってください。お話を聞きます」
ファルスタットは、椅子に座った。しばらく沈黙していたが、意を決したように口を開いた。
「ヴァンディアール殿が、私の家の財務を調べているとお聞きしました」
「調査の過程で、確認させていただきました」
「……全部、分かりましたか」
「ガルデン商会からの借り入れの状況については、把握しています」
ファルスタットは、深く息を吐いた。
「もう、隠し通せないと思っていました。あの借り入れは、最初から罠だったんです」
「罠、と言うと」
「二年前、家の財務が少し苦しい時期に、ガルデン商会から声をかけられました。低い金利で貸してくれると言って。最初は小さな金額から始まって、次第に大きくなって——気づいたときには、抜け出せなくなっていました」
「金利の条件は、最初から変わりましたか」
「半年後から、急に高くなりました。それまでの書類を確認すると、実は最初の契約書に、半年後から金利が変動する条項が入っていたんです。でも、最初にそれを丁寧に説明されなかった」
「その契約書は、今もお持ちですか」
「はい、持ってきました」
ファルスタットは、懐から書類を取り出した。
慎は、それを受け取り、丁寧に読んだ。
確かに、金利変動の条項がある。だが、その条項は書類の中盤に、他の条件と混在して記載されており、意図的に見えにくくされている印象だった。
(これは、詐欺的な契約書の典型的なパターンだ。大事な条件を、意図的に見えにくい場所に書く)
「ファルスタット殿。現在、借り入れの担保として、何を設定されていますか」
「領地の南側の土地と、王都の屋敷です」
「その土地に、何か特別なものはありますか」
ファルスタットは、少し考えた。
「特別なもの……五年ほど前に、王都と港湾都市を結ぶ新しい街道の建設計画が出て、その街道がちょうど私の土地の端を通る予定になっていました。街道が通れば、土地の価値が大きく上がるはずで」
慎の頭の中で、またピースが合わさった。
(将来価値が上がる土地を担保に取り、意図的に返済不能な状態に追い込んで、土地を取得する。エルハイムの鉱山と同じ構図だ。将来価値の高い資産を、安値で手に入れる手口を、複数の家に対して同時に仕掛けている)
「ファルスタット殿。このことを、なぜ私に話してくれたんですか」
「グレイ主教の件を解決されたと聞いて……あなただけが、この状況を変えられる可能性があると思いました」
ファルスタットの目に、わずかな希望の色があった。
「力になれるかどうか、確約はできません。ですが、調べます」
「それだけで、十分です」
ファルスタットは、深々と頭を下げた。
◆グレイ主教の自白
その夜遅く、ロイドから急ぎの書状が届いた。
「グレイ主教が、話し始めた。明朝、一緒に来てくれるか」
翌朝、慎はロイドとともに、グレイ主教が収容されている王城の調査室へ向かった。
グレイ主教は、連行された日より、わずかに疲れて見えた。しかし、その目の光は消えていなかった。
「ジル・ヴァンディアール殿。また会いましたね」
「はい。お話を聞かせていただけるとのこと」
「話す気になったのには、理由があります」
グレイ主教は、静かに言った。
「私が黙っていても、あなたは遅かれ早かれ全てを明らかにする。それは、もう分かっています。ならば、私が自分の言葉で話した方が、少なくとも私の動機については、正確に伝わると思いました」
「動機について、教えてください」
グレイ主教は、少し間を置いた。
「私は、この国の現在の体制に問題があると、長年感じてきました。貴族が権力を持ちすぎて、民衆の声が届かない。教会もまた、本来の役割を果たせていない」
「それを変えようとした、ということですか」
「変えるために、まず力が必要だと思いました。資金と人脈。それを積み上げることで、既存の権力構造に対して、対抗できる力を持とうとした」
慎は、静かに聞きながら、手帳にメモを取った。
「グレイ主教を支持する勢力が、聖都にもあると聞いています。その勢力は、主教と同じ考えを持っているんですか」
「全員ではありません。だが、現在の体制に不満を持つ聖職者は、私が思っていたより多かった」
「その勢力の規模は」
「ここで全て話すつもりはありません。ただ、一つだけ言っておきます」
グレイ主教は、慎の目を見た。
「私がやろうとしていたことの規模は、あなたが今把握しているよりも、ずっと大きいです。複数の貴族家の資産を手に入れることは、その計画の第一段階に過ぎませんでした」
「第一段階の先には、何がありましたか」
「それは——教えません」
グレイ主教は、はっきりとそう言った。
「なぜですか」
「教えてしまえば、あなたが追いかける楽しみがなくなる。それに、私一人が話しても、残りの者たちは動きを変えるでしょう。あなたが自分の力で、その先を突き止める方が、より確実に事態を解決できます」
慎は、その答えを聞いて、少し考えた。
(グレイ主教は、自分が話すことで、仲間たちが警戒して行動を変えることを恐れている。だから、ある程度は話すが、全ては話さない。それは、残りの者たちを炙り出すための、逆説的な協力だ)
「一つだけ、教えてもらえますか」
「何ですか」
「ガルデン商会について」
グレイ主教は、わずかに表情を動かした。
「……聞きましたか」
「ファルスタット子爵から」
グレイ主教は、静かに息を吐いた。
「ガルデン商会は、私の計画の資金を動かすための、表向きの組織です。貸付という形で資産を取得し、それを財団に移す。その循環で、資金を合法的な形に変えていました」
「商会の実際の経営者は誰ですか」
「それは、言えません」
グレイ主教は、首を振った。
「ただし——その人物は、王都の中枢に近い場所にいます。名前を出せば、この調査が一気に複雑になる」
(王都の中枢に近い場所。侯爵レベルの人間か、あるいは王城内部の誰かか)
慎は、手帳に書き留めた。
『ガルデン商会の実経営者——王都の中枢に近い人物。要調査』
調査室を出た後、ロイドが静かに言った。
「王都の中枢に近い人物、か」
「はい。オルグレン侯爵の名前が、頭をよぎりました」
「私もだ」
ロイドは、少し考えてから続けた。
「だが、今の段階で侯爵を名指しするのは、証拠が足りない。まずガルデン商会の実態を確認してから、判断する必要がある」
「同意します」
「シデルに、商会の調査を急いでもらう。お前は、ファルスタット家の件を引き続き追ってくれ」
「分かりました」
王城の廊下を歩きながら、慎は今日の全ての情報を頭の中で整理した。
エルハイムの支出水増し、ファルスタットの詐欺的貸付、ガルデン商会の存在、そしてグレイ主教が示唆した「王都の中枢に近い人物」——。
全てが、一本の糸で繋がっていく感覚があった。
(もう少し。もう少しで、全体像が見える)
窓の外、王都の空は青く晴れていた。
だが慎は、その空の向こうに、まだ見えない嵐の気配を感じていた。
グレイ主教が「第一段階に過ぎない」と言った言葉が、耳に残って離れなかった。
(第一段階の先に、何がある)
答えは、まだ見えない。
だが、確実に近づいていた。
◆エミリアの収穫
その日の夕方、ファルスタット子爵が帰った後、入れ替わりのようにエミリアが執務室に戻ってきた。
その顔には、何かを掴んできた人間の表情が浮かんでいた。
「ファルスタット夫人と、お茶してきたわ」
「どうでしたか」
エミリアは椅子に座り、メモを取り出した。
「夫人は、旦那様が何かに追い詰められているのは分かっていたみたい。でも、何があったのかは教えてもらえなかったって、ずっと心配していたらしいの」
「夫人から、何か新しい情報は」
「一つあった。ガルデン商会の担当者が、最初に夫人の旦那様に接触したとき、紹介してきた人物がいたそうなの」
「紹介者?」
「ええ。社交界での知り合いを通じて、ガルデン商会を紹介された、という話だったんだけど、その紹介者の名前が——モンテーニュ、という方だったらしいの」
慎の手が、止まった。
モンテーニュ。
王室法務部に勤める、あの率直な男の名前だ。
「それは、確かですか」
「夫人本人が、旦那様から聞いた話だから、間接的ではあるけど。夫人は、モンテーニュという方を直接知らないみたい。でも、名前はしっかり覚えていたわ」
慎は、しばらく黙って考えた。
(モンテーニュが、ガルデン商会をファルスタットに紹介した。もしそれが事実なら——あの男は、単なる法律家ではなく、グレイ主教の組織と何らかの繋がりを持っている可能性がある)
だが、すぐには結論を出さなかった。
(一つの証言だけでは、判断できない。モンテーニュが意図的に紹介したのか、それとも本人も知らずに利用された可能性もある)
「エミリアさん。夫人がその話を、他に誰かに話したかどうか、分かりますか」
「旦那様以外には話していない、と言っていたわ。私が初めて聞いた人間みたい」
「ありがとうございます。この情報は、まずロイド殿に確認してもらいます。モンテーニュについては、今の段階では、誰にも話さないでください」
「分かった」
エミリアは、素直に頷いた。
「一つ聞いていい?」
「はい」
「モンテーニュって、あなたに接触してきた人よね。王城での調査の協力を申し出てきた」
「そうです」
「その人が、もし向こう側だとしたら——あなたが今まで話したことが、向こうに筒抜けになっている可能性があるわね」
慎は、頷いた。
「その可能性は、あります。ただ、幸い、モンテーニュには調査の方針を話したことはありますが、具体的な証拠の内容までは話していません」
「それは良かった」
エミリアは、少し安堵の顔をした。それから、また真剣な目になった。
「これからは、誰に何を話すか、もっと慎重にしないとね」
「ロイド殿にも、同じことを言われました」
「二人から言われたなら、本当に気をつけて」
慎は、苦笑しながら頷いた。
(情報管理の重要性を、今日だけで何度確認したことか)
王城という場所は、伯爵家より遥かに情報が錯綜している。誰もが何かを知っていて、誰もが何かを隠している。その中で正確に動き続けることは、これまでの調査より遥かに難しかった。
だが、難しい分だけ、正しい答えを見つけたときの価値も大きい。
(第15話に続く)




