第12話 謁見の間
◆王城へ
三日後の朝、慎は正装に身を包み、王城へ向かう馬車に乗っていた。
向かいの席には、アルベルトが座っていた。
「兄さんも、一緒に来てくれるんですか」
「父上から、お前一人で行かせるのは不安だと言われた。形式的には、私が付き添いという扱いだ」
「ありがとうございます」
馬車の窓から、王都の街並みが流れていく。大聖堂の尖塔が、遠くに見えた。グレイ主教が連れていかれてから、もう三日が経つ。表向きは何も変わらない街の景色が、かえって不気味だった。
「緊張しているか」
アルベルトが、ふと聞いた。
「正直、少しは」
「お前でも、緊張するんだな」
「相手が国王陛下となると、さすがに」
慎は、苦笑しながら答えた。前世でも、社長や役員クラスとの直接の対話は、何度経験しても完全には慣れなかった。それと似た感覚が、今もあった。
「父上から、何か言われたことはあるか。陛下の御前での振る舞いについて」
「基本的な礼儀作法は教わりました。あとは、聞かれたことに正直に答えるように、と」
「それでいい」
アルベルトは、窓の外を見ながら言った。
「お前のやり方は、変に取り繕うより、事実をそのまま話す方が向いている。陛下も、それを分かった上で呼んでいるはずだ」
馬車が王城の正門をくぐると、慎は改めて、その威容に圧倒された。前世で見たどんな高層ビルとも違う、長い歴史を積み重ねてきた建造物の重みがあった。
◆謁見室にて
慎は、案内役に従って、長い廊下を進んだ。アルベルトは、入口の手前で待つことになった。謁見そのものは、ジル本人にのみ許された機会だった。
◆廊下での遭遇
謁見室へ向かう途中、廊下の角で、慎は一人の人物とすれ違った。
年配の貴族らしき男性で、豪奢な装飾の施された衣装を纏っていた。すれ違いざま、男性は慎の顔をじっと見て、足を止めた。
「……ジル・ヴァンディアール殿、では」
「はい、そうですが」
「私はオルグレン侯爵だ。今回の一件、噂はかねがね聞いている」
慎は、丁寧に一礼した。オルグレン侯爵——この国でも有数の権勢を誇る大貴族の名だということは、ジルの記憶の中にあった。
「お噂をお聞きいただき、光栄です」
「グレイ主教の件、見事な働きだったと聞く。だが——」
オルグレン侯爵は、声を落とした。
「あまり深入りしすぎるな、というのが、年長者としての忠告だ。教会の問題は、貴族家が直接手を出すには、あまりに根が深い」
「ご忠告、ありがとうございます」
「忠告のつもりだが、お前の様子を見るに、聞く耳は持たなそうだな」
オルグレン侯爵は、少し皮肉めいた笑みを浮かべた。
「まあいい。陛下がお前を気に入ったなら、それも一つの巡り合わせだ。励め」
そう言い残し、侯爵は廊下の向こうへ歩いていった。
慎は、その背中を見送りながら、小さな違和感を覚えた。
(なぜ、オルグレン侯爵が、僕のことをそこまで詳しく知っているんだ。今回の一件は、まだ公にはなっていないはずだが)
王城に出入りする貴族たちの間で、すでに何らかの形で情報が広まっている、ということだろうか。あるいは——
(オルグレン侯爵自身が、この一件に、何らかの形で関わっているのか)
根拠のない疑念だ。だが、この世界に来てから、慎は「根拠のない違和感」を無視しないことの重要性を、何度も学んでいた。
慎は、頭の中に新しい名前を書き加えた。
(オルグレン侯爵。要観察)
謁見室の扉が見えてきた。慎は、一旦その違和感を脇に置き、目の前の謁見に意識を集中させた。
謁見室の扉が開かれると、中には国王ヴィクトール三世が、玉座ではなく、簡素な机を挟んだ椅子に座っていた。広間での公式な姿とは違う、もっと私的な雰囲気の部屋だった。
部屋には、他に二人の人物がいた。一人はロイド。もう一人は、慎が見たことのない、若い男性だった。
「ジル・ヴァンディアール、参りました」
慎は、深く一礼した。
「楽にしてくれ」
国王は、思いのほか柔らかい声でそう言った。
「ここでは、形式は不要だ。この件について、直接お前の話を聞きたかった」
「ありがたきお言葉です」
「座れ」
慎は、案内された椅子に腰を下ろした。
国王は、しばらく慎の顔を見つめていた。値踏みするような視線ではなく、純粋な興味のように感じられた。
「ロイドから、これまでの報告を全て聞いている。バルトの不正、執事の処分、礼拝堂での対峙、グレイ主教との会話、そして複数の貴族家への工作の可能性」
「はい」
「率直に聞きたい。お前は、なぜここまでのことを成し遂げられた」
慎は、少し考えてから答えた。
「数字や記録には、必ず矛盾が現れます。誰かが嘘をつけば、その嘘を支えるために、別の場所で帳尻合わせが必要になる。その帳尻合わせの跡を、丁寧に追っていっただけです」
「それだけか」
「それだけです」
国王は、小さく笑った。
「謙遜には聞こえないな。本当に、そう信じているらしい」
「実際、そうですから」
「面白い男だ」
国王は、隣に座る若い男性に視線を向けた。
「紹介しよう。我が息子、王太子レオンハルトだ」
慎は、改めて深く礼をした。
「お初にお目にかかります。ジル・ヴァンディアールと申します」
王太子レオンハルトは、二十代前半と見える、整った顔立ちの青年だった。年齢は慎の見た目とそう変わらないが、立ち居振る舞いには、すでに王族としての重みがあった。
「噂は聞いている。面白い人物がいると、父上から」
レオンハルトの声は、穏やかだが、どこか観察するような色を含んでいた。
「光栄です」
「私からも、一つ聞きたいことがある」
「はい」
「グレイ主教は、複数の地方貴族家を同時に工作していたという話だが、お前はその先に何があると思う」
慎は、慎重に言葉を選んだ。
「まだ、確証は持てません。ですが、グレイ主教自身が『土地と鉱山だけが目的ではない』と言っていました。財産の収奪だけでなく、各家の人間関係や影響力の把握も、目的の一つだったように見えます」
「人間関係の把握、というのは」
「複数の貴族家の内情に通じることで、その家々を将来的にコントロールできる立場を作ろうとしていたのではないか、と考えています」
レオンハルトと国王が、視線を交わした。
「ロイド、お前の意見は」
国王が問うと、ロイドが静かに答えた。
「私も、同じ懸念を持っております。複数の地方貴族を同時に取り込むことは、単純な財産目的にしては、計画の規模が大きすぎます」
国王は、しばらく沈黙していた。
「実は、お前たちに話さなければならないことがある」
国王の声が、わずかに低くなった。
「グレイ主教が連行されてから、教会内部で、奇妙な動きがあると報告が上がっている。各地の教区から、聖都に対して、何らかの抗議や問い合わせが相次いでいるそうだ」
「抗議、というのは」
「グレイ主教の処遇について、教会の自治権を侵害している、という主張だ。だが、その動きの規模が、想定より大きい」
慎は、頭の中で状況を整理した。
(グレイ主教一人の処遇に対して、複数の教区が一斉に反応している。これは、グレイ主教が単独で動いていたのではなく、教会内部に、彼を支持する勢力が存在することを示している)
「陛下。グレイ主教を支持する勢力が、聖都の上層部にまで及んでいる可能性はありますか」
「私もそれを懸念している」
国王は、机の上に手を置いた。
「教会は、この国にとって重要な機関だ。だが、その内部に、王権をも凌ぐ野心を持つ者がいるとすれば——これは、単なる一貴族家の財産問題ではなく、国家の体制に関わる問題になる」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
◆王城での提案
しばらくして、国王が改めて口を開いた。
「ジル・ヴァンディアール」
「はい」
「お前に、頼みたいことがある」
慎は、姿勢を正した。
「お前の能力は、すでに証明されている。だが、伯爵家の三男という立場のままでは、できることに限界がある。そこで——」
国王は、レオンハルトに視線を向けた。
「王室の経済顧問という立場で、王城に仕えてもらいたい」
慎は、一瞬、言葉を失った。
予想していなかったわけではない。アルベルトの言葉が、頭をよぎる。だが、実際にそう告げられると、その重みは予想以上だった。
「経済顧問、というのは」
「王室の財政、各貴族家との経済的な関係、そして今回のような不正の調査。お前の能力を、もっと広い範囲で活かしてほしい」
「伯爵家を離れることになるのですか」
「いや、籍は伯爵家のままでいい。ただ、王城に常駐し、必要に応じて陛下と直接話せる立場を与える」
レオンハルトが、補足するように言った。
「正式な役職としては、まだ前例の少ない立場になる。だが、今回の件で、お前のような視点を持つ人間が、王室に必要だと父上は考えている」
慎は、しばらく考えた。
(これは、大きな転機だ。だが、引き受ける価値はある)
伯爵家の財務管理から、今度は国家規模の問題に関わることになる。グレイ主教の背後にいる勢力、複数の貴族家への工作、そして教会内部の動き——それらの全容を解明するには、伯爵家の三男という立場よりも、王室直属の立場の方が、遥かに有利だ。
「謹んで、お受けいたします」
慎は、深く頭を下げた。
「ただし——」
「何だ」
「伯爵家の財務管理も、引き続き担当させていただきたいです。中途半端な状態で離れるのは、心残りがあります」
国王は、小さく笑った。
「物事を最後まで終わらせたい性分か」
「そのようです」
「いいだろう。両方を任せる」
国王は、最後に一言付け加えた。
「これからは、教会内部の動き、複数の貴族家への工作の全容、そしてグレイ主教を支持する勢力の正体——それらを明らかにする仕事になる。覚悟はあるか」
「あります」
慎は、迷いなく答えた。
◆王太子との会話
謁見が終わり、国王が席を立った後、レオンハルトが慎を呼び止めた。
「少し、話してもいいか」
「もちろんです、殿下」
二人は、謁見室を出て、王城の中庭が見える回廊に出た。
「正直に言うと、父上があそこまで一人の人間に肩入れするのを、初めて見た」
レオンハルトは、率直にそう言った。
「私のような人間が、お役に立てるか分かりませんが」
「謙遜はいい。お前がどういう人間か、もう分かっている」
レオンハルトは、回廊の柱に寄りかかりながら、続けた。
「先ほど、廊下でオルグレン侯爵と話していただろう」
「ご存知でしたか」
「侯爵は、情報通だ。良くも悪くも。お前のことは、おそらく彼の独自の情報網で、すでに把握していたんだろう」
「殿下は、オルグレン侯爵をどう見ていらっしゃいますか」
レオンハルトは、少し考えてから答えた。
「有能な男だ。だが、誰の味方かは、常に状況次第で変わる。今回の一件についても、彼がどちら側に立つかは、まだ見えていない」
「警戒すべき相手、ということですね」
「警戒すべきだが、敵だと決めつける必要もない。それも含めて、これから一緒に見極めていくことになる」
レオンハルトは、慎の方を見た。
「正直なところ、私はお前に期待している。父上が見出した人材が、本当にどこまでやれるのか」
「期待に応えられるよう、努めます」
「気負いすぎるなよ。お前のやり方は、淡々とやることが向いているようだから」
レオンハルトは、そう言って小さく笑った。
「では、また近いうちに」
王太子はそう言い残し、回廊の奥へと去っていった。
慎は、その背中を見送りながら、新しい人間関係が、少しずつ形作られていく感覚を覚えた。
王城という場所には、伯爵家とは比べ物にならない数の利害関係と、人間関係が渦巻いている。これから、その中で正しく立ち回っていく必要がある。
(前世の本社勤務、というところか)
慎は、小さく苦笑しながら、謁見室の外で待つアルベルトのもとへ向かった。
◆謁見の後
謁見室を出ると、外で待っていたアルベルトが、すぐに表情を読み取った。
「何かあったな」
「王室の経済顧問として、王城に仕えることになりました」
アルベルトは、驚いた表情を見せた後、すぐに落ち着いた表情に戻った。
「やはり、そうなったか」
「予想していたんですか」
「お前の能力を見れば、陛下がそう判断するのは当然だ。だが、こうも早く動くとは思わなかった」
馬車に戻る道すがら、慎はアルベルトに事情を説明した。教会内部の動き、複数の貴族家への工作、グレイ主教を支持する勢力の存在——。
アルベルトは、黙って聞いていたが、最後に静かに言った。
「これは、伯爵家だけでは手に負えない話だ。お前が王城に行くことは、正しい判断だと思う」
「兄さんに、伯爵家のことをお願いすることになるかもしれません」
「分かっている。父上を支え、財務の基礎は、お前が作った仕組みを維持する。それくらいは、私にもできる」
馬車が屋敷に近づく頃、アルベルトがふと言った。
「ジル」
「はい」
「お前が来てから、この家は確かに変わった。良い方向に、だ」
「そうですか」
「父上も、ソフィアも、私も。みんな、少しずつ変わった。お前のせいだ」
「責任を感じるべきですか」
「いや」
アルベルトは、珍しく、はっきりと笑った。
「感謝している、という意味だ」
◆エミリアへの報告
その夜、屋敷でエミリアに、王城での出来事を全て話した。
王室の経済顧問という立場、教会内部の不穏な動き、王太子レオンハルトとの出会い——。
エミリアは、最初は驚いた様子だったが、話を聞き終えると、複雑な表情を見せた。
「王城に仕えることになったのね」
「はい」
「私たちの婚約は、どうなるの」
慎は、その問いに、少し言葉を詰まらせた。
正直なところ、その点まで深く考えていなかった。王城に常駐するということは、生活の拠点が変わることを意味する。
「籍は、伯爵家のままです。だから、婚約に直接の影響はないはずです。ただ、これまでのように、頻繁に会えなくなるかもしれません」
エミリアは、少し沈黙した後、静かに言った。
「私も、行っていい?」
「え」
「王城に。私も、調査の協力をしてきたわけだし、何かしらの形で関われないかしら」
慎は、少し考えた。
(エミリアの観察眼と行動力は、これまでの調査でも、何度も助けになった。彼女が王城での調査にも関わることができれば——)
「分かりました。陛下と相談してみます。婚約者として、ある程度の関与は許されるはずです」
「ありがとう」
エミリアは、少し笑った。
「あなたが、また一人で全部抱え込もうとするのを、見ていたくないから」
「一人で抱え込んでいるつもりは——」
「あるわよ」
エミリアは、断言した。
慎は、それ以上反論できず、苦笑するしかなかった。
◆夜の手帳
その夜遅く、慎は手帳を開き、これまでの全ての事件を、改めて整理し始めた。
公爵毒殺の冤罪、バルトの横領、ソフィアの利用、グレイ主教の逮捕、そして今、複数の地方貴族家への工作と、教会内部の不穏な動き。
一つ一つは、別々の事件に見える。だが、根底に流れているのは、一つの大きな構図だった。
権力の中枢から離れた場所で、静かに、しかし着実に、影響力を積み上げていく何者か。その正体は、まだ完全には見えていない。
慎は、新しいページに、現在分かっていることを整理して書いた。
『現在判明している事実:
一、グレイ主教は、約五年前から複数の地方貴族家への工作を開始していた。
二、手口は、信頼できる人物を通じて家の中枢に入り込み、財産と人間関係の両方を把握すること。
三、グレイ主教を支持する勢力が、聖都の上層部にも存在する可能性がある。
四、グレイ主教の本来の目的は、財産の収奪だけではない。
今後の調査方針:
一、王室の経済顧問として、複数の貴族家への工作の全容を調査する。
二、教会内部の支持勢力の正体を明らかにする。
三、グレイ主教の最終的な目的を解明する。』
書き終えて、慎は手帳を閉じた。
窓の外、王都の夜景の向こうに、王城の灯りが見えた。
明日から、新しい生活が始まる。
伯爵家の冤罪事件から始まった調査は、今や国家規模の問題へと発展していた。
(前世では、一つの会社の不正を追っていた。今度は、国そのものの問題を追うことになる)
スケールは違うが、やることは変わらない。事実を積み上げ、矛盾を見つけ、それを正していく。それだけだ。
慎は、窓を閉め、寝台に向かった。
明日からの仕事を考えると、不思議と、心が落ち着いていた。
新しい舞台が、今、幕を開けようとしていた。
(第13話に続く)




