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冤罪令息、本日も論破します  作者: みかん


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11/20

第11話 清算と、次の幕

◆翌朝の王都


グレイ主教が王室の管理下に置かれた翌朝、王都は表向き静かだった。


大聖堂は通常通り礼拝を行っており、信者たちは何も知らないまま祈りを捧げている。グレイ主教が連行されたことは、まだ公式には発表されていない。ロイドの判断で、情報は当面、最小限の関係者だけに留めることになっていた。


慎は早朝から財務室にいた。


昨夜回収された書類の中から、伯爵家に関係する部分を確認する作業が残っていた。バルトが持ち出した帳簿の原本と、伯爵家に残っていた記録を照合し、実際の被害額を算出する。前世でいうなら、不正発覚後の実態調査だ。地味だが、避けて通れない作業だった。


「おはようございます」


ニールが、いつもより少し早く財務室に来た。


「おはようございます。今日も手伝ってもらえますか」


「はい。昨日は、大変でしたね」


ニールは、大聖堂でのことを使用人仲間から聞いていたようだった。慎は、余計な情報は与えないように気をつけながら、簡潔に答えた。


「仕事が終わっただけです。さて、続きをやりましょう」


二人で書類を広げ、数字の突合せを始めた。


一時間ほどして、ロイドから使いが来た。


「午前中に、一度来てほしいとのことです」


慎は、ニールに作業を続けるよう頼んでから、ロイドの執務室へ向かった。



◆ロイドの報告


「カシアンが、話し始めた」


ロイドは、慎が席に着くと同時に、そう切り出した。


「どの程度まで」


「グレイ主教との関係の全容と、資金の流れについては、ほぼ話した。ただ、グレイ主教の本来の目的については、カシアン自身も詳しくは知らないようだ」


「グレイ主教本人は」


「まだ何も話していない。ただ、書類の証拠が揃っている以上、否認し続けることは難しい。時間の問題だと見ている」


慎は、手帳にメモを取りながら聞いた。


「カシアンの話で、新しく分かったことはありますか」


「一つある」


ロイドは、書類を一枚取り出した。


「聖ヴェルナ教会財団の設立資金の出所について、カシアンが証言した。資金の一部は、バルトからの横領分だが、もう一部は別の場所から来ていた」


「別の場所、というのは」


「王都の別の貴族家だ。複数の家から、同様の手口で資金が抜き取られていた形跡がある」


慎は、少し間を置いた。


「つまり、バルトと伯爵家だけが対象ではなかった、ということですか」


「そういうことだ。グレイ主教は、複数の貴族家に同時並行で同じ手口を仕掛けていた。それぞれの家に、バルトのような役割を担う人間を送り込み、資金を抜き続けていた」


(スケールが、さらに大きかった)


慎は、グレイ主教が最後に言った言葉を思い出した。


「土地と鉱山だけが目的ではない」


「その複数の貴族家というのは、どのくらいの規模ですか」


「カシアンが把握している範囲では、五家から六家。ただし、これが全てかどうかは確認が取れていない。もっと多い可能性もある」


「その家々の共通点は何ですか」


ロイドは、少し考えてから答えた。


「全て、王都から一定の距離がある、地方の中規模貴族だ。中央の権力から遠く、個別に動向を把握しにくい家ばかりだ」


(中央から目が届きにくい地方貴族を、少しずつ骨抜きにしていく。一家だけなら偶然に見えるが、複数家を同時並行で攻めれば、気づかれにくい)


「これは、報告書にまとめて陛下にお伝えする必要があります」


「既に準備中だ。陛下からも、詳細な報告を求める書状が届いている」


「ところで、ソフィア様のことですが」


慎が話題を変えると、ロイドは少し表情を複雑にした。


「ソフィア・ヴァンディアール夫人については、まだ事情聴取をしていない。お前の父上への配慮もあって、伯爵家内の問題は、伯爵家側で対応してもらう形にしたいと思っているが」


「分かりました。私の方で、話します」


「無理をしなくていい」


「いえ。これは、家の中で片付けるべき話だと思います」



◆ソフィアの真実


昼前、慎はソフィアの部屋を訪ねた。


今回は、お茶の準備はなかった。ソフィアは、窓際の椅子に座って外を見ていた。昨日までの、計算された落ち着きが、少し崩れているように見えた。


「座っていいですか」


「……どうぞ」


慎は、向かいの椅子に座った。


しばらく、二人とも黙っていた。先に口を開いたのは、ソフィアだった。


「グレイ主教が、連れていかれたのね」


「はい」


「カシアンも」


「はい」


ソフィアは、窓の外を見たまま、静かに言った。


「私が、どこまで関わっていたか、聞きに来たのでしょう」


「はい」


「……聞いて、どうするつもりなの。父上に報告する?」


「お義母様が話してくれた内容次第です」


ソフィアは、長い間沈黙していた。


外では、庭の木々が風に揺れている。穏やかな昼の景色と、この部屋の空気の重さが、不釣り合いだった。


「グレイ主教と最初に会ったのは、五年前よ」


ソフィアは、ゆっくりと話し始めた。


「あの頃、私はまだ伯爵家に慣れていなかった。先妻のお子さんたちに気を使いながら、伯爵家の中での立場を見つけようとしていた」


「はい」


「グレイ主教は、当時まだ地方の聖職者だった。礼拝に来たときに知り合って、親切にしてもらった。家族のいない私に、居場所を与えてくれた、そういう存在だった」


「それが、どう変わったんですか」


「三年前から、頼み事をされるようになった。伯爵家の財産の動向を教えてほしいとか、バルトという人間を信頼してほしいとか。そのときは、大きな意味があるとは思わなかった」


「土地の売却の話は」


「半年前から持ち出された。財団への売却を勧められて、伯爵家のためになると言われた。私は、それを信じて、父上に勧めた」


慎は、ソフィアの話を聞きながら、表情や声のトーンを観察していた。


嘘をついているようには見えなかった。だが、全てを話しているかどうかは、まだ判断できなかった。


「お義母様は、バルトの横領については知っていましたか」


「……知らなかった。バルトがグレイ主教と繋がっているとは、思っていなかった」


「では、灰色の封蝋の書状は」


ソフィアは、わずかに表情を動かした。


「あれは、グレイ主教から直接届いた書状よ。土地の売却を急ぐよう、という内容だった。あなたが調査を始めたから、早めに進めるよう指示があった」


「それを、なぜ急いだんですか」


「グレイ主教のことを、信頼していたから。指示に従うことが、正しいと思っていた」


慎は、少し間を置いてから、静かに言った。


「お義母様は、利用されていたと思います」


ソフィアは、初めて慎の方を見た。


「……どういう意味」


「グレイ主教は、お義母様を、伯爵家への入り口として使っていた。お義母様を通じて、伯爵家の財務情報を得て、バルトへの信任を確立して、土地の売却を進めようとした。お義母様がその計画の全容を知っていたとは思えません」


「でも、私はグレイ主教の指示に従った。売却を父上に勧めた」


「知らずに動いた、ということと、意図的に不正に加担した、ということは、違います」


ソフィアは、しばらく慎を見つめていた。


その目に、何か複雑な感情が浮かんでいた。


「……あなた、なぜそんな言い方をするの。私は、あなたを危険な目に合わせようとした側なのに」


「過去にどう動いたかと、今後どうするかは、別の問題です」


慎は、静かに、しかし真剣に言った。


「お義母様が知っていることを、全部話してもらえれば、それが捜査にとって最も重要な協力になります。グレイ主教の本当の目的が何なのか、まだ分かっていない部分があります。お義母様との五年間の関わりの中で、何か気になったことや、違和感を感じたことはなかったですか」


ソフィアは、また窓の外を見た。


「一つだけ、ずっと気になっていたことがあった」


「何ですか」


「グレイ主教は、伯爵家の財産よりも、もっと別のことに興味を持っているように見えた。財産の話をするとき、数字よりも、人の話をすることの方が多かった。伯爵家の家族関係、誰と誰が仲がいいか、誰が影響力を持っているか。そういうことを、よく聞いていた」


「人の話を」


「ええ。それが、何を意味するのか、私には分からなかった。でも、今思えば——」


「財産ではなく、人脈や家族の関係を把握することが、目的の一つだったのかもしれない」


慎は、ソフィアの言葉を引き取った。


(複数の地方貴族家を同時に攻めている。財産を奪うだけでなく、各家の人間関係を把握している。これは、財産目当てというより、もっと大きな何かのための準備に見える)


「分かりました。話してくれて、ありがとうございます」


「これで、私はどうなるの」


慎は、正直に答えた。


「ロイド殿と相談します。お義母様が知らずに動いていたことは、私から説明します。ただ、最終的な判断はロイド殿と陛下の判断になります」


「……そう」


「ただ、一つだけ確約できることがあります」


「何?」


「父上には、お義母様が利用されていたという経緯を、正確に伝えます」


ソフィアは、長い間黙っていた。


やがて、小さく、「ありがとう」と言った。


その声は、これまでで一番、計算のない声だった。



◆父への報告


昼過ぎ、慎は父ゲオルクの書斎を訪ねた。


全てを話すつもりだった。グレイ主教の計画の概要、バルトの役割、ソフィアが利用されていたこと、土地の本来の価値、複数の貴族家への同様の工作——。


ゲオルクは、黙って聞いていた。


途中、一度だけ「ソフィアは」と聞いた。


「知らずに利用されていたと思います。意図的に不正に加担したという証拠はありません」


ゲオルクは、また黙った。


慎が話し終えた後も、しばらく沈黙が続いた。


「……二十年以上信頼してきたバルトが、こういうことをしていたとは」


「はい」


「ソフィアも、グレイという男に取り込まれていた」


「そう見ています」


「お前は、それを調べ上げた」


「ロイド殿と、エミリアさんの協力があったからです。一人ではできませんでした」


ゲオルクは、疲れた顔のまま、しかしどこか吹っ切れたような目で慎を見た。


「……一つ、謝らなければならないことがある」


「はい」


「最初の手紙だ。潔く罪を認めろ、と書いた。あれは、間違いだった」


慎は、静かに頷いた。


「父上なりの、家のための判断だったと理解しています」


「それで済む話ではない」


ゲオルクは、珍しく、はっきりとそう言った。


「お前の父として、お前を守るべきだった。それをしなかった。言い訳はしない」


「……ありがとうございます」


「礼を言うことではない」


ゲオルクは、また少し間を置いた。


「ソフィアのことは、私が直接話す。お前が心配しなくていい」


「分かりました」


「それと——財務管理の件は、引き続きお前に頼む。今回の件で、私はつくづく分かった。数字のことは、お前の方がずっと分かっている」


慎は、小さく頷いた。


書斎を出ながら、慎は不思議な感覚を覚えていた。


謝罪を受け入れることも、許すことも、前世では経験したことのない感覚だった。前世では、職場の人間関係は常にドライで、感情的な話をする場面はほとんどなかった。


(これが、家族というものか)


まだ、完全に理解できているとは思わない。だが、少しずつ、この場所が、自分の場所になってきている気がした。



◆エミリアへの報告


夕方、エミリアが屋敷に来た。


慎は、今日起きたことを全て話した。カシアンの証言、複数の貴族家への工作、ソフィアの真実、父への報告——。


エミリアは、黙って聞いていたが、最後に一つだけ質問した。


「グレイ主教の本当の目的が、まだ分からないのよね」


「はい。土地と財産を奪うだけでなく、各貴族家の人間関係を把握することも目的の一つだったようです。でも、その先に何があるのか、まだ見えていない」


「……怖いわね」


「ええ」


「でも、あなたは次も続けるでしょう」


「続けます」


エミリアは、少し笑った。


「そうよね。性分だもの」


「エミリアさんは、引き続き協力してもらえますか」


「当たり前じゃない。今更やめるつもりはないわ」


慎は、素直に、ありがとうございます、と言った。


前世では、こういう言葉を言う機会が、ほとんどなかった。仕事は一人でやるものだ、という思い込みが、ずっとあったからだ。


この世界に来て、初めて、頼れる人間がいることの有難さを、実感として理解できた気がした。


「一つ聞いてもいいですか」


「何」


「エミリアさんは、なぜここまで協力してくれるんですか。婚約者という立場を除いても、相当な危険を冒してくれている」


エミリアは、少し考えてから答えた。


「最初は、ジル様のためだった。でも今は——」


「今は?」


「あなたが、正しいことをしているから。それだけよ」


慎は、その答えを聞いて、少し沈黙した。


正しいことをしているから、という理由で動ける人間は、前世でもこの世界でも、そう多くない。多くの人間は、損得やリスクを先に計算する。それは当然のことだし、責められることでもない。


だが、それでも、こういう人間がいるということが、慎には単純に、嬉しかった。


「……ありがとうございます」


「また言ってる」


エミリアは、笑った。



◆王からの書状


その夜、屋敷に一通の書状が届いた。


王室の紋章が入った、格式の高い封蝋。宛名は、ジル・ヴァンディアール。


開封すると、簡潔な文章が記されていた。


「ヴァンディアール伯爵家ジル・ヴァンディアール殿。王城にて、直接お目にかかりたい。三日後の午前、王城の謁見室にて。ヴィクトール三世」


国王からの、直接の呼び出しだった。


慎は、書状を二度読んだ。


謁見室、というのは、通常の来客とは別の、王が重要な話をするための部屋だ。広間での公開の場ではなく、限られた人数での対話を意味する。


(陛下が、直接話したいことがある、ということか)


グレイ主教の件、複数の貴族家への工作、鉱山の件——どれについての話なのかは分からない。だが、ロイドを通じて上がっていた報告を受けた上での召喚だとすれば、陛下はこの事件の全体像を、かなり把握しているはずだ。


アルベルトに書状を見せると、珍しく、少し驚いた顔をした。


「王城への召喚か」


「はい」


「陛下が直接呼ぶとは、相当なことだ」


「何が話されるか、心当たりはありますか」


アルベルトは、少し考えてから言った。


「グレイ主教の件が、予想以上に広い範囲に関わっているなら、陛下としても、それを調査した人間の話を直接聞きたいだろう。そして——」


「そして?」


「陛下は、そういう人間を手元に置きたいと思うかもしれない」


慎は、その言葉の意味を、しばらく考えた。


「手元に置く、というのは」


「王城に仕える立場になる、ということだ。地方の伯爵家の三男ではなく、王室に直接関わる立場に」


(それは、前世でいうなら、部署異動より遥かに大きな話だ)


「まだ、話を聞いてもいない段階で、考えすぎかもしれません」


「かもしれない。だが、準備はしておけ」


アルベルトは、そう言って部屋を出ていった。


慎は、書状をもう一度見た。


三日後。


前世でも、仕事の節目というのは、いつもこういう唐突な形でやってきた。準備が整ったと思った瞬間に、次の扉が開く。


(次の扉か)


慎は、手帳を開いた。


グレイ主教が言った言葉を、もう一度書き直した。


「土地と鉱山だけが目的ではない」


その言葉の先に、何があるのか。


複数の地方貴族家を骨抜きにすることの、本当の意味は何か。


(人脈の把握、財産の収奪、そしてその先に——)


まだ、答えは見えない。だが、三日後の謁見で、また一歩、その答えに近づけるかもしれない。


慎は手帳を閉じ、窓の外の夜空を見上げた。


星が出ていた。前世では、残業続きで夜空を見る余裕もなかった。


(悪くない場所だ、この世界も)


不正はあふれているし、命を狙われることもある。だが、信頼できる人間がいて、やるべきことが明確で、積み上げてきた仕事が確かな形で残っていく。


それは、前世でも求めていたものと、本質的には同じだった。


三日後の謁見まで、やるべきことはある。


慎は、新しいページに、準備リストを書き始めた。


夜は、また長かった。


だが、慎はもう、長い夜を苦にする人間ではなかった。


(第12話に続く)

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