§.25 【胸の内に疼く】
それは遙か昔。
クロノが武者修行の旅に出た二年後のことだった。
ある酒場でこんな話を耳にした。
「知ってるか? 例の話」
「あぁ? なんだ?」
ぶどう酒を飲みながら、旅人と商人が話をしていた。
「虐殺王のことさ」
「虐殺王? 穏やかじゃねえ名前だねぇ」
「そりゃそうさ。罪もない隣国の民を虐殺したんだからな」
「虐殺? 何人ぐらい?」
「全員さ」
「ぜ、全員?」
どういうことかと商人が首を捻る。
「全員つーと?」
「だから、隣国の民を皆殺しだよっ。国を滅ぼしたんだ」
「はあっ!? 皆殺しって、そんな小さい国だったのか?」
「いいや。普通の国だよ」
「だったら、そんなの不可能だろうよっ。軍隊を出したって、皆殺しなんてどれぐらいかかるんだっ?」
「それがたった一日でやっちまったらしい」
「んな馬鹿なっ! ありえないありえないっ! 眉唾もんだよ、そりゃ」
「事実だよ。現に俺はその滅ぼされた国に行ってきたんだからな。人っ子一人いなかった」
商人が目を見開く。
「じゃあ、本当だっていうのかい?」
「聞くところによれば、虐殺王は全知全能の力を持っているらしい」
「全知全能……」
半信半疑ながらも商人は尋ねた。
「……で、その虐殺王が治めているのはなんて国なんだい?」
真に迫った様子で旅人は答えた。
「ランザリア王国だよ。ランザリアの虐殺王オウル・グランベフィウスだ」
「そんはずはないっ!!」
隣の席で話を聞いていたクロノが突如立ち上がり、旅人に詰め寄っていた。
「な、なんだい、あんた……?」
「いや……すまない……」
はっとして、クロノは引き下がった。
(オウルに全知全能といえるほどの力はなかった。そもそも、全知全能の力を得たとしても、そんなことをするわけがない)
それが話を聞いたクロノが真っ先に考えたことである。だが、妙に胸騒ぎがしたのだ。彼はちょうど剣の達人と噂されていた人物との一勝負を終えたところだった。見事に勝利したクロノは次の修行の地を探していたのだが、この酒場での出来事をきっかけにランザリア王国を調べることにした。
クロノが今いるのは最北の大陸だ。ランザリアの情報が手に入りづらいため、移動しながら聞き込みをすることにした。
最も栄えている中央大陸のザイド王国に近づくにつれ、ランザリアの情報が集まり始めた。
皆、言っている内容は最北の地で旅人が噂していたことと同じだった。違うのは滅ぼした国の数だ。旅人は隣国を滅ぼしたと言っていた。だが、ある者は三カ国を、また他の者は七カ国を滅ぼしたと口にした。二〇カ国を滅ぼしたと口にした者さえいた。
クロノは気がついた。日を追う毎に滅ぼされた国が増えているのだ。
そして、とうとう虐殺王オウルを止めるために、五大国の王が集結した五王会議が開かれる。しかし、その場で五王全員が殺されてしまったのだ。
虐殺王オウル・グランベフィウスの仕業と言われている。
大虐殺を止めるため、名だたる英雄がランザリアへ向かったが、誰一人として戻らなかった。ランザリアの地に足を踏み入れることなく殺されてしまったのだ。
その頃には全世界の七割の人口が消えてなくなっていた。後の世に言う大虐殺である。
クロノは一人、小舟でランザリアへ向かった。貿易船はもうランザリアに通っていなかったし、いくら大金を積んでもそこへ船を出そうという命知らずの船乗りはいなかったからだ。
(ランザリアの地を踏むことなく、名だたる英雄は死んだという。全知全能の力で殺されたのか? なにかあるとすればこの先だろう)
小舟がランザリア国に近づいた頃、クロノはそんなことを考えた。
だが、彼の心配とは裏腹に何事もなく、小舟はランザリアの港街に到着したのだった。
「……どういうことだ?」
クロノはそう自問する。
英雄たちの船には何人もの魔導師が乗っていた。ランザリアに到着した時点で、魔法通信が来るはずだった。しかし、それはなかった。どう考えても、ランザリアに来る前に死んだとしか思えない。
だが、クロノはあっさりと港街に辿り着くことができた。
(考えても仕方がない。商店街の方へ行ってみるか)
港からクロノは移動を始める。しばらく歩いて、彼ははっとした。
(あれは……? 骨? 白骨死体か……)
道に白骨が置いてあった。うつ伏せに倒れていて、そのまま亡くなったようだ。
(なぜ埋葬されていない? 街中で、道に放置しているというのは不自然だな)
再びクロノがはっとする。
白骨死体を見つけた少し先にも、白骨死体があったのだ。
(またこんなところに……? 骨になるまで放置したのか?)
そう思い、クロノは道を見渡した。
すると、点々と白骨死体が続いているのだ。
(まさか……?)
クロノは走り出す。白骨の横を通り過ぎ、急いで商店街へ向かった。そこには、彼の予想通り、夥しい数の白骨があった。街中が白骨で埋め尽くされているのだ。
(大虐殺の始まりは……隣国ではない……ランザリアの民から殺されたのだ)
にわかには信じがたかった。オウルがランザリアの民を殺す理由などない。だが、目の前に広がる光景は、厳然たる事実を突きつけてくる。
(オウル……なにがあったのだ、お前に……?)
ぐっと拳を握りしめ、クロノは覚悟を固める。
真相を知るために、彼は王都まで走った。その道すがら、幾度となく白骨を見かけた。抵抗したような跡は微塵もない。一方的に虐殺されたのだろう。そして、その光景は王都の中でもまったく同じだった。
城に辿り着くまでの間、生きている人間には一人たりとて出会わなかった。
果たして、ここにオウルはいるのか? 全知全能となった彼がランザリアに留まっている理由もない。
それでも、クロノの足は自然と動いた。
辿り着いたのは、かつてともに王都を一望したあのバルコニーである。
そこにオウルがいた。
二年前となんら変わらない姿で――
彼を見た瞬間、頭の中を渦巻いていた疑問がそのまま口を突いて出た。
「なぜだ、オウル? お前が王でありながら、ランザリアになにが起きた?」
しかし、彼は背を向けたまま、答えようとはしなかった。
「……それが答えなのか? なんの弁解もしないというのは、全て事実だというのか?」
クロノは答えを待たずに言葉を重ねた。
それでも、オウルはなにも言わない。
「お前は殺せたはずだ。お前を止めに来た多くの英雄たちと同じように、ここに辿り着く前に俺を殺すことができたはずだ。全知全能だというのならば」
それはつまり、オウルには殺すつもりがなかったということだ。
だから、クロノはここまで辿り着くことができた。
「なぜだ? 俺になんの用があったのだ?」
更に重ねて、クロノは問うた。
しかし、それでもオウルはなにも言わなかった。彼は滅亡してしまった自らの国を見つめるばかりだ。
「……では、最後に問おう」
クロノは言った。
「ランザリアに危機が迫った時は、なにがあろうと戻ってくる。それが唯一、お前が俺に下した命令だった。それはまだ有効か?」
音のない時間が、しばらく続いた。
クロノが諦観しかけたその時、オウルがゆっくりと彼を振り向いた。
「全てが同じに見える。生も死も。栄華も滅亡も。この結末も、ただふられた賽の目に従っただけだ。私は最早、全知全能という現象になり果ててしまった」
クロノの胸に去来したのは、絶望に近く、落胆にも等しい想いだった。
言い訳があればいいと思っていたのだ。
事情があればいいと思っていたのだ。
ランザリアの民を虐殺し、世界の七割を虐殺して、許される理由などあるわけもない。
それでもなお、クロノはランザリアを救えという命令がまだいきているのを願っていたことに気がついた。そして、そうではなかったということにも……。
「ランザリアがどうなろうと、どうでもいいというのか?」
オウルは答えない。なんの感情も伴わない無機質な目で、クロノを見つめるばかりだった。
なぜか、それがクロノには彼が解放されたがっているように思えたのだ。
クロノは剣を手にした。武者修行の際に手に入れた神をも殺す魔剣である。
そうして、まっすぐ駆けた。
オウルが本当のことを口にしたのなら、自らの最後すら振られた賽の目に従うだろう。全知全能の力には敵わずとも、戦う意味はあると思った。
全力で振り下ろしたその魔剣は、しかしオウルの胸に当たって、ぽっきりと折れてしまう。
だが、折れた魔剣の先が、彼の胸に突き刺さった。
全知全能の虐殺王は血を流した。
「ただ一つ……お前、だけが……」
彼は何事かを呟いた。しかし、その先は聞こえなかった。彼がその場に倒れたのだ。
不思議なことが起こった。眩い光がオウルの体から抜けて、クロノの中に入ってきた。
「それは呪いだ。全知全能はお前に継承された、クロノ」
その瞬間、彼はかつてともに玉座を目指したあの頃と同じ表情をしていた。まるで憑きものが落ちたように、彼は感情を取り戻しつつあった。オウルが全知全能の力を失ったからだろう。
確かに全能の力はクロノに移り、全てを理解できる全知が彼の頭にあった。
だが、一つだけ、全知全能のその身をもって、どうしてもわからないことがある。
「オウル……どういうことだ?」
問いには答えず、オウルはじっとクロノを見ていた。
「友達を作れよ。お前はいつも一人が寂しいって顔をしていた」
「こんな時に言うことか? お前はいつも意味がわからないのだ」
倒れたオウルの傷跡に手をかざす。致命傷だが、今のクロノには簡単なことのはずだった。しかし、傷は癒えない。
全能のはずの力が効かず、全知であるはずの頭にその理由が浮かばない。
なぜ、彼を救うことができないのか?
「遺言だよ。それぐらいは聞いてもいいんじゃないか」
「なにが遺言だ。どうやったらお前を救えるのだ? 俺は全知全能になったのだろう?それならば、容易いはずだ!」
問い質すようにクロノは言った。
オウルならば、答えを知っていると思ったのだ。
だが、返事がない。
彼は口を動かしているが、声が出ていないのだ。その心を覗けるはずだったが、やはり全能の力が働かない。
最早、オウルは死にゆくのみだ。
「わかった! 約束しよう! だから、お前を救う方法を教えるのだっ!」
やはり、答えはなく、オウルは最後に笑みを見せた。
満足したように彼は逝ってしまった。
その亡骸を呆然と見つめながら、クロノはがっくりと膝をつく。
何度思い返しても。
幾度過去に戻っても。
どうしてもわからない。
胸の内がひどく疼く。
「なぜ俺だけが、お前に会うことができたのだ?」
この結末は振った賽の目に従ったことだとオウルは言った。だが、すべてが本当にそうだったのか?
名だたる英雄がオウルを倒しにランザリアを目指し、そして死んだ。辿り着けたのはクロノだけだ。
それさえも、ただの偶然にすぎないのか?
「なぜ俺に友達を作れと言ったのだ?」
ずっと、強くならなければと思っていた。母を殺され、理不尽に負けない強さを求めた。戦い、強くなることだけが、幼く無力だった自分を救う方法だと思っていたのだ。
だが、一方でそれが揺らいだこともある。
王家の決闘でオウルに敗れた時だ。彼はクロノにランザリア繁栄のために働けと口にした。王に即位したオウルを支えるために。
それも――悪くはないと思ったのだ。
「お前は俺を」
クロノは問いかける。
「なんだと思っていたのだ?」
その答えはない。
過去を繰り返しても、全知全能の力があろうとも、決して得られることはなかったのだった――
◇
竜人の国アムルテムズ。
全知法廷は消え去っていた。その墓地にて、クロノは過去の出来事を語り終えた。
全知全能となった彼に唯一残された強い想いを。
「彼らのような」
ギルムとバライザを見つめながら、クロノは言った。
「お前たちのような」
シャルとリュカに視線を向け、更に続けた。
「そんな結末が、あいつと俺にもあったのかと思ったのだ」
すると、シャルがずいと身を乗り出し、至近距離でまじまじとクロノを見てきた。
彼は戸惑いを見せた。
「なんだ?」
「確かめてくればいいじゃんっ! オウル君に!」
勢いよく言われ、クロノは呆気にとられてしまう。
「シャル。お兄さんは何度か過去に戻っていますし、オウル・グランベフィウスには全知全能の力が効かないんですよ」
「そんなのおかしいっ!」
「……おかしいって言われても……」
シャルの勢いに押され、リュカが困ったように言い淀んだ。
「だって、クロノ君は全知全能じゃんっ? そしたら、なんでもできるはずだよっ!」
「だが、できなかったのだ。オウルを生き返らせようとしたが……」
「それは頑張りが足りないんだよっ!」
思いも寄らない指摘に、クロノは一瞬押し黙る。
「……頑、張り?」
「そう頑張ればいいじゃんっ! クロノ君は全知全能なんだから、怖がらないで頑張ればきっとできるよっ!」
「そんな気合いでどうにかするみたいな……」
うーん、とリュカが首を捻る。
しかし、クロノは言った。
「確かに」
「でしょっ!」
シャルの楽観的な言葉に当てられたか、不思議とそんな気がしてきた。
彼女の言う通りにやってみようと思った。
「もう一度、行ってみよう。あいつに会いに」




