§.24 【過去の記憶】
開廷、とクロノが口にした瞬間、墓という墓に亀裂が走った。墓だけではない。彼らが立つ大地そのものに亀裂が走り、あげく空にまでもヒビが入る。それはみるみる広がっていき、全てが粉々に砕け散ったのだ。
その場所に現れたのは、一面が真っ白な石畳である。塔のように高い石板が無数に立てられており、上には果てがない。その石板はどこまでも無限に続いていた。
「ここは……?」
「真実を追い求め、正しい裁きを願う者が、自らの魂を捧げる覚悟を決めた時にのみ、開廷する。これはルールにより御される全知全能の力――」
石板に刻まれた光の文字があらわになる。終わりが見えない高さを誇るその場所が、夥しい数の文字に埋め尽くされた。
「――全知法廷だ」
クロノの説明に、ギルムは目を見開く。
「……全知全能……? それじゃ、君が……いえ、あなたが、あの虐殺王クロノ・グランベフィウスなのですか……?」
ギルムは白の竜王アガドに近しい立場だった。全知全能の虐殺王を知っていても不思議はない。
「概ね合っているが、虐殺王ではない」
「え?」
「気にしなくていい。肝心なのはこの全知法廷が真実を解き明かす力を持っているということだ」
中央の床がせり上がっていき、広い壇を形成した。証言台である。
「疫鬼王バライザに容疑がかけられた、魔族と竜人の戦争の発端、竜人殺しの真相を知る証人を召喚する」
証言台に無数の光る文字が刻まれた。文字は宙に浮かび上がり、人を象った。すると、次第にそれは一人の竜人に変わっていく。
「竜人の兵デーヴィス・カルタスだ」
心当たりがあるのか、ギルムとユーリの表情が険しくなる。
「知ってるの?」
シャルが聞く。
「戦争のきっかけ、最初に魔族を殺した奴だよ」
「バライザに殺された最初の竜人なんだ」
ユーリとギルムの主張はまったく違っていた。
証言台に光る文字が輝き、そこに湖が現れる。
「リトン湖……」
ギルムがそう呟く。彼がバライザと釣りをしたと言っていた場所である。
「証言台が語るのは過去。これはお前たちの戦争の火種となった事件だ」
デーヴィスが歩いていく。
すると、リトン湖の畔に、黒い角の魔族がいた。疫鬼王バライザである。釣りをしているところだ。
「珍しい。こんなところに来る竜人は、ギルムぐらいだと思っていた」
デーヴィスを見て、バライザは言う。
「ギルム様から伝言だ」
「伝言?」
ギルムが眉根を寄せた。
「そんな覚えはな――」
彼は途中で言葉を止め、息を呑んだ。
デーヴィスがその剣で疫鬼王バライザを突き刺したのだ。
「貴様……なんのつもりが知らぬが、これしきでこの私を殺せるつもりか……」
バライザが魔法陣を描こうとしたその時、彼の体に白い文様が浮かぶ。それはまるで星の形のようだった。
「な、に……? 馬鹿……な……」
脱力したように膝をつき、バライザはその場に倒れた。息絶えたのだ。
「嘘っ……そんなはずっ……! だって、バライザ様は生きてて、ユーリたちと一緒に戦ったんだからっ……!!」
ユーリの疑問の答えが、証言台で語られる。
もう一人の竜人がそこへやってきたのだ。
「不意をついたとはいえ、あの疫鬼王バライザを一撃で仕留められるとは。さすがは聖杯の力ですね」
白の竜王アガドの腹心、魔導師ネティであった。彼はその手に聖杯を持っている。
「さあ、聖杯よ。疫鬼王バライザを生贄とし、その血を蓄えるのです」
聖杯から眩い光が溢れると、バライザにつけられた星の文様が光り始める。やがて、息絶えたはずのバライザがムクリと起き上がった。
「おお、素晴らしい。これが聖杯の力か」
死体が動いたことに、デーヴィスは感心している。
「これで聖杯を発動できるということか、ネティ殿」
「いえ、まだです。発動するには、生贄の血を幾度となく流し、聖杯を満たさなければなりません。つまり、生贄となった疫鬼王バライザを戦乱の渦に呑み込む必要がございます」
丁寧な口調でネティが説明した。
「なるほど。では次はどのようにすれば?」
「そう焦らないでください。すでに手は打っております」
ニヤリ、とネティが笑う。
ちょうどその時、竜人の兵士たちが武装してやってくるのが見えた。
「ネティ殿ーっ! 援軍に参ったっ! 魔族が襲撃をかけてきたとは誠かっ!?」
「……魔族が襲撃? なんの話――」
ドスッとデーヴィスの心臓にバライザの手が突き刺さった。
「が……はっ……!」
真っ赤に染まった手を引き抜かれ、デーヴィスはその場に倒れる。
「……ネティ殿……まさか……私も生贄に……」
「ありがとうございます、デーヴィスさん。これで戦争になりますよ」
疫鬼王バライザに顔を踏みつぶされ、デーヴィスは絶命した。
「で、デーヴィスッ!?」
「こやつ……疫鬼王バライザだっ! おのれっ! デーヴィスの仇ぃぃっ!!!」
竜人の兵たちが襲い掛かろうとするも、バライザの体を砂塵が覆い尽くす。そのまま、彼は砂塵とともに、湖から消え去っていった。
瞬間、その場にいた全員が光り輝き、文字となっていく。
一つの証言が終わったのだ。
その文字が再び、人物や風景を象り始めた。次に映し出された場所は竜人の国アムルテムズの野外神殿だった。
厳かな金の刺繍が施された法衣を着た男が歩いてきた。
シャルがいち早く気がつく。
「ソル様じゃんっ! なんでアムルテムズにいるのっ?」
始まりの教皇ソル・ハルケマスである。
竜人の宗教観は、聖ハルケマス教会とは相容れない。それゆえ、対立し、争いになったことは幾度となくある。その火種ともいえる教皇が竜人の国を歩いている姿に、彼女は強い違和感を覚えた。
「教皇様」
声が聞こえた。
光る文字が人型を象り、それは一人の竜人となった。アガドの腹心ネティである。
「調子はいかがですか?」
優しい声音でソルが聞いた。
「疫鬼王バライザを聖杯の生け贄として、竜人を殺させました。ごく一部のことではありますが、魔族と竜人は争い始めました。黒の竜騎士ギルム・ヴォーザーが疫鬼王バライザを討ち、バライザの呪いによって病魔に冒されております」
首尾は上々とばかりにネティが報告する。
「記憶のないバライザは幾度でも蘇り、そして竜人たちと戦い、血を流し続けるでしょう。聖杯を満たすまで」
「それで?」
冷たい瞳をソルが向ける。
「そ、それでとおっしゃいますと?」
「この野外神殿は遙か太古に我らが神の聖地であった場所。私が知りたいのは、それが野蛮な竜人どもから取り戻せるのかということです」
「は、はい。勿論です! やがて、白の竜王から聖杯の発動許可を賜ります。それまでに準備を整え、聖杯の力でこの地から竜人どもを一掃いたします」
「許可を賜るですか。悠長な話ですね」
「それは、しかし……許可がなければ、発動することができないように……」
恐縮しながら、ネティが弁解する。
「いいでしょう。全ては神のお導きです」
もう用は済んだとばかりに、ソルは踵を返した。
「きょ、教皇様っ……」
足を止め、彼はゆっくりと振り返る。
「なんですか?」
「わ、私は竜人の魔導師として、神を信じずに生きて参りました。半生を不敬とともに過ごした私を、神は本当にお許しくださるのでしょうか? この聖地を手に入れれば、本当にっ!?」
穏やかに、ソルはうなずいた。
「神を信じなさい。そうすれば、救われるでしょう」
ネティは手を組んで、神に祈りを捧げる。
「おお、神よ。慈悲深きあなた様に感謝を」
全てが光る文字に戻っていき、二つ目の証言が終わった。
「……ちょっと待って……ちょっと待ってよっ!!」
半ば取り乱した様子でユーリが言う。
「今のなに? 本当なのっ? だって、それじゃ、バライザ様を殺したのも、デーヴィスを殺したのも、ぜんぶっ、ぜんぶっ――」
「全知法廷では真実以外は拒絶される。今から、先に竜人を殺した男、お前たちの戦争のきっかけを生み出した犯人をここに召喚する」
魔法陣が描かれ、光とともにそこに現れたのは魔導師ネティだった。彼は唐突な召喚に、混乱した様子である。
「な……ここはいったい……?」
ネティははっと自分を見ている者たちの存在に気がつく。
「ヴァンパイアのユーリ……ギルム様……それに……」
クロノと目が合い、彼はガタガタと体を震わせ始めた。
「ぜ、全知全能の虐殺王……クロノ・グランベフィウス様…………」
「ネティ。全て、お前の企みだったんだね?」
ギルムに冷たい視線を向けられ、ネティは息を呑む。
「な、なんのことだか……?」
「お前がバライザとデーヴィスを殺した。竜人と魔族を争わせ、血で満たした聖杯を発動して、この国を滅ぼすために。ハルケマス教会の聖地を奪還するというお題目で」
だらだらとネティは脂汗を垂らす。
「ど、どこでそれを知って……?」
ネティは一瞬疑問を抱くも、すぐにそれは氷解した。
「あなた様が……」
と、彼はクロノに視線を向けた。
「最後に言っておきたいことはあるか?」
「ちっ、ちっ、違うのですっ! 私は、騙されていたのですっ! あの男、始まりの教皇、ソル・ハルケマスにっ!! そうすれば救われるとっ!! 聖地を奪還すれば、全ての罪が許され、大いなる救済を得られるとっ! わ、私は不治の病なのですっ! ただ、ただただ、死ぬのが恐ろしかっただけなのですっっっ!!!」
恐怖に支配されたように、ネティはクロノに訴える。
「お前に殺された者は死ぬのが恐ろしくはなかったか?」
「そ、それは……しかし……」
「お前に煽動され、争った者たちの尊厳はどうなるのだ? 他者の魂を踏みにじることは、命を奪うよりも重たい罪なのだ」
「まっ、待って、待ってくださいっ! お待ちくださいっ! クロノ・グランベフィウス様っ! 私は、決してそのようなつもりではっ!! これから心を入れ替え、あなた様のために生きる下僕となりますのでっ! どうか、どうか、この通りでございますっ!!」
その場に平伏し、ネティは床に額をこすりつける。
「判決は出た」
光る文字がネティに絡みつき、それは十字の磔台に変わった。彼はそこに両手両足を杭で縫い止められた。
「あっ、が、があぁぁぁっ……!! ま、待って……」
「主文。魔導師ネティは疫鬼王バライザと竜人の兵デーヴィスを殺害し、聖杯の力でもって、死者を操り、魔族と竜人の紛争を引き起こした。結果、二六七七名の死傷者が出た。よって、全ての罪罰は正しき咎人へ」
光る文字が集い、それは一本の槍と化す。
「お待ちくださいっ。どうか、私は懺悔しておりますっ! クロノ・グランベフィウス様ぁぁぁぁっっっっ!!!」
「それで済めば、この世に罪などないのだ。お前を磔の刑に処す」
槍がまっすぐ飛んでいき、拘束されたネティを貫いた。
「がっ……ぁ……ぁ……」
彼は分解されるように光る文字へと変わっていき、全知法廷の一部と化す。磔台と槍もまた同じように光る文字に戻った。
その様子を見て、ギルムは天を仰いだ。薄らと彼の瞳に涙が滲む。
「……もっと君を信じるべきだったよ、バライザ」
それは後悔だったのか。ギルムは自らの額に浮かぶ黒いイバラの斑紋に触れる。
彼の手が小刻みに震えていた。
「この病魔は、君を信じ切れなかった僕への罰なのかもしれないね……」
「全ての罪罰は正しき咎人へ」
「……え?」
ギルムがクロノに視線を向けた。
「全知法廷の判決は、全能でもって執行される」
ギルムの額に浮かんでいた斑紋が光る文字と化して、消えていく。次の瞬間、その文字は人の形を作り始めた。
砂塵が集い、疫鬼王バライザがそこに復活したのだ。
「……ギルム……? なんだ? 私は確か、あの竜人に不覚を取り……」
「バライザ……バライザッ……!」
記憶が判然としないバライザに、ギルムが駆け寄り、その肩を強く抱きしめた。
「よかった、バライザ。本当によかったよ……」
困惑した様子のバライザと、涙を流すギルム。その周囲では次々と戦争で亡くなった魔族と竜人たちが復活していく。
全ての罪をネティが背負い、そしてそれ以外はなかったことになったのだ。
「やったじゃんっ。ぜんぶ上手くいったねっ! めちゃ完璧っ」
シャルがそう声をかけてきた。
しかし、クロノはなにも言わず、抱擁を交わすバライザとギルムをただ見ていた。
「……お兄さん? どうかしたんですか?」
心配そうにリュカが聞いてきた。
「美しい友情だ」
「あ、はい。そうですね」
リュカが淡々と受け答えをする。
「思い出すことがある」
「なにをー?」
あっけらかんとシャルが聞く。
「昔のことだ。俺がまだあの二人のように熱い心を持っていた最後の記憶」
すると、嬉しそうにシャルが笑った。
「聞かせてよ。どんなのだったの?」
「一度、簡単に話したと思うが?」
「じゃ、今度はがっつり話してくれてもいいじゃんっ」
一瞬考え、クロノは言った。
「そうだな。シャルの言う通りだ」
全知法廷が消えていく中、クロノは静かに語り始めたのだった。




