§.15 【出陣】
竜人の国アムルテムズ。白竜城。
アガドは急遽、自らの城に戻ってきた。四王会議に裏切り者がいるというゴルロアーズの発言は気になったものの、こちらの方が急務であった。なにせ、あの虐殺王がまもなく入国するのだ。
(ゴルロアーズを嵌めようとしたのだとすれば、大方犯人はランデュークだろう。魔族と人間が犬猿の仲なのは今に始まったことではない)
アガドはそう考えていた。
白竜城には、現在集められるだけの精鋭が集められている。今すぐ戦争を始めることすら可能なほどの戦力だが、虐殺王と戦わなければならないとなると話は別だ。
その時、玉座の間の扉が勢いよく開け放たれ、一人の兵士が走り込んできた。
「ご報告します! 虐殺王を乗せた船が港に到着しました! 今のところ、虐殺王に目立った動きはありませんっ!」
「わかった。引き続き、監視を続けろ」
「は!」
報告を終えると、また兵士は足早に去って行った。
(しかし、わからん。虐殺王はなぜランザリアの古き聖杯を狙っている? それを使って、なにをするつもりだというのだ?)
アガドは深く考え込んでいた。
(いずれにしろ、アレを彼の王に渡すわけにはいかん。あの聖杯こそが、我が国最大の抑止力。唯一、全知全能の虐殺王への対抗手段なのだから)
堅く拳を握りしめ、ギリギリと奥歯を噛む音が響く。
(そういう意味では不幸中の幸いか。聖杯無しに虐殺王に立ち向かわねばならん事態など考えただけでも恐ろしい)
虐殺王クロノ・グランベフィウスが入国したにもかかわらず、アガドがかろうじて平静を保てているのは、ランザリアの古き聖杯という切り札の存在が大きかった。
いざという時のために手に入れた伝説の神具だ。曰く付きの代物でもあるが、今はその存在だけが頼りであった。
「方針に変更はない。虐殺王が城から目視できる距離に入った瞬間、聖杯を発動しろ」
改めてアガドは言った。
「承知しております」
腹心のネティという男が答えた。武人が多い竜人において、彼は珍しく魔導師である。聖杯の取り扱いも全て彼に一任してある。
そのネティが言ったのだ。
「しかし、ご存じの通り、ランザリアの古き聖杯は制御が極めて困難。発動できるようになるまでには時間がかかります」
途端に、アガドはがくがくと震え上がった。
(ご存じの通りだと? 存じていたか、そんなこと。いいや、聞いた覚えなどないというもの。こいつ、しれっと自分の説明不足を回避しようとしていないか?)
そんな疑念が湧くほどには、アガドは怯えていた。
(だが、言えん。そんなことは男として、武人として、口にできるわけもない!)
彼の誇りがなんとか部下への責任追及を思いとどまらせた。
すると、その想いを代弁するかの如く、もう一人の腹心、竜騎士バルディが言った。
「時間がかかるだと? なぜすぐに発動できるように準備をしておかなかった? それは貴様の責任ではないのか、ネティッ!」
アガドは内心で拳を握った。
(いいぞ。もっと言え、バルディ)
竜騎士バルディの追及に、怯むことなくネティは言い返す。
「できるものならやっております。ランザリアの古き聖杯はそれだけの代物であるということをご理解いただきものですな。頭の使い方も知らない竜騎士には無理なこととは思いますが」
「なんだとっ……!?」
ネティの挑発に乗るようにバルディは声を荒らげる。
「そこまで言うのなら、貴様は聖杯発動までの時間を稼ぐ賢い策を考えているのだろうなっ!?」
アガドがこくこくと無言でうなずいている。
(そうだそうだ! バルディ、もっと追及せよ!)
まるで動じず、ネティは平然と言った。
「勿論ですとも。お忘れですかな、バルディ。この竜人の国アムルテムズには、どんな敵を相手にしようとも時間を稼ぐことができる存在がいることを」
「んん? 誰だ?」
思わずアガドは素で聞いていた。
すると、ネティはわかっていらっしゃるくせにといった笑みを返してきた。
「アムルテムズ最強の武力を誇り、伝説の武神とまで呼ばれた男、でございますよ」
すなわち、アガドのことであった。
王となった今は戦うことなど滅多になくなったが、彼は元々生粋の武人である。一対一の戦いとなれば、アガドを凌駕する竜人はいないだろう。
「おお、確かに」
「我々にはアガド様がいた」
「武神アガドの伝説は、俺が赤子の頃から子守唄代わりに聞いている」
「神をも粉砕する拳、悪魔をも砕く足、剣を抜けば運命さえも凌駕する武神アガド。一騎当千、百戦百勝っ!!」
参戦を鼓舞するように配下の兵士たちは声を上げ、アガドに熱いまなざしを向ける。彼らにとって、アガドは憧れの英雄そのものだった。
(……待てい……お前ら……待て待て待てい……これは、まさか、俺が時間を稼ぐ流れなのか……あの全知全能の虐殺王を相手に……?)
アガドはがくがくと恐怖に震えだした。最早、傍目に見てもはっきりとわかるほどの震えっぷりである。
「さすがアガド様! ものすごい武者震いだっ!! まるで怯えているように見えるほどのっ!!」
「過去、俺はアガド様の戦いを全て見てきたが、武者震いの大きさがその時の武力に直結しているんだ。あの武者震いは過去最高だ!」
「お前ら、これはとんでもないものが見られるかもしれんぞ!」
大きくうなずいたのは、竜騎士バルディだ。
「もしかしたら、聖杯の出番はないかもしれんな。今のアガド様は武神と呼ばれた全盛期以上だ」
大きな期待がアガドの一身に降り注いでいた。
(適当なことを言いおってからにぃっ! 俺が虐殺王をぶち殺せるなら、聖杯など手に入れるわけがなかろうよっ!! 頭を使え、頭をっ! 脳筋どもめがっ!!)
恨み節がうっかりと漏れそうなほど、アガドの内心は怒りが渦巻いていた。
「だが……俺は今や一国の王。果たして、前線に出ることが正しいものか。それを愚かというのかもしれん。なあ、ネティ」
唯一、話が通じそうなネティにアガドは一縷の望みを託した。
「アガド様、あなたの胸の内。このネティには重々分かっております。全知全能の虐殺王を相手にしては、さしもの武神といえども力が及ばない。それを口にしていいものか、迷っておられたのでしょう」
アガドは鷹揚にうなずく。
(おお……ネティ、それでこそ我が腹心よ)
彼は半ば感極まっていた。
「貴様っ、ネティ、アガド様になんという無礼なっ!!」
「武神とは不敗の称号! 力及ばないだと? 頭でっかちの魔導師風情が! 恥を知れ、恥をっ!!」
「事実を言ったまでですが」
一歩も引かないネティに、アガドはぐっと拳を握った。
(それそれぇっ!)
そんな王の内心はつゆ知らず、兵士たちが食ってかかる。
「貴様っ!」
「よい」
と、アガドは手で配下を諫めた。
「他に言いたいことはあるか、ネティ」
寛容な態度でアガドはそう促す。
(カモン、ネティッ! 言ってやれっ! こいつらに現実を教えてやれっ!)
内心はこうであった。
「アガド様が全盛期を超えるお力を出せたとして、それでも万に一つも勝ち目はありますまい」
(それそれぇっ!)
どうやら戦わずに済んだようだと安堵しながらも、アガドは厳しい面持ちで言った。
「確かにな。虐殺王の力を一〇とすれば、俺は一か二ぐらいであろう。次元が違うとはこのことよ」
アガドの言葉に、兵士たちは絶望を禁じ得なかった。白の竜王は彼らの精神的な支柱であった。それが自ら、敵に勝てないと言ったのだから。
「しかし――」
ここからが本題とばかりに、まっすぐ熱い眼差しを向け、ネティは言ったのだ。
「力が及ばずとも逃げるような御方ではない」
(……ん?)
話の流れが変わったと同時に、アガドの顔色も変わっていた。
「いかなる巨大な敵であろうと、武人として正々堂々と戦いを挑む。勝ち負けなど問題ではない。戦うべき時に戦い、負けたとしても祖国への誇りを示す。それが白の竜王アガド。我々、竜人の大英雄なのですっ!!!!」
怖じ気づいた兵を鼓舞するように、ネティは言った。
「あなた方はなにを腑抜けた顔をしているのですかっ! 勝ち目がないからなんなのですかっ!? 祖国が蹂躙されるのを指をくわえて見ているのですかっ!? 白の竜王は我々に見せると言っているのですよっ! 圧倒的強者にそれでも立ち向かう武人の矜持をっ!!」
熱い言葉に燃え上がるように、兵士たちの目に炎が灯る。
「白の竜王が倒れし後、我々が戦わねばならぬのですっ! ランザリアの古き聖杯にて、アガド様の仇をとらねばならんのですっ!! そうでなくば、命を捨てて戦いを挑む王に申し訳がたたんではないですかっ!!」
「ネティ、お前……」
アガドは思った。
(俺が死ぬ前提かい……?)
兵士の一人がぽつりと言った。
「アガド様が命がけで戦うなら、俺も……」
「そうだっ! 我々に託してくださるなら、その期待に応えなければっ!」
「武神の思いを引き継ぎ、我々こそが虐殺王を撃退した初めての国となる。この竜人の国そのものを武とするのだぁっ!!!」
「俺たちが間違ってました、アガド様っ!」
「行ってくださいっ! アガド様の最後の戦い、俺たちはこの胸に刻みつけますっ!!」
士気が急激に膨れ上がった。兵士たちの熱い歓声を一身に受け、最早引くに引けない状況になってしまったアガドは、気が遠くなって白目を剥いた。
「おおっ! あれこそは白の境地っ!」
「どうか、ご武運をぉぉっ!!」
(白目を剥いてるんだろうがっ! なんだ、白の境地というのはっ? ノリで喋るなよ、脳筋どもめがっ!!)
最早、場の空気が完全に出来上がってしまっている。命がけの英雄出陣、その世紀の大事件に、誰も彼もが酔ってしまっているのだ。
「貴様ら」
最早、腹をくくるしかなかったアガドは背中で語る。
「死ぬなよ」
涙を浮かべる兵士たちに見送られた、白の竜王アガドの出陣であった。




