§.4 【赤ノ月と吸血行為】
赤い月が怪しく輝いている。
「ん……ぁ……」
リュカは自らを抱くようにして、奥歯を噛む。彼女から放出される夥しい量の霧が森を覆い尽くしていく。
葉が枯れ、木々がしおれ始める。
「だめ……です……いけません……」
リュカは自らの爪をその胸に突き刺した。しかし、貫かれた胸もたちまち血が止まり、再生していく。
「どうしたのだ?」
クロノがそう声をかける。
「赤ノ月は真祖に力を与える代わりに、理性を失わせるんです」
リュカは荒い呼吸を繰り返している。
(人が多い場所で軽はずみに使ってはいけないけれど……本気を見せなきゃ、あの子は絶対に引き下がろうとしなかった……それに、今なら……)
彼女はクロノを見た。
「……お兄さん。痛めつけてください。自分では止められないんです……」
クロノは静かに彼女に接近する。
赤い霧がそれを阻むように渦を巻くが、彼の足を止めることはできない。その手がそっとリュカの頬に触れた。
クロノはじっと彼女を見つめた。その力の源を。
「赤ノ月により、リュカの血が狂っている。それを鎮めればいいのだ」
クロノは更にリュカに顔を近づけていく。
「……あ、あの……お兄さん……?」
「少し我慢だ」
首筋に唇を触れ、クロノはその牙を突き立てた。
「んっ……ぁっ……!」
小さな悲鳴がこぼれ落ち、狂った血が滴った。
(え……? ぁ……嘘……お兄さんが……わたしの血を……吸ってる……真祖のヴァンパイアには……吸血は効かないはずなのに……)
血を扱う種族の中で、最も上位に位置するのが真祖のヴァンパイアだ。シャルを眷属に変えたように、吸血することで血を制御することができる。真祖は吸血耐性がどの種族よりも高く、彼女の血を吸血により制御することはできない。
しかし、全知全能のクロノには関係がなかった。
(ん……なに、これ……頭がぼーっとして……首筋が熱い……)
吐息交じりの声が口から漏れる。
ヴァンパイアの吸血行為にハマる人間がいることは彼女も知っていた。だが、真祖であるがゆえに、それは彼女にとって初めての体験だったのだ。
(血を……誰かに支配されることが……こんなに気持ちいいなんて……知らなかったな……)
力がみるみる抜けていき、リュカはクロノの体にもたれかかる。
「……待って……お兄さん……もう少し、優しく、して……」
「乱暴にはしていない。真祖なのだから、この手のことは慣れているだろう」
クロノが血を吸う度に、ビクンとリュカの体が震える。
「……慣れてっ……いません……吸われるのは……初め、て……んっ……!」
「もう少しだ。我慢しろ」
赤ノ月の影響が次第に薄れていき、リュカの血が落ち着きを取り戻していく。彼女の足ががくがくと揺れていた。
「ごめんなさい……立っていられなくて……」
「支えている」
クロノが体を優しく抱くと、リュカは身を任せてきた。
「まだ……です、か? お兄さん……わたし、もう……おかしくなりそう……」
「真祖のヴァンパイアが吸血でどうにかなることはない」
「……お兄さんの意地悪……」
自然と言葉に吐息が混ざる。リュカはもうわけがわからなくなりそうだった。
「じゃ……強く……一気に終わらせて……」
リュカの言葉通り、彼は少し強めに吸った。瞬間、彼女の全身に力が入り、ぐうっと硬直した。
「ああぁっ……!!」
くぐもった声を響かせた後、再び彼女は脱力した。クロノの肩にもたれかかり、荒い呼吸を繰り返している。瞳はとろんとし、表情は陶酔しているかのようだ。
「リュカ」
終わったと合図するようにクロノは彼女の背中を優しく叩く。
「どうだ?」
「……よかった……です……」
「ならば、安心だ」
「あ、じゃなくて……よくなりました……! 言い間違いです、言い間違いっ……!」
慌てたようにリュカが言い直した。
「む?」
「え……?」
クロノの視線に耐えきれなくなったように、リュカは目を逸らした。
「そんなに見ないでください……恥ずかしいです……」
「まだ頭がぼんやりしているのだな」
クロノはそう理解した。いつも冷静な彼女と様子が違ったからだろう。
「少し歩くか」
「ごめんなさい、まだ足が……」
「そうか」
すると、クロノはリュカを持ち上げた。
「きゃっ」
そのまま彼女を抱きかかえ、クロノは森の奥へ足を踏み出した。
「これで歩ける」
「……これは、歩いているのはお兄さんじゃないですか……」
「似たようなものだ」
クロノの腕の中で揺られながら、リュカは段々と平静を取り戻してきた。赤い月が次第に欠けていき、血を狂わせる月光も消えていく。
「知ってますか、お兄さん。吸血行為にハマる人間っているそうなんですよ。そういう人は危険を承知で、それでもわざわざヴァンパイアに会いに行くんです」
「血を吸われるためにか?」
「おかしいですよね。でも、今日はほんの少し、その気持ちがわかったような気がします」
クロノの顔を見つめ、彼女は言った。
「お兄さん……また吸ってくださいね……」




