2話 平和な時間
「いいか、この棒を超えたらいけない。この線を超えることがあれば、俺が死ぬことになる」
とある暗闇の中、1組の男女が言い争っていた。
「でもカナルくん、わたしの寝相は良いとは言いきれません。もしかすると、その線を超えてしまうこともあります」
ここは路地裏。滅多に人は通らず、いるとしても寝床を探しにきたホームレスのみ。この二人も、同じようなものだった。
「たとえお前がよくても、俺が駄目なんだ。その線を超えてしまったら、俺の感情が爆発する」
「爆発しそうになったら言ってください。少なくとも、周りの被害とカナルくんの生存は確約してみせます」
言い争う内容は、寝床のスペースについて。
カナル側の意見はこうだ。
いくらこんな危機的状況とはいえ、無防備に寝る女の子がすぐそばまで来てしまったら、いつも制御しているあの感情が暴発してものすんごいことをしてしまうかもしれない、というもの。
「それに、寝ている状況でそんなこと気にしてちゃ、後から寝不足で倒れてしまいますよ」
彼女、リアナ側の意見はこうだ。
たかが眠るだけで、そんな訳の分からない決まりは必要ない。無駄に気にしすぎると逆に疲れてしまう、というものだ。
「違うんだよ、話のレベルが違う。俺は大人の話、お前は幼稚な考えだ。それに、最終手段としてご主人様命令でも出せば、お前は寝るに寝れなくなるぞ」
「う……その手はたかがこんな言い争いで使われると、わたしも困ってしまいます」
「そうだろ、そうだろ。なら話は早いな。その線は超えない、超えてはいけない。はいおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
布団もない枕もない、毛布なんてのはありゃしない。暗がりの中、硬いコンクリートやレンガの上で寝るのなんて、これが人生初めてだ。
空を見上げると、不覚にも綺麗すぎる星空が目に映った。あまりにも綺麗すぎて、今こんなことで言い争っていたのが馬鹿みたいに思えてくる。
現代の空を見上げてこんなふうに思ったのは一度もない。家のかしこに豆電球、いろんな場所にもLED。人工的な明かりに照らされ、それが当たり前と思っていた。
隣を見れば、もう寝息を立てているリアナがいた。こんなに近くに人がいることなんて何ヶ月ぶりだろう。いつのまにか、俺の口は笑っていた。
過去を振り返ると、あの嫌な思い出が蘇ってしまう。いくら忘れようとしても、忘れることはできない。当たり前が大切だと、あの時初めて思い知った。
今がその当たり前なのだろうか、当たり前になろうとしているのだろうか。
俺はこの世界には適さない。誰かがなにかしらの理由で連れてきた、ただの地球人だ。俺の当たり前は、少し前まで暇を持て余すだけだった。そんな俺でも、少しは変わろうとしているのだろうか。
「————」
リアナの寝顔を見つめる。彼女は1200歳を超えているらしいが、見た目はほんとに幼い子供だ。俺が言えることでもないが、本当に可愛らしい。
「……ぅ」
小さな寝息と共に、彼女がこちらに体を傾ける。
「……ん」
俺の右手が、二人の間にある棒を放り投げる。小さな落下音に、彼女が少しだけ反応した。
「……寝るか」
この先、なにがあるのか分からない。
大変なこともあるかもしれない。辛いことが出てくるかもしれない。
でも、隣にいてくれるだけで、おそらく大丈夫だろう。何故かそう思えた。
——平和な夜が、流れていった。




