9話 スタート
「……なぁ、リアナ」
「なんでしょうか、カナルさん」
「それ、それについてちょっと言いたいことがあるんだ。強要するわけではないんだが……」
「……? なんのことでしょうか。わたしがカナルさんに言われることなんて、なにもしていないはずですが」
「なんていうかな……。はっきり言って、俺の呼び方を変えてもらいたいんだ」
「呼び方、ですか? ご主人様の時といい今回の時といい、カナルさんは呼ばれ方にこだわるんですね」
「別にこだわってるつもりもないんだけどな。その『カナルさん』っていうのは、なんか二人の距離が離れてる感じがするんだよ。そろそろそういう関係でもないんだから、せっかくならこの機に変えようぜ、って話」
「では、どういった呼ばれ方がお望みですか? 単にくん付けや、カナルっていう名前からニックネームを考えたり、なんなら好きなように呼ばせていただいても構いませんよ」
「んー、そうだな。……ニックネーム、って言ったらなんて呼ぶ?」
「カナルさんの本名は、確かヤヒロ・カナルでしたよね。だったら……カナっち、なんてのはどうでしょか」
「カナっち、ねぇ……」
「むぅ……お気に召しませんでしたか?」
「カナっちはなぁ。なんかちょっと子供っぽすぎね? 悪いとは言わんけど、できれば他当たりたい」
「じゃあシンプルにくん付けで行きます? カナルくん……ほら、結構良さげですよ」
「ならそうしよっかな。俺のことはカナルくん、以後そう呼んでくれ」
「カナルくんカナルくんカナルくん……はい。もう大丈夫です。では、これからはカナルくんと呼ばせていただきますね」
「ん、よろしく」
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「いてて……」
転移が起きてすぐ、放り出される感覚とともにリアナは顔をしかめる。
「ここは……あ!」
隣を見ると、少し前まで暮らしていた大きな大きな塔が見える。どうやら、あの転送アイテムの到着先はここにセットされているようだった。
「ん……私はなにを……」
横にいるのは、このアイテムの所有者だった綺麗な女性。衝撃の影響で、深い眠りからも覚めてしまったようだ。
「あ、あの……」
恐る恐る声をかけるとその女性も気付いたようで、辺りを見渡し話しかけてきた。
「あなた、私のアイテム使っちゃった?」
「す、すみません! そこにいるカナルくんがつい……」
言いながら気づく。
隣にいたはずの彼がいないことに。
「? ここには私たち二人しかいないけど、そのカナルくんとやらはどうしたの」
「えっと……たぶん、アイテムの使用範囲外にいたのかもしれません。アイテムは、今度弁償しますので」
「いいわよ弁償なんて。……それよりも」
体を立ち上がらせ、彼女は問う。
「あなた、さっき私を一瞬で無力化させたけど、なにかすごい能力でも持ってるわけ? それともなにか秘密でも隠してるの?」
「い、いえ。あれは魔術によるものです。催眠術という魔法も使えましたが、よくわからない相手にはこちらのほうが慣れてるので」
「魔術? 珍しい人もいたものね。どのくらい使えるわけ?」
「全部、ですかね」
「全部? この世界には無限と言えるほどの魔法があるけど、魔術も相当量あるはずでしょう? それを全部使えるって言うわけ? その年齢で」
「その年齢と言っても、私は1200歳超えてるんですよ」
は、という声が静かな森にこだまする。
1200歳だ。想像外の発言に、彼女の瞳が疑問に変わる。
「あなた、ここでなにをしてるの。そんなすごいなら、ここからちょっと離れてるけど王都に行くべきよ。そこでなら、たぶん国の重要人物にでもなれるはずよ」
「大丈夫です。わたしはカナルくんの付添人ですから。それ以上は何も望みません」
あまりにあっさりとした答えに、彼女はまたしても目が点になる。
――この世界において、1200年とは相当のものである。
この世界の始まりは、今でもなお崇め続けられる『創造神アルファ』というものの誕生から始まった。そしてそれは今からおよそ3000年前の話であり、人間の誕生は1600年前と言われている。
その1600年前、アルファは人間というものを作り出し、その人間は異常な速さで成長していった。遥かに予想を超えた成長に、アルファの『創造』という能力では何もできなかった。『破壊』という能力が必要となった。
アルファはすぐに『破壊神シルヴァ』というものを創り上げた。しかしこちらも予想外、あまりにも壊しすぎていくのだ。アルファがどれだけ創ろうと、同じレベルどうしでは絶対に終わりが来ない。また、創造より破壊のほうが簡単なため、じりじりとこの世界が壊れ始めたのだ。
そこでアルファは決心した。シルヴァは止められない。なら、それ以上の力で抑え込めばいいと。
そして、『維持神ビジュラス』という己の力を遥かに超えたものを創り上げた。その後、すぐに世界は平和になった、と言われている。
平和になった時、これが900年前だ。1200年前だと、まだその頃は世界が崩壊していっている真っ最中である。
1200年前とはそういうことだ。
「……あなた、何者なの?」
考えれば考えるほど、今隣にいる少女の存在がぼやけて見える。
――自分という存在がおかしくなったようだ。
何を目的としてここにいるのか。その奥底にある自分の悪に、どう向き合っていけばいいのか。
「わたしはリアナ。カナルくんの下僕であり、この塔の管理人です。それ以上のことは、まだなにもありません」
隣の少女は、迷いなくはっきりとそう言った。生きていた1200年を迷いなく放棄し、今ここにいない男にすべてを預けていた。
喉の奥が、叫び出したい心の中を締め付けている。
「あなた、狂ってるわよ……」
「そう思われるようなことは、生まれて一度もやったことがないですけどね」
迷いなき笑顔で、多少の悪意も跳ね除ける。
「……私、これからの用のために、この塔の中に行かないといけないんだけど」
頭を支配してくる光の感情に、無理矢理悪の感情を作り上げて相殺する。しかし、全ては殺しきれなかったようで、勝手に口が話していた。
「あなた、私のために手を貸してくれない?」
――――――――――――――――――――――――――――
光が収まると、さっきまで目の前にいたはずの二人がいなくなっていた。
「あれ? 俺だけ取り残されてるんだけど」
光への脊髄反射で目を隠していた右手をどける。
「あれー? リアナの転移系ってのは合ってんだろうけど、俺は転移できねぇのかよ。範囲50センチにも入ってる俺と範囲1メートルに全身入ってなかったあの女で、俺のほうがだめだってか?」
どういう理屈かわからない。ただ、こういう結果になったということは、そうなるだけの理由があるということだ。
「うーん……わから」
「そこのお前! 両手を上げて膝をつけ!」
考えている最中、一人の警官が大声とともに突入してきた。
「げ!」
「無駄な抵抗はよせ。逃げようとすると、こちらも容赦しないぞ」
反射的に逃げようと裏へ進もうとするが、そちらからも一人の警官が現れた。
いわゆるこれは――、
「――絶体絶命ってヤツ……!」
「なにをぶつぶつ言っている。投降するなら優しく連れていく。しないというのなら多少の攻撃も辞さない。どうするかは三秒以内に選べ」
「3……」とカウントダウンを口ずさむと同時、杖の先端を向け、こちらへの攻撃を示唆する
「2……」と言うと同時、向けてきた杖の先が紫色に輝き始める。
――もちろん、直撃すればひとたまりもないことは分かっている。
あのとき、少なからず自身のある体力をもってして、女警官にも勝つことのできなかった俺だ。ましてや、今現状で逃げ場もなく男警官に挟まれ、どうやって逃げることが可能なのだろうか。
『任せて下さい。危ないことがあれば、命がけでも助けてあげますよ』
ふいに、先程まで隣にいたリアナとの会話が頭に浮かぶ。
『おはようございます、カナルくん。よく眠れましたか?』
いつも笑顔で、
『いくらご主人様命令といっても、さすがにこれはいけませんよ!』
悪いことには腹を立て、
『どうしました? 怖い夢でも思い出しましたか?』
いつも俺のことを心配してくれて、
『はい、おやすみなさい』
いつのまにか俺の隣にいてくれて、
『楽しみですね』
――そして、これからのことを、俺よりも楽しそうに考えてくれていた。
「1……」
警官のカウントが終わりに近づく。
同時、俺は駆け出した。
「ゼロ!」
逃げ出す俺に向かい、二人の魔法が直撃する。
走り出した右足に恐怖はない。リズムを刻み、大通りへと逃げ出していく。
「どういうことだ! 魔法が効かないだと?!」
目の前の警官を跳ね除け、大通りへ。
騒がしい野次馬の渦に身を通し、いつ追手が来てもいいように縦横無尽に駆け回る。
「誰か! そいつを捕まえてくれ!」
警官が叫ぶも、そこにはもう俺の姿はない。
対面の壁を伝って再び裏道へ。どこに行ったかわからないリアナを探して、俺はこの街を駆け回る。
――俺はリアナを探すと同時、これより、警官との鬼ごっこが開始された。




