第5話
【丸川ホテル】。ビジネスホテルとしては特段秀でた評価があった訳ではない。星三から三.二点と曖昧な部類であり、候補には入るけれど実際行くかどうかはわからないくらいの場所である。
ある意味落ち着きのあるビジホの階段を登りながら、朝凪はわかりやすい異変を残した床ばかりを注視する。
利用されていないはずの階段には、埃が踏みつけた跡が残っていた。
誰かが出歩いている事が分かる痕跡に、朝凪は五人の警察官を背後に控えさせながら立ち止まる。
ホテルに入った時から見られる人の輪郭に、朝凪は心拍数が上がるのを感じた。
「可笑しいな。人の足跡にゃいっぺぇあるけど、邪蓮華の痕跡がねぇな」
「開花形態ですし、人の姿をしているのかもしれません」
「っかぁ、メンドクセェなホント」
南雲巡査部長が顎を擦りながら周囲を見渡す。
「上の階に居そうですが、まずは四階の探索をしましょう。二名ずつで確認するようにしてください。もし邪蓮華と遭遇した場合は命大事に、です。ガンガン行かないでください」
「お前の年代でそのゲーム知ってんだな……」
「名前位は知っています。実際やったことはないですが」
刀を鞘から抜き、朝凪は端の部屋から探索を始めた。
壁に耳を当て音を確認するが異常はない。恐る恐ると物音を立てぬように扉を開け、隙間から中を覗く。
「うわッ……グッ」
別室を確認する警察官の悲鳴が聞こえ、朝凪は扉から手を離し顔を向けた。
視線の先には壁際に蹴り飛ばされ背中を打ち付ける警官と、身なりの整えられていない男が刀を警官へと突きつけている。
(防犯カメラに映っていたホームレス……足跡はあの男のものか?)
背中を打ち付けた警官だが、それ以外は軽傷なようで意識はハッキリとしている。しかし反撃の手段はない。
ドアの前に無慈悲にも落とされた拳銃を拾う前に、ホームレスが警官の喉元に向ける刃が触れてしまうだろう。
(どうするか……本来なら放っておいて良いが、邪蓮華がいるかもしれないし一旦外に出すべきか……興奮している様には見えない。敵意も殺意も一瞬だけだった)
ひとまずは武器を下ろし敵意が無い事を示すのが優先である。
決して相手に会話をリードされてはならないし、逆上させるような言葉選びもしてはならない。
そういう状況ならば、子供より大人が声を掛けた方がいいだろう。
朝凪が視線を南雲巡査部長に向ければ目が合う。
年相応な皺が刻まれた目元が僅かに強ばり、寄せられた眉が徐々に緩んでいくのを確認して朝凪は刀を鞘に仕舞った。
「あー、すいません。警察ですが、少々宜しいでしょうか?」
煙草の影響で若干嗄れた声で南雲巡査部長がホームレスへと話し掛ける。
「……なぐも?」
突如名前を呼ばれた南雲巡査部長があからさまに強ばる。
緊迫した空気の中朝凪は刀に手を掛け、臨戦態勢になった。
朝凪の扱う剣術、朝顔流は近接格闘術と剣術を併せた流儀である。その為予め抜刀をしていた方が動き易く、朝顔流において抜刀をしないという行為は敵意の無い事を示す行為でもある。
「南雲巡査部長、知り合いですか?」
「……いや、わからん」
南雲巡査部長に耳打ちするが、首を振って否定をする。
朝凪は視線をホームレスへとやり、防犯カメラには映っていなかった刀へと目を留めた。
(随分と手入れが行き届いている刀身だ……けど、鮫皮が剥がれている。店で見てもらっていないのか?そもそも、ホームレスが何故刀を)
「南雲、餓鬼を連れてってくれ。あの餓鬼、俺がいくら言ってもリネン室から出てきやしねぇ」
「餓鬼、とは学ランの高校生くらいの人間か?」
「……黄金水仙にしちゃ若ぇな。暁天の学生か。少し前に肝試しかなんかで来た奴籠っちまって出てきやしねぇんだよ。そろそろ襲来する時間だ……わんさか湧き上がるからとっとと出ろ」
一人で話を進めていくホームレスに、朝凪は若干の苛立ちを覚えながらも耳を傾ける。
しかし話から、邪蓮華が襲来する事と学生が居ることは理解出来た朝凪はインカムで情報共有を行う。
「こちら朝凪、リネン室に学生が居ると不法侵入者から情報を聞いた。琴吹先輩、頼めるか」
『——こちら琴吹、了解したよー。それより不法侵入者って?』
「暫定、南雲巡査部長の知人だ。それと、恐らく——」
『話しているところすまないがこちら三階八神だ。邪蓮華が非常階段に出現した。桃園、撃てるか?』
八神からの報告に、朝凪が後ろを振り返る。
非常階段に繋ぐ非常口の窓には泥がへばりついていた。
『こちら桃園。緊急報告、邪蓮華が次々にホテル非常階段に出現していますので警戒を怠らず、対応できるようでしたら皆さんの方でお願いします!公道に出ようものなら撃ち落とすのであまり深追いしないでください』
「了解」
インカム越しに八神と琴吹の返事も聞こえ、朝凪は刀を抜く。
身体を非常階段へと向け、ジッと邪蓮華を見る。
(見て、後は、切るだけだ)
邪蓮華に対して朝凪がする行為はただそれだけである。
尊大な復讐心なんて要らないのだ。
ただちっぽけなプライドを守り、人を守り、何事もなく平和な日常を享受できる日々が一日でも多くなればいい。
「行きます」
朝凪は瞼の裏に浮かぶかつての友人達を思い浮かべながら、非常口へ足を進めた。




