第30話
警視庁で事情聴取を受けた一行が帰宅するのは七時を過ぎた辺りであった。未だに雨は止まない。窓に当たる雨粒の威力は心做しか来た時よりも増しているように思った。
朝凪は携帯で父親に連絡を取り、警視庁のロビーで待たせてもらう。
円藤も八神も同様だ。暇そうにポチポチとスマホを弄る円藤が時折朝凪に視線を寄越しては逸らす。一方で八神は既に眠いのか若干船を漕いでいた。
「ふわ、ぁ゙あー……不味いなお祖父様来る前に寝そうだ。朝凪飴持ってないか」
「持ってないな」
「円藤は」
「あ、持ってる。良ければ朝凪会長もどうぞ」
カバンから出された飴の袋が差し出され朝凪が礼を述べて受け取った。ミント味ののど飴を舌でコロコロと転がし、眠気覚ましに味わう。口内で一箇所で留めておくと地味に痛いのだ。
「……」
八神に視線をやると半分くらい寝ていた。
腕と足を組みながら目を閉じている。のど飴の効果は薄そうで、朝凪は苦笑した。ただ窒息されても困るので軽く肩を揺すり目を覚まさせる。
「ね、寝てないぞ」
「そうだな。とりあえず飴は食べきった方がいい」
「……そうだな」
意識がはっきりとした八神は眠気覚ましに単語帳を取り出した。しかし眼がどんどん下がっていく様子に朝凪と円藤は顔を見合せてしまう。
口元を隠しながら大きな欠伸をし、虚ろな目をする八神。
このような雨の日に眠くなるのはわかると、朝凪も釣られて欠伸をした。
「あ、母さん来たみたいなんで俺先に失礼します。朝凪会長、八神気をつけて帰ってください。それじゃあ失礼します」
「気を付けて……か、風邪引かないようにね。また明日」
「アザッス!」
何度も頭を下げていく円藤に手を振る朝凪は、円藤が出口から駆け出していく姿を見て大きく息を吐き出した。
(変じゃなかったか……?普通に別れ際の挨拶だったよな、もう少し気の利いた言葉かけた方がよかったか)
考えれば考えるほどドツボにハマるのはわかっていたが、朝凪は一度考えると暫く思考の海に沈む。朝凪というかオタクの悪い癖である。
多分数日は引き摺るであろう出来事を抱えた朝凪が視線を八神へとやると既に目をぱっちりとさせていた。これには朝凪もぎょっとして椅子から腰が一瞬浮く。
「貴様、常々思っていたが人と関わるの下手くそだな」
「え」
「下手くそというか、気を張っている。望月や有明の前だとそうは思わんが……カッコつけか?」
「かっこ……違うよ!」
突然飴を舌で遊んでいる八神に毒を吐かれた朝凪は狼狽した。
現在好きな可能性がある相手からそのような言葉を告げられて驚かない程、朝凪の表情筋は死んでいなかった。
「いや、関わるのが下手くそなのは否定できない」
自分で言って自分でショックを受ける朝凪に、若干八神の目に哀れみの色が混ざる。
朝凪は一度深呼吸をしてペースを整えた。対人関係が苦手になのは何も今更始まった事ではない。落ち着いて事実を伝えるべく朝凪は八神の顔を見た。
(やっぱり綺麗系、だよな。小夜ちゃんと違う)
初恋と呼ぶにはあまりにも淡かった。それでもあの日を尊ぶ気持ちがある朝凪は、あれを初恋だと定義している。
「……少し重いけど聞いてもらってもいい?俺の過去」
「急に話が変わるな。まぁいいぞ。その前に飲み物買ってくるが、なにか飲みたいのあるか?」
「ココアか珈琲でお願いしていい?」
「わかった。少し待ってろ」
彼岸花の似合う女の子だった。笑うと可愛くて、一緒にいるのが当たり前の存在だったのだ。
(でも、もういない。わかってるはずだ)
それでもあの日八神の話を聞いてしまったから重ねてしまった 。真っ直ぐで優しい大切な女の子と、目の前にいる善の側に立つ女の子を。
結局の所朝凪の中では故郷の村の記憶は今も尚鮮明に、残酷なまでに染み付いてしまったのだ。もう二度と落ちることの無い傷跡として。
「小金井さんに何言ってんだか……」
前に進めていないという点では朝凪だって一緒だ。
だから、これは自分勝手な懺悔だ。
戻ってきた八神は席に座ると冷たいココアの缶を朝凪の前に置いた。
「さぁ話せ」
「あ、うん……どこから話そう」
「どこでもいいぞ。多分お祖父様もう少し時間かかるだろうしな」
「——じゃあ俺の故郷の村の話をしようかな」
ぽつりと朝凪朝緋は故郷の話をした。
彼岸村という場所も、邪蓮華に村が襲撃された話も、他人に話したのは初めてであった。
幼馴染の有明も望月にも語った事が無い朝緋という少年の人生。
話をする朝凪の声色は穏やかで、慈しみに溢れていた。
「——それからこっちで住むようになって驚いたよ。人が多いし、女の子達から声かけられるんだし……村とは違いすぎた。知らない人から好意を向けられる事が理解出来なくて人と距離を取るようになってから、真日流と宵は別として、こんな風になっちゃった」
朝凪は視線を八神へと向ける。
凛々しい眼が朝凪から逸らされない。
「俺が馴染めなかったのが悪かった話だけどさ、やっぱり皆俺と一線引くんだ。それでも好意的に見てくるから、ちょっと辛い」
誰にも吐露出来なかった感情が次々と零れてくる。
朝凪朝緋という男は周囲が思うような完璧超人ではない。天才ではあるが努力はしてきた。それでも村が恋しくなかったといえば嘘になるほど平和を愛していた。武器を握るのはもう二度と後悔したくなかったからだ。だが、武器が無ければ何も守れないと知った。
クールな性格でも無い。ただオタクで、好きな物をバカにされたくないからひた隠しにしてきただけだ。ポーカーフェイスも副産物でしか無かった。
万能な人間ではないのに、等身大の高校生だと思われない。一線を引かれながら好意的に勘違いされるのは、騙しているようで心が痛んだ。
「皆とさ、村で暮らし続けたかったなぁ」
「——そうか」
純粋な少年の願いに、八神は淡々と返事をした。
「朝凪にとって、宝物みたいな場所だったんだな」
「……そうだね。宝物。だから、昇華しないといけないってわかっているんだ。だけど、やっぱり難しいや」
誰が悪い訳では無い。
強いて言うなら邪蓮華が全て悪い。全てを朝緋から奪い、朝凪朝緋という人間を作り出す要因となった。生活に不自由している訳ではなく、寧ろ恵まれている方だと自負している。
それでも割り切れない朝緋という子供が、朝凪の心の中にいるのだ。
「貴様が強い理由がなんとなくだがわかったな」
ココアに口を付けた八神が微妙な顔をしながら話を始める。微かに口の中に残ったミントの風味と混ざったのだろう。
「朝凪はもう二度と失いたくないんだろう。その恐怖心が無くなるのは貴様にとって良くない事になるんじゃないか」
「え、あ」
「恐怖心は人類が生存する為にも必要な感情だ。無理に昇華しきる必要も無いだろう……どうしても断ち切りたいというのなら話は変わるが、少なくとも貴様は忘れたがっているようには見えない」
目から鱗の発言が八神の口から飛び出る。
朝凪の父は最善で最良を見極めろとかつて朝凪に聞かせた。それはもしかしたら朝凪がやろうとしていた事とは真逆の意味の可能性があると、朝凪は気が付いた。
「……忘れなくていいのか」
「いいだろう。私も一鶴とあんな別れ方をしたが忘れようとは思わなかった。劣等感は刺激されていたがそれが反骨心にもなっていたのは確かだったしな。それに、人間なんて忘れたい事程覚えているもんだしいつか消えるまで待てばいい」
八神がココアを煽ったと同時に八神の携帯が震える。
咳き込んだ八神を心配し一声かけるが、八神は首を振り電話に対応した。
「もしもし、紗羅です。はい……はい、今から向かいます」
八神は電話の相手と短い会話を終えると席から立ち上がった。
「じゃあな、朝凪。また明日」
「——うん、また明日八神さん」
荷物をそそくさと纏めた八神は受付に頭を下げ警視庁から出ていった。
雨は止む気配は無い。それでも何処か朝凪は浮ついて、心臓がジクジクと傷んだ。
「——好き、うん好きだな俺」
故郷を出て好きになったのは、初恋の女の子に似た子だった。
とても真っ直ぐで優しく照らす月のような心根が綺麗な女の子。




