第29話
昼休みから雨が降り始め、放課後になってもやむ気配は無い。
珍しい豪雨に髪が落ち着かず朝凪は何度も跳ねた髪を撫でる。こういう時癖っ毛が嫌になると顔を顰めていれば、有明が声を掛けてきた。
「朝ちー、どうしたん帰らないの?」
「これから事情聴取だ。迎えが来るらしいから待ってる」
教室に入ってきた有明はストレートヘアなので髪は特段乱れていない。少しだけそれが恨めしく、唇を尖らせた。
「ふふ、髪の毛すご」
「朝から予感はあったが、思ったより激しい雨だ。傘は」
「折り畳み傘あるから平気ー。あとこれから妹が迎えに来いって言うから行く。傘忘れたらしい」
「シスコン」
「迎えに行くくらいでシスコンなら弟妹持ち全員シスコンブラコンだよ」
「少なくとも宵はブラコンだし、真日流もシスコンだろ」
「宵ちほど病気じゃないよ俺」
眉を下げる有明が心外そうな顔で朝凪を見下ろす。
妹が髪をいじりたがるからと丁寧に伸ばしている兄が何を言うのか。
笑う朝凪の肩を叩く有明も何が面白いのかクスクスと笑った。
「じゃあ俺もう行くね、じゃあね朝ち」
「気をつけて」
「うん」
ばいばいと、男子高校生らしからぬ別れの挨拶をした有明が教室を出る。
その後ろ姿を見送った後窓に視線を向ける。ベランダに雨粒がぶつかる音が静寂な校舎に響く。
遠くから雷鳴が轟き、朝凪はスマホを確認した。
大雨警報が出ており、帰りの電車に不安を募らせる。
(最悪父さんに連絡入れて迎えに来てもらおうかな)
この天気ならばお客さんも来ないだろうと考えた朝凪はスマホを閉じて課題に取り組もうとリュックから教材を取り出した。
「朝凪、南雲巡査部長が来たぞ」
「え」
中途半端な体勢で留まった朝凪の元に八神が声を掛けてきた。
後ろには円藤もおり、ひょっこりと顔を覗かせている。
「先輩は」
「午前で終わってる」
「朝凪会長、傘もってます?」
「持ってるよ」
出したばかりの教材をしまってリュックを背負った朝凪は八神の後ろを着いて歩いた。
「朝凪会長、あの九条先輩と引き分けだったんですよね!」
「まぁ結果的には」
「凄いですね!俺なんかすぐ負けちゃって……」
「……アーカイブを見たけど円藤君だって別に動けなかった訳じゃないだろう。それに、蒼穹流の立ち回りを考えたら二対一では物足りなさがあるだろう」
「そうなんですよー。てか、俺の流派ご存知だったんですね」
「まぁ」
「あの会長に知ってもらえてるなんて……あとでクラスメイトに自慢します」
一体どういう扱いなのか朝凪は問おうと思ったが、円藤が喜んでいるのを見て口を閉ざした。
常々疑問だが、朝凪は良い方向に勘違いされる事が多い。
自認がコミュ障オタクなのでそちらの方が有難いが、湾曲して拡大解釈される事もある。
逆に八神は変に盛られた噂を耳にした事が無い。
猫を助けたやクラスメイトが無くしたキーホルダーを探したとか、迷子の子供の親探しをしていたとか。
(人柄の良さが噂でもわかるよな……正直お飾りの生徒会長な気がする)
八神の背中を見ながら自責する。
もう少し砕けた方がいいのか、親しみやすいように雰囲気を作った方がいいのか。望月のような自分も有明のような自分も想像できず朝凪は思わず虚無になった。
恐らく体調不良を疑われるだろう。それに加え慣れない事をして体調を崩しそうだ。
(……変わりたいな)
小金井に八神。
良い方向へと変わっていく人達を見ると今の自分が怠惰なのではないかと思わされる。
ただ平穏な日常を送る事が何よりも幸せなのには間違いない。そのために研鑽を重ねてきた。それでも、成長する人間を見ると停滞しているような感覚に陥ってしまう。
「む、どうかしたのか朝凪?」
「え、いや……なんでもないよ」
「それなら靴を履き帰ろ。上靴のまま行く気か」
考え事をしている間に玄関に着いていたらしい。朝凪は慌てて靴を履き替えた。円藤が瞠目しているので首を傾げるとそっと視線を逸らされた。
「そういえば望月はどうしたんすか副会長?」
「あいつは弟の迎えに行くからと後日になったぞ。この雨じゃ確かに放置は出来んしなと事情はあちらに説明している」
土砂降りの雨が眼前に広がる。地面が真っ白に見える程度には激動している天気の荒れ具合に朝凪は無意識に髪を撫で付けた。
それでもピョコピョコと動く髪に無意識にシワがよる。
「迎えに来たぞ」
最早傘が意味を成してない南雲巡査部長が駆け足で玄関までやってくる。
一同が挨拶をし頭を下げるが、いち早く車に戻りたいのか急かす。
覚悟を決める間もなく傘をさして走り出した学生たちは、数分も外で立っていた訳ではないにも関わらず、傘は突風で無意味とかし、全身びしょ濡れとなってしまった。
朝凪の気になっていた髪も雨で濡れてしまえば気にする理由が無くなる。
「タオルあるから使え」
助手席に座る人物からタオルを三枚渡され、朝凪は受け取る。
「あれ、小金井さん」
「久しぶりだな朝凪に、八神さん。あと初めまして円藤昴くん。以前そちらの生徒会の方々に世話になった人間だ。警察じゃねぇが、個人事業主の所で働いてるから安心してくれ」
懐かしくもない顔が振り返り、朝凪は目を見開く。年相応だが以前会った時よりも清潔感があった。未だ食事を果たせていないので、会うのはあの日以来である。
小金井が投げたパスケースを受け取ると、邪蓮華の討伐資格の証明書が反対側にある。相変わらずの仏頂面だが初めて会った時と比べればマシだ。
「へぇ、警察官ではないんですね」
「まぁな」
「一応、元黄金水仙隊だぞ」
「え、本当ですか!」
タオルで濡れた部分を拭きながら円藤が興奮気味に腰を浮かせる。
「マジマジ」
「南雲とはここ卒業だったからな。お前勝手に警察行きやがって」
「いや、もう何年前だと思ってんだ。二十九年前だぞ。俺ら四十七だぞ」
「うち二十五年浮浪してた奴に言われたくねぇわな」
南雲が暁天学園の卒業生とは初耳で朝凪と八神は視線をやった。バッグミラー越しの南雲と目が合うと気まずげに目を逸らされる。漸く知り合いという事に合点した。
「就職したんですね」
「ああ、此奴が働き口持ってきたって行って履歴書書かされて即日採用された……まぁこれまた雇用主が癖強いけどな」
「あの人悪い人じゃねぇけどな」
「それはそうだが、若人たちは道にそれず大人しく黄金水仙隊に就職した方がいいぞ。俺みてぇになると薄給で警察署と事務所行き来することになる。恩があるからって警護任せてくる警察官もいる事だしな」
「お前がちゃんとしてたら運転も任せたんだがな」
ガハハと笑う南雲と舌打ちをする小金井。
今は同じ部屋で過ごしているらしいが、そのうち出ていくらしい。早々な社会復帰が出来る辺り真っ当な人間なのだろう。
復讐とは何とも恐ろしいものである。
(……俺もああなっていたかもしれない。嫌、その前に死んでいたか)
ワイパーがほぼ意味をなさない景色を眺める。
バタバタと音を立てる車の屋根に、朝凪は視線をやった。
「そうだ、丸川ホテルなんだがな。解体が本腰に入るそうだ」
「え、まだ入ってなかったんですか?」
八神の問い掛けに南雲が頷く。
「なんか事情があって入らなかったみたいだ」
「事情、邪蓮華の再来とかですか?」
「それもあると思うが、会社の方にストップが掛かったらしい。詳細は知らんからどうと言えんが、まぁ心霊スポット巡りなんて馬鹿な真似する学生も減るからこっちとしては有難い。あいつら二十二時過ぎても普通に出歩くんだが」
隣の円藤がビクリと肩を跳ねさせるが朝凪は気付かなかったフリをした。
「っと、そろそろ着くな」




