第23話
「……本当にやるの紗羅ちゃん?」
「ああ」
昔からそうと決めたら割と頑固な所がある八神には、八神の両親も手を焼いていた。
祖父譲りの頑固者な性格をしている八神は出会った頃から変わらず、今もなお生命力溢れている。
変わらない。
不遜にも思える自我の強さと、誰に対しても変わらない精神。相手を問わず優しく手を差し伸べる。困っている人間は放っておけず、人間の善性を抽出したような年下の女の子。笑うと可愛くて、意外と怖がり。そんな普通で、九条からすれば何よりも特別な女の子だ。
「僕は、紗羅ちゃんとやりたくない」
「それならば降参しろ。もっとも、そんな真似したら私はもう二度と口を聞かんが」
八神の言葉に九条の眼が震える。
八神の頑固さは筋金入りだ。
九歳の時、八神母と喧嘩した八神は蔵に立て篭もると宣言し、その晩祖父に説得されるまで一回も出てこなかった。その時の話は今も会合で酒盛りする八条家と八神家の肴の一つになっている。
色々な思惑が交差する十家では定期的な会合が水仙市にて行われる。
九条が八神と出会ったのは、九条が六つの頃であった。
次期当主の紹介という名目もあり、親と親族数名と共に水仙市にある一条家の邸宅へ訪問していた。
兄代わりな八条蘭と鯉を眺めていた八神は九条と目が合った瞬間、着物にも関わらず全力で九条に駆け寄ってきた。
「一緒に鯉見よ!」
「こ、鯉?」
大人に囲まれていた事なんて気にせず九条の手を取り、庭園の池で飼育される錦鯉を一緒に観察するという初対面であった。
それからというものの、大人に持て囃される場面だろうが一人でいようが九条を見掛けるなり友人のように笑いかけ、小さくも豆のある手で九条の手をひいてくれる。そんな八神に、九条は救われていた。
八神は九条を、九条家の天才から何処にでもただの子供にしたのだ。
「……昔から、紗羅ちゃんはさ自分勝手だよ」
泣きそうな声であった。
イケメンも台無しの堪える顔に八神の方が今度はたじろぐ。少なくとも八神の前ではカッコつけている余裕のある年上の男である事を意識していたために、傲慢さは兎も角我儘な素振りを見せた事がなかったのだ。
「そうやって自分のやりたいこと何でもかんでも実行しようとするところ、嫌い」
「そうか。私はずっと無力な女子で居させようとする一鶴が嫌だったよ」
思春期に突入し始めた十一歳で劣等感を拗らせて距離をとった。祖父母のいる東都へと逃げて、何度か届いた電話も手紙も無視して九条との接触を絶った。九条が居ずとも、八神は変わらない。ずっとしこりとして罪悪感と後悔と、少しの安堵が胸の中で渦巻くだけだった。
「だから今日、お前たちに勝つよ。私の強さを認めさせる」
「……そっか。紗羅ちゃんは昔から頑固だったし、もう何を言っても無駄か。いいよ、やろうか」
真摯な面持ちで八神と向き合う九条が刀の柄を握る。
八神は息を呑み、同様に柄を握った。
けれども不思議と心に広がるのは満足感である。
しこりが物部の言葉で取れたが、今まで見えていたものが変わったわけではない。実力が何倍も上がったわけでもない。ただ邪念がないというだけで八神の世界の感覚が今までより豊かになったように感じるだけだ。
「……行くよ紗羅ちゃん」
世界で一番大切な女の子と刀を交える男と、超えたい相手と刀を交える女。
二人は同時に地面を蹴り上げ、刃を振るった。金属音が鳴り、火花が散る。押し合った反動で八神が体勢を直し、低姿勢で突進する。
流れに添い身体を回転させ、勢いに任せて下から上に袈裟斬りをくらわせた。
九条が後ろへと後退した所、地面に爪先が着地した瞬間を狙い追撃をする。
あまりにも無駄の無い洗練された女性剣士の動きに九条は目を見張った。
随分と長い間だった。離れていた時間も、ここまで辿り着くまでの時間も。
八神が攻撃の手を緩める事はなく、朝凪の時とは違い今度は九条が若干劣勢である。
しかし九条とて好きな女の子の前で情けなく負ける姿を見せるわけにはいかない。一度距離を空け、体勢を整え直す。
メンタルが良くも悪くも反映されるのは人間ならば誰だってある。いくら天才と言われる九条だって例外ではない。こと、八神に関する事で彼が正気だった時はほんの少しである。狂気じみた執着が正気のふりをして彼の正常となっただけだ。
「くっ」
「もっと踏ん張らないと吹き飛ばしちゃうよ」
だからこそ九条一鶴は強いのだ。
本来なら到達し得ない領域に片足を踏み入れている。
八神紗羅という人間がいるから、九条一鶴は強くなれるのだ。八神を守るために、八神がいる世界に少しでも平穏が訪れるように強くならなければならない。
「やはり凄いな……」
たった一振りで後ろに飛ばされた八神は目を輝かせる。同じ流派だからこそわかる、性別を考慮しても九条の腕前は一級品だ。同じ剣士として、カリスマ性と実力を併せ持つ同世代なんて憧れる以外にどんな感情を抱けばいいのだ。
「っといつの間にそんな動けるようになったの紗羅ちゃん」
「こっちに来てもずっと刀を握ってたからな。あの頃と一緒にされているなら痛い目を見るぞ」
二人は刃を交えながら道場での稽古を思い出した。互いに色褪せずに思い出せる程度には大事な記憶であった。あれがなければここまで強くならなかったであろう基礎固めの日々。
あの日があったから今この場所にいるのだと、八神は感慨深くなる。
朝から竹刀を持っていた昔。
夕日が背丈よりも高い場所にある窓から射し込むのが嫌だった。九条と別れることも、竹刀を握らないことも子供らしく嫌だと駄々を捏ねていた。
「はぁ……はぁ」
「くっ……ふぅ」
どんなに楽しい時間をずっと続けていたくても、終わりは必ず来るものだ。
八神の刀が遠くで地面に突き刺さり、九条の刀は八神の首横で静止している。
「……降参だ」
八神が手を挙げ、白旗を上げると九条は刀を下ろす。
堪える様子の九条とは裏腹に、八神の表情は晴れやかであった。
『暁天学園、八神紗羅くん脱落です』
インカムから聞こえた審判の声を無情にも理解してしまう。
九条は大きく息を吐いて地面に視線を落とす。
『___選抜選手の皆様に、至急連絡をします』
立ち直りする間もなく聞こえてきた審判の発言に九条と八神は顔を強ばらせた。




