第11話
五月のメインイベントといえばゴールデンウィークである。
多くの学生たちにとっては待ち侘びた連休であり、朝凪も心待ちにしていた。
朝早くから喫茶店の準備を手伝い、家を出た後は電車に乗って二つ隣の駅で下りる。
晴天が朝凪の凱旋を祝福するように青々としており、爽やかな風が通り抜けていく。ゴールデンウィークの始まりとしては文句の付け所がない気候であった。
若干軽い足取りで朝凪が朝から訪れたのは、梔子駅から少し離れた場所にあるサクライ書店であった。
胡蝶蘭街には本屋はあれどそう数が多いわけではないので、朝凪はもっぱら梔子市にあるサクライ書店を利用している。
全国各地にある本屋で、多くのジャンルの本を取り扱っているサクライ書店は老若男女様々な客が訪れる。朝早くの開店時間を狙ったのは、朝凪なりに自身の趣味をバレないようにするためだ。
「いらっしゃいませー」
男性店員の間延びした挨拶を聞きながら足早に目当てのコーナーまで向かう。
狙うのは新刊コーナーと、少年漫画、少女漫画コーナー。
(帷先生の新作、昨日発売だったから不安だったけど買えてよかったな)
目的のものの他に参考書を数冊購入し、会計を素早く済ませる。
やる気のない表情の店員は朝凪のラインナップに表情を変えることもなく、淡々とレジを通していく。
「ありがとうございましたー」
抑揚のない声を聞き流しながら、紙袋を右腕に抱えた朝凪は満足顔で店を後にした。
「朝凪?」
「っ八神か」
八神の登場に朝凪は紙袋を抱く力を増し、思わず一歩足を引く。
「紗羅ちゃんのお友達?」
「友達ではない」
八神に腕を絡めている小柄な女性が、朝凪へと視線を向ける。
ブラウンのショートヘアの眠たげな美少女だ。おっとりとしていると表現するには些か目が死んでおり、腹の裏で何を考えているのか分からない不思議少女という言葉の方が似つかわしい。
腰の右側には刀を携えており、左利きだということがわかった。
「んふふ、じゃあ恋人?」
「違うに決まっているだろ!ライバルだ、ライバル」
美少女はフゥンと短く答えると、八神から腕を離して朝凪へと距離を近づけた。
背丈は百五十で、女子の平均よりも幾分か低く、華奢な印象を抱く。
(でも、多分強いなこの人)
父親と似たものを感じた朝凪は紙袋を左腕で抱き直し、挨拶をした。
「こんにちは」
「こんにちはー。一ノ瀬蛍でーす。んふふ、初めまして朝凪先輩」
一ノ瀬蛍という名前を聞いて、朝凪は八神に顔を向けた。
若干困り顔の八神が神妙にうなづく。
「黄昏学園の生徒さん?」
「交流会ではよろしくお願いしますねー」
五月の中旬に開催される姉妹校交流会。
東の暁天学園と西の黄昏学園の代表生徒七名による交流戦だ。
毎年開催学園を交互に入れ替えるので、今年は暁天学園が開催校となる。
健全な精神と肉体の育成の為に切磋琢磨しましょうという名目であるが、その実両校の理事長が例年不仲なので、我が校の生徒の方が強いという見栄を張りたいだけの上層部の思惑に塗れた試合なだけだ。
生徒は生徒で交流会を今後のモチベーションへとするし、上層部の思惑など知らず試合を楽しむ。
かくいう朝凪も去年は試合に参加して楽しんだ側であった。
「去年の試合、見ましたよー。んふふ、当時三年生の先輩を数分で気絶させた朝凪流の使い手。是非戦ってみたいなーって思ってたんです」
口調こそ軽やかだが、目に孕んだ狂気が爛々と輝いている。
今まで出会ったことのない人種だ。
思わず背筋を伸ばして威圧するように一ノ瀬を見下ろした朝凪に、一ノ瀬はまんざらでもなさそうな表情を浮かべた。
「……はぁ、今はやめておけ一ノ瀬」
「えー、だって折角あったんだよ紗羅ちゃん。運命だって、神様もここで戦うべきだって言ってるんだよ」
「少なくとも、私闘は禁止されているだろう。教師の立ち会いもない私闘はダメだ、それに万が一怪我をどちらかがしてみろ。相手校の選手を潰すためにわざと怪我をさせた、なんて根も葉もない噂が流れたらどうするつもりだ」
八神の言い分は尤もである。
しかしここで引くほど一ノ瀬は甘い女でも聞き分けのいい女でもない。
「いーやー!折角強い人と会ったんだから今すぐ手合わせしたいのっ……紗羅ちゃんだって久しぶりに会った一鶴と手合わせしたいでしょ!強者と手合わせしたいでしょっ」
「何故あいつの名前が出てくるんだ関係ないだろ……あいつだって私のことなんかもう忘れているはずだし、私もあいつには、出来れば会いたくない」
何やら急に湿度を帯び始めた紗羅に、朝凪も一ノ瀬も気を削がれ思わず顔を見合わせた。
九条一鶴。
黄昏学園の生徒会長である爽やかな好青年。そして夕顔流抜刀術の使い手だ。
昨年での活躍は誰もが知るところであり、既に黄金水仙隊本部から声がかかっている有望株でもある。
「もういいだろう一ノ瀬。おすすめスイーツ店案内してっていうから朝早くからここまで来ているんだろ。早く行くぞ」
「……はぁい。んふふ、じゃあねー朝凪先輩。交流会楽しみにしてますね」
語尾にハートマークがつきそうなほど甘ったるい声で挨拶をした一ノ瀬が手を振る。
二人の後ろ姿が消えた頃、朝凪は近くのベンチに座り込み、両腕で本を抱え疼くまった。
「ハァァ」
大きなため息を吐き出した朝凪の脳裏で、先ほどの八神と一ノ瀬の会話が復唱される。
(……絶対さ、絶対だろこれ。確定演出だって)
「何かあったんじゃんやっぱり……」
胸の中で秘めることが出来なかった言葉が口から漏れてしまうが、今の朝凪には気にかける余力すらない。
(交流会で俺、大丈夫だろうか)
あまりの可能性の塊に思わず唸り声を上げる朝凪は側から見れば不審者以外の何者でもない。
普段澄まし顔の彼の痴態を、知人が見ていなかったことが幸いだろう。
「あのーお兄さん、大丈夫っすか?」
「……大丈夫です」
「そうっすか。それじゃあちょっとそこ、掃除していいっすか?」
先程会計した時に顔を合わせた気の抜けた店員に慌てて頭を下げた朝凪はその場を足早に去った。
羞恥心と高揚感と好奇心でどうにかなりそうな朝凪は、家の方ではなく、兄夫婦の職場である事務所へと向かうことにした。




