第7話
『まもなく14時よりイルカショーが始まります』
「一ノ瀬くん、ここ座ろ!」
望月さんが隣の席をとんとんと叩く。
促されるまま腰を下ろす。
真ん中より少し後ろ。ショー全体を見渡しやすそうだ。
「人たくさんいるね」
流石水族館の目玉だ。ショーの10分前なのにほぼ満席だ。
「見て!ここのショーすごいんだって」
そう言ってパンフレットを突き出してきた。イルカショーの部分に大きく『絶対みたい!!』の文字が書かれている。
望月さんは慌ててパンフレットを抱きしめる。
「……見た?」
「……見てって言われたから」
「それはそうだけど……」
「イルカショー楽しみだね!」
「アシカも出るらしいよ」
そんな会話があちこちから聞こえてくる。
ちらっと隣を見ると、望月さんが頬を赤らめていた。何か言うべきだろうか。
『みんな〜こんにちは〜!』
軽快な音楽が流れる。
お客さんの手拍子に合わせて、スタッフのお姉さんが出てきた。
「始まるね」
「そうだね。楽しみ」
笛の音に合わせてイルカが飛び跳ねる。
隣を見ると、望月さんは楽しそうにショーを見ていた。
『今からこの子達が輪くぐりをしま〜す』
「イルカのジャンプするところ好きなんだ。凄い綺麗じゃない?」
2匹のイルカが水面から飛び出す。
交差する2匹と、舞い上がる水しぶきが輝いている気がした。
「綺麗だと思う」
「でしょ」
隣で彼女が微笑んだ。
お客さんの歓声と、イルカたちの泳ぐ音。
目の前の青い世界が眩しく見えた。
イルカショーを見たあと、もう少しだけ水族館を見て回った。
気づけば18時を過ぎ、空は暗くなり始めていた。
帰りの電車は満員だと思っていたが、あまり人はおらず何とか席には座れた。
「今日楽しかったね〜」
「うん。楽しかった」
巨大水槽にクラゲの水槽、イルカショー。昼前から歩いていたはずなのに、不思議と疲れは感じなかった。
「一ノ瀬くんは何が1番気になった?」
「どれだろう……全部印象に残ってて」
今日回ったところを一つ一つ思い浮かべる。
優雅に泳ぐ魚。水中を漂うクラゲ。水しぶきをあげながら泳ぐイルカ。それだけでなく、色んなものを見た。
「決められないかも……」
「一ノ瀬くんらしいね」
望月さんはそう言って笑った。
電車の光が彼女の顔を照らす。
「望月さんは何が気になった?」
「私?私は……イルカかクラゲかな。どっちも綺麗だったから」
「たしかに綺麗だった、と思う」
「一ノ瀬くんクラゲに釘付けだったもんね」
「そうかな……?」
「そうだよ!すごい真剣な顔してた」
何となく思い返す。たしかにあの時は周りを気にしてなかったかもしれない。
「……そうだったかも?」
改札を通り、駅を出る。
駅前は帰りの人で溢れていた。
「家まで送るよ」
「え?さすがに遅いから……」
「夜だし……」
望月さんは瞬きをする。
一瞬だけ間があって、彼女は小さく微笑んだ。
「……じゃあお願いしようかな」
人混みを抜けて、住宅街に入ると急に静かになった。
「ここ曲がったらすぐだよ」
少しだけ歩いて足を止める。
表札の『望月』という文字が目に入る。
「今日はありがとう」
「こちらこそ、僕も楽しかった」
そう言ったところで、玄関のドアが開いた。
「咲夜、おかえり」
望月さんのお母さんは優しい目で彼女を見る。
そして視線をこちらに移した。
「あら……こんばんは」
一瞬だけ驚いた顔だったが、すぐに優しい笑顔になる。
「こんばんは」
「同じクラスの一ノ瀬くん。この前話した傘貸してくれた人だよ」
「あぁ、この人が」
望月さんのお母さんは納得したように頷いた。
「あの日はありがとう。あの日はこの子の弟が熱出したのよ。それで迎え頼んだんだけど、あの日雨すごかったでしょ」
「そうですね。結構降ってました」
この返し方はあってるだろうか。
「咲夜ったら傘持って行ってなくてね。弟の方にも持たせてなかったから、2人が濡れてたらどうしようって心配してたの。家に帰ったら驚き。あなたが傘を貸してくれたって話を聞いてね。ずっとお礼を言いたかったの」
隣にいる望月さんと目が合う。彼女の顔が少しだけ赤くなっていた。
「改めて一ノ瀬くん。あの日は本当にありがとう」
「私からも!本当にあの日は一ノ瀬くんが傘貸してくれて助かったの!ありがとう」
望月さんのお母さんが頭を下げる。深く綺麗なお辞儀。
望月さんも一緒に頭を下げていた。
「いや……たまたま傘が2本あったので、困ってそうだったしそのまま貸しただけですよ……」
「咲夜から聞いたとおり、優しい子なのね」
「でしょ!一ノ瀬くんすごい優しいの」
褒められたのは僕のはずなのに、望月さんの方が嬉しそうだった。
しかも僕の話を家族にしていたらしい。そんな話をするほどだろうか。
「この子ったら今日のデートすごく楽しみにしてたのよ。昨日の夜から『明日はどこ回ろうかな〜』ってパンフレットずっと見てて」
「ちょっとお母さん!それは言っちゃダメなやつ!」
望月さんは耳まで赤くしている。
そんなに慌てることだろうか。
「僕も行けて良かったです」
「えっ?」
「今日、ずっと楽しかったです」
望月さんの顔が固まる。何か変なことを言っただろうか。
家の中から男の子の声が聞こえる。望月さんの弟の声だろうか。
「はいはい。これ以上話してると一ノ瀬くんが家に帰るの遅くなるでしょ」
沈黙を破るように望月さんのお母さんが言葉を発する。
「本当はご馳走したいけど、いきなりは一ノ瀬くんのお母さんにも申し訳ないからね。また遊びにおいで。弟の拓也もあなたに会いたがってるし」
「はい、またお話できたら嬉しいです」
「気を付けて帰ってね。また明日」
望月さんとお母さんは家の扉を閉じる。僕は帰り道を歩き出した。
角を曲がって顔を上げる。
街灯の光に混じって、空にはうっすらと星が見えた。今まで夜の空をまじまじと見ることはなかった気がする。
6月の風は暑いのだろうか。冷たいのだろうか。それとも生ぬるいのだろうか。
ただ、それを考えている時間は、少しだけ長く感じた。
気づけば、いつもの道がもう目の前にあった。
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